第8話 愛しいあなたの為ならば……
私と父は今、国王陛下に挨拶するため扉の前に立っていた。緊張で全身が震え、お腹が痛くなってくる。
昨日いくつかドレスを買ってもらって本当に良かった。
誰かの声が木霊し扉が大きく開く。私は王座を一瞥すると床に目線を落とす。なんか一瞬、尻尾見えなかった? あぁ、確かめたいけど直視するなんて出来ない。
姿勢を伸ばして転ばないように。それだけに気を付けて先行する父のあとについて行く。
「国王陛下にご挨拶申し上げます、サントス・モルドーでございます。メイカ、国王陛下にご挨拶を」
ごくりと喉を鳴らし、ドレスの裾をもつ手に力が入る。
「お初にお目にかかります。モルドー侯爵が娘、メイカ・モルドーと申します」
こっそり父に教わったカーテシーをする。
挨拶間違ってたらどうしよう。膝が笑う。
「娘だと? 顔を上げよ」
王座を見上げると、鋭い眼光の獣人が立っていた。頭にある耳は先端が尖り、たてがみを連想させるこげ茶色の髪。服に隠され全貌は窺えないけれど、伸びている細長い尻尾の先端は少し丸い。
――ライオン……?
「なんと……セイラにそっくりではないか! セイラはどこだ!? 見つかったのか!?」
突然相好を崩した獣王に目を瞬く間にも、父と王の会話は続く。
「残念ながら、妻は……。ですが、娘のメイカと再会できました」
「そうか……。だが、娘と逢えて良かったな」
どこか懐かしむように細められた金の瞳に、切なさが篭った気がした。
目元を和らげて私を一瞥した獣王は「で」と父の方を向く。
「何用だ?」
「はい。実は先程、狼獣人を牢に入れたとの話を聞き馳せ参じました。その者は、我が娘メイカの婚約者でございまして」
ピクリと耳が動く。
「何? そうか……。あの者は虹魔石の指輪を所持しておったのでな。経緯を探っているところよ」
「経緯、ですか」
「何故かあの男の指から離れん。その原因を突き止めねばならぬが、情報が少なすぎてな。ドワーフ族なら知っておろうが……」
「ドワーフといいますと、隣国の?」
「ああ、口外するなよ。虹魔石はドワーフが守る鉱山で発掘されるが、採れる量が少ない。それ故希少価値が高いのだ」
「そうだったのですね……」
私はそっと右の中指に嵌めている指輪を見下ろした。この世界にきた直後は乳白色に近かったけれど今は七色の光を帯びて輝いている。
「……それは、虹魔石か?」
王の言葉に顔を上げると、縦に細まった瞳孔に射抜かれて背筋が凍る。まるで狩人と獲物のようだ。
「母であるセイラから譲り受けたもののようです」
「あぁ……そうだな、覚えがある。
ほ……、と私は
「国王陛下。どうか、娘の婚約者を解放していただけないでしょうか?」
「まあ待て。……今日のところは帰るが良い」
「陛下、しかし……」
「二度言わせるな」
「……承知いたしました」
私は叫びたいのをぐっと堪え、退室する父のあとを追う。口を引き結んだまま馬車に乗り込むと強い言葉が飛び出した。
「どうして!? ナッツはなにも悪いことしてないのに!」
「黙りなさいメイカ」
「っ!」
強い言葉で言われ、唇を噛む。情けなさに涙が滲んだ。重たい空気で王都を抜け、暫く経った頃、正面に座る父が謝罪を口にする。
「さっきはすまなかった、メイカ。獣人は耳がいい。お前の発言が陛下に対する暴言だと捉えられてしまえば、僕は妻だけではなく娘も失うことになってしまう。それは耐えられない」
はっとした。確かにあのまま叫んでいたら、血が上って何を言っていたか分からない。私が捕まえられるとナッツだって助けられないのだ。
「……いいえ、ありがとうございますお父様。私の考えが足りませんでした」
「分かってくれてよかった。ありがとう、メイカ」
父の硬い手が私の頭を滑ってゆく。
――どうしたらいいの……。
ナッツを想い、私は瞼を伏せた。
しかしあくる日、私は父の口から衝撃な言葉を聞くことになる。
「……もう一度、言ってください……」
心臓が早鐘を打ち、あまりの息苦しさに胸を押える。冷水を浴びたように血の気が引いて、冷たくなった指先は震えていた。
重苦しい表情で顔を上げた父がどん、とテーブルを叩く。
「メイカが第三王子と婚約する条件でなら、ナッツ君をすぐに解放する、と」
「っそんな、そんな馬鹿な話がありますか!?」
「……一週間、返事を待って下さるそうだ」
震える唇を噛み、頬を流れる涙にも気づかず頭を振った。
――酷い、酷い酷い酷い! 信じられない!
