第28話 バレンタインデーはビター風味
聖バレンタインデー。
キリスト教圏、主に欧米ではカップルが愛を祝う日、となっている。
そして日本では女性が好きな男性にチョコレートを捧げる日。
・・・というのはお菓子会社の陰謀で、古くはキリスト教のエライ人の記念日、らしい。
私のアルバイト先のコンビニにも2月に入ってすぐに、店頭に様々なチョコレートが飾られるようになった。
昔からあるチョコの中にピーナッツが入っているハート型のチョコレートや、四角い箱の仕切りの中にカラフルな色でコーティングされている宝石箱のようなチョコレート。
チョコレートが大好物な私はそれらを眺めているだけで、ドキドキワクワクしてしまう。
恋する乙女は目を輝かせて意中の誰かのために、針の穴ほどの後悔がないように、真剣にそれらを選ぶのだ。
しかしそれを並べる人間が、購入する乙女と同じ熱量を持っているとは限らない。
「たくよー。どうして恋人同士がいちゃつく為のモンを、独り身の俺が並べなきゃならんのよ。」
「は~。マジ疲れるわ。バレンタインなんてクソみたいな行事、この世から消え去ればいいのにな~!」
「てかさ~、俺にも誰か恵んでくれよ!バレンタインチョコレートをよ~!!」
森本店長がぶつぶつと文句を言いながら、赤やピンクの包装紙がかかったチョコレートを店の一番見栄えがする棚に立て掛けていく。
客商売だというのに相も変わらず寝癖がついたままの髪に、前ボタンもかけていない縦縞ブルーの制服を羽織り、口元を隠しもせずに大あくびをしている。
もしかして暗にチョコレートをせがまれているのかもしれないとは思ったけれど、聞こえなかったふりをして無視をする。
「店長、愚痴を言うならロッカールームで言ってください。お客様が来たらどうするんですか?
今が書き入れ時なんですよ?そんな言葉を女子が聞いたらドン引きされますよ?」
私はレジ打ちの受付に立ったまま、森本店長の丸まった背中に声を掛ける。
「いいんだよ。客が来たら俺は覚醒するんだから。・・・らっしゃいませ~!!」
言っているそばからお客が自動ドアを開けて入ってくるなり、コロッと態度が変わった。
私はレジ打ちも任せてもらえるようになり、その他品出しなどもするようになっていた。
森本店長が立て掛けたばかりの色とりどりなバレンタインチョコを見ながら、はあ、とひとつため息をつく。
そう、私は鹿内さんにあげるチョコレートについて、カレンダーが2月を告げてからずっと頭を悩ませていた。
クリスマスプレゼントは渡せなかったけど、バレンタインチョコくらいはあげてもいいんじゃないかと思ったのだ。
あくまで義理チョコの体で、重くならないように。
コンビニのチョコレートも悪くないけど、ちょっと味気ない?
それともゴディバとかで売っている高級チョコレートを買ってみる?
・・・でもそれだと頑張っている感が見え見えだし。
手作りは・・・さすがに重いよね。
「はあ。」
またもやため息をついていると、いつのまにか隣に立っていた森本店長に丸めた競馬新聞で頭を叩かれた。
その競馬新聞には、呪文のような馬の名前に森本店長が付けたと思われる赤い丸が大きく囲まれている。
「痛っ!」
「ため息つくな。客も幸運も逃げてくからよ。」
「すみません・・・」
「なに悩んでんの?さっきからお得意の百面相が始まってるけど。」
森本店長の能天気な顔を眺めて、ハッと気づいた。
この人も若い男ではないか。
もしかしたら参考になる意見が聞けるかもしれない。
「あの・・・店長だったら、どんなチョコレート貰ったら喜びます?」
「俺?そうねえ・・・好きな子からだったらなんでもウェルカムだけどね。
でもやっぱり手作りだったりすると、ときめいちゃうよね。
なんか本命チョコって感じするじゃん。なに、山本さん、俺にチョコくれるの?」
森本店長が人差し指と親指で顎を支え、決めポーズを取った。
「義理チョコぐらいならあげてもいいですけど。」
「そんなつれないこと言わないでよ~。お兄さん、悲しいな。」
手作りチョコだったらときめいちゃうよね・・・か。うん。それ、採用!
