第8話 天津神(2)

 武と毛は、最初に会った背の高い男の息子兄弟、健一と健二と最初に打ち解けた。二人とも武たちと年が近いせいもあったのだろうが、特に健二は人懐こく、気を遣わせない感じで、すぐに仲良くなった。


 毛の通訳が入っていたし、言葉の端々に意味の分からないことが入ってくるので、会話はゆっくりとしか進まなかったが、嫌な空気感になることもなく、楽しく時が過ぎていく。王子を探しに帰らなくてはならないため、ずっとここにいる訳にはいかなかったが、二、三日いてもいいかと武は考え始めていた。


 健二の話によると、彼らの世界はこことは随分違うということだった。遙か先の未来から来たと言うのだが、本当にそんなことがあるのか確信が持てない。ただ、ここにある見たことのない幾つもの道具は、武の好奇心をかき立てた。

 雷の元である電気という力で動くコンピューターとかいう道具には特に驚いた。小さな四角い板状の物に、本物そっくりの様々な絵が映し出されるのだ。太陽の光から電気は作ることができるので、それを使っているのだと健二は言っていた。


 出会った次の日の朝――。

 武と毛、健二の三人で建物の外を散策していると、突然、声をかけられた。

「あなたたち、この時代のものではないのですね?」

 振り返ると、たおやかで美しい女性と荒々しい風貌の男の二人がすぐそばに立っていた。

「誰だ、お前たちは?」

 武が言うと、

「我々は、遙か昔からこの世界を見守っている者……」

 二人はそう言い微笑んだ。


「これは……テレパシーか?」

 健二が驚愕した表情で言った。

 武は、同時に二人が発する言葉を毛の通訳なしに理解していることに気づいた。

「テレパシーとは、この直接、心に響く言葉のことか?」

「ああ、だけどこんなの初めてだ。本当にこんな力があるなんて……」

 健二が発した言葉の意味も、一緒に心に響いてくる。

 武はこの二人がひょっとすると、妖怪のたぐいなのではないかと思いながら、

「それで、何の用なのだ?」と言葉をつないだ。鼓動が高まり、緊張で口が渇く。


 そこで、また奇妙なことに気づいた。

 二人に近づこうと一歩踏み出すと、少しだけ遠くにいるのだ。

 次の瞬間には、ものすごくそばにいる。

 武は、二人の気配を探った。武術で培った癖のようなものだったが、すぐに妙なことに気づいた。

「お主ら、実体はここにはないな?」

 気配はあるが、身体の発する生気が極端に弱い。

「いや。あると言えばある。ないと言えばないのだ」

「どういうことだ? 分かるように話せ!」

 武は苛立って叫んだ。


「今、我々はこの次元に重なる高次元の世界にいるのだ。だが、場所はここにいる。分かるかな?」

「何のことだ?」

「我々の住む高次元の世界――高天原たかまがはらが今、ここに重なっておるのじゃ」

「四次元の世界ってこと!? それが重なっている?」

 武が言われたことの意味が分からず戸惑っていると、健二が叫んだ。

「二次元の世界のものに三次元の世界のものは認識できないっていう理屈なんだけど……そうだな、簡単に言うと、向こうからはこっちが丸見えだが、こっちから向こうは見えにくいんだ」

「もう少し分かるように話せ」

 武はとまどいながら言った。


「上から鳥の目で見て、同じような場所にいる二人がいるとしてさ、でも実際には高い場所と低い場所にいるとする。高い場所にいる人から低い場所にいる人は見えやすいけど、低い場所にいる人から高い場所にいる人は見えにくいだろ?」

「ああ、そうだな」

「本当に簡単に言うとそういうことなんだ」

「ふうむ」

 分かったような、分からないような気持ちだったが、武は頷いた。

「で、本題は何だ?」


「突然、空から降ってきた得体の知れないもの……つまりお前たちを里の者たちが恐れておる。ここで暮らすのはかまわぬが、里の者たちに挨拶に行って安心させてくれぬか」

 アマテラスが言った。

「ああ、分かってる。皆にも相談してみるよ」

 健二が言った。

「ふむ。そして、その際にこう言うのじゃ。『我々はアマテラスに命じられ、高天原たかまがはらから降りてきた』とな」

「それって、天孫降臨神話のこと……?」

「知っておったか。それなら話は早い」

 二人が蜃気楼のようにゆらめきながら笑った。


「天孫降臨神話って何だ?」

 武は健二に訊いた。

「この国に伝わる神話さ。アマテラスオオミカミっていう偉い神様が、孫のニニギノミコトに八咫鏡なんかの三種の神器を与えて、この国の高千穂に降りさせたっていう話なんだ。途中でサルタヒコっていう地元の神様が道案内したり、ニニギノミコトは稲作を伝えたりと、色んな話があるね」

