第6章 海浜都市レオーネ編 第4話(3)
「クランツ。少し一人にしてくれないか。日没までには宿に戻るから」
集会が終わった後、聖堂を出たクランツはクラウディアにそう言われ、彼女と一旦別れた。エメリアに彼女の傍についているよう言われてはいたが、一人になりたいという今の彼女の気持ちを汲むのは、そう難儀なものではなかった。時には心の整理も必要だ。
さすがに例の夜盗も、白昼の間から町を襲いはしないだろう。逆を言えば、夜になれば油断のならない状況になるということだったが。
そういうわけで、クランツは昼日中のレオーネで一人になってしまった。行動を共にする仲間は一人もおらず、この町には知人もいない。自警団員としての仕事に向かう手ならあるが、クラウディアが深刻な状態にある以上、どうもそちらにも向かいにくい。
(セリナ、元気かな……ルベールとうまくやれてるといいけど)
手持無沙汰の思考の中、今は隣にいない仲間のことを茫漠と思い始めたクランツは、ふと、何の気なしに見上げていた空から、何かが舞い降りてくるのを見つけた。空から舞い降りてきた光色のそれは、風のようにクランツの周りを回ると、クランツの肩に停まった。
「……鳥?」
それは、虹のように色を変える不思議な光を纏った、一羽の小鳥だった。やけに懐っこいなと不思議に思いながら、クランツは何の気なしに肩に停まったその鳥の翼に触れる。
瞬間――脳裏にある一つの鮮烈なイメージが閃き、脳随に直接響くように、声が聞こえた。
『《クランツ君? シャルだけど……今、時間大丈夫かしら?》』
「え……」
起こったことを、クランツは数瞬の後に理解して――急ぎ聖塔へと向かった。
「わざわざ呼び出してしまってごめんなさいね。どうしても、君とは話しておきたくて」
二度目の聖塔の展望台、お茶を淹れるシャーリィの前で、クランツは緊張に身を固めていた。あの後、シャーリィの意思を伝達できるという小鳥を通じて、聖塔に呼び出されたのだ。クラウディアのことについて話しておきたいことがある、と言われて。
緊張の原因は主にそれだった。エメリアの指摘を思い出すまでもなく、今のクラウディアが追い詰められているというのは火を見るよりも明らかだ。彼女について、この聖女はただのお付きでしかない自分に、どんな話があるというのだろうか。
おもむろに出されたお茶に口を付けた所で、テーブルの対岸正面に腰掛けたシャーリィが、その肩に虹色の光を纏う小鳥を遊ばせながら、ふいに口を切った。
「クランツ君。クラウディアのこと、愛してるって言える?」
クランツは飲みかけのお茶を喉に引っ掛けてむせた。シャーリィはそれを面白がる様子を見せながら、思いのほか真剣そうな目でクランツを見据えている。
どうやら冗談ではないらしい――そう目測をつけたクランツの様子を見て、シャーリィは満足げに笑み、クランツの置いたカップに霊茶を注ぎ足しながら言った。
「本当にそう思っているなら、いつか言ってあげてね。あの子を一人にしたくないなら」
何か事情を知る様子のシャーリィの物言いに、クランツは思わずむっとする。
思えば初めて会った時からこうだ。彼女は、こちらの知らない何かの事情を知っている。それも、彼女に――クラウディアに関することを。こちらが彼女に好意を寄せていることまで知っていて、それを隠したままにしている。やりづらいと感じていたのはそのせいだ。
せっかく二人しかいないんだし、この際だから聞けるだけ聞いてやろう――そう、クランツは意気込む。それを先読みしたかのように、シャーリィが口を開いた。
「ねえ、クランツ君。あなた、あの子の――クラウディアの過去を、どこまで知っている?」
「過去……ですか?」
限定された質問に、クランツは面食らいながらも思考を整理し、答えた。
「たぶん、あまり詳しくは知らないですけど……彼女が、住んでいた村を焼き討ちに遭って、仲間と離れ離れになったことくらいまでは」
その時の仲間が今の《十二使徒》だ、ということも心の中で付け加えながら答えるクランツに、シャーリィは重ねるように訊いた。
「そう……それじゃあ、あの子のお母さんのことについては、何か知っていて?」
「クラウディアの……お母さん?」
