第4話

 離れに到着した時のリリーの第一声に対して、彼女を離れまで案内していた家令は何の感情も感じさせない声色で冷静に淡々と告げる。


「離れに住まわせることが、あなたの正しい境遇です。養子縁組の手続きをする際、旦那様がご説明した通り、あなたは旦那様の実子同然の養子になったのではなく、形だけの伯爵令嬢であり、いずれ養子縁組は解消されます。我々伯爵家の使用人にとっても、バーンズ伯爵家のお嬢様と若様はアデレード様とウィリアム様だけで、あなたは違う。同列に扱うことは致しません」


「え……? 何で? 私も伯爵令嬢よ? 大きな屋敷でお嬢様として使用人にお世話されながら幸せに暮らす権利があるはずよ!」


 リリーは本気でわかっていなかった。


 いや、わからないふりをした。


 ここはわからないふりをして、強引に押し切る場面。


 押し切ったら此方のものだと思っているのだ。



「いくらこの境遇に不満を訴えても私が旦那様にそれをお伝えすることはありません。三食付きで労働をせず暮らせる生活が送れるだけで十分ではないですか。スラム街にいる孤児達や花街にいる浮浪児達を思い浮かべなさい。両親がいない子なんて珍しくもない。そういう子達は周りの子と結託している場合もありますが、時に人を騙したり、盗みを働いたりしながらも自力で生活しています。それに比べたらあなたの境遇は十分に恵まれていると思いませんか?」



 平民で両親がいないというのは珍しい話ではない。


 両親が亡くなっていなくても貧しさ故に家から追い出され、スラム街に流れ着いた子もいれば、花街で娼婦が客の子を孕んでしまい、堕胎出来ずに出産したが、子を抱えたままでは娼婦の仕事が出来ないと捨てられた子もいる。


 挙げればキリがない。


 現実にいるそのような境遇の子供からしたら、貴族階級の人物と養子縁組して、離れで三食保証される生活など十分過ぎる待遇だ。



「それにあなたは旦那様にこう言いましたよね? 両親が亡くなったので生活の面倒を見て欲しい、と。旦那様は承諾してあなたの望みを叶えました。あなたも贅沢な暮らしをさせて欲しいとは言っていなかったし、誰も一言もあなたに”贅沢な暮らしをさせよう”とは言っていません」


「でもここは伯爵家よね? あんなに立派なお屋敷があるんだからお金だっていっぱいあるはず。わたしの為にお金をかけてくれてもいいんじゃない?」


「伯爵家は領民の為に働いています。その対価としての贅沢です。あなたみたいに何もしないのに贅沢だけはしたい。貴族社会でそんな甘いことは許されません。お嬢様と若様も、領地の為に行動しています。……まぁ、離れでの生活がお嫌なら出て行ってもらって構いませんよ? 旦那様はいつでもあなたと養子縁組を解消し、出て行かせることが出来る。それを努々ゆめゆめお忘れにならぬよう」


 この後、本邸に戻った家令によってこの一連のやり取りは全て伯爵の知るところとなる。



***


 家令がリリーにかなり厳しめに釘を刺したにもかかわらず、リリーの思考は変わらなかった。


 離れで彼女の世話兼監視役のメイドに事ある毎に”綺麗で可愛いドレスが着たい”、”貴族が食べるようなフルコースの料理を食べたい”、”大きな宝石のついたアクセサリーが欲しい”、”寝る前にマッサージをして欲しい”、”着替えを手伝って欲しい”というようなお願いを口にした。



 離れで働いているメイドは料理と洗濯、掃除のみの担当で、この三つ以外のことをリリーから要求されても聞かなくてよいことになっている。


 屋敷の手入れという面からこの三つだけは世話をすることになったのだ。


 本来であればリリーにやらせるのが筋であるが、彼女がやらなかった場合、離れが汚れて使えなくなってしまう。


 だから最初からメイドがすることになったのだ。


 また、洗濯に関しては、本邸の方に洗い場と干す場所があるので、そこでまとめてするようになっている。


 洗濯を口実にリリーが本邸付近をうろうろしないようにしなければならないので、洗濯も免除する。



 ただし、例えば料理に関してならば何でも言うことを聞くという訳ではない。


 ”貴族が食べるようなフルコースの料理を食べたい”というような要求は聞かなくてもよい。


 因みにドレスや宝石が欲しいという要求は、リリーは伯爵にお願いするようメイドに言うものの、報告書にこのような要求をされたと記載されるだけで、彼女の要求を通すよう伯爵に働きかけることは勿論ない。



 リリーは離れで過ごすことは気に食わない様子だが、たとえ離れであっても自分の世話をする使用人がいるという生活は非常に気に入ったらしく、あれこれとお嬢様ぶって命令する。


 その時のリリーの表情はニヤニヤと気持ちの悪い笑顔で笑っている。


 メイドが自分の命令に従わない時は、”あんたなんかクビよ!”という癇癪を起こした令嬢が言うお決まりみたいな台詞を吐くが、そもそもメイドの雇い主は伯爵であって、居候にすぎないリリーに伯爵家のメイドをクビにする権限はない。


 だからメイドも小娘が喚いているだけだと相手にしない。


 伯爵がメイドからの報告で日々リリーの言動に付き合わされている彼女達の心労を察し、月毎の給金とは別に特別に給金を支払うことにしたのは余談である。



 そして、リリーがやって来て約三ヶ月後、とある転機が訪れる。



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