【雨に願いを】 第二話

 蜜色の木漏れ日が差し込み、夕暮れ時を迎えていた。

 人家や市街であれば当然のようにある外灯だが、そんなものがこの森にあるわけもなく、夜になれば辺りは暗闇に包まれる。頼みの綱となる月明かりだが、それですらも、無数に茂る木々が遮光し、それほど期待はできない。


 それらの理由もあって、僕一人で森を歩く時は、陽が落ちる前に帰れるかということを常に気にしながら外回りをしているわけである。

 それでも一応、神楽からは護身用として、霊力を込めた御札を一枚だけ持たせてもらっていたが、いまやその効力も失われてしまった。


 それもこれも今現在、僕の背中でスヤスヤと眠りこける、御影澪音が原因なのだが。

 ――御影が作り出した巨大な黒雲が弾ける寸前、僕は咄嗟に御札を手に取っていた。

 神楽がブンブン投げまくっている姿は見たことあるのだが、僕自身が使うのはこれが初めてで、もちろん取説のような親切なものはなく、願えばだいたい叶えてくれる、の雑なアドバイスをもとに、半信半疑で御札に念じた結果、以前に神楽が作り出していた障壁に近いものを生み出すことに成功。辛うじて降り注ぐ水塊から身を守ることができた。

 

 御札がなかったとしてもたかだか濡れるだけ……と勘違いされそうだけど、降り注ぐそれの破壊力は凄まじく(現に膨れ上がる最中には木々をなぎ倒していたわけで)、まるで大量の砲撃を受けたかの如く、大地は深々と抉れていた。


 雨の大砲――そう呼んでも差し支えは無い。


 護身用の御札が無ければ、シンプルに死んでいた。

 成すすべなく、跡形もなく潰されていたはずだ。


 御影はその後、その場に倒れ込み、それからずっと……今も気を失っている。

陽が暮れ始めていることもあり、やむを得ず御影を背負い、神楽の元へ連れていくことにしたけである。


 僕を殺しかけた御影を連れていくのが正しい選択なのかはわからないが、こんな森の中に放置するわけにもいかないだろう。


 それにこの子――普通の人間でないことは明らかだ。

 その手の専門家でもある、神楽に見てもらうのが手っ取り早いはず。

 今は、神楽の元へと帰る途中。 

 

 その道中である。


「――ん……」


 艶っぽい声が聞こえた。

 この場合、明らかにその声の対象者が御影しかいないことを考えると、艶っぽい、という表現が正しかったかはわからないが、兎にも角にも、ようやく意識を取り戻した。


「よっ、起きたか」


 ついさっき起きた事件は一旦なかったことにし、僕は今日一番、爽やかな声で言った。

 ついでに、爽やかな笑顔で顔だけを少し振り向かせてみた。

 ちなみに、御影は僕の左肩あたりに頭を乗せて眠っていたわけだが、僕が爽やかに振り向くとほぼ同時、御影は目を開いた。

 

 猛烈に顔が近かった。

 

 それはもう、顔と顔がくっついちゃいそうなくらい。

 

 まだ寝ぼけ顔の御影だったが、僕がさらにニコっと笑顔を見せると――


「ギャーーーー!!」


 雄叫びを上げた。

 想像以上の雄叫びだった。

 すぐさま手足をばたつかせ、僕の背中から離脱した。

 寝起きとは思えないほどに鼻息を立たせ、危険を察知した獣のように威嚇の姿勢をとる。


「待て待て落ち着け御影。僕だ。よく見ろ。あんなに仲良くしていた天那お兄ちゃんだぞ」

「そんな呼び方は一度たりともしていません! なに都合よく過去の改竄をしているんですか! 気色悪いですっ!」


 きしょ……。

 かなり傷付いた。


「それに、なんで天那さんが私を背負っているんですか! セクハラです! 警察を呼びますよ!」

「お、落ち着けって。過去を改竄しようとしたことは悪かった」


 意外といけるかと思ったんだが。


「でも、セクハラは言いがかりだ! いきなり御影が気を失ったから、僕が安全なところまで連れて行こうとしただけだ!」


 ……あれ? なんか不審者の言い訳みたいになっているぞ? なんで? どうして?


「信じられません! 私が気絶している間に、あんなとこやこんなとこをいやらしく舐めかしく触ったに違いありません!」

「僕にそんな卑しい気持ちは断じてない! というか、御影が僕に抱いている印象はどうなってるんだ!」

「変態ですっ!」

「ぐっ……!」


 一度は仙人までクラスチェンジしたのに、また変態にジョブチェンジしてしまった。

 僕は、僕自身を殺そうとした相手を助ける、お人好しにも程がある善良な人間だというのに……

 だけど、このままではいつまで経ってもこの言い合いの連鎖からは逃れられそうもない。

 書くなる上は……。


「いいか、御影。僕は本当になにもしていない。ただ御影を安全なところに避難させようとしただけなんだ」

「信じられません! そこまで言うなら、なにもしていないという証拠はあるんですか!」


 一度、僕は荒くなっていた呼吸を落ち着かせ、


「――証拠はあるさ」

「どこにあるんですか!」

「――なにせ僕は――男にしか興味がないからな」


 過去一番の、爽やかな笑顔を振りまいた。

 ――御影は沈黙した。

 言った当人(僕)も、沈黙した。

 二人の間に、冷たい風が流れた。


「……やっぱり、仙人だったんですね」

「……ああ……」


 目一杯、凛々しい顔をしてみせた。

 

 しかし一つ言わせてくれ。

 お前の中の仙人はどういう扱いなんだい?

 

 まあ、咄嗟についた嘘の甲斐あって、なんとか仙人ということで落としどころはついた。

 

 ――いやいやほんと、嘘だからね!


 陽が暮れる前に目的地まで辿り着きたかった僕は、とりあえずその方角に足を進ませた。

 御影も僕の左やや後方をついてきた。


「ところで仙人さん」

「そこは天那さんにしてくれないか? 実はこっちも複雑な心境なんだ」


 どこであの嘘のネタ晴らしをすればいいんだろうか。

 いろんな意味で、気が気じゃなかった。 


「ところで天那さん」


 仕切り直し。


「どうして私は気を失っていたのでしょうか?」

「やっぱり、覚えていないのか?」

「……?」


 首を傾げる御影。

 どうやら、つい小一時間ほど前にあったことなど、綺麗さっぱり忘れているらしい。

 僕を雨の大砲で押しつぶそうとしたことなど、微塵も覚えていないのだ。

 あの時の御影は感情的に……いや、感情的にというか、もはや別の何かが憑依して  いたかのような様相を呈していたわけで、さらに言うと、またいつあの状態になるかわからないことを考えれば、僕の命は御影の気まぐれにかかっているということになる。

 護身用の御札もその力を失ってしまった今、また同じ状態になれば――結果は言うまでもない。


 ――下手なことは言えない。


選択を誤れば、僕の短い人生に終止符を打たれることになるのだから。


「……ここの木ってさ、ところどころにいろんな実が成っているだろ?」


 僕は見上げて、無花果を指さした。


「――それが、どうかしたのですか?」

「それが、落ちてきたんだよ」

「……それで?」

「だから、それが御影の頭の上に。それで意識を――」

「もう少し、まともな嘘はなかったんですか?」


 もう少し、まともな嘘を考えればよかった。


「と、とにかくだ。陽が暮れたら厄介だから、今は先を急ぐぞ。話はそれからだ」

 早足の僕に、怪訝そうな顔を見せながらも渋々ついてきてくれた。

「ところで天那さん」


 またまた仕切り直し。


「これはどこに向かっているんですか?」


 今日初めてあった男に、行先も知らずについてきているのは如何なものなのだろうか。

 無理やり連れまわしているのは僕なんだけれども。


「この森をもう少し行ったところにある、神薙神社ってとこだ」

「……聞いたことがありませんね」

「……だろうな」


 地元民にすら知られていないような神社だ。

 御影が知っているはずなどないし、なにしろ僕だって、二週間前に知ったばかり。


「そこに行ってどうするんですか?」 

「――御影は、倉神村に帰りたくないのか?」

「帰りたいです。私は帰らなくてはいけないのです」


 即答だった。


「御影が帰るための方法を知っているかもしれない巫女がいるんだ。神薙神楽って言うんだけど、そいつに会って、いろいろ協力してもらおうと思う」

「神薙神楽さん……ですか。苗字と名前で神が二つも入っているなんて、さぞや信仰心の高いお方なんでしょうね」

「その期待はやめておけ。僕より信仰心が低いのは明らかだし、それどころか、信仰を志す気持ちすら持っていない」

「天那さんより信仰心が低いんですか? そんな人がいるなんて驚きです」


 御影から見た僕の信仰心レベルはいったいどれくらいなんだろうか?

 会って間もないこの短時間で、僕の信仰心が疑われるようなこと、何か言ったっけ?

 思い返せど、その答えを見つけることはできなかった。


「ときに天那さん。この森に住んでいるということは、ご両親は森の精霊かなにかなのですか?」


 うーん、その発想はなかった。

 どうも御影は偏見……というか、考え方が偏っているみたいだ。

 変態呼ばわり……は別問題かもしれないが、森に住んでいるだけで仙人扱いされたり、しまいに親は人間ですらなくなってしまっている。


 そもそも御影にとって、精霊ってどんなイメージを持っているんだろう?

 森の精霊……。

 白い髭を蓄えて、三角帽子を被っているような感じ? でもって杖を持っていて……。

 やっぱり仙人に寄っていくじゃん!


「そんなわけないだろ。っていうかなあ、僕はこれでも普通の人間だ。まあ……わけありではあるけど、さ」

「……わけあり、ですか?」


 僕は歩きながら相槌を打った。


「僕の両親はこの森にいるわけじゃないし、もう二週間……いや、それ以上か。ずっと会っていない。それにきっと、今じゃ僕のことを覚えてすらいない……はずだ。それくらい、遠い存在になったんだろうな」


 遠回しで、わかりにくい説明になった。

 ……無意識に、あえてわかりにくくしたのかもしれない。


「そう、ですか…………失礼しました。プライベートなことに余計な口出しをしてしまいました」


 らしくない。神妙な面持ちで謝罪された。

 ツッコミをいれるわけもなく、ボケるわけもなく。

 なんだか寂しい……って僕はどんだけ御影にハマっているんだ!


「……別にいいんだ、そんなこと。むしろ、誰かに言いたかったくらいだからさ」


 本心である。

 思い出さないようにしていたけれど、忘れるわけにはいかなった。

 そうなった結果を受け止めないようにしていたけど、受け入れないわけにもいかなった。


「御影の両親はその、倉神村で一緒に住んでいたのか?」

「今日初めて会った人に、プライベートに関わる家族のことを訊くんですか?」

「その返しは理不尽過ぎる!」


 ここだけ切り抜かれると正論なんだが。


「冗談です。ですが、あまり面白い話しではありませんよ?」

「大丈夫だ。決してそんなことを期待して訊いたわけじゃない」


 それこそ嫌なやつだ。すべての話しにオチを求めるなんて。


「ちょっと重たい話しになりますけど、それでもいいですか?」

「うーん、触りだけにしてくれる?」

「お触りは駄目ですっ!」

「うん。じゃあ普通に訊くよ」

 

 素っ気ない態度に御影は頬をぷくっと膨らませたが、僕が華麗にスルーすると至って冷静に語り始めた。


「……お父さんは、村の人に捕まって、首をはねられ死にました」


 いきなり重っ! 重すぎだろ!

 そんな僕の心を見透かしたかのように、ニヤリと不敵な表情を見せた御影。


「冗談です」

「冗談でも言っちゃ駄目だろ。そんなこと」

「ですが、お父さんが既に亡くなっているのは本当です。病で亡くなったそうです」

「亡くなった……そうです?」

「私がまだ四歳か五歳くらいの話でしたので……私はお父さんの顔も覚えてはいませんし、どのような人だったかもわかりません。お父さんが居ないのは寂しかったですが、それでもお母さんが目一杯、優しくしてくれました。雨が降れば頭を撫でて褒めてくれたり、なかなか降らないときには大丈夫、澪音ならできる、って励ましくれたり……私が不安なときは、いつも寄り添ってくれていました。だから、お父さんが居なくても私は、辛いと思ったことはありません。ですが――」