いじける森本店長は放っておいて、私はやっぱり手作りチョコをあげようと決心した。
甘いもの好きな鹿内さんは、手作りだろうと既製品だろうと気にせずぺろりと食べてくれるに違いない。
いや、手作りだと気づくかどうかも怪しい。
自己満足でも要はあげる側の熱意の問題だ。
そしてバレンタインデー前日、私は自宅のキッチンで手作りチョコレートトリュフを作ることにした。
板チョコを小さく崩して、湯煎に溶かす。
ゴムベラでチョコレートの塊が無くなるまでゆっくりと静かに混ぜる。
室温に戻した生クリームを湯煎にかけて、チョコレートと同じ温度になったら
溶かしたチョコレートに注ぐ。途中、鹿内さんの好きそうなブランデーを混ぜてみた。
私はお料理サイトに載せられた作り方を真剣に読みながら、チョコレートトリュフを丁寧に仕上げていった。
出来上がったトリュフの周りにココアパウダーやミックススプレーをまぶしてやっと完成した。
途中、ママが様子を見にやってきた。
「あら、そういえば明日はバレンタインデーだったかしら。誰に作っているの?」
「友達にね。」
「ふーん。その割には凝っていること。」
ママは私がチョコレートを丸める様子を伺いながら何か言いたげにニヤけている。
「なに?」
「別に~。鹿内君にはあげないのかな?って思って。」
ママは私の心の内を見透かすように言った。
「勿論・・・あげるわよ。変な意味じゃなく、いつもお世話になっているお礼にね。
ママはパパにチョコレートあげないの?」
「パパはあまり甘いもの好きじゃないからね。
ちょっと高めのお酒を買ってあげるつもり。」
「ふーん。・・・ちょっと!ママ、食べないでよ!」
ママは私が作った不格好なトリュフチョコをポンっと自分の口の中へ入れた。
「あら。あまり甘くないわね。でも美味しいわよ。合格!」
「え?甘くない??」
よく見ると、私の使ったチョコはビター味だった。
鹿内さんは大の甘党なのに・・・やってしまった。
でも仕方がない。もう作ってしまったのだから。
チョコレートは100円ショップで買ったお菓子を入れる箱やリボンでラッピングして、
なんとか体裁を整えた。
パパへのチョコレートと森本店長への義理チョコは、勤め先とは違うコンビニで買った。
さすがに森本店長だって、自分の店に置かれているチョコレートを貰ったら傷つくだろう。
次の日、とうとうバレンタインデーがやってきた。
今日の鹿内さんはバイトで帰りが遅くなるらしい。
渡すタイミングに困ってしまう。
いつ鹿内さんがバイト先から帰ってくるか判らないし、深夜だったらきっと迷惑だろう。
私がひとりもんもんとしていると、部屋のドアがノックされた。
「はい」
するとママがドアの隙間から顔を覗かせた。
「なあに?」
「鹿内君、もう帰ってきたわよ」
胸がどきんと跳ねた。
「つぐみ、ガンバ!」
そう言って両こぶしでガッツポーズをとり、ママはドアをそっと閉めた。
パパには夕食の時、義理チョコを渡した。
義理チョコなのに、いつも大袈裟に喜んでくれるパパ。
手作りじゃなくてごめんね。
森本店長には、来週のバイトの時に渡してあげよう。
二人には簡単に手渡すことが出来るのに、鹿内さん相手だとどうしても緊張してしまう。
軽く「義理チョコです」と言えればどんなに楽だろう。
でもここは勇気をだして、鹿内さんに渡そうと思った。
鹿内さんの部屋のドアを二回ノックした。
なんの反応もない。
もう眠ってしまったのか、それともお風呂だろうか。
私は悪いとは思いながらも、そのドアを開けた。
部屋の明かりはつけっぱなしで、中には誰もいない。
