あ
睡田止企
第1話
タブレットの画面は一面「あ」という文字で埋め尽くされていた。
「……なんですか、これ」
僕は、目の前でタブレットを僕に見せる吉住先生に質問した。
吉住先生は、白髪で小太りの数学教師だ。生徒によって態度を変え、不良にはヘコヘコするし、僕のような大人しい生徒には高圧的なことが多い。僕はあまり吉住先生が好きではなかった。周りの友達も好きではないと言っていた。
「なんだと思う?」
先生は怒気を含んだ声で言った。
「えっと、ゲシュタルト崩壊のテストですか?」
ゲシュタルト崩壊は、同じ文字をいくつも見ているとその文字の形が合っているのか分からなくなる現象のことだ。
「違う」
苛立った様子で先生は言った。
「なんですか?」
「反省文だ」
「反省文?」
タブレット画面は「あ」という文字で埋め尽くされている。反省もしていなければ、文ですらない。
「そうだ、自分のタブレットを忘れて、一時貸し出しタブレットを借りたことに対する反省文だ」
「これがですか?」
「そうだ」
「誰が書いた反省文なんですか?」
「誰だと思う?」
先生は苛立った様子のまま言った。先生の態度に、僕もだんだんと苛立ってきた。
「知りませんよ、誰なんですか?」
「……分からないんだよ」
「は?」
「誰が書いた反省文か分からないんだ」
生徒一人一人が持っているタブレットには生徒を判別する学内番号が登録されてる。
しかし、一時貸し出しタブレットには、学内番号が登録されていない。貸し出し時には、貸し出しを行う教員が学内番号を登録する必要があった。
先生は、その登録を忘れてしまったらしい。
結果、一時貸し出しタブレットから送信された反省文は、誰が書いたものか分からなくなっていた。
「そもそも、なんで学内番号なしでも使用できるんだ。提出物があるんだから、学内番号なしだと使用できないようにするべきだろ」
一時貸し出しタブレットは、自分のタブレットを忘れた生徒への貸し出し以外にも使用されている。学校説明会のデモ授業でも使用されており、その際には同じタブレットを何人もで使い回すので学内番号を入れなくても使用できるようになっている。
入学前に学校説明会に参加していた僕は知っているが、先生はそれを知らないようだった。ただ、そのことを指摘すると会話が長引きそうだったので話を急いだ。
「反省文誰に書かせたか覚えてないんですか?」
「覚えてるとも。ただ、その日は三人も忘れて来たからな」
「三人?」
「そうだ。それで、副委員長のお前に聞きたいんだ。こんなふざけたことを三人の中の誰がしそうかを」
「僕じゃなくて、その三人に直接確認すればいいじゃないですか」
「……その三人不良なんだよ。だから副委員長のお前に聞いているんだ」
先生は、少し弱気になった感じで言った。
「なんで副委員長の僕なんですか? 委員長に確認すればいいじゃないですか」
「委員長もなぁ……。ちょっと怖いだろ」
大人しい生徒にしか話しかけられないのはどうかと思う。
僕の引いている顔に、先生が気づく。
「とにかく、その三人。えーと、斎藤、村田、橋本の誰がしそうだ?」
「……その三人だと、全員しそうですね」
先生は頭を抱えた。
「これが、全員分の反省文だ」
先生は、そう言ってタブレットを差し出した。三つのファイルが表示されている。ファイルのタイトルは反省文の後ろに送信日時の数字が付いた文字列だった。
「これ、先生以外、見ちゃダメなんじゃないですか?」
「仕方ないだろ。全員ふざけた反省文書きそうなら、他の反省文の内容から消去法で犯人見つけ出すしかないんだから」
「そうですか」
一つ目のファイルを開く。
ゲームをしていて夜更かししていたため、朝起きるのが遅くなり、急いで家を出たためにタブレットを家に忘れてしまったという内容だった。内容は普通の反省文のようだが、改行が不自然に多いのが気になった。
二つ目のファイルを開く。
部活を夜遅くまでしていて、家に帰ってすぐに寝たため、タブレットの充電ができておらず、朝、家で充電したまま登校してしまったという内容だった。内容は普通の反省文のようだが、誤字が多いのが気になった。「家に帰ると」が「家に変えると」になっていたり、「体力」が「休力」になっていたり。
三つ目のファイルを開く。
「あ」が画面を埋め尽くした。
「誰がどれを書いたか分かったか?」
「これだけではどうにも……。三人に貸し出しているタブレットの予測変換を確認すればどうですか? 反省文の内容が予測変換で出て来たら誰が書いたか分かるんじゃないですか?」
「この反省文書かせたのは、結構前で今日じゃない。タブレットは回収済みだし、入力データとか履歴は誰かが使い終わると初期化してるから、予測変換も消えてるよ」
僕が説明会でデモ授業を受けたときは、貸し出しタブレットの予測変換は前に使用された内容が残っていた。予測変換に下ネタばかりが表示され驚いて先生に報告した記憶がある。それが原因で初期化するようになったのかもしれない。
「そうですか。「あ」だけの反省文の提出が一番遅いみたいなんですけど、先生は、その点に心当たりはないんですか?」
