第6章 海浜都市レオーネ編 第1話(2)

 レオーネの街門を潜り、送ってきてくれた御者に礼を言って馬車を降りると、眩しい夏場の日光が降り注いで、クランツは思わず手で庇を作り、輝く太陽の光を遮った。

 レオーネの町は、まるで光を町にしているかのように白かった。建物を作っている石も、薄い乳白色の石で敷かれた舗装路も、みな降り注ぐ日光を高め合っているかのように輝いている。風に乗って訪れる潮と光のふくよかな匂いが鼻腔をくすぐり、町中に広がる明るい雰囲気が心を浮き立たせるのが感じられた。こんな場所に来れば、大抵の悩みはあっという間に潮風と陽射しの明るさに洗い流されてしまうだろう、とクランツは感じた。

 街路で陽の光と潮風を浴びながら語らい歩く陽気な人々の様子も、その印象に拍車をかけた。しかも、何やら町全体がそれにもまして浮足立っているような明るい空気が、その日のレオーネの白い町には広がっていた。

(明るい町だな……それに何だか賑やかだし。ここでも何か、お祭りでもあるのかな?)

 心を照らされるようなレオーネの町の光景に目を奪われていたクランツは、ふと、不穏な空気を感じ取って、隣に立つクラウディアに視線を向けた。

 クラウディアは、何やら固い表情をしていた。これまでに見てきたどんな表情とも違う、恐怖でも、緊張でもない、けれどどこか心に根を下ろしているような、固い表情。

 その時のクランツには、クラウディアの表情を固くさせているその理由を読み取ることができなかった。そして、先程言ったそばから彼女のそうした部分に触れられないことを悔しく思っていた。

 エメリアなら何か知っているかもしれない、と思って何気なくエメリアの方に目を向けたクランツは、

「むぅぅぅぅ…………」

 何やらこれまた難しそうな顔をして唸っているエメリアに気が付いた。こちらはそこまで深刻になることなく、クランツは訊ねることができた。

「どうしたの、エメリア?」

「気付きませんか、クランツさん……この町に溢れる幸せオーラを!」

「へっ……」

 訊くが早いが、エメリアはバッと勢いよく振り返り、クランツにずいと寄った。気圧されるクランツに、エメリアはきらきらと瞳を輝かせながら力説するように言った。

「一点のくすみのない建物の壁、心をくすぐる潮の匂いに陽の光、そして手を繋ぎながらキャッキャウフフと歩くカップルさん達! こんなに明るくて幸せが溢れて心躍る町……いいですねぇ。この幸せを振りまく感じ、まるでエメリアちゃんみたいじゃないですか?」

「じゃないですかって……まあ、明るくていい町だと思うけど」

 相変わらずの調子に困惑するクランツに、エメリアはさらに続けた。

「し・か・も、ですよ。エメリアちゃんの勘が正しければ、この町、今日はさらに輪をかけてハッピーな一日な気がしますねぇ。エメリアちゃんの幸せセンサーがビンビンに反応してるんですぅ。もしかするとこれは――」

「あの、エメリア」

「はい? 何でしょうクランツさん?」

 今にも踊り出しそうなほど舞い上がった調子で語っていたエメリアは、クランツの小さな呼びかけにふと気付いて、力説を収めた。どうやらクランツの気にしていることを察してくれたらしい。クランツは彼女のその心遣いに感謝しつつ、口を切った。

「クラウディアが……何だか、表情が硬いんだ。何か、知らない?」

 クランツのその問いに、エメリアは一瞬表情を止めた後、ふと困ったような笑みを見せた。話さなければならないけれど、話すのをためらわれることを話す前のような、そんな表情で、

「ああ、そうでした。クランツさんはご存じありませんでしたね。この町には――きゃん⁉」

「うわっと!」

 話し始めようとしたエメリアに、背後から何かがぶつかり、エメリアは前につんのめって、向かい合っていたクランツの胸に倒れ込んだ。エメリアを抱きとめたクランツの横で、クラウディアがエメリアを突き飛ばした『彼ら』の方を振り向いた。

「痛ったぁ~い……でもクランツさんの胸に飛び込めるなんて幸せ♡」

「君、確信犯だろ……」

 嬉々とほくそ笑むエメリアを立たせ、クランツもクラウディアの向く、その方を見る。

 エメリアの背後から現れたのは、正装らしき白いシャツを着た三人の若い男だった。三人はそれぞれ若気の溢れるような顔立ちや雰囲気を残していたが、馬子にも衣裳というような服装を整えた姿は、まるで式典に行く田舎者のような垢ぬけない出で立ちをしていた。

「痛てて、ごめんよ……おっ、君、かわいいね! よかったら僕達と一緒に来ないかい?」

 エメリアを突き飛ばしてしまった男の内の一人が、謝るかと思いきやエメリアに目を付けたように浮き立った声をかける。悪気の全くない声は、むしろ小気味よくすら聞こえた。クラウディアとクランツが呆気に取られる中、厚顔無恥を通り越してむしろ清々しいほどの彼の明るく筋の通ったナンパな姿勢が、エメリアの小悪魔ハートに火を点ける。

