僕たちの間に秘密は無し

リフ

ボクたちの間に秘密は無し

 晴れ渡る空。春の柔らかな日差しが降り注ぐ校舎。クリーム色のその中で僕は窓の外を見ていた。

「……」

 先生の声が遠い。現代文の時間は好きなのに聞く気が起きない。

「……」

 視界の端に彼女の姿が映る。僕の幼馴染おさななじみ。

 背筋を伸ばして真面目に先生の話を聞いている。

 チョークが黒板を打つ音がやけに耳に残る。わずかに開けた窓からは優しい風が入ってくる。

「秘密……か」

 口の中で留めた言葉は、そのままどこにも行かずに消えていった。

『ボクたちの間に秘密は無しにしよう』

 小学生の時に言われたその言葉が、ずっと心に引っかかっていた。


 彼女は何でも出来る。勉強も運動もそうだし、写生大会でも金賞をもらっていた。僕に無いものをたくさん持ってる。自分のことをボクと言う所は他の女子たちとは違うけれど、それは別に欠点でも何でも無い。

 彼女の笑顔に救われたこともたくさんある。勉強が分からなくて落ち込んでいたり、体育で上手く走れなかったり、同級生にいじめられていた時でも。

 僕を心配して、大丈夫と励まして。一緒に勉強したり、走り方の練習に付き合ってくれたり、いじめっ子へ止めるように言ってくれたこともあった。上手くいかないことももちろんあったけれど、大体いつの間にか解決してくれる。


 楽しい想い出や辛い日々の中でも彼女の存在は輝いている。

 そんな彼女がある日、僕に言ったんだ。

「ボクたちは親友だ。ボクたちの間に秘密は無しにしよう」

 最初は僕もうれしかった。ただの幼馴染みなだけでは無くて、親友だと言ってくれたこと。お互いに何でも言い合える関係になれたこと。

 でも、一緒に過ごす内に少しずつ僕の気持ちは変わっていった。綺麗きれいな指先で前に垂れた髪を耳にかけた時、近くでじっと目を見つめられた時、遊びに行こうと手を引かれた時。その度に僕の心は少し動いて。そして目敏めざとく彼女は聞いてくる。

「ボクに秘密にしていること、無いよね?」

 上目遣いでじっとボクの目をのぞき込んでくる。

「何も無いよ」

 僕はそう答えるけれどあまり自信は無い。これが秘密になるのかどうか。まだ形にもなってない何かだと、その時は思っていた。


 学年が上がっていく中で、何でも出来る彼女と何事もそこそこの僕は、学校ではあまり関わりを持たなくなっていった。お互い友達のグループも出来たし、男子と女子では話題も違っていた。それでも学校から帰ればどちらかの家には遊びに行く。

「ねぇ、今日は何する?」

 彼女は僕の部屋に入るなり、いつものように勉強机の前にある椅子に座る。僕は反対側にあるベッドに座ると宙を見た。

「そうだなぁ……」

 背中から感じる日差しはまあまあ強い。彼女には僕の後ろの窓から夏空が見えているだろう。エアコンから出る冷風が火照ほてった肌をほどよく冷やす。

「家の中でゲームでもしようか」

 親と一緒に買いに行ったゲーム機。彼女とデザインが一緒のそれを思い浮かべる。

 お互い外には出たくないと思っているはずだ。流石に今日は暑すぎる。

「じゃあ、これね」

 彼女は家から持ってきた小さなポーチの中からゲーム機を取り出す。持ち運びやすい、カセットを入れて遊ぶやつ。

「うん」

 僕も同じゲーム機を充電器から外して持ってきた。彼女はその間にベッドに移動して僕を手招きする。

「じゃ、隣に座って一緒にやろう」

 肩を寄せ合いながらお互いに同じゲームをする。ネットで繋がるから距離は関係ないんだけど、僕も彼女もこの距離感が好きだった。

「ねぇねぇ、このステージはどうやったらクリアできるの?」

 彼女はゲームは好きなんだけど、上手くはない。僕もそこまで上手いわけじゃないけど、教える側の方が多かった。

「ここは先にこっちを通るんだよ」

 僕は実際にやって見せながら教えた。

「なるほどね!ありがと」

 理解したのか顔がほころぶ。僕は嬉しくなった。

 なんてことの無い日常だけれど、大切な時間だったと思う。


 中学に上がってからは中々お互いに時間を作るのも難しくなった。部活の朝練や放課後の活動があるから時間も合わない。たまに朝の駐輪場で会ったときはお互い笑顔で挨拶あいさつをする。教室ではますます話すことが出来なくなっていた。見えない派閥はばつとも言うべきものが出来上がり、その枠を越えて繋がるとなると目立つ。特に男女では。

