魔王の嫁
夜桜くらは
優しい娘のリアン
リアンは、静かな娘だった。いつもひっそりと口数が少なかった。
部屋に何人か村娘がいて、誰か、みんなの中心になってにぎやかに喋っている村娘がいるとする。みんなはその娘を見ていて、その娘を中心に、みんなは笑っている。
しかし、それぞれ家に帰って、あそこには誰がいたっけな……と思い出す時、真っ先に思い浮かぶのは、部屋の隅で黙って微笑んでいたリアンだ。
他の娘は後から思い出す。どこにでもありそうな服を着ているのに、リアンは小花柄の服を着ていたっけ……と、ふっと思い出される……、リアンはそういう娘だった。
リアンは優しい娘で、優しいことをいつもしているのに、それを人に知られることをとても恥ずかしがった。だから人にはわからないようにやった。
気がついた親切にされた当人は、深く心に刻んで忘れなかった。
お礼を言うと恥ずかしがるので、そういうことが何回か続くと、みんなはリアンにはわざとお礼を言わないようになった。
リアンは、みんなが気づいていないと思って安心して、ひそかに次々と優しいことをした。
村のマリーおばあさんの腰の痛みに効く薬草を、魔王城の近くまで採りに行った時、リアンは危うく魔物に襲われそうになった。
命がけで採ってきた薬草を、リアンは悪いことでもするように、マリーおばあさんの家の玄関にそっと置いて逃げ帰った。
マリーおばあさんは家の中で寝ていて、気がつかなかったのだ。
また、ジョンが畑仕事へ行こうとした時、魔物に襲われて怪我をしたことがあった。ジョンの妻のヘレナは大慌てで医者を呼んだ。
その日は一日中バタバタして、畑仕事どころではなかった。
次の日の朝早く、ヘレナは暗いうちに畑へ向かった。彼らの家では、収穫時期の作物があり、時期を逃すと次の年まで食べ物がなかった。だから朝一番に行って、野菜を採る必要があったのだ。
だが、ヘレナが向かった畑の隅には、収穫された野菜が綺麗にまとめられていた。
ヘレナは、リアンが黙って野菜を収穫してくれたことを知った。
こんなことを黙ってしてくれるのはリアンしかいない。
リアンに会った時、リアンが恥ずかしそうに急いで挨拶をして小走りに走っていったことで、それは確信に変わった。リアンはそういう娘だった……。
しかし、そのリアンが20歳になった年に、今年はリアンを
***
マリーおばあさんは泣いた。
「私の腰の薬を魔王城近くまで採りに行った時、きっと魔王がリアンを見初めたんだ。申し訳ないことをした……。私のような年寄りは死んでも構わないのに、若いリアンが……」
マリーおばあさんは腰を叩いて泣いた。
しかし、魔王の言うことにそむけば、魔王は怒って村に魔物をけしかけてしまう。
それで、去年はエリーを、一昨年はサラを生贄に差し出した。みんな村一番の美しい娘だった。
魔王は魔物をけしかけてこなかったので、村は助かったが、エリーとサラは帰ってこなかった。きっと殺されてしまったのだろうと村人たちは泣いた。
今年はリアンを生贄に差し出さねばならなくなった。
村人たちは怒った。
「リアンのようにいい娘は、魔王になぞやれるものか!」
エリーもサラも、魔王にやっていい娘だというのではない。
しかし、リアンのように優しい娘は、絶対魔王になどやるわけにはいかない。村がどうなっても構わないと、村人たちはいきりたったが、リアンはいつものように優しく笑って言った。
「……みなさん、私は行きます。私を行かせて下さい。そうすれば、みなさんのお役に立てるのですから」
そして、彼女は静かに出て行った。
村人たちは悔しがったが、彼女の意思は強く、止めることはできなかった。
***
リアンは、魔王城へたどり着くと、中から大柄の男が出てきたのを見た。それはそれは恐ろしい魔王であった。
黒々とした髪の間からは、二本の角が生え、その目は赤く光っていた。
リアンはそれを黙って見ていた。
「お前は俺様が怖くはないのか!」
魔王は牙を剥いて怒鳴った。
「はい」
リアンは静かに言った。魔王はまた叫んだ。
「俺様は魔王だぞ!怖くはないのか!」
「はい」
「どうしてだ!去年のエリーも、一昨年のサラも、俺様を見たら泣き叫んで許してくれと頼んだのだぞ!」
「はい。でも、私が生贄になれば、みなさんの役に立つことができます。それならば、私にとって本望です」
リアンは静かに言った。
魔王はしばらくリアンを睨みつけていたが、やがてリアンの腕を掴んで、城の中に引き入れた。
城の中には、たくさんの魔物がひしめいていた。魔王はそれらに下がれと言った。リアンは腕を引っ張られて奥へ連れて行かれた。
魔王は、大きな扉を開けて部屋に入った。そこには美しい服がたくさんあった。
「この服を着ろ」
魔王はリアンに命令した。
しかし、リアンが取りあげたのは、隅に重ねてあった薄桃色の服と水色の服だった。
それはエリーとサラが着ていた服だった。魔王は嫌な顔をした。
