AM9:22

 奇妙な影が屋根の上を跳ねている。

 セーラー服姿の少女だ。それが、小柄な彼女自身より大きな少年を、背に担いでいる。


 紅潮した頬を汗が滑り落ちた。その一滴が制服の下のキャミソールに染みたのがわかって、少女は不愉快そうに眉を顰めつつも、脚は止めない。

 彼女が常人ただびとではないことは、その見事な体裁きからして明らかだった。

 ……そもそも女子高生が同年代の男子高生を担いで屋根伝いに移動している時点でもう異常だが。


 しかも、彼女の移動したうしろには点々と赤いものが散っている。

 出所は少年の襟元だ。紅蓮に染まった学ランの下は、無残な斬り傷がすっぱりと刻まれている。


「っあー、重い!」


 どうせ誰も聞いていないからと、少女の悪態に遠慮はない。

 必死こいて辿り着いた先は街外れにある寺だ。日中でも薄暗く、境内には人気がない。

 少女はこともなげに少年の亡骸を、これまたまったく遠慮なしに見事な枯山水のど真ん中へと放り込んだ。……下ろしたつもりだったかもしれないが、彼女の両腕はもう疲れ切っていたし、屋根の上からではどうしたって落とす恰好になる。


 白砂の芸術は一瞬にしてめちゃくちゃになり、そこに血まみれの少年が転がった。

 諸行無常にもほどがある光景だ。あまりにもロックすぎる。


 少女は自らが作りあげた前衛美術を一瞥したのち、一秒後には死体の真横に降り立っていた――砂の波をひとつも崩さずに。


 懐から匕首あいくちを取り出して咥え、長い茶髪をさっと頭頂で結わえる。バチンと小気味いいヘアゴムの音。

 そしてそのままの状態で屈みこむと、左手で奇妙な形の指印ハンドサインを組み上げて、右手で匕首を掴む。それから深呼吸をして、茜色のリップクリームの艶が乗ったくちびるを開くと。


 何を思ったか、少女は匕首を勢いよく死体の心臓にぶっ刺した。


紫電径命しでんけいめいを刻す」


 次の瞬間、匕首は薄蒼い稲妻を纏った。真上に三メートル近い電光の柱を迸らせ、熱を帯びた旋風が伴って、セーラーの襟や少女の前髪もばさりと躍る。

 その刹那に覗いた額には、何か古い傷痕のようなものがあった。


 雷が掻き消えて、およそ三秒後。


「……ぶはァッ! ……ここは……俺は何を……血!? やばい痛い怪我してる!」

「落ち着いてー。まだ痛くはない。生き返ったばっかだから。痛覚が戻るのはもう五分はかかる」

「なーんだ、良かっ……良くないよ生き返ったって何!?」


 頸動脈を斬り裂かれて絶命したはずの少年の手足は問題なく動き、出血も収まっている。まだ顔色は悪いがそれ以外は大丈夫そうだ。

 眼を白黒させている少年をよそに、少女は匕首を懐へ仕舞う。


 ……そして直後、なんの前触れもなく背後の砂の上にひっくり返った。


「えーっ!?」


 少年は慌てて駆け寄るも、すでに彼女は気絶している。抱き起こして揺さぶっても反応はなく、制服の胸ポケットから学生証が転がり落ちた。

 衝撃で開いた頁に、ちょうど顔写真と名前がある。


 ――亥刀いわき刹那せつな


 苗字が読めん、と少年は思った。



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