「だから、結構前なんだよ、書かせたの。先週の月曜だったな、確か。だから、あんまり覚えてないが」
先生はしばらく目を瞑って考えて、何かを思い出した様子で目を開けた。
「そう言えば、村田のタブレットを久保が取り上げてなんかいじってたな。それで書くのが遅くなったのか」
「それだけだと、確定はできないですね」
「そうだな、他の二人についてはどんな感じだったか覚えてないしな。三人のゲームとか部活とかの情報は何か分からないのか?」
「三人とも分かりますよ」
斎藤四郎。
ゲームは好きらしい。遊ぶグループが違うので聞いただけだが、そのグループ内ではどのゲームも一番にクリアするらしい。
部活は茶道部。茶道には興味はないが、彼女が茶道部なので入部したらしい。
先生は不良といっていたがそんなことはない。ただ、髪は金色に染めていた。ピアスも開いている。
村田司。
ゲームはあまりしないらしい。親が厳しいと言っていた。
部活はバスケ部。クラス内カーストは高いが、部活内カーストは低く、同じ部活の久保によくいじられている。この間も、久保にタブレットのユーザー辞書に色々な言葉を登録され、「よろしく」を変換すると「夜露死苦」になるようにされていた。感想文で「夜露死苦」と変換して提出してしまい怒られていた。
先生は体育会系のノリが不良に見えたのかもしれないが、普通の生徒だと思う。
橋本直樹。
ゲーム好き。僕もよく一緒に遊ぶ。基本的にはMMOを遊んでいる。最近増えた追加コンテンツも追加されたその日に一緒にクリアした。
部活は将棋部。僕も同じ将棋部だ。将棋部はあまり熱心に活動していない。部室は茶道部と共同で使用している。月水金が将棋部、火木が茶道部。
至って普通の生徒だが、身長は180cm近いため、威圧感はあるかもしれない。
ふと気がついたことがあり、一つ目と二つ目の反省文を読み直す。
「分かりましたよ」
「え?」
「この「あ」だけの反省文を書いたのが誰なのか分かりました」
「まず、一つ目のゲームで夜更かししてタブレットを忘れた反省文。これを書いたのは、橋本です」
「なんで、分かるんだ」
「これについては、簡単です。反省文が書かれる前の日に僕は橋本とゲームをしていました」
「他の奴がゲームしてた可能性もあるだろ」
「そうですね、ただ、友達だから分かりますが、この文章は橋本の書き方です。」
実際には、橋本の書いた文章を読んだことはない。
なぜ、橋本が書いたと分かったかというと、不自然な改行が気になって眺めていると縦読みを見つけたからだ。文章の頭文字が「ムラサキゲキハ」となっていた。橋本と倒した追加コンテンツのボスキャラは、既存のボスキャラと攻撃パターンが異なる色違いの紫色のボスキャラだった。
もちろん、先生に、橋本がふざけて反省文で縦読みをしていたことは言わない。わざわざ友達の悪事を言う必要はない。
「確かに、文章に特徴はあったな」
「はい」
タブレットに表示されている反省文を、一つ目から二つ目に切り替える。
「二つ目の部活で疲れてタブレットを忘れた反省文。これを書いたのは、村田です」
「そう思う理由は?」
「反省文が書かれる前日は日曜日です。三人の中で部活を日曜日にしているのは村田だけです」
実は、二つ目の反省文を書いたのが村田だと思う根拠がもう一つある。
誤変換だ。
「いえにかえる」を「家に変える」と誤変換することはあるが、「たいりょく」を「休力」と誤変換することはない。
おそらく、久保が「たいりょく」をユーザー辞書で「休力」と登録していたのだ。貸し出しタブレットは使用のたびに初期化される。直前にユーザー辞書に細工されたとしか考えられない。久保は、村田に貸し出されたタブレットをいじっていたそうだし、間違いないと思う。
もちろん、これも先生には言わない。久保は友達ではないが、告げ口をすると怒られそうだから。
「なるほど。つまり、あのふざけた反省文を書いたのは、斎藤か」
「そうなりますね」
先生は教室を見回した。斎藤の金髪はよく目立つ。先生は斎藤を見つけたようだった。
「……まあ、誰がやったか分かってスッキリしたから、叱らなくてもいいか」
先生は、斉藤の金髪にビビったようだった。
「ありがとな、名探偵」
そう言って、先生は教室を後にした。
「お前、名探偵なん?」
先生が去った後、後ろから声をかけられた。橋本だった。
「いや、なんか勝手に言ってった。別に僕は名探偵じゃないよ」
「訳わかんねえよな、あのおっさん。何話してたん?」
「タブレット忘れの反省文がどうのこうのって話」
「あぁ、俺も書かされたわ。つっても、全部、あああああ、って書いただけだけど」
「え」
「え、何」
そういえば、斎藤もゲームが好きで、グループ内で一番にクリアするらしい。僕たちと同じゲームをしていれば、ボスキャラを追加日にクリアしていてもおかしくない。
「……別に僕は名探偵じゃないよ」
と、名探偵ではない僕は言った。
「……知ってるけど」
と、犯人の橋本は言った。
あ 睡田止企 @suida
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます