第12話
ベンとリリーがベンの自室で待機しているのと同じ頃。
トーマス伯爵邸内の執務室で、伯爵は万年筆を右手に持ち、頭脳をフル稼働させながら書類の山と戦っていた。
先週、風邪を拗らせて寝込んでしまったせいで、その時に処理する予定だった書類が丸々処理出来ず、予定がずれ込み、回復した今、必死に処理している。
今、伯爵が処理しているのは領地の税収に関する書類で、書面のあちこちに細かい数字が並び、果たしてその数字が本当に記載されている通りに合っているのかその都度計算して確かめる必要があるものである。
これは非常に頭を使う。
ただ書類を読んで内容を確認して、その内容でよければ指定の箇所にパパっと名前をサインするのとは訳が違う。
いくら締め切りまで時間がないと言っても適当にやっつけ仕事で処理するということは絶対に許されない。
伯爵の両肩には領民の生活がのしかかっている。
領民の生活を守る為、伯爵は領主としてしっかりと責任を持って自分の仕事に取り組んでいる。
そんな差し迫った状況の
ノックの音から判断して、執務室に来たのは家令のマークだと伯爵は察した。
伯爵は、今、この必死に書類をしている時にマークが来ることは歓迎していない。
マークは伯爵が忙しいと知っている時は、緊急性が高く、かつ本当にどうすべきか対処に迷うことやどうしても伯爵でなければ対応出来ないもの以外は極力伯爵の手を煩わせないようにしている。
伯爵が忙しい時にマークが執務室に来ることは、彼の手に余るような厄介なことや重大なことが起きたのとほぼ同じだ。
伯爵はこの忙しい時に一体何が起きたのかと内心イライラしながら、とりあえず入室許可を出す。
「旦那様、失礼致します」
「マーク、何か問題事が起きたのか? 悪いが今、立て込んでいて猫の手も借りたい位、本当に忙しい。週末までに処理しなければならない書類が溜まっているんだ。緊急の用件でないなら、後にしてくれ」
「緊急の用件です。ベンお坊ちゃまが新しい婚約者のお嬢さんをこの伯爵邸に連れて来られておりまして……」
「……は? ベンの新しい婚約者だと?」
マークからもたらされた情報に伯爵はそれまで動かしていた万年筆を持った手を止めて不審げに片眉を上げる。
「はい。お名前はリリー・バーンズ伯爵令嬢と名乗っておられました。ベン坊ちゃまと彼女本人が仰ることが本当かどうか定かではありませんが、アデレード様の義妹だと。しかし、アデレード様の義妹だと言う割に質素なワンピース姿でしたから、何か訳ありなのかもしれません」
「私はベンの婚約者をアデレード嬢から他の令嬢に変更した覚えはない。バーバラも私に無断でそんなことをするはずがないし、やらないだろう。……となるとベンが勝手に何かやらかした可能性が高いな」
バーバラとは伯爵の妻である。
「それにアデレード嬢の義妹と言っても、私は会ったこともなければ、バーンズ伯爵やアデレード嬢からそんな話を聞いたこともない。それに、アデレード嬢の誕生日パーティー等でバーンズ伯爵邸には毎年足を運んでいるが、招待客に彼女の義妹なる人物を紹介している場面なんて見たことがない。ホスト側として招待客をもてなしているのは伯爵夫妻とアデレード嬢、それから嫡男だけだった。つまり義妹と言っても、訳ありで表には出せない娘ということになる」
新たに赤ん坊が生まれたり、息子が妻を迎えたり、養子を迎えたりで家族が増えた場合。
大抵、それを名目にしたパーティーを開いたり、元々主催予定だったパーティーで増えた家族の紹介の場を設ける。
新たに迎えた家族の紹介の場を設けないということは、その人物にその家の者として社交はさせず、表舞台には出さないということに他ならない。
だから余程問題がない限りは、パーティー等で人が大勢集まる時に紹介される。
アデレードの婚約者の父という立場から伯爵は、バーンズ伯爵家が主催するパーティーには参加頻度が高いが、その伯爵でも会ったことがないということは、他家でも会ったという者はいないと思われる。
**********
読んでみて、もし面白いと思われましたらフォローや☆、♡で応援して頂けると嬉しいです!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。