ふたりぼっちの死霊術師~こころとは何か。答えを探す現代ファンタジー~

水野ぴえろ

序章―少女と幽霊が出会うまで―

飛び降りた少女は幽霊に助けられる。

 本当に怖いのは死ぬことなんかじゃない。本当に怖いのは、死に至るまでの一瞬を終える時まで、ひとりぼっちだということだ。周りの人間には当たり前のように友達がいて、家族がいて、助けてくれる大人がいて――。



 そんな当たり前が私にはなかった。世界中を探せば、私みたいな当たり前がない人は珍しくない。障害を抱えた子供を親が殺そうとしたり、不都合な生を受け、生まれながらに蔑まれ続けたり、孤児院で奴隷のように過ごしたり、短命なのに誰も看取ってくれなかったりと様々だ。自分ではどうしようも出来ない理不尽を受け続け、それに耐えかねて死を選ぶものも何も珍しくない。こうしている間にも、世界の何処かで当たり前がない理不尽や、それにより生じた孤独感や絶望で自ら死を選ぶ人がいる。



 私もそのうちの一人だ。



 ネットなどの公の場で自分の不幸を見せびらかせば、私も私もと自分の不幸を見せびらかす自慢合戦が始まる。私の方が不幸であると宣言するように。「私の方が不幸だから、アンタは幸せでしょう?」とひねくれ気味に物申す人もいる。



 それでも誰かに不幸を見てほしくて、自らの不幸を見せびらかしても、誰も構ってくれない場合がある。例えるなら、夢の万能細胞が見つかったとしても、それが世に出回らければ唯の無駄な発明だ。レオナルドダヴィンチのモナ・リザも世間に出なければ、唯の絵だ。どんな陳腐な小説でも誰か一人でも評価すれば、その小説には価値が生じる。


 この世にある全てのものは世に出回り、認知されることで初めてその存在意義を得る。



 誰も見向きしなければ価値はない。

 誰も見向きしないものには価値はない。




 今から死にます。さようなら




 私は簡単にSNS上でそう呟いた。日がが明るい内に撮った写真――飛び降りる予定の崖から漆黒に染まる海を撮影した足が竦むような画像を載せて。


 しかし、それを投稿して1時間も経っているのに、誰もコメントやいいねをくれなかった。学校や普段の生活での当たり前が画面越しに伝染し、私に最期の追い討ちをかける。その反動で足を進めたい衝動に駆られるが、僅かに残った心残りがそれを止めた。



「なあ、紅葉川ってさ。何考えているか分からないよね」

「分かる。いっつも、本ばっかり読んでさ」

「それ言ったら、増田だろ? 最近上野先生殴って謹慎くらったらしいよ」

「マジ? こわ。流石不良だな……」


「ねえねえ。宮本君ってさカッコよくない? 彼女いないよね」

「いない筈。いてもいいのになぁ」

「なんかアイツ、県外の強豪から声かかってるらしいぞ?」

「ヤバァ」


「桃川。最近髪型変えた?」

「変わってないよ?」


「志摩。また課題忘れたのか?」

「はいはい。ごめんなさい」


「薄井。昼一緒に食べよう」


「なあ、次の授業なんだっけ?」


「なあ、〇〇って誰だっけ?」



 その瞬間、咄嗟に崖から逃げるように足が竦む。脳内では学校での何気ない会話が傷が入ったCDを再生するように、ノイズが入り混じりながら再生される。その話題には私はどこにもいない。クラスという私の世界に私のいた形跡は何も残っていない。クラスという世界の住人に私は含まれていない。それを何故死ぬ間際で思いださなきゃいけないのか。


 自殺の名所から見える景色は何もない。寂れた数本の街灯が天然芝を照らしているだけの黒。今夜が満月じゃなかったら、これよりも黒い景色を見渡せたのだろう。僅かに聞こえる悲鳴のような波の音が私を呼んでいる気がした。



 わざわざゴールデンウイーク中の登校日を無視して、昨日から近くのホテルに宿泊し、入念に下見をした上でここにいるのだ。この深夜帯が最も人通りが少なく、観光客などに邪魔されずに死ねる。こっちは死にたいのだから、「自殺なんてダメだよ!」なんて昨今のフィクションでも言わないような綺麗な言葉で止めないでほしい。いっそ「死にたいなら死ねばいい」と追い打ちをかけて、私の死に気が付いてほしい。



 昼間は県内有数の観光名所として、果てまで青い海の絶景を一望できる。だが夜になるとその絶景はなりを潜め、死者の通り道が出来る。自殺者を見守るようにここで亡くなった幽霊が悪霊に成り果て、死を促す。お前もこちら側に来いよと耳元で囁いている。


 重量のない言葉に感化された自殺願望はその瞬間に爆発し、親から貰った足を死ぬために踏み出す。そして、漆黒の闇に悲しみと涙を溶かして、黒い海に体を捧げる。その証拠に毎年50人以上の人がここから身を投げて、絶望した人生に幕を閉じているらしい。



 私は最期にケータイの画面を確認した。しかし、そこには何の通知も来ていなかった。叔父からの旅行に関する電話も、自殺宣言の投稿に対するコメントも何もない。「生きろ」という綺麗言も「死ね」という暴言も何もない。デフォルトの待ち受け画面だけが寂しく光っていた。






 私に友達はいない。学校のクラスで私に話しかけてくれる同級生はいるが、特別仲良くした覚えはない。中学入学時は友達を作ろうと自分から話しかける努力をした。



 しかし、会話が続かず、大して面白い話が出来るわけでも趣味があるわけでもない。精々出来る話も「今日見えた幽霊の話」などと眉唾話もいいところだ。




 家では叔父が私の帰りを淡々と待っている。両親が小学校低学年の時に交通事故で他界し、それ以降私は叔父の家で生活していた。しかし、家内では叔父との会話もなく、まるで育てなければならないという義務感に囚われたように叔父は私を育てていた。時折受ける子育て疲れや仕事のストレスから生まれる罵詈雑言を受け止めながら、「仕方がない」と諦めていた。



 その結果、私は今日まで孤独に包まれながら生きてきた。本当に辛いのは蔑まれることなんかじゃない。蔑まれる対象にすらならないことだ。まるで私の周囲の人間や亡者が悪意を持って、私を孤立させているように。その悪意で私の無価値は浮き彫りになり、その無価値さに絶望したのだ。




「さようなら」




 私はそう言いながら、崖際に近寄った。夜になると、断崖周辺に自殺者を監視する為のパトロール隊が時折見回りに来るらしい。彼らが来る前に無価値な人生を終わらせなければ。私自身ではどうしようもない孤独から逃れるために。




 私は目を瞑りながら、崖の外へ歩を進めた。空気を踏み抜いた感触がスニーカー越しに伝わり、地球の重力が全身を支配する。少しだけ固く閉じた目を開いた。




 そこには漆黒の景色が視界を埋め尽くしていた。そこにあるのは孤独。地球上のあらゆる物質をもってしても形容できない黒の闇。永遠の無。――永遠の孤独。永遠にひとりぼっち。誰もいない。誰も見向きもしない。誰も構ってくれない。孤独のゆり篭で永遠に揺れ続けるだけ。



 ――嫌だ。独りは嫌だ!




 最期の最期にそう思ってしまった。


 だが、もう遅い。私の全身は重力の作用で落下し始め、いずれ岸壁に衝突し、体は肉塊と化すだろう。それを野生の鳥が貪り、自然の波が消しさる。残るのはどうしようもない孤独感だけだ。残った魂もまた、垣間見た孤独の闇を永遠にさ迷い歩くのだろう。




 助けて!



 迫り来る孤独への恐怖が口から漏れ出す直前だった。突然私の右腕を誰かが掴んだ。その衝撃で私の体は揺れ、崖に衝突する。背中がじんわりと痛み、生きている実感をリアルタイムで知らせてくれる。




「痛っ!」




「…………触れたのか……?」



「は?」



「……大丈夫か? 貴様?」




 曇った低い声が頭上から聞こえた。それに振り返るように、ゆっくりと目を開け、頭を右腕に向ける。そこには半透明の左手が私の腕を掴んでいた。それに引きずられたかのように身を乗り出した胴体も半分透けていた。

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