堕落
雨海ゆう
堕落
ある朝、朦朧とした夢から目をさますと、ここは僕の元いた世界ではなくっているようだと直感した。
違和を覚えたのは空気がこれにまでにないと思ってしまったほど咽頭を素通りし腹に入るのがすんなり行えたからであった。それからテレビを点けてみたが、なぜかどこのチャンネルに切り替えても番組は放送していないようで砂嵐の画面と土砂降りの雨のような音が聴こえるだけだった。そして外からいつものような無配慮な騒々しい喧騒も聞こえてこないことに気づいた。部屋の様子はいつものように机や棚が無風流に置かれているだけだった。僕は壁に引っ付けて配置している机の横にあるサッシ窓を開けた。燦々とした日差しが僕を迎えた。どうやら昼らしかった。外の様子は普段と同じに思ったが、それは確証を持たなかった。僕はその街やその中で生活している人間に深い妬みを持っていた。下を向いて歩くのが正常であった。僕は誰の顔も見ず、人々もそれに応対し誰も僕を尻目にも入れなかった。そういう訳で街に何か変化したことはないかとは思考の上を廻ってはみたが分かるはずもなかった。
真っ先に確認しなければならないことに行動に移すことにした。僕はスマートフォンをポケットから解放させた。今日は何月何日何時何分地球が何回転したか。だが無論それよりも僕はバイトのシフトが入っているか否かが肝要だった。もし入っているのであれば僕はそろそろ準備万端で目的地へと家を出ないといけないのである。だがそれは徒労に終わった。バイトの連絡網となるものは悉く情報から消失していた。詰まるところ、そんなものは失くなっていたのである。
僕はどうしてこうなかったか、推測するため過去を思い出して思考することにした。
僕は周りに流され意志も何もなく受けた大学に落ちて、堕ちた。何ともなしに生きていた。だが皺寄せは僕を怒涛として逃さなかった。三月、雪も降り静んでいたその日、大学まで合格発表を見に行った。白い板を眺め、番号が整然と並んでいた矢先、それは撃たれ跡形はなかった。僕は周りで歓声を交わし合っていた友達と目を合わせることなく、直ちに立ち去った。帰りの電車はぼーっとして頭がどうも働かなかった。大学でしたいことはなかった。学部も成り行きで選んだだけで興味など欠片もなかった。部屋に着くなり布団に包まったまま浪人に果たして意義はあるのかと検討し、一週間後が過ぎた頃、親にある程度は生活できるぐらいの金を渡され、家を追われた。
「あなたは今まで何をして生きていたの?」冷笑った母親からのその言葉が耳に鳴り続けた。僕は答えられなかった。それからのことは思い出すに忍びない。毎日僕を襲う焦燥感に見えていない振りをし、バイトをしながら最低限の生活を送っていたはずである。それがなぜか朝起きてみたら僕は夢の中の世界にでも取り残されてしまったようだった。
僕は兎にも角にも家を出てみることにした。服は着替えずそのままドアを開けた。外は照りつける日差しで暑かった。ここでやっと日付を確認した。二〇二二年八月一日午後一時一分。それは僕が生活している二〇二二年の夏と不変であった。僕は長袖のTシャツを丁重に捲くった。やはりどこか様子が異様だった。物音一つしないのだ。閑静というどころではなかった。僕は首を上に曲げた。そこにはビル、コンビニ、パン屋、信号機…街があるだけでそれ以外はなかった。生物が一切存在していなかった。そのまま散策を続けていると街は大方、人類という管理者がいなくなったせいで地下水やダムが氾濫し、ボロボロにまで侵食されているようだった
「さて、どうしたもんかな」
沈着な僕が発した空気の振動はさっさと世界から消えた。状況は特段変わらなかった。働いて飯を食べて寝る以外のことは何もしていなかったから。ここでヒロイズムに溢れた主人公足り得るものならこの世界の片隅に存在し得る人間を探すのであろうが、僕は生活に困っていない。食事は豪勢なものとなった。何せ誰もいないのだから取り放題である。敷布団もフカフカなベットにした。家も一軒家の三階建てに引っ越しをした。外に出ることが多くなった。全てが打って変わった。僕のことを見下していた奴ら以上の生活を送ることができた。僕はこの誰にも咎められない世界では落ち着いて生活できた。僕は心の隅に居座り続ける遣る瀬無いものを看過した。そんな生活が一年続いた、が。変転は突拍子もなかった。
ある朝、目が覚めるとひどい耳鳴りがした。僕はそのままベットで数時間を過ごした。昼も間近そろそろ起きるかと、体を起こした。体が床と垂直となった時視界が揺らいだ。僕は部屋に置き貯めした2Lの天然水をそのまま大量に飲んだ。どうも気持ちが悪かった。気分転換に外に出ることにした。ドアをゆっくり開けた。そこは僕の元居た世界だった。僕は街にのさばる生物達を、それが掻き鳴らす無限の音を目の当たりにしてしまった。僕は床に手を突き誰もが目に留めるぐらいの大声を出した。「ごめんなさい。そんなつもりではなかったんです。僕がこんな生活していいはずありませんよね。ごめんなさい。今すぐに元居た場所に戻ります。申し訳ございませんでした」
生物達は一瞬こちらを見る素振りを見せたが、すぐに転回し歩き出した。
僕は家の中の物をほったらかしにして元の家に戻った。そこは相も変わらなかった。僕は昨日までの贅沢な生活を顧みた。確かにそれは僕を余裕のある暮らしに変えてくれた。けれど決して充足ではなかった。贅沢な生活だけでは僕は心の底から幸福とは言えなかった。一体何が欠けているというのだろう。幸福な人間と自分を鑑みて思案することが有効だと考えた。僕は微々たる人間としての関わりを持っていた高校時代の周りの人間と自分を鑑みた。
僕は周りと違い、心を通わす友達はいなかった。誰かと遊んだりしたことはなかった。幼い頃から幸せそうな周りを見るたび僕は嫉み、自分を抑えつけていた。高校では抑制が効かなくなり度々、彼彼女らの輪に入ろうと体が無意識に動いたものだった。僕と彼らとの関係は他愛も無い会話に参加している気になっている奴だということだった。僕が無理をして会話に入ると周りは善意のある愛想笑いを浮かべたり、話題を変えたりしていた。趣味などなかった。小中高と部活は言わずもがな。クラスの生徒の大半は部活動をしていて、終礼の挨拶が終わると同じ部活の人間同士で笑顔で声を掛け合い、仲良く集まって一緒に教室を出ていくところをよく唖然と眺めていた。下足に着き、靴を履き替えて校舎の外に出る。帰路に就くといつもと変わらない夕焼けとそれに肌の色を赤く染められた運動場にいる楽しそうな彼らを見てしまい僕は歩を早め、下を向いた。活字も苦手で本は興味がないとそこに結びつけ、意地になって読まなかった。周りで人気があったアニメなるものも興味を唆られなかった。比較的誰でも見ていたので僕でも容易に入ることはできたはずだが、そんなもの持っていなくとも僕はいい、だって必要ないから。そう思っていた。だが僕はもう気づいた。それこそ人生に掛け替えのないものということを。
「誰も教えてくれなかったなあ」僕は笑い混じりに独り言ちた。
僕は今からでも趣味や友達でも探そうかなと思い浮かべてみたが、何からやればいいか分からないし、今のバイト仲間にはなるべく関わりたくないと思っていたしあちらも関わりたくないだろうと仕事以外のことでは話さないように心がけていた僕が今更縋り付いたところで顛末は見え透いている。何より今まで全てを拒絶して全てを踏みにじった僕が取り返しがつくのかと、何から何をどうしたらいいのか全く分からなかった。僕は頭の中が虚しさでいっぱいになった。
何日が過ぎたか、僕は一つの打開策を頭の中に発案した。僕はすぐさま、外に飛び出して最寄り駅まで奔放に走った。テキトーな切符を買い、改札を抜けた。駅は夏の暑さと人で飽和していた。今そこにでもコンクリートの地面に陽炎が見えそうだった。僕はこれからのことで頭がいっぱいであった。次の人生は自分のやりたいこと、人と話しながら決めていこう。例え、輪廻転生しなくとも僕はこの世界からおさらばできる。この瞬間にでも誕生している栄光ある人間のために貢献できるのだ。僕はどう転んでも満足ゆく形に幕を閉じることに感動しながら涙を溢した。
「ありがとうございました。僕はこの世界を憎んでいました。けれど今に至っては希望を見つけることができました。誰も正解なんて教えてくれませんでした。けれど最後に僕は自分なりに咀嚼し解釈しこの世界に必要不可欠なものを導き出しました。」僕は前を向きながら言った。
僕は黄色の線の外側へと足を進めた。電車が轟々と音を一番線からホームへと響かせながら僕に近づいていた。人々は怪訝そうにこちらを見始めていた。僕は一歩大きく足を上げた。降りた。地面はレールと石で歪んでおり立つのには不向きであった。僕はホームに佇む人々に視線を向けた。ある人は大変驚き悲鳴を上げた。ある人は携帯をこちらに向け撮影に勤しんでいた。ある人は僕に鬼気迫る形相で手を差し伸べた。僕は向きを電車と対面する形に直そうとしたが、その不可解なものを僕は見逃さなかった。
それは僕であった。姿形、着ている服まで僕と同じであった。その隣には僕と同齢ぐらいの女性が居た。とても人の良さそうな僕の好みの容姿であった。それらは哀れみの目でこちら見つめていた。僕はそれらに手を伸ばし、空を掻いた。理想に対して無意識に体が働いた。向こうの僕は彼女を自分の背中に回して僕を視野に入れないように働きかけた。僕は僕のその行動に感服した。僕は到底しないような情のある行為だった。僕は予想だにしなかった悔恨の念が蟠るのを自覚した。その瞬間、僕の体は巨躯な物により弾け飛んだ。
堕落 雨海ゆう @yohikasidaaaa
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