「やぁん、出逢っていきなりおナンパさんですかぁ? いたいけな生娘ちゃんを突然後ろから襲った上にさらっていこうとするなんて。いったいエメリアちゃんをどこに連れて行かれるおつもりなんですかぁ?」

「おっ、ノリがいいね! へへ、今日は何を隠そう、俺達の――」

「待ちなさい、エメリア。それに君達もだ」

 ノリで話を進めようとしていたエメリアを、クラウディアが制止し、厳しい目でエメリアを突き飛ばした若者を含む三人を見据えた。彼女の視線の鋭さに、エメリアに誘いをかけていた青年が射竦められたように表情を固くする。

「突き飛ばした相手に詫びの前に誘いの声をかけるなど、君達は礼儀を弁えないのか。これは風紀の問題だ。レオーネの若者は皆こうだと思われたいわけではないだろう。エメリアも軽い気持ちで応じるんじゃない」

「はぁい、申し訳ありませぇん。ほんのお茶目なラブゲームですよぉ」

「す、すみません……」

 非礼を指摘され縮こまった若者の後ろにいた金髪の若者が、クラウディアに声をかけた。

「でも、そっちの姉ちゃんもメッチャ綺麗っすね。これも何かの縁ってことで、よかったら一緒にどうっす? きっと兄貴も喜びますよ♪」

「な……」

 クラウディアの忠告をまるで聞いていなかったかのような彼の言葉に、クラウディアが驚きと呆れに再度目を丸くした。この若者達の恥を知らないほどの明るさは、もはや厚顔無恥どころか尋常な礼節も通り越している。どうやら彼ら相手にこの女性二人に任せると面倒になりそうだと直感したクランツは、助け舟とばかりに勇気を出して口を開いた。

「あ、あの……皆さんは、これからどこへ行くつもりだったんですか?」

「へへ、聖塔だよ。今日は俺達の兄貴の結婚式――」

 その言葉に、三人の若者の後ろから状況を見守っていた黒髪の若者が、戒めるように言う。

「ラント、ジェフ。じゃれるのはそのあたりにしておけ。急がないと間に合わないぞ」

 その言葉に、二人の若者が手首に巻いてある腕時計を見て、途端に慌て始める。

「へっ? あ、そうだ! やばい! すみません、俺ら急いでるんで!」

「ホントだ! 姉ちゃんに嬢ちゃん、この埋め合わせはまた今度ってことで! んじゃ!」

「あっ……こら、待ちなさい!」

 言うが早いが、三人はクラウディアの制止も振り切って詫びもそこそこに駆け出し、舗装路を駆けて町の中心の方へ走っていった。向かう先にはレオーネの町のシンボルである、天を衝くような白い尖塔がそびえ立っている。

 彼らの後姿を見送りながら、クラウディアが愚痴るように呟いた。

「行ってしまった……何だったんだ、彼らは。レオーネの若者というのはああいうのなのか」

「そうですねぇ。エメリアちゃんが飛びつきたくなるほど可愛いのはわかりますけど、目の前の女の子に出会い頭に飛びつくなんて、この町の男の子は血気盛んなんですねぇ。ふふ、楽しそうな町ですぅ」

「エメリア……お前という子は、もう少し節操というものを――――」

 クラウディアがエメリアに訓戒を垂れようとした時、ふいにレオーネの町に明るい音が響き渡った。高く澄み渡った鐘の音が、先程の彼らが駆けて行った方向――鐘楼の塔の方から聞こえてくる。

 まるで祝福のような高らかな音がレオーネの青く晴れ渡った空に響き渡るのを聞いて、それが何を意味するのか、クラウディア達には先程のこととの関係から想像がついた。それを察したエメリアが、誘うようにクラウディアに声をかける。

「ねえ、お嬢様。塔の方に行ってみません? きっと今あの方達が向かったのって、どう考えてもアレですよぉ。エメリアちゃん見に行きたいですぅ」

 瞳を輝かせるエメリアのねだるような催促に、クラウディアは渋い顔をする。

「エメリア、少しは世間というものを弁えなさい。私達は部外者だぞ。そんな場所によそ者が紛れ込んでは迷惑になるだろう」

「平気ですよぉ。さっきのお兄さん達に誘われたって言っちゃえば、あの人達のことですからきっと喜んで混ぜてくれますって。お嬢様も今後の参考だと思って、ね?」

「だが……」

「ほらほら、早く行きましょぉ。早くしないと幸せの瞬間を見逃しちゃいますよぉ」

 何やら妙に楽しそうなエメリアは、クラウディアの制止を振り切り、浮き立つような足取りで二人の先を導くように走り出した。二人の会話の流れを追い切れていないクランツに、クラウディアは小さな溜め息を吐いた後、クランツに話した。

「クランツ。君は知らないか。この町で、あの『時の鐘』が鳴るのは三つの場合がある。朝昼夜の時間を知らせる時、そして、結婚式と葬式の時だ」

 クラウディアはそう言って、青い天を衝くように立つ尖塔を見上げた。

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