この恋は、秘密で済むならそうしたい

ろさこ

第1話:

 結城千花は中学一年生。小柄でぱっと見おとなしそうに見えるが、実際はそうでもないので、初対面の人にはギャップを埋めるのにいつも苦労している。

 最近涼しくなってきて、朝練がとても捗る。千花は秋が好きだった。通学路の木々の葉が暖色系に色づき、澄んだ青空によく映える。川辺を通れば風が緩やかに吹き抜ける。いつも秋だったらいいのに、そう思っていた。

 

 今は体育の時間で、千花のクラスは3km持久走である。秋になると涼しくなるからと、体育の時間で持久走をやる機会が増える。これさえなければもっと楽しいのに……と千花は思う。しかし、実のところ、千花は持久走が得意だった。今も2位以下を大きく引き離して1位をキープしている。元々持久走は得意だったが、中学に入ってから自主的に朝練をしているおかげで、さらに身体が動きやすくなっている。

「校門は入ったら、全力疾走してみよう」

千花には、これからのプランを考える余裕すらあるのだった。


 校庭では三年男子がサッカーをしていた。中一女子の体育が持久走と聞いて同乗していたところだ。千花が校門から入ってきたのを、お調子者っぽい見た目の河合耕太が見つけて、メガネ男子の塚本雅樹に声をかける。

「おい、あれ早すぎじゃね。一人で帰ってきたよ」

「ほんとだね。陸部の子? 」

雅樹の言葉に、耕太はびっくりして聞き返す。

「え? 知らんの? 」

「知らんよ」

「吹部だよ。毎朝走ってんのよく見るだろ。それに……」

「水泳部? 」

「いやいやいや、吹奏楽部」

「まじで? 文化系の走りじゃないんだけど」

二人が雑談しているうちに、千花は校庭のトラックを最後の力をふり絞って一周し、体育教師の傍を横切った。


「結城ー、学年記録2分更新したよ」

「まじですか! やったー!! 」

爆速でゴール地点を通過後も、千花には教師と立って会話できる余裕があった。満身創痍で戻ってきた生徒は、トラックに突っ伏したり座り込んだり、すぐに会話できる状態にはならない。千花にとって3kmの持久走は取るに足らないのだ。

「惜しいなー、結城、今からでも陸上部入ろうよ」

「ヤです。吹奏楽部でフルート吹いてたいです」

教師とお決まりのやりとりをして、千花は笑った。


「お疲れさま。ねーねー、今話せる? 」

トラックの中で待つように言われて移動した千花は、後ろから声を掛けられる。振り向くと耕太と、耕太の背中越しにもう一人居て、千花はそちらに釘付けになった。

「すごいね、ダントツ1位じゃん。」

耕太がニコニコしながら千花に語りかけてくる。

「ありがとうございます」

千花は目線を耕太に合わせて言葉を返す。危ない。会話してるのに雅樹ばかりを見ている場合ではない。

「しかも、もう普通に話せるんだ。あんなに早かったのに」

千花は笑みを返しつつ、次の会話を模索した。この人たちのことを知っているけど、会話するのは初めてだ。それを察してか、耕太のほうから切り出した。

「俺は三年野球部の河合耕太。いつも朝練してる子だよね。名前は? 」

「結城千花です。中一で吹奏楽部入ってます」

「結城って……吹奏楽部の部長の結城千春って……」

雅樹が呟いたのを千花が拾う。

「お姉ちゃんです」

「そっか。俺は三年で野球部部長の塚本雅樹」

知ってます……と千花は心の中で雅樹に返す。

吹奏楽部は走り込みの朝練など強制ではないのだ。それでも千花が朝練をしてる理由は、楽器の中で肺活量が一番必要なフルートを担当していることと、もう一つ。野球部の朝練場所を朝練ルートに含めて、雅樹を見ることだった。

「部長繋がりで、お姉さんのこと知ってるよ。彼女、意外と真面目だよね」

千春は千花と違って、ギャルっぽくて派手な見た目である。見た目とは裏腹にいつでも優しくて、千花は千春のことが大好きだった。

「はい、お姉ちゃんとっても優しくて頼りになるんです! 」

千花は雅樹に千春の良いところをしっかりと伝えたかった。自分が雅樹を好きだということと、同じくらいに。


  *                *               *


 部活が終わって帰宅後。秋は18時を過ぎるともう暗くなってくる。千花は部屋着に着替えて、リビングのソファに寝そべってスマホをいじりながらくつろいでいた。同じ部活ではあるものの、千春はいつも千花より帰宅が遅い。三年生なので、戸締りなどの確認作業があるためだ。

 千春がいることもあって、千花は部活に吹奏楽部を選んだ。本当は千春と一緒にサックスをやりたかったが、唇の形が合わずにフルートになってしまった。千春と見た目が違うことは昔からだったが、楽器選びにまで影響するとは……と千花は少し寂しくなったものだ。

 でも、今はフルートが自分に合っている楽器で良かったと、千花は考えている。楽器の中で一番肺活量を要求されるフルートを、持久力のある千花は綺麗な音で響かせることができる。あと何となく、フルートをやっているだけで良い印象を与えられる感じも経験しており、いろんな意味で美味しいなと思っていた。

 

 19時を回る頃、玄関ドアの開く音がした。

「ただいまー」

玄関先から千春が声を上げる。とたとたと廊下を歩く足音がする。頃合いを見計らって、千花はリビングドアのほうに向きなおる。

「おかえり、お姉ちゃん」

「ただいま! 」

リビングドアを抜けたところで、制服を着崩した千春がニコっと笑った。第一ボタンを開けて緩く縛ったネクタイ。よく見るとネックレスを付けている。

「お姉ちゃん、アクセサリー、新しいやつ? 」

「分かる!? 」

千春は嬉しそうに千花に近寄ってくる。千春は学校では開襟しないが、実はこっそりネックレスをつけていて帰り道や休日には制服でもできる限りのおしゃれをすることに余念が無い。一年生の頃は上級生に絡まれることあったらしいが、今は千春が最上級生なので誰にもとやかく言われない。学校では開襟しないから、先生に怒られることもない。校則の範囲でおしゃれを楽しむ器用さがあった。

千春の新しいネックレスは濃い水色のガラス玉が入っていた。

「石の色、水色なんだ。珍しいね」

「そうなの、初めて選んだよ。水色もなかなかいいね」

千春は少しはにかんだ。

「しばらくはこれを付けていようかな。千花、前に欲しがってたピンクの石のやつ、あげようか? 」

「いいの!? 欲しい! 」

千春が長い間おこづかいを貯めて買ったピンクの石のネックレス。姉の千春が頑張っておこづかいを貯めているところからも、ネックレスの価値が上がって見えた。さらに、小学生の千花から見ると、姉の首元で輝くピンク色の石は値段以上に大人っぽく見えたものだ。

「お手入れしたら、キットごと渡すからちょっと待っててね」

「嬉しいな! 楽しみにしてる」

千花は答えながら、水色の石のネックレスのために、いつの間におこづかいを貯めたんだろうと思った。もう中学三年生だから、わざわざ買い物の話なんてしないのかもしれない。一瞬よぎった考えはすぐに消え、ピンクの石のネックレスを貰えることで、千花の頭はいっぱいになった。


  *                *               *


 翌朝も千花は朝練に赴いた。とにかくもっと、フルートがうまくなりたい。そして雅樹の顔を少しでも見れたら嬉しい。希望に溢れるだけの青春じゃなくて、少しよこしまな気持ちの青春も、あっていいじゃないか。あと、走ると気分がすっきりするのも、千花は気持ちが良くって好きだった。走り終えて水道で顔を洗い、タオルで顔をぬぐっていると、声がかかった。

「おはよう。今日も早いじゃん」

タオルから顔を上げて振り向くと、耕太が居た。

「おはようございます。先輩も朝練ですか? 」

「そう。今日は雅樹は居ないよ。日直だから」

「そうなんですか? 」

質問で返しつつ、なぜ耕太は雅樹の所在にわざわざ触れてきたのだろう、と千花は内心ドギマギする。

「そういえば、昨日お姉ちゃんからネックレス貰ったんです。体育や朝練の無い日に付けてこようかな」

千花は唐突に話を変えてしまった。耕太がネックレスに興味があるとは思えないけれど。

「ネックレス? ああ、千春、学校に付けてきてるもんな。部活終わるまでボタン開けないからなー。先生たち気付いてないんだよな」

「そうなんです。お姉ちゃんのお気に入り、譲ってもらえることになって」

「休日だけにしといたら? バレたら大変だから。千春はうまいことやってんだよ」

耕太は笑って言った。


 持久走のとき以来、朝練で会えば、雅樹や耕太と話すようになった。たわいもないことを少しの時間だけ。挨拶だけの日もあったけど、雅樹が自分に笑いかけてくれた日は、千花の心は踊り出した。耕太と話すことはとても楽しく、同じ学年だったら良かったのになと思った。クラスや部活以外でも話せる人が増えたことが、千花はとても嬉しかった。


  *                *               *


 千花は、前日に少しむかつくことがあった。英語のテストの成績が悪かったのだが、それを担当教師に咎められたのだ。単に咎められただけならまだ良かった。

「お姉さんはあんな見た目なのに成績は良かったんだぞ。お前も頑張れ」

あんな、とは何だ。千花は千春まで悪く言われたことに腹が立った。

「すみません」

とだけ言ってその場を離れたものの、本当は

「姉の見た目は関係ありません! 訂正してください! 」

と言ってやりたかった。でも、できなかった。

千花は、どことなく胸のつかえを感じながら眠りにつき、朝に目が覚めてもなんとなくむしゃくしゃしたままだった。

 めちゃくちゃスッキリしたくて、千花は今日の朝練を少し飛ばし気味のペースで走った。

 スッキリはした。でも朝からなんだか疲れてしまった。千花が水道で顔を洗って、ぼんやりとタオルで顔を吹いていると、耕太が声をかけてくる。

「おはよう。なんか今日、オーバーペースじゃない? 」

「ちょっと張り切ってみただけです」

「なんかむしゃくしゃしてるんじゃない? 」

千花は内心ぎくりとする。

「走ったらスッキリしました」

「えー……。心配」

珍しく耕太が低めのテンションでつぶやく。

「いいじゃない、そういう日があったって。しかもセルフコントロールできてるんだからさ」

雅樹がそう言ってくれて、千花ははにかんだ。好きな人に肯定されるのは嬉しいものだ。


 家に帰るといつも以上に眠くて、千花はリビングのソファーでうたた寝をしていた。今日は朝練以降ずっと眠かった。理由は明白だ。朝練でオーバーペースで走ってしまったからだ。朝から色々と効率が悪かったので、今後むしゃくしゃしても『朝練でスッキリ作戦』は、よほどのことが無い限り見送ろうと、千花は思った。

「こーら、まだ夕飯前なんだから」

頭の上から姉の声がして、千花は驚いて目を開ける。

「あ……。おかえり、おねえちゃん……」

千花はもそもそと返事をする。

「ただいま。なんか今日、朝練で飛ばしすぎたんだって? 運動部じゃないんだから、無理したらダメだよ」

千春は心配そうに千花の顔を覗き込んでいる。千春の首元で水色の石が揺れているのを、千花はぼんやり見つめた。

「んー……」

「なんか、悩んでることあったら何でも言ってね。部活も同じなんだしさ」

千春は千花の頭を撫で、千花はそれを気持ちのいいものと感じて、また眠りそうになった。


  *                *               *


 そろそろ吹奏楽の大会が近づいている。千花が部活動の後、もう少し練習したいと思うと向かうのは、商店街を抜けたところにある公園。住宅街からも遠く、日没前までなら練習しても咎められることはない。譜面でどうしても気になる箇所のある千花は、今日中にそこを解決したいなと考えていつもの公園に向かった。


 公園の入り口に珍しい人が居た。耕太だ。

「千花ちゃん!? 」

何か焦ったような声を上げる耕太。

「河合先輩。こんなところに居るの珍しくないですか? 」

「千花ちゃんだって」

何となく公園の入り口を塞ぎ込むような姿勢で、耕太は話しかけてくる。

「大会前出し、もう少し楽器の練習しようと思って。そこの公園で」

「ここの公園!? いやいやいや、今日は止めよう。もう暗いし」

「まだいけます」

「どうかな!? 」

「早く始めたいんで、そこ退いてもらっていいですか? 」

「いやー、今日はー、やめてもいいんじゃない? 」

耕太は千花の進行方向を塞ぐような姿勢でカニ歩きし、千花は耕太の隙をつこうと横歩きする。

「なんで先輩が決めるんですか……っと」

話ながら、千花は耕太の脇腹からすり抜けて公園の入口を抜ける。

「あ……っ」

耕太はしまったという表情で声を漏らす。

千花は駆け出したものの、行こうとしていた前方のベンチを見てすぐに立ち止まる。耕太は気まずそうに千花の背中を見つめる。


 ベンチには千春と雅樹が居た。

千春は放課後なのでシャツの一番上を開けていた。雅樹も一番上のボタンを開けていた。雅樹のそんな姿を見たことはなく、千花は衝撃を受けた。

しかしそれ以上に印象的だったのは、二人の首元に水色の石のネックレスが光っていたことだ。


 今までの色々なことがつながっていく。

体育の時間が被らなかったのに、千花が持久走で1位を取ったことを千春が知っていたこと。

千花が朝練でオーバーペースで走ってしまったこと。

そして、千春がピンクの石のネックレスを必要としなくなったこと。


ショックだった。好きなものが二つ一緒に消えていくような、そんな感覚。千花はそれを抱えきれるかとても心配になった。でも。

 

「何でも言ってね」

--この前、お姉ちゃんはそう言ってくれた。だけど、言えないよ。

千花の胸は張り裂けんばかりだった。悩みごとの原因は千春で、それを解決するには千春が悲しむことになる。雅樹が千春を好きであるなら、千花の思いが届くことも無い。


二人とも大好きだから、自分が二人の関係を壊すことなんて、絶対言えない。


耕太は気付いていたのだろうか。それに、二人が付き合っていることを知っていた?知っていたなら、なぜ教えてくれなかったのだろう。

千花は自分ひとりが取り残されたようで、何も言葉にできなかった。


「千花ちゃん、帰ろう」

公園の入口でぼんやりする千花の腕を引っ張って、耕太は早歩きで商店街に向かった。


1本80円のジュースが売っている自販機前で、千花と耕太は無言で缶ジュースを飲んだ。

「千花ちゃん」

耕太がぼそりと口を開いた。

「明日も朝練でな。大会前だからって……、この前みたいに追い込んじゃだめだよ」

終始ぼそぼそと、でも最後の言葉のときだけ耕太は千花の目を見て言った。

「はい……」

千花の目に涙の雫があふれそうなほど溜まっていた。

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