「あいつらは、俺様の嫁になったのだから良いドレスを着ろと着せてやったのに、叫んで逃げ出して、城の外へ出て、魔物に食われてしまいやがった!」
魔王は、吐き捨てるように言った。
リアンは、亡くなった二人へ向けて手を合わせて祈った。
「俺様はこんな姿に生まれたから、嫁は美しい女が欲しいのだ。貴様は本当に俺様の嫁になるか!」
「はい」
リアンは答えた。なんだか魔王が哀れになったのだ。
***
それから二人の魔王城での暮らしが始まった。
魔王がいくら進めても、リアンはご馳走には手を出さなかった。一つのパンと果物と、スープを自分で作って、ひっそりと食べていた。
「村の人たちは、こんなご馳走を食べていませんから」
魔王が進めるとリアンはそう答えた。魔王もなんだか、食べているご馳走の味が急に薄くなった。
何日かすると、リアンの食べているパンとスープが、とても旨そうに見えてきた。
そこで、自分も食べてみた。それはひっそりと旨かった。
魔王は、夜眠りに入るときに、布団の上から優しくさすってくれているリアンの手を感じた。
「風邪など引かれると困ります。お大事にしてくださいね……」
リアンはそう呟いていた。
馬鹿な!魔王が風邪などひくものか!そう叫ぼうと思ったが、なぜか胸が詰まって声が出なかった。
そして魔王は、いつの間にか眠ってしまった。
***
魔王は城の庭で剣の稽古をしていた。毎日の日課だった。
「あの、貴方はどうして剣の稽古をしているのですか?」
リアンがある時聞いた。
「それは自分の力を磨くためだ。この城へ攻めこんで来たりするような奴がいたら、返り討ちにするためだ」
リアンは、自分が持とうとしても持ち上げられないであろう大剣を見ながら、そっとため息をついた。
「そんなに力があるなら……」
「力があればどうしろと言うのだ」
魔王が聞いてリアンが話したところによると、その力で村の畑おこしを手伝ってやれば、と言うのである。
息子に先立たれて、老夫婦だけで畑おこしをしているところもあるそうだ。
「二人が気づかないように、夜のうちにできれば……」
馬鹿な!と魔王は叫んだが、いつものリアンの言葉が引っかかって面倒くさいので、仕方なくその晩は出かけて片付けてきた。
魔王は黙っていたが、リアンは知っているようだった。
「今度は……」
「まだあるのか!」
「村にはたくさん辛い人たちがいて……すみません……」
魔王は、今度は林道の工事をさせられた。狭い道を通らされる行商人のために、道を広げておくのである。
大汗をかいて明け方に帰ってきた魔王は、大忙しでパンと果物とスープを山ほど食べた。
寝る時、リアンは魔王の枕元に座って、布団の上から身体を優しくさすってくれた。
文句を言おうと思っていた魔王は、なにやら胸が一杯になって、何も言わずに寝てしまった。
次の晩も、また次の晩も様々なことをさせられた。
***
ある晩リアンがまた、
「たびたびすみません、今度は……」
と言いかけた時、魔王は叫んでその場に崩れ落ちた。
「ぐああぁっ!!もうやめてくれ!俺様は最近気が弱くなってしまって、何をさせられても断れないのだ!」
そう言って、魔王は床に突っ伏して泣き始めた。
「お前が俺様に、あんなに優しくしなければ、俺様は自分がこんなに弱いなどと気がつかなかったのに!」
魔王は泣きながら叫んだ。
「……貴方は元々優しい人なのでしょう」
「俺様は優しくない!」
魔王は叫び続けた。
「貴方が優しい人でなかったら、私は貴方に殺されていましたよ」
リアンは微笑んだ。
魔王は涙が止まらなかった。
***
それから魔王は、毎晩リアンと一緒に眠るようになった。二人はお互いの話をするようになった。
「俺様はずっと恐れられて生きてきたが、お前のように優しい人間に会ったのは初めてだった……。だから、俺は今までになく弱くなってしまった。しかし、これからはもっと強くなる」
魔王はそう言った。そしてこう続けた。
「俺様は、これからは優しさを持って生きていきたい。だから、お前さえよければ、これからもここにいてくれないだろうか」
魔王は照れたように言った。
「はい」
リアンは静かに答えた。
「私のような者を、ここまで大切に思ってくださってありがとうございます。私はこの城にいますから、どうか強くなってくださいませ……」
魔王は黙ってリアンを抱きしめた。リアンは優しく微笑んで、魔王の背中を撫でた。
***
その日から、魔王は村を襲うのをやめた。魔物たちは魔王の命令を聞いて、魔物の国を作るために、魔王城からいなくなった。
魔王は、リアンと二人で静かに暮らした。
そして村には、魔王城には優しい魔王と美しい嫁がいるという言い伝えができたそうな。
魔王の嫁 夜桜くらは @corone2121
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