その時、鹿内さんの机の上に、紙袋が置いてあるのを見つけてしまった。
紙袋の中を覗くと、そこには上品に包まれた箱がいくつも入っていた。
バレンタインのチョコレートだ。
どれもこれも私には光輝いて見えた。
鹿内さんがモテるのは知っていたけれど、実際こういう形で見せつけられると、私なんかには近づけない鹿内さんの世界があるんだということを思い知った。
そのときドアが開かれ、鹿内さんが部屋に入って来た。
「つぐみ?・・・どうした。」
お風呂に入っていたのか、鹿内さんの濡れた髪と肩にかけたタオルが目に入った。
「あ・・・」
私は振り向いた拍子に紙袋にぶつかってしまい、中に入っていたチョコレートと思しき箱をバラバラと落としてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
鹿内さんは乱雑に、紙袋の中に入っていたチョコレートの箱を戻した。
鹿内さんは慌てもせず、あたふたする私を見上げながら、フーッとため息をついた。
「・・・全部、義理チョコだよ?」
「そんなことないと思いますよ。なかには本命チョコもあるかも。」
私は必死に笑顔を作り、自分が持ってきたチョコレートの箱を後ろ手に隠した。
「つぐみは、何しにきたの?」
「あの、古典の文法でわからないところがあって・・・でももう遅いし、金曜日でいいです。」
「・・・そっか。」
「ではお邪魔しました。」
私はそう言って、部屋を出ようとした。
鹿内さんはすかさず、私の手首を捕まえた。
「今、手に持っているものは何?」
「え?」
「出して見て。」
私は観念して隠していたチョコレートの箱を鹿内さんに差し出した。
「・・・義理チョコです!でも他の方のチョコレートがあまりにも輝いてみえたので、渡しづらくなってしまって・・・」
「ふーん。義理チョコ、か。」
「迷惑だったら持って帰りますし・・・。」
「いや、全然迷惑なんかじゃないよ。・・・今日はずっとつぐみからチョコ貰えないのかなって待っていた。」
鹿内さんは私のあげた箱のリボンを解き、包装紙をあけ、箱を開いてみせた。
不格好な私の作ったチョコトリュフ・・・恥ずかしい。
鹿内さんはそのひとつを指でつまみ、ぱくりとそのトリュフに食いついた。
「うん。美味い。」
「ホントですか?」
私はおもわず喜びの声をあげてしまった。
「ビター味か。・・・手作りだよな?」
「・・・はい。キレイに作れなくて。」
「そんなことないよ。要は真心、だろ?」
鹿内さんはあっと言う間に、私のトリュフを平らげた。
「いつもありがとな。気を使ってくれて。」
「気を使ってとか、そんなんじゃありません。」
「じゃ、なに?」
「私が・・・好きでやっているだけですから。」
「好き?」
「あの・・・だから、えっと・・・こういうイベントが好きなんです、私。」
「へえ。イベントが好きなのか。残念。」
「え・・・?」
ホントは「鹿内さんが好きです」と言いたい。
今はその絶好のチャンスなんじゃないの?
でもそれを言って、この関係が壊れてしまうのがとても怖い。
「・・・・・・。」
長い沈黙のあと、鹿内さんが時間切れとでもいうように私の肩を掴み、身体をUターンさせた。
「もう遅いから、お姫様は自分の部屋に帰りな。」
「え?」
「チョコありがと。おやすみ。」
そういうと、鹿内さんはさっさとドアを閉めてしまった。
なんだかつれないな。
でも、バレンタインのチョコを直接渡せただけも満足だ。
うん。満足しなきゃね。
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