第19話

 伯爵夫人は右手で優雅にワイングラスを回し、白ワインで口を潤わせながら続ける。



「それと、あなたが個人的にアデレードちゃんのことをどう思っていようと、あなたとアデレードちゃんを比較するなと言うのは無理があるわ」


「何でですか?」


「だってどんな事情や経緯があったのかは知らないけれど、あなたがベンの新しい婚約者になったのでしょう? 前の婚約者と新しい婚約者を比較するのは人間のさがよ。あなただって古いものを捨てて新しいものを買った経験くらいはあるでしょう? その時、前のと比べて新しいのは……、と比べなかったかしら? それと同じことよ。そして、アデレードちゃんを押しどけて新たな婚約者の座に収まったのなら、あなたのどんなところが彼女よりも優れているのか親として気になるわ」


「アデレードお義姉様より優れているところ……わたしはお義姉様よりも可愛くて、ベンを愛しているところです!」



 伯爵夫人はリリーの答えに口元だけ動かしてふっと笑う。


 それはどう見ても嘲笑だった。



「可愛いことは役には立たないわ。ベンを愛しているのかどうかも正直二の次ね。伯爵夫人として上手くやっていける手腕があるのかどうか。この一点を最重要視しているわ。テーブルマナーの初歩で躓くようなお嬢さんには無理なお話ね」



 伯爵夫人は現実主義だった。


 その他の部分がいくら優れていようと、テーブルマナーの初歩で躓くような令嬢は伯爵夫人にはなれない。


 要するにベンの婚約者としてリリーはお呼びではないのだ。



「私も言いたいことを言わせてもらう。”自分だけもっと簡単に食べられる料理を用意するべきだったなんて間違っても言うな”と言われても、私にそう思わせたのは君自身だろう? ベンに言った通り、真実バーンズ伯爵家で伯爵令嬢としての勉強していたのなら、あんな質問が出る訳がない。出来ないことを出来ると嘘をつくのは感心しないし、信用出来ない。それだけでなく、正直に勉強していないと認めずに、無茶苦茶な言い訳を重ねる姿勢が見苦しい」



 勉強していないのにしていたと嘘をつき、素直に認めず、聞くに堪えない見苦しい言い訳をする――これは伯爵には悪印象を与えた。



 貴族社会は契約事が多い。


 最もわかりやすい所で言うと、婚約だって家と家の契約だ。


 契約には信用が何よりも大切である。


 リリーのような相手とは信頼関係を築くことは出来ない。


 伯爵もまた、ベンの婚約者としてリリーはお呼びではないという判断を下している。



 余りにも場の空気が悪くなったので、ディナーの間は黙って見ているだけの予定だったトビーが口を挟む。


「父上、母上。言いたいことはまだまだあるとは思いますが、ここは一旦引いて食事に戻りましょう。先に料理を食べて、お話は後でするということになっていたではありませんか」


「それもそうね。お話はお料理を頂いた後でゆっくりと出来ますものね」


「そうだったな。とりあえず話はここで一旦終了だ。ここから先、食事中に君がどんなことを失敗しても、私達はそのことについて一切咎めないし、指摘もしないし、小言も言わないと約束しよう。気楽に食事を楽しんで良い」


 伯爵はそう告げた。


「本当ですか?」


「ああ。一切言わない。私も言わないし、バーバラも言わない」


「私も言わないとお約束しましょう」



 伯爵夫妻はリリーに約束したが、声に出して咎めたり、指摘したり、小言は言わないだけで、リリーの失敗について内心どう思うのかは自由だ。


 しかもは言わないだけで、食事後、話をする時間には言うつもりでいる。


 先程、たった一つの失敗で伯爵夫妻からこうも色々言われたリリーは、これから先の食事は何も言われないと約束が成立し、気が楽になった。



 こうして、一時的に中断されていた食事が再開された。


 前菜のオードブルの次はスープ。


 スープはかぼちゃのポタージュであったが、リリーはスープ用のスプーンを使わず、スープ皿に直接口を付けてズルズルと下品な音を立てて飲む。



 スープの後は白身魚のポワレ。


 これもまた、リリーは粗相をした。


 ポワレを食べている途中に、水を飲みたくなったリリーは一度ナイフとフォークを置いて、水の入ったグラスを手に取り、水を飲む。


 しかし、その時のナイフとフォークの置いた場所が悪かった。


 ポワレの乗っている皿の右側にナイフとフォークを揃えて置いていた。


 この置き方は、もう食べ終わったから下げて良いという給仕へのサインだ。


 ナイフとフォークの置き方でこれは下げて良いと判断した給仕係は、水を飲んでいるリリーを尻目に食べかけのポワレを下げてしまう。


「え!? 何で持って行っちゃうの? まだ全部食べてなかったわよ!?」


 リリーは食べかけで下げられた理由がわからずに混乱する。


「あっ、わかったわ! これはわたしへの意地悪ね!? 全くなんてなっていない給仕係なのよ!」


 理由に気づいたかと思えば、明後日の方向に勘違いした理由だった。



 ポワレの次は口直しのソルベとして桃のソルベが給仕される。


「もうデザートなの? まだ使っていないナイフとフォークが余ってるのに?」


 ここでもお約束のようにリリーは勘違いする。


 この後、肉料理として仔牛のステーキが給仕されたが、リリーはステーキにかかっているソースを飛び散らせていた。



 酷い勘違いと酷いテーブルマナーでの食事は最後、デザートと紅茶で締めくくられる。


 伯爵夫妻が失敗しても指摘しないと約束したので、誰も口に出しては言わなかったが、余りの勘違いの凄まじさとテーブルマナーの酷さに伯爵夫妻とトビーは笑いを堪えるのが大変だった。


 ベンはリリーのテーブルマナーの余りの酷さに半分魂が口から出かかっている。



 こうして波乱に満ちたディナーは終わった。




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