霧の街の少年

@haruakimomo

第1話

−霧の街の少年−


(出てきなさいアレク)

遠くから、昏く響く声が聞こえる。

慣れ親しんだ声だけど、思わず足を止めてしまう。

足元に漂うその空気はまるで重い霧のようだ。


(どうしたの、アレク?

出てきなさい、そして私の言うことを聞くのよ)


冷たく支配的なその響きに、僕の足は動かない。

いや動かしたくない。


じりじりと後ろに下がりたくなる。


(何をしているのアレク、

こちらに来るのよ、アレク、アレク…!)


胸に湧き上がる重苦しい塊を感じながら、僕はただ後ろにゆっくりと駆け出したーー。




「随分と時間がかかるんだな」

背後からの男の声に、僕ははっと目を開ける。

狭い、宿屋の一室が視界に広がる。

そう、ここは、町外れの小さな宿屋だ。

後ろに立っているのはダグラス警部補。

愛想がなく、いつも不機嫌だが、職務には真っ当な真面目な50代のおっさんだ。

いつも使い古されたコートやシミだらけのズボン着て

どうみても出世などには縁も興味も無さそうだが、自分の正義にだけは筋を通そうとする強い意志は目の光に浮かんでいる。

だからこそ、僕のような何の後ろ盾もない浮浪者同然の男の力でも使うのだ。

それが彼の使命に少しでも役立つのならば。



「すみません、ちょっと集中するのに時間がかかってしまって」

目を合わせないまま振り返り、適当な嘘を付く。

本当は目の前の少女の姿にフラッシュバックが起きただけなのだけれど。


そう、彼女が今回の僕のクライアントだ。

と言っても僕には医師の資格も何もない。

ただ僕が「視る」相手を便宜上、そう言っているだけだ。


それにしても、と僕は目の前の少女の表情を見て思う。

何て生気のない顔をしているのだろう、と。

顔の造りだけ言えば、綺麗な顔をしていると言えるだろう。

クラスでも上から数えて5番目には入るのではないだろうか?

だけどその表情が全てを台無しにしている。

乾いた、硬い顔つき。

眉間には少しシワが寄り、

生気はない。

美しくても、近寄るのは少し躊躇われるという感じだ。


無理もない、彼女は凄惨な虐めを受けていたのだから。

学校に行くのは彼女にとって絶望しかなかっただろう。

クラスにいる女王【クイーン】に目をつけられた彼女は、

ただだた日々を疎まれ、蔑まれ、聞くに堪えないひどいストレスのはけ口にされていた。


だから彼女の悩みを解決することは僕にはできない。

それは彼女の両親や友人、学校の先生がすることだろう。


僕がするのは、彼女が何を見たか、を知ることだけだ。

心を閉ざし、会話どころか意識すら回復しなくなった彼女が、

なぜ、クラスメイトたちを「めった刺し」にしたのか?

その理由を知ることが僕に求められた役目だ。



「では、今から『入ります』」

僕は短く行った。

警部補は不機嫌を隠そうともせず頷いた。

彼もいつものことで慣れている。

僕は少女の額に左手を当てると、自分の額にもう片方の手で触れ、

彼女の中へと沈んでいった。








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