その質問に、今度こそクランツは答えに迷う。かつて、彼女の母親について知ることができたことが何かあったろうか――記憶を全て洗って、クランツはどうにかこれだけ答えた。
「ほとんど知らないですけど……カルデニア霊谷でフレーネさんが少しだけ話してたのを聞いたことがあります。飲み比べをするといつも負けてしまうとか、……魔女と人間の間の溝を埋めようとして戦って、最後には『魔女狩り』に巻き込まれて死んでしまったとか」
「あら……結構知ってるのね。なら、こっちも話がしやすいかしら」
得心したように頷くと、シャーリィは昔を懐かしむような目をして語り出した。
「あれはもう二十一年前になるかしら。あの子――クラウディアはまだ六つかそこらでね。あなたはまだ生まれてもいなかったでしょうけれど……その年、あの子は両親を亡くしたの。あなたがフレーネから聞いた通り、魔女の人権を守ろうとしていた戦いの最中で、あの子と、あの子の住んでいた村の人達を守ろうとして、ね」
「六つ……」
語られ始めた彼女の過去の始まりに、クランツは全身の毛が騒然となるのを感じる。自分が彼女に助けられたのは九つの時だ。時期にしてもその後の年数にしても、自分と比べても遥かに長い。その上、おそらく自分などとは比べ物にならないくらい、その過去は、重い。
「当時、ろくに歯止めもかからない状態だった戦軍派の人達と、魔女の人権を擁護していたセレニア達との緊張状態が高まっていてね。それがあの『魔女狩り』の日に決壊してしまったの。あの日、天に昇った火柱のことを憶えている人は、今でもいるんじゃないかしら」
果たして、クランツの知らなかった彼女の過去を、シャーリィは話し始めてくれた。
「両親を亡くし、住む場所を追われたあの子は、私達と同じ《六星の巫女》の一人、ゼノヴィアに身柄を預けられて、彼女の作っていた小さな村に引き取られた。それが『魔女の村落』ゼノヴィス村。そこが、あの子にとって第二の故郷になった。あの子はそこで、同じ身寄りのない魔女の血を引く子供達と共に育った。……九年間ね」
シャーリィの言葉に影が混じったのを、クランツは見逃さなかった。
「その年に……焼き討ちがあったんですね」
「下手人の身元は定かではないと言われているけれど、大方その前の時の残党が魔女の残党である子供達に目を付けたんでしょう。遺恨は結局、消えていなかったのよ」
クランツの言葉に、シャーリィは影を帯びた表情で頷いた。
「結果的に、あの子が住んでいた村は二つとも、それぞれ別の形で焼け跡になって消滅した。王国の恥を記す場所だけれど、今ではもう、憶えている人の方が少ないのかもしれないわね」
慨嘆のような響きで呟き、シャーリィは言葉を続けた。
「それが、あの子の二度目の喪失。その後、ゼノヴィアは行方をくらましたけれど……彼女が失意に沈んだりするような女じゃないことくらい、ちょっと考えればわかったでしょうにね。自分の愚鈍さに嫌気がしそう。本当に……あの夜盗の子の言った通りだったわ」
「何か、言われたんですか」
「ええ。ゼノヴィアもセレニアも助けようとしなかったくせに、大層な口を利くなってね。言い逃れのしようもないくらい、真っ当な言葉だと思ったわ。私に、あの子達を裁く資格なんてない。それはきっと、あの子達の傷を理解しない全ての人がそうでしょうね」
シャーリィに、クランツは胸の奥に湧き上がる何かに怫然となりながら、訊いていた。
「セレニアさんを助けに行けなかったことには、何か理由があったんですか」
クランツの厳しい声音に、シャーリィは参ったような笑みを浮かべて、答えた。
「あの暴動が始まった時、彼女に間に合うほど近くにいられたのは、その動きを事前に察知していたゼノヴィアだけだった。私達が事情を知った時には既に事は終わっていて、駆けつけようにも人里離れたあの村から遠く離れた地で柱を守っていた私達はもう遅かった」
「でも……事前の動向を察知したりはできなかったんですか」
