その2 「病院」「医院」「診療所」「ホスピタル」「クリニック」
例文1:「この前腰痛で整形外科の病院にかかりましてね」
例文2:「同じクラスの安井さんの父親は従業員数が100人を超えるクリニックを経営している」
医療機関のうち医師の診療を受けることができる施設には「病院」「医院」「診療所」「ホスピタル」「クリニック」といった名称が付いていることが一般的ですが、これらの異なる名称は単なる呼び方の違いという訳ではなく、それぞれ定義があります。
冒頭で挙げた例文はどちらも日常生活で聞くことがあり得る台詞ですが、「病院」と「クリニック」の定義を考慮するとどちらも適切な言葉遣いではない可能性が高いです。
ここから「病院」「医院」「診療所」「ホスピタル」「クリニック」の区別に関する説明に入りますが、この5つの用語は大きく2種類に分けられます。
病院並びに診療所の定義は『医療法』に定められており、『医療法』によると病院の定義は「20床以上の入院施設を有する医療機関」、診療所の定義は「0~19床の入院施設を有する医療機関」となっています。何床の入院施設という用語は分かりにくいですが、一般的には「入院患者用のベッドの数」を指します。
そして「病院」と同義として扱われるのが「ホスピタル」、「診療所」と同義として扱われるのが「医院」「クリニック」です。
「病院」「ホスピタル」は20床以上の入院施設を持ち、多くの場合は複数階に及ぶ大きな建物で運営されています。全ての大学病院は当然「病院」ということになりますし、近所以外からも多くの入院患者を受け入れる大規模な医療機関にはたいてい「病院」という名称が付いています。
一方、「診療所」「医院」「クリニック」は入院施設を持たないか19床以下の入院施設しか持たない小規模な医療機関であり、一軒家の建物や総合ビルの1つの階で運営されている場合が多いです。いわゆる「かかりつけ医」は地元の診療所の医師を指しますし、「開業医」という用語はたいていの場合診療所の院長や副院長(夫婦で開業している場合など)を指します。
なお、病院の経営者と院長を兼務している医師は定義上は「開業医」に含まれますが、このような医師は一般的には開業医ではなく「病院経営者」として扱われます。病院の経営者と院長が異なる場合(いわゆる「雇われ院長」である場合)は院長であっても扱いは「勤務医」となります。
このように「病院」「ホスピタル」と「診療所」「医院」「クリニック」には明確な違いがありますが、両者の法的な区別は入院患者用ベッドの数の違いのみです。
ただし入院患者用ベッドを1つ以上持つ診療所(有床診療所)の割合は全ての診療所(102,616施設)のうち6.5%(6,644施設)であり、診療所の大半(93.5%・95,972施設)は入院患者用ベッドを1つも持たない無床診療所となっています(数値は2019年のもの)。そのため、開業医すなわち診療所の院長や副院長のうち入院患者を扱っている人はごく一部ということになります。
ここまでの内容をまとめると、以下のようになります。
・「病院」「ホスピタル」は20床以上の入院患者用ベッドを有する医療機関を指す。
・「診療所」「医院」「クリニック」は0~19床の入院患者用ベッドを有する医療機関を指す。
・診療所のうち入院患者用ベッドを1つ以上有する診療所(有床診療所)は全体の6.5%に留まり、開業医すなわち診療所の院長や副院長のうち入院患者を扱っている人はごく一部である。
ここで冒頭の文章を再検討します。
例文1:「この前腰痛で整形外科の病院にかかりましてね」
例文2:「同じクラスの安井さんの父親は従業員数が100人を超えるクリニックを経営している」
例文1→腰痛に悩む中高年の人がいきなり「病院」を受診する可能性は低く、仮に受診するとしてもその場合は「整形外科の病院」ではなく「病院の整形外科」と表現されるはずです。(整形外科だけに特化した病院が日本国内に存在する可能性は否定できませんが、一般的な病院には複数の診療科が存在します)よって、この台詞を修正すると「この前腰痛で整形外科の診療所にかかりましてね」となります。余談ですが腰痛などの骨・関節の疾患を治療するのは「
例文2→従業員数が100人を超えるとなると入院患者用ベッドの数は19以下では済まないと思われます。一般社団法人全国公私病院連盟および一般社団法人日本病院会による調査「平成27年 病院運営実態分析調査の概要」によると一般病院における100床当たりの職員総数は163.8人とされており、この推測はデータにも裏付けられています。よってこの台詞は「従業員数が100人を超える病院」という表現にすべきと考えられます。
上記のように「病院」「ホスピタル」と「診療所」「医院」「クリニック」という2種類の用語は正しく使い分けられるのが望ましいのですが、日本語にはこの両者をまとめて表現できる言葉がありません。
例えば妊娠後期に体調に不安を感じている妊婦さんに対して「病院に行ってみては」と提案するシチュエーションを考えた時、この言葉は「必ず20床以上の入院患者用ベッドを有する医療施設を受診せよ」と言いたい訳ではなく、あくまで「(病院でもかかりつけ医の診療所でもどちらでもいいので)何らかの医療施設を受診してみてはいかがですか」という趣旨です。
とはいっても日常生活の言葉遣いで「医療施設を受診してみては」という台詞は不自然極まりなく、ここで本来言いたい「病院か診療所かを問わず何らかの医療施設」を指す言葉が日本語に存在しないため、私たちはこういった場合に「病院に行ってみては」と言わざるを得ないのです。このエッセイでは今後もこのような「適切な日本語が存在しない医学・医療の表現」について扱っていく予定です。
(続く)
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