 御影はそこで、間を空けた。


「ある時から、お母さんの様子が変わりました」

「……ある時から……変わった?」


 御影はまたそこで、沈黙した。


「……御影?」

「――この話しはここで終わりです」

「……えっ?」

「ここから先は、有料です」

「お金取るの⁉」

「触りだけと言ったのは天那さんですよ?」

「いやまあ、そうだけど――」


 ここまで聞かされると、さすがに気になってしまうが――

 でも、それは御影の家庭の事情で、僕から問い詰めるべきことではないのだろう。

 それに、ここで話を区切ったということは、その先のことは語りたくないということだ。


僕だって好んで誰かの家族事情に干渉したいとは思わないし、誰にだって話したくないエピソードの一つや二つ、必ずある。


 それに、もしそんな話を聞かされたところで、僕にどうこうできる話じゃない。

 知ったような口を叩いて、わかったようなふりをして。

 そんな表面上だけのやりとりなんて、なんの意味も持たない。


「気になったんだけどさ、御影」

「なんですか? 続きは教えませんよ?」

「人のプライバシーに土足でずかずかと入り込む、そんなデリカシーの無い男に見えるか?」

「結構見えます」


 即答だった。

 しかも、完全に見えるわけでなく、結構見えるという表現が、リアルで傷付いた。


「冗談……かもしれません」

「そこは冗談ですと言い切ってほしいところだ」


 まあいいや。


「気になっているのはさっきの続きじゃなくて、雨ってのは、御影が願えば簡単に降らせれるもんなのか?」

「私が祈ったからといって、すぐに雨が降る、なんてことはありません。ですが、数日もしないうちに必ず雨は降ります。過去には、雨を司る龍神……クラオカミの神を身体に宿し、すぐさま雨を降らすことができた巫女も居たと伺っていますが……私はまだ、そこまでの力はありません」

「クラオ神の神……て、神がダブってないか?」


 御影はため息をこぼした。


「天那さん、クラオ神、のかみは神様の神ではなく、クラオカミ、で一つの名称です。クラは谷や山間の意味で、オカミは雨を司る龍を指します。谷や山間に雨をもたらす龍がクラオカミであって、さらに神の敬称をつけることで、クラオカミの神と呼ぶんです」


 得意げに説明した。


「……御影は、クラオカミの神とやらを宿したことは、ないんだよな」

「今はないだけです。そのうち、私にもできるようになります」

 御影は、今は、をやたら強調して言った。

 別に、できないことを揶揄したかったわけじゃない。

 いや、もしかたら御影は、もう既に、クラオカミの神を宿したことがあるんじゃないだろうか?


 あのとき、僕の目の前に現れた存在……。

 

 巨大な黒雲を作り出し、僕に雨の大砲を降り注がせた存在……。

 

 あれこそが、クラオカミの神だったんじゃないのか?

 そんな疑念が、脳裏を過った。

 

 でも、だとするとだ。神は、それなりにも信仰心がある僕を、ペシャンコにしようとしたのか? 

 

 善良な一般庶民を? ちょっとした気まぐれで?

 うーん……神様の気まぐれだとしても、あまりに理不尽すぎる。


「その、クラオカミの神を宿すと、巫女はどうなるんだ?」

「聞いた話ですが……クラオカミの神を宿すと、一時的に意識を失うと言われています。神様が身体に宿るのだから、当然と言えば当然なのかもしれませんが。目覚めたときはいつも、不思議なほどにスッキリするという話みたいですよ。素敵な恩恵ですよね」


 そりゃあまあ……スッキリする理由はなんとなく理解できた気がする。

 あれだけ豪快に森を破壊していたわけだし。

 危うく、龍神様の気まぐれと気晴らしのために、僕は命を落とすとこだったわけだ。

 思い返してぞっとした。

 しかし、神様を宿すっていうのは……どうなんだろう?

 このまま神楽に会わせたら、神様なんて居ないと喧嘩になってしまいそうだ。

 なんせ、神に仕える身である巫女のはずなのに、微塵も神様を信じていない。

 対して御影は、心の底から神様の存在を信じている。


「…………」

「どうしたんですか? 天那さん。またいやらしいことでも考えているんですか?」

「……いや――少し嫌な予感を考えていた」

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