第32話 黒柴再来

「我は来たワン……再びこの地へと」


カランカランと扉を開けてお店に入ってきたのは、とっても黒柴なアヌビス様――のお子様ですか?


「いらっしゃいませ。あの――」

「おお、久しいな実花よ、先日は世話になったワン。あのビール、非常に美味であったぞ」

「はい、ありがとうございます――ってやっぱりアヌビス様ですか!?」


だってアヌビス様って、もさっとした顔立ちではあったけど……仔犬が成犬おとなへの階段を上り始めた、みたいなこんな顔じゃなかったハズ。全身全霊を込めてワシャワシャしたこの両手があの姿形をハッキリと記憶している!


「うむ、それよ。恐らくは……そのビールが我がこの姿となった原因なのワン」


えっビールが、原因? だってアレって日本で普通に売られてた、ちょっとお高めだけど普通のビールですよ? 混入とかだってもちろんある訳が無いし。


「かつてエジプトで捧げられたビールはな、あれ程洗練されたものではなかったのワン」


それはまあ、時代が違いすぎますからね……


「あの当時飲んだビールは非常に原始的なものでな……だがそれでもやはり彼らにとっては特別