シュレディンガーの猫屋VS転売ヤー

葦沢かもめ

シュレディンガーの猫屋VS転売ヤー

「このキャリーケージには、最初から死んだ猫を入れてたんだろ! そうに決まってる!」

「ですからー、観測済みのシュレディンガーの猫は、お引取りしかねるっす」

 この手のクレームにはもう慣れたという顔をして、アルバイトの店員はワックスでツンツン立った髪の毛を指でいじっている。労働に対するやる気は、まるで感じられない。

「オレはさぁ、五セット仕入れてやってんの。それなのに、なんで五匹全部死んでんだよ。二、三匹は生きてる計算だろ?」

 ジャージ姿の金髪の男はカウンターにもたれかかりながら、足を貧乏ゆすりさせていた。黒のジャージには、電気タバコの臭いが染みついている。その後ろにはケージが五個、山のように積まれている。つい先程このジャージ男が購入した「シュレディンガーの猫」である。その中では、長毛の猫たちが永遠の眠りについていた。まるで押入れの中にしまわれたままのぬいぐるみのように。あるいは歩道脇のブロック塀の上に置かれた鍵の落とし物についているマスコットキーホルダーみたいに。

「確率なのでしゃーないっすねー」

「そもそもなんでシュレディンガーの猫なんか売ってんだ。詐欺じゃねぇか。警察呼ぶからな」

 金髪の客は、後ろのケージの山を蹴り飛ばして店員を威嚇した。騒々しい音と共に、塵が舞い上がった。若い店員の顔に貼り付いた笑顔は、微動だにしない。

「当店は『シュレディンガーの猫屋』なんでー」

「うるせぇな。こっちもビジネスなんだよ。もう少し誠意ってもんがあんだろ? 仲間の業者も紹介してやっからさ」

「ご購入時に同意書も頂いてるんでー。どうしても猫が必要でしたら、追加注文も承っておりまーす」

「ふざけんなよ、マジで。単価が安いから仕入れたのに、不良在庫どころかゴミじゃねぇか、こんなもの。お客様は神様だろ? 俺を怒らせたらどうなるか分かってんだろうな?」

「存じ上げませんね」

 客の男はごつごつとした指を三本立てて、アルバイトに見せつけた。

「オレのチャンネル、登録者数三千人いるからな、三千人。なめてんじゃねぇぞ。ぜってー晒して炎上させてやる」

「そっすかー。うわー、助かるー。宣伝して頂いてありがとうございやーす」

 アルバイトは、感謝の欠片もないお辞儀をした。

「言ったな? 言質とったからな? んじゃ今から生放送すっから」

「はいー、ご自由にどーぞー」

 客はスマートフォンを左手で持ち、インカメラで自分の顔を撮影し始めた。

「どーも、That's it! せどりコンサルタントのよろず屋しゅうへいです。本日は緊急企画『詐欺ペットショップの闇を暴く!』ということで、都内某所にある『シュレディンガーの猫屋』に来ています。店内は、こんな感じ」

 ジャージ男はゆっくりと一回転しながら、店の風景をカメラに収めた。手慣れた様子である。

「ではね、ここまでの経緯を説明していこうと思います。オレはね、以前からこの店の商品『シュレディンガーの猫』にね、注目していたわけなんです。この商品は、中の見えないケージの中に猫が入っていて、五十%の確率で生きているっていう代物。オレが良いと思ったのは、何と言っても原価が安い! 猫の品種がね、オレの動画見ていれば知っていると思うんだけど、ラグドールっていう人気品種。最近、値段が上がってる注目商品。んで、この店では他店の約三十%の値段で売ってるワケ。五十%の確率で中身は死んでるんだけど、値段が安いから、これはもうバリバリ儲かるって話。That's it!」

 ここで男は声のトーンを一段階下げた。

「ところが。オレが実際に仕入れてみたら、どうなったと思う? 見てよ、このひどい有り様」

 金髪は躊躇なく、店内に散らばったケージと冷たくなった猫の死体にカメラを向けた。

「これが人間のすることですか? 五セット仕入れて全部ハズレ。ありえないでしょ? 命をなんだと思ってるんだって話ですよ」

 オーバーな身振り手振り。自分は被害者だと言わんばかりに、眉をへの字にしている。

「そこでね、正義のせどりコンサルタント、よろず屋しゅうへいは立ち上がったわけです。せどらーの皆さんを騙すような詐欺師を野放しにはできません。このライブ配信でね、悪徳業者の真の姿を全世界にお届けしようと思います。That's it!」

 スマートフォンの画面上に映し出されたコメントの流れる速度が加速する。ほとんどが、この金髪男を応援するコメントだ。

「じゃあね、早速検証していきましょう。おい店員。シュレディンガーの猫を追加で五セット」

 金髪のカメラは、にこやかな店員に向けられた。

「五セットっすねー。かしこまりましたー。同意書にサインをお願いしやーす」

「確認しておきますが、合計で十セット買ったんだから、これから買う五匹は全部生きているってことですよね?」

「可能性はありますが、保証はしかねますー。観測するまでは私共にも分かりませんのでー」

「もしこれで全部死んでたら、アンタ達、詐欺ってことですからね。警察呼びますから。覚悟してくださいよ」

「その可能性も含めてのシュレディンガーの猫なんでー。その点はご同意頂いたうえで、ご購入して頂いておりますー」

 ここでジャージ野郎は、カメラを自分に向けた。

「ほらね。卑怯な奴らだろ? こうやって逃げ道を作ってんだよ。法律に引っかからないグレーゾーンってやつ。でもね、これからオレが身銭を切って真実を皆さんにお伝えします。もーね、皆さんは絶対にマネしちゃダメ。オレは注意喚起のためにね、やりますから。That's it!」