「サルタヒコか? ふふふ、ここから近いフタカミという国にいるぞ。そこの王で国津神くにつかみじゃ」

 アマテラスが笑った。


「お主たちは、一体、何者なんだ!?」

 武はたまらず叫んだ。

「我々か。我々は、アマテラスとスサノオ。本物の天津神あまつかみよ。お主たちは天津神の孫とその仲間であると宣言するのじゃ」

「それでは、俺は関係ないな?」

「いや、武は彼らが里の者に挨拶するのについていってほしい。もしも、もめたときに、話を平和におさめるためにはお主のような戦慣れした人間が必要じゃ……」


「しかし」

 これから王子を探さなくてはならない。そこまで付き合う義理も暇も無かった。

「武よ。言いにくいことを言うぞ」

 それまで黙っていたスサノオが重々しく口を開いた。

「何だ?」

 不吉なものを感じ、武はスサノオを睨みつけた。

「王子は既にこの世にはおらぬ。気の毒だが、海の深いところにその体はあり、魂は黄泉よみへと旅だった」

 スサノオの鋭い眼光が武の心に突き刺さり、言っていることが本当のことなのだ、と伝わってきた。


「嘘じゃっ!」

 武はその場に膝を折った。

 体から力が抜け、涙が頬を伝った。と、同時に忠誠を誓った王子の母の顔が脳裏をよぎる。王子を逃がす。そして、いずれは復権を狙う。これだけが、武の生きる意味だったのだ。

 これからは、どう生きていけばいいというのか……?

 武は言葉にならない叫び声を上げた。


「お主は、これからタケミカヅチを名乗り、健二たちと共に暮らせ。それが主たちの生きる道じゃ……」

 スサノオが静かに諭す。そして、肩にその大きな手のひらを置いた。

 暖かい力がそこから流れ込む。

「タケミカヅチ?」

「ああ、海の向こうからやって来た武の神のこと。お主にはぴったりじゃ。生きていく意味はいずれ見つかろう」

 顔を上げるとスサノオの黒々とした大きな瞳と目が合った。そして、自然と立ち上がった。

 武はいつの間にか、涙が止まり、力が湧いてくるのを感じていた。まだ、これからどうするのかは決めかねていたが、とりあえず里に健二たちが行くのには付き合う気持ちになっていた。


「このまま、混乱が深まっていくことは我々も望んであらぬ。いいか、健二。お主たちの父、宮入みやいり さとるがニニギノミコトじゃ。そして兄の健一とお主は、その息子であるホデリノミコト、ホオリノミコトを名乗るがよい。あの小柄な男……藤田源三は、スクナビコナ。そして太った男、黒山征一はオモヒカネでよかろう。残りの者は皆で考えて、役割を決めてやれ」

 アマテラスが言った。


「一緒に、来て、話をしてはもらえぬのか?」

「そうしたいのは山々なのだが、我々にも事情があって、今は里には行けぬのだ。我々は常は高天原たかまがはらにいるが、こちら側に降りてきているときもある。そのときはこちらから訪ねることを約束するよ……」

「じゃあ、里にも?」

「ああ、一緒に行こう」

 アマテラスとスサノオが笑顔で頷いた。


「すまぬ、もう時間じゃ……」

「え、どういうこと?」

「高天原が離れていくのじゃ……。話が……で、き」

 と、突然、途切れるように二人が消えた。

 ひょっとすると、夢だったのか? 武はそう思ったが、毛と健二の表情からそれはないことを覚っていた。


     *


 話が途切れ、再び、静寂が辺りを包んだ。遠くから蝉の鳴く声が聞こえ、天野は自分の体が汗で冷えていることに気づいた。

 我に返った天野は、話を聞いていた人々の顔を見回した。その予想を遙かに超える内容に、皆が黙り込み、何かを考え込んでいる表情をしていた。


「あの、健二さんていう人も研究者だったんですか?」

「ああ。研究室の職員だったんだそうだ。親父と兄弟が一緒に同じ研究をするなんて珍しいことだって当時も言っていたな。ただ、研究所の中心になっていた研究者は他にいたんだ。主任研究員は話にも出てきた藤田源三。そして副主任は黒山征一。そして二人以外も、そこいた人間は皆、何がしか、神様の名前を名乗ったのだ」


「それで、里には行ったんですか」

「ああ、もちろんじゃ。そこで会った男も我々の想像を遙かに超える力を持っておった」

 武見はそう言い、また遠くを見つめた。

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