「できなかったわけがないわ。彼女と対抗勢力の間の緊張状態が高まりつつあるのは誰もが知る所だった。結末の火蓋が切られるのを、私達は見過ごしてしまった……それだけよ。その時、当時の王様と私達六星はようやく有効な抑止力になる宣言を出せたのだけれど……あの子の命が落とされて初めてようやく行動を起こせるなんて、何もかも遅すぎたのよ。しかも、その宣言が出された後年、その焼き討ちが起きた……私達は結局、セレニアの守ろうとしたものを、何一つ守ることもできなかったのよ」
零すように語るシャーリィの微笑は、悲痛が滲むような色をしていた。
「責められて然るべきだと、今でも思っているわ。こんな一角の町に籠って、聖女なんて仕事をしている自分を、今でも時々呪いたくなる。大切な友人を救けにもいかなかった女よ。それが、世の人を導く聖女だなんて……悪い冗談みたいでしょう?」
「シャーリィさん……」
クランツに酷薄な笑みを返し、シャーリィは、深淵を覗きこむような声音で語る。
「あの子達に傷を負わせて、こんな復讐に駆り立ててしまったのは、他ならない私達――あの子達の傷に責任を取ろうとしてこなかった私達だから。あの子達の負った傷に対して、誠実な形での償いを果たさない限り、あの子達の傷は埋められない。そして、あの子の――セレニアの願った、魔女と人間の間の確執も、このままではいつまで経っても埋まらない」
そこまで言うとシャーリィは顔を上げ、クランツ君、と笑みを浮かべてクランツを見た。
「あなたが集会で言ってくれたことは、それを皆に気付かせようとしてくれたわ。誰も今や自覚すらしていなかった問題を、あなたは明るみに出してくれた。こんな資格がないことはわかっているけれど……セレニアのかつての友人として、お礼を言わせてちょうだい」
シャーリィの言葉に、クランツは素直に喜べなかった。彼女の、そしてクラウディアと、それにまつわる全ての人が関わっている問題の大きさを、知ってしまったから。
きっと、彼女――クラウディアの過去に関わる人は、誰もが傷を負っているのだろう。彼女の母親を救えなかった六星の巫女達、二度に渡り故郷と仲間を奪われたクラウディア、そしてそれらへの復讐に走るしかなかった十二使徒達と、六星の巫女ゼノヴィア。
彼女達の傷は、この王国が抱える傷とも言え、またその構造と酷似している。クラウディアの母セレニアが願い、最期までそのために戦ったという、魔女と人間との間の軋轢の問題。そして、彼女の落とした命を以てしてもなお、それが人の心にあり続ける現実。
クランツはここに理解する。彼女の――クラウディアの傷を癒すということは、この国の抱え続けてきたその問いを根底から紐解き、それに相応しい答えを示すことができない限り、決して解消されないということを。
それは、果てしなく壮大にして遠望な道であるように思われた。
それでも……クランツの決意は、揺らぐことはなかった。
大切な人が抱える苦悩がどれほどのものでも、背負えなければ何が愛だろうと。
クランツの至ったその答えを見取ったのか、シャーリィは試すように言った。
「クランツ君。あなたは、あの子の全てを背負える? 何があってもあの子をもう二度と独りにしないって、もう何度もその痛みを味わってきたあの子に、あなたは約束できる?」
シャーリィの言葉にクランツは一瞬の逡巡を斬り捨てて、シャーリィに向き直る。
どれだけ愛する人でも、全てを背負うことは難しい。彼女の過去も傷も、全てを自分の力で癒せるかはわからない。それでも、ここで弱音を吐くわけには、絶対にいかなかった。
「背負います。彼女が望むなら、過去でも傷でも痛みでも何だって。何があっても、彼女にそんな痛みをこれ以上味わわせたくない。僕は、そのために生きるって、決めてますから」
それは、今さら問い直すまでもない、クランツの本心だった。元から彼の中にあったその意志は、これまでのクラウディアや自分を取り巻く人々との経験の中で、そして今シャーリィから聞かされた彼女の抱える過去を知ったことで、今までよりも強靭になっていた。
たとえ、どんな困難が立ちはだかったとしても、自分は彼女と共に生きると誓うだろう。彼女に救われたこの命に、他に理屈も望みもありはしない。彼女が救いを求めているというのなら尚更だ。自分は全てを擲ってでも、彼女を救けなければならない。
ならば今、彼女を助けるために、彼女を混迷の淵から救うために、自分に何ができるのか。考えた末に見えた答えに背中を押されるように、クランツは席を立った。
「シャーリィさん。いろいろ聞かせてくれてありがとうございました。もう、行きます」
「そう……少し待って。そこまでの覚悟なら、応援するわ。あなたに力をあげる」
背を向けて立ち去ろうとするクランツを、シャーリィは引き留めた。
「クランツ君。あなた、『蓄魔の器』のような物を持っていない?」
「蓄魔の器?」
「魔力を溜めておける壺のような物よ。魔道具か魔導器でもよいのだけれど」
「ああ……そういうことなら」
理解したクランツは、腰元のポーチから天意盤を取り出した。シャーリィはそれを興味深そうにまじまじと眺めると、不思議そうに言った。
「自分で言っておいて何だけれど……これは人が作った魔導器?」
「王都のオルガノ博士が作ってくれた魔導器です。一つの魔導器でいろんな魔法が使えるようになる物の試作品だそうですけど」
「そうなの……蓄魔の器を再現するなんて、やっぱり人の創造力は侮れないわね」
「あの……逆にその『蓄魔の器』って何なんですか?」
「王国の創世期に存在していたって言われる魔道具の一種でね。文字通り、魔力を中に溜めておくための壺だったそうよ。霊酒や魔石を作る時に重宝したそうだけど」
「そうなんですか……でも、何で僕が蓄魔の器を持ってることを知ってたんですか?」
「うーん、勘かな。ただ、あなたが聖塔での集会で魔威みたいな魔力の波動を起こしたことは知っていたから。普通の人間には使えないはずのものだし、もしかしたらと思ってね。……っとと、脱線しちゃった。クランツ君、それを貸してくれる?」
言われた通りクランツが差し出した天意盤の中心にある核魔石に、シャーリィはすっと白い両手を重ね、精神を集中させる。意識を集中させる彼女の体から翠色の魔光が溢れ出し、靄のようなそれはシャーリィの腕から掌に伝わり、かざされた天意盤の核石に流れ込んだ。
魔力を注ぎ込まれた天意盤の核石が翠玉のような光を放つのを見て、シャーリィは、ふう、と一息を吐くと、クランツに天意盤を返しながら言った。
「ネールのお茶のお礼。ほんの少しだけど、力の足しにしてちょうだい。それがあれば、きっとこの子もあなたの言うことを聞いてくれるはずよ」
「この子、って、うわっと⁉」
シャーリィの言葉に反応するように、彼女の肩にいた小鳥がその肩を離れ、クランツの肩へと飛び移り、頬を摺り寄せてきた。突如襲ってきた羽毛の感触に気が動転するクランツに、シャーリィが試すような眼を向けながら言った。
「クランツ君。答えは、見えた?」
シャーリィの試すような問いに、クランツは迷いを振り切るように頷いた。
「今は今、僕にできることをします。――答えならもう、とっくに見えてますから」
笑みを浮かべて決然と返し、クランツは振り返ると、展望台を降りて行った。
後に残されたシャーリィは、小さく溜め息を吐くと、影の差していた顔を展望台の外に向け、テラスの向こうに見える青い海を霞む目で眺めながら、去った少年のことを思った。
(本当に、真っ直ぐなのね。今のあの子に必要なのは、ああいう子だったりするのかしら)
なぜ、クラウディアがあの少年のことを信じているのか、本人程にはわからない。
ただ、彼は信じてみたくなるものを持っている――シャーリィは実感としてそう思った。
クラウディアのことだけを一心に想い続ける彼なら、いずれ、彼女を救ける過程で、彼女にまつわるこの王国の軋轢すらも、大きく覆してしまうかもしれない。そんな底知れなさを、シャーリィはあの未熟ながらも一途な、若さの溢れる少年に感じた。
(人の若さをうらやむなんて、私ももう年ってことかしらね)
軽く自嘲するように苦笑しつつ、一方で、だから、とシャーリィは思う。
あの少年がクラウディアの救いになれる人間だとしたら――決壊点はすぐそこにあるのかもしれない、と。
その一線を越えられた時――きっと、全てが大きく動き出す。そんな予感がする。
(クランツ君……お願い。どうか、彼女の支えになってあげて)
祈るように願いを呟くシャーリィの傍らで、虹色に輝く小鳥が首を傾げていた。
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