 そうして男は、のたうち回る芋虫のような字で同意書にサインをした。その間に店員は、店のバックヤードからキャリーケージを五個、台車に乗せて運んできた。

「ところでお客様ー、この場でケージの中を確認されますー?」

「当たり前だろ。そのための検証なんだから」

「私の個人的な意見なんすけどー、どうせなら中身を見ないまま『シュレディンガーの猫』として売ればいいんじゃないっすかー?」

「これだから素人は困る。いいですか、視聴者の皆さん。ビジネスってのは利益率が重要なんです。分かる? 損益分岐点を常に頭の中でイメージする。これが大事。That's it!」

「でも相場の四割の値段で売れば、割と利益は出るんじゃないっすかねー」

 アルバイトの言葉を聞いて、金髪男は顎に手をあてて考え始めた。

「なるほど。それなら確実に利益が出るってことか。相場の五割よりは安いから、買い手もつきそうだし……」

 男の判断は早かった。拙速と言っていいだろう。男の頭の中では、一般的に「思考」と呼ばれる神経活動が全く見られなかった。

「皆さん、こちらの店員さんの一言から、オレは大変な発見をしました! That's it! なんとこの『シュレディンガーの猫』を入荷して、そのまま相場の四割の値段で売ってしまえば、市場を独占できて、確実に利益が出てしまうんです! どうしてオレはこんな天才的なビジネスアイディアを思いついてしまうんだろう。この話は、オレとこの場にいる皆さんだけの秘密ですよ。んじゃ、これからオレは大事な商談があるんで今日はこの辺で! 楽しんでくれた皆さん、チャンネル登録アンド高評価、よろしくお願いします! コメントは後で全部読ませてもらうぜ! せどりコンサルタントのよろず屋しゅうへいでした! That's it!」

 労をねぎらうコメントが流れる配信画面を閉じると、ジャージの男は店員に向き直った。金の匂いにつられて、口角が天井に突き刺さっている。

「おい、店員。さっきまでのあれはな、水に流してやるよ。その代わり、追加で百匹注文してやるから安くしてくれ」

「かしこまりましたー。ただいま在庫がありませんので、店長と相談させて頂きやーす」

「おう、よろしく頼むわ。オレたちは大事なビジネスパートナーだからな」

 金髪男が帰ろうとすると、新たにもう一人、入店してくる人物がいた。四角い眼鏡をかけた小太りの男で、半袖のアロハシャツを着ている。「満井みつい商店」と印字されたタオルを首にかけており、それで額の汗を拭っていた。

「おっす、スタッフさん。毎度どーも。この猫の死骸、もらっていってもいいやつ?」

 ジャージの男は、とっさに手を伸ばしてそれを制止した。

「待てって。それはオレが買ったやつだから」

「そっか。ごめんごめん」

 小太りの男が、馴れ馴れしく頭を下げる。

「猫の死体なんて集めてどうすんだ」

「そこの店に持っていくんだよ。回収してくれるから」

 小太りの男が指差す先には、小さなプレハブ小屋が見えた。看板には猫の可愛らしいイラストと共に、赤いペンキで「大切な命 買い取ります」と書かれている。

 金髪野郎は、何かを理解したようにゆっくり頷いた。

「なるほど、パチンコの三店方式みたいなものか。持っていったら、大体一匹いくらになるんだ?」

「本を十冊買えるくらいかな」

「マジ!?」

「ちょっと安いよね」

「おいおい、お前ビジネスなめすぎ。いや、きっとこの錬金術を発見したオレが天才なんだな。凡人というのは罪だね、全く。いいか、お前。オレの商品を勝手に持っていったら承知しねぇからな」

 そうするとジャージの男は、散らかしたケージの中に猫の死体を戻して、いそいそと外へ運んでいく。その行く先は、あのプレハブ小屋だった。

 金髪男が中に入っていく姿を、シュレディンガーの猫屋の窓越しに二人が眺めている。

「ああいう奴って、ホントに引っかけやすいよね。誰も『猫を』買い取ってくれるなんて言ってないのに」

「観測するまでは私共にも分かりませんのでー」

 しばらくすると、小屋から猫たちが五匹、ぞろぞろと歩いて出てきた。猫の平均寿命は十五歳。これに対して、成人男性の平均寿命は八十歳。およそ猫五匹分である。

「ほら、あいつ自分の魂だと気付かずに売っちゃった」

「マクスウェルさんは、やっぱり悪魔っすねー」

「心外だな。僕は、ちゃんと魂を選んでるだろ。情報を社会のエネルギーに変えているんだから、天使と呼ばれてもいいとすら思ってるよ」

 こうして世界において猫の占める割合が、ちょっとだけ増えました。めでたし、めでたし。

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シュレディンガーの猫屋VS転売ヤー 葦沢かもめ @seagulloid

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