私は父の制止も聞かず部屋を飛び出し、寝室のベッドに飛び込んで突っ伏した。
胸が痛くて苦しい。喉が痙攣し、嗚咽が飛び出す。滂沱の涙が枕に染みていく。
「ああああぁぁぁぁぁ、うわああぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!」
ほんの少し開いた扉の隙間から、苦しみに歪んだ顔の父が見つめていることに、私が気がつくことはなかった。
食欲もわかず睡眠もほとんど摂れない状態で、連日寝室に閉じこもりながら、私はどうするべきかずっと悩んでいた。
ナッツの側を離れるなんて考えられないけれど、ナッツが死んでしまうなんてもっと嫌だ。答えを出し渋ってここまで来たが、結局のところ私に選択肢など残っていない。
「ナッツ……」
閉じこもった初日はまだナッツの匂いが残っていたのに、もう消えてしまっている。
目元を拭った私は体を起こし、数日ぶりに部屋から出ると重い足取りで父の元へ向かい、扉を叩く。
「大丈夫かい? メイカ」
「私……従います」
眉をハの字にした父は小さく頷く。
「そうか……決めたんだね」
「……はい」
「……じゃあ、今から行くかい?」
「え? 王都に、ですか……?」
「ああ。メイカも早く……彼に会いたいだろう?」
その言葉に、ぎゅっと拳を握る。会いたい。ずっと会いたかった。でも、会ったら終わってしまう。
私は顔を覆って嗚咽を零す。
「は……ぃっ、……」
震える私の肩を、父の温かい手が包んだ。
父と馬車に乗って、王都へ向かう。
数日前はデートだってはしゃいでたのが嘘みたいだ。虚しさに、視界が歪む。
けれど、ナッツのためだと思えば、耐えられるはずだ。
葬式のような空気の中を小一時間過ごした私は、父と王宮の前に立っていた。
「さあ……行こう」
背中を押されるが、私の根が生えたように地面にくっつき離れない。
この先に進むということは、ナッツを裏切ると同義だ。
「っ……お、父様……、ご、めんなさ、……私、ちょっ、と気分、わるいです……歩いて、きたい、です……」
「そうか……わかった。馬車で待っておくから、遠くまで行くんじゃないぞ?」
こくりとした私を見て、そっと背中を押してくれる。背後で父が何かを呟いていたが耳には入らず、私は鉛のような足を動かしてその場をあとにした。
あてもなく、ふらふらと彷徨う。目に映る景色は色が抜けたように何も感じない。次第に顔が歪み目尻から涙が流れる。脳裏をよぎる、地球で過ごした日々。
「こ……こんな、ことなら……こんな、とこ……くる、んじゃ、なかっ……きゃぁっ!?」
両手で顔を覆うと、突然誰かにぶつかって尻もちをついた瞬間、左手首に痛みが走り顔が歪む。
「っ……!」
「ご、ごめんなさいどっ!」
子供の声に顔をあげると、丸っこい体の少年が手を伸ばしており、私はそっと右手を重ねる。ぐいっと引き起こされ、あまりの力の強さに目を丸くした。
髪で隠れて分かりにくいが、人間のような耳だけど少し尖がっているような気もする。
「だい、じょうぶです……、ありがとうございます」
「それはよかった、ど……ん?」
身なりがいいようにも見える少年の視線は、繋いだ手に落とされている。
「……? あの、手を……」
「ちょっと、こっちにくるど!」
「えっ!? ちょ、ちょっとまってくださっ!?」
ぐいっと引かれ、引きずらるように私を連れていく。人波を縫うように突き進む少年のあとを、他人と激突しないようについて行くのが大変だった。長くも短い数分間ののち「ちょっと乗るんだど」と押し入れられ茫然とする。
「え? なに? ここはどこ?」
「いくどー!」
「え? え? どこに?」
ガタガタと揺れ出した馬車の窓にびたん、と両手をつけ、流れてゆく景色に背筋が凍りつく。
「なっ……なっ……ん、で」
「大丈夫ど! 危険はないど?」
ばっと振り向くと少年は短い足をぶらぶらさせ、にこにこしている。
――確かに悪いことはしそうにないけど……え、いや、誘拐は犯罪だよね……?
「あの……どちらへ向かっているんでしょうか……?」
「うん、山のほうだど!」
――なぜ山に……私、働かされるのかしら……。
「これ、食べるど? 甘くておいしいど~!」
差し出された手の平にはまあるいキャンディーが乗っていた。
口の中でごろごろさせている少年に、具合が悪くなりそうな傾向は見られない。変なものではなさそうだ。
「い、いただきます……」
受け取って口へ含んだ飴玉はねっとり甘く、はちみつの匂いがした。
「貴方の名前は、なんというど?」
「あっ、私は……メイカ・モルドー、と申します……」
ふんふんと深緑の瞳を輝かせた少年は、にぱっと笑う。害のない子供の笑顔だ。
「おいらはドッキど! 宜しくお願いするど! 暫く揺られるど、休んでもいいど?」
――休んでいいと言われても……返してほしい、ような、欲しくないような……はぁ複雑。
押し付けられたクッションを胸に抱く。馬車が揺れ動き、ここのところ睡眠が浅かったせいか疲労がたたったのか。
私はいつの間にか気絶するように意識を失っていた。
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