 それでもお互いの家に通う事は止めなかった。相変わらず家での距離は近い。ゲームもするけど、勉強もする。分からないところは教え合って乗り越えていた。


 ある日、校舎裏で彼女が告白されているのを見た。それは本当に偶然で、掃除で使った竹箒たけぼうきを近くの倉庫に返そうとしていた時だった。緑色のフェンス越しに見えるイベント。僕はすぐに建物の陰に隠れた。

 よく見ると相手は三年の先輩だ。顔も一応知っている。サッカー部のエースで何か表彰もされていた気がする。

 先輩の放つ言葉は真っ直ぐで、彼女の事が本当に好きなんだと感じた。どういった繋がりで知り合ったのかは分からない。部活も違うし、もしかしたら共通の知り合いがいるのかもしれない。僕の知らない所で仲良くなっていたなんて思いたくは無かった。

 僕は彼女の顔を見ることが出来ない。もしも嬉しそうな顔をしていたら。そのままOKを出して付き合ったら。どうしようもない気持ちがあふれて、混乱したままの心臓が痛い。俯き、視界も暗くなって、耳に轟々ごうごうと血が巡る音だけが聞こえる。

 これ以上ここに居たくない。脇役の僕は音を立てないようゆっくりとその場を離れた。


「恋とは何なのか」

 小学生の頃の僕はその気持ちがよく分かっていなかった。ゲームや漫画、アニメの中ではみんな何か得意なものを持っていて、お互いに足りないものを埋めながら壁を乗り越えていく。その中で恋が生まれるんだとぼんやり思っていた。

 中学生になった今では、お互いに尊敬できる何かがあれば恋が生まれるんだと思っている。僕は彼女を尊敬している。明るい笑顔や良く気がつくところ、運動が出来るところ、初めて会った人とも友達になれる行動力も。僕には無いものをたくさん持ってる。どれがって訳ではなくて、全て含めて彼女に恋をしているんだと思う。

 逆に僕はどうだろう。笑顔もぎこちないし、何かに気がついても周りの目を気にして行動出来ない。運動も得意ではないし、人とは目を見て話せもしない。オドオドしているからかよく同級生にはからかわれる。いじめは無いけれど、小学生の頃とあんまり変わらないような気もする。それでもどうにか過ごせているのは、彼女の存在が心の支えになっているからだ。学校ではあまり話せなくても、時間を作ってお互いの家に行くことは続いているから。

 いつからそうだったのか。気付けば彼女の姿を目で追っている自分がいた。彼女と一緒に過ごせるだけでも幸運なのに、これ以上を望んだらいけないと心にブレーキをかけていた。今の関係を壊したく無い一心で言葉で伝えてはいなかった。

 真新しい制服を見せ合った入学式、夏休みに二人で遊びに行った遊園地、彼女が運動神経を見せつけた体育大会。幼馴染みとして、親友として一緒に過ごしてきた時間。それが今日、他人のせいで壊れてしまうかもしれない。


「僕はあなたのことが好きです」

 夕陽に照らされた自室で一人呟く。向かいには空の椅子。逆光に陰る僕の表情は誰にも見せない。きっとその方が良い。落ちる雫を冷静に眺めながら思う。残された時間はもう無くなってしまった。

「……明日、話そう」

 どんな結末だったとしても、後悔だけはしたくない。


 次の日の朝、僕は彼女に電話した。今日は休日だ。向こうも話したいことがあるみたいで、僕の部屋に来てくれることになった。待ってると最後に伝えて電話を切る。

 部屋は妙に静かだ。自分の部屋なのに緊張している。窓の外には厚い雲が広がっていて、少し薄暗い。僕の気持ちを表しているようで、乾いた笑いが自然と漏れた。

 もうすぐ秋も終わる。身体に当たる日差しはとても弱かった。


「ボクたちの間に秘密は無しにしよう」

 彼女は僕の部屋に入るなり言った。まだお互いに座ってもいない。僕は彼女の方を振り向く。

 吸い込まれるような美しい瞳がうっすらとうるんでいるのが分かった。唇はよく見れば微かに震えている。両手はぎゅっと握って、何かをこらえているようだった。

「うん……秘密は無しで」

 彼女が何を話したいか分かってしまった。昨日のことだろう。それでも僕は前を向かなければならない。ここまで来て決心は鈍らない。

 僕の返事を聞くと彼女は話し始めた。

 校舎裏で先輩に告白されたこと。返事はしたこと。

 そして、僕が見ていることに気付いたこと。バレていたらしい。

「どうして逃げたの」

 彼女は潤んだ瞳で詰め寄ってきた。

「それは……」

 あの場で何が出来たのだろう。僕には分からない。見なかったことにして離れるしか道は無かった。僕の親友に手を出すな、と言って出て行ったところで相手は納得しない。

「ごめん」

 そんな言葉しか出てこなかった。

「……ボクの方こそごめん」

 立ち去るしか道が無かったことに気付いたのだろう。彼女は頭を下げた。

「頭を上げてよ。謝ることじゃない」

 僕は彼女のそんな姿を見たくなくて。

「でも!」

 続く言葉は聞かない、言わせないと気持ちを込めて、つややかな唇にそっと指を置く。

「……」

 僕の気持ちは変わらない。

「それに僕の方こそ言わないといけない秘密がある」

 指を離すと僕は口の端に笑みを浮かべる。なるだけ言葉が重くならないように気を付けないと。もしだめだったときにお互いが前を向けるように。

「秘密?」

 彼女は首を傾げ、白い指先を自分の胸元に寄せる。

「そう、ずっと自分でも分からなくて……昨日やっと気が付いたんだ」

 いつもは頼りない僕でも、今日くらいは胸を張って言いたい。この気持ちはきっと誰にも負けないから。

「教えて……」

 察しの良い彼女はこれからどうなるのか気付いたのだろう。表情を少し緩ませると僕を見た。

 僕は大きく息を吸い込むと、思いの丈を言葉にした。

「僕はあなたのことが好きです」

 綺麗な瞳にしっかりと視線を合わせて。

「ーー」

 言葉は無い。目の前で零れ落ちる雫は流れ星みたいに輝いている。窓から眺める夜空よりもずっと近くにある流れ星。これだけ近ければ願いも叶うだろうか。

「ボクも」

 微かに聞こえる返事。いつもの元気で明るい声ではない、恥じらうような親友の声。ずっと一緒に過ごしてきた僕でも初めて聞いた音色で。

「本当?」

 どうしたらいいか分からなくなって聞き返した。願いは叶ったのか。冷たいフローリングの床を踏みしめて現実に帰るのが怖かった。

「本当」

 彼女はほほを赤らめ、言葉を続ける。

「ボクも君のことが好き」

 言いながら僕の胸へ飛び込んできた。その身体を慌てて受け止める。

 僕たち史上一番近い距離だ。軽い衝撃と伝わってくる温もり。柔らかい優しい香りに包まれる。そらに伸ばしていた僕の手は、驚きが落ち着くにつれて自然と彼女の背中に収まった。

「「よかった」」

 お互いから漏れたその言葉は、抱き合う二人にゆっくりと溶けて消えた。


 あれから数ヶ月。春の昼下がり。少し開いた窓から吹き込む風は優しい。

 もうすぐ授業も終わる。

 窓の外でも見ていなければずっと彼女に視線を向けてしまう。

 あの日、僕たちは恋人になった。後から聞いたのだが、結局先輩の告白はその場で断っていたらしい。焦った僕の時間を返して欲しいと思うのは、今となってはワガママかな。

 ちなみに恋人同士であることは周りには内緒にしている。先輩の件もあるし、冷やかされたくもないからね。

 あれからクリスマスもお正月も一緒に過ごした。手を繋いでイルミネーションも見に行ったし、一緒に鈴を鳴らしてお互いの健康も願った。温かな想い合う気持ちは親友だった頃よりも増している。

 僕の背も少しだけ伸びた。成長はちゃんとしているようで安心している。

 そう遠くない未来に僕の彼女ですって堂々と言える日が来る。これからは勉強も運動も今まで以上に頑張って、彼女を支えられる彼氏でありたい。

「ただ、彼女を見過ぎるのは止めないと」

 相変わらず外を眺めながら呟く。

 現代文の内容は後で彼女に教えてもらおう。理由も一緒に説明しないといけないかな。君のことばかり見てしまって勉強が手につかないって。

 周りには内緒だけど『僕たちの間に秘密は無し』だからね。



 Fin.

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕たちの間に秘密は無し リフ @Thyreus_decorus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