第8章

第1話 ミケヌの記憶(1)

 佳奈と遥の通う高千穂高校――

 下駄箱の前に、色白の陰気な少年が佇んでいた。

 日本人だが、彫りが深く鼻が高い。大きな目の下には黒い隈があった。

 明るい学校の空気の中にあって、彼の周りだけが、冷たく暗い空気が淀んでいるかのようだった。

「ようやく来たか……」

 少年は、長い前髪をかき上げながら呟いた。


 下駄箱の靴の上には紙を細く折りたたみ、人型に折り畳んだものが入っていた。

 解いて開くと、紙には大きな六芒星と黒牙の文字が描かれていた。

 ゆっくりと六芒星を指でなぞり、少年は微笑んだ。

 少年はそれを丁寧にたたむと、胸のポケットにゆっくりしまった。


 背後から、女の子のグループの明るい笑い声が響いてくる。

 もうすぐ掃除が始まる時間だ。外を掃除する女の子たちだろう。

 少年は後ろを振り返ることなくさっさと歩き始めた。

 その顔には微かな笑みが浮かんでいた。



      *



 遥は里の中を息を切らして走っていた。

 ここは、タカチホか? だが、俺たちが今住む街とは違う。ここは遥か昔にあった里だ。

 水田に積まれた稲わらに、火矢が刺さり燃えさかる。

 夜中で新月のため月明かりもない。いつもなら真っ暗なはずが、火矢による灯りで里の様子は所々分かった。

 九州のずっと北の方から敵が攻めてきたのだ。

 彼らはクマソの中でも、我らの仲間にならなかった者たち。豊かに実る米や芋を収奪しにやってきたのだった。


 ――これは俺の記憶だ。遠い過去に実際に起こったこと。遥……いや、ミケヌノミコトは心の中で呟いた。


 弟のワカミケヌとミケヌは、友人のタヂカラオと里の女性や子どもを守りながら、スクナビコナたちの住む研究所へと逃げていった。

 タケミカヅチはずっと遠くのアガタに住んでおり、助けは間に合わない。

 ずっと向こうではオモヒカネの軍勢が敵と戦っている。先頭に立って戦うタケミナカタの鬼のような後姿が見えた。槍のように大きな柄の付いた、大刀を振るっている。

 キハチは里にはいなかった。サルタヒコとアメノウズメが住むフタカミにいるはずだった。


 研究所に着くと、玄関を叩いて大声でスクナビコナを呼んだ。

 しばらくすると、青いツナギと白衣を着たスクナビコナがやってきて、玄関の手すりにかけてある大きな鎖を外した。

「大変だったな」

「うん。まさか、あんな突然に攻めてくるなんて誰も予想してなかったよ」

「やはり、富を求め、人の命を殺めに来る愚か者はいるんだな」

 スクナビコナは言った。その顔は少し悲しそうだった。

「とりあえず、俺たちは外を屋上から見張るよ。スクナビコナは戸締まりをして。お母さんとこの人たちを頼む」


 ミケヌはそう言って里から連れてきた人々と母を頼むと、ワカミケヌとタヂカラオを連れて一緒に屋上へと上った。

 タヂカラオは普段はキハチと一緒にフタカミに住んでいるのだが、今日はたまたまこちらに遊びに来ていたのだった。

 屋上からタカチホから上がる炎が見えた。米の収穫も終わっているため、建物さえ燃えなければ大した被害はないはずだった。


 ミケヌは昨年死んだ父の健二のことを考えていた。

 家族に優しく、スクナビコナとの研究に没頭する父の姿が頭にこびりついていた。

 父は研究の合間にミケヌたちに勉強を教えた。

「もしかすると、未来に帰れるかもしれないからな」

 と、父は言っていたが、本当にそんなことが可能になるのかミケヌには分からなかった。

 父は、これは胃ガンという病気で、まず助からないと自分に言った。あとオモヒカネには気をつけろとも。父が亡くなり、そして追いかけるように兄の健一も亡くなった。同じ病気だった。


 ミケヌは父の言いつけを守り、屋敷に誘うオモヒカネとは一定の距離を保った。ワカミケヌも同じだったが、ミケヌほど警戒はしておらず、気がつくとオモヒカネの屋敷に出向くことが多くなっていた。ミケヌは度々注意したが、その効果はそれほど上がらなかった。

 無理に言っても、どうせ言うこと聞かないしな。それに父さんが言うほど、オモヒカネさんも悪い人だとは思えないんだよな。

 ミケヌはそう思いながら、屋上から下を見ていると、不穏な雰囲気を感じた。


 続けて火矢が飛んできて、研究所のコンクリートの壁に跳ね返る。

「やばい。ここまで来やがった」

 ミケヌはそう言うと、あらかじめ準備していたこぶし大の石の入ったかごを引き寄せた。これが当たれば、ただではすまない。だからできれば使いたくなかったが、それも相手次第だった。

 ワカミケヌとタヂカラオも両手に石を握った。


 敵は火矢が効かないと分かり、普通の矢を無数に飛ばしてきた。

 矢が屋上まで届けば、顔を出すこともできない。それに敵がいるのは石が届く距離でもなかった。

 ミケヌが途方に暮れていると、突然、辺り一帯が真っ白に光り、轟音が鳴った。


 何が起こったのか?

「キハチだ!」タヂカラオが叫んだ。


 暗闇の向こうから青白い電気の糸を体に纏わせたキハチがやって来るのが見えた。

 ワカミケヌが一生懸命に手を振る。

「殺したのかっ!?」

 ミケヌが大声で訊くと、

「大丈夫! 気絶させただけだ! とりあえず、みんな縛ってしまうから降りてきて手伝え!!」

 キハチが大声で返した。

 ミケヌは額の汗を拭った。そしてワカミケヌとタヂカラオと一緒に下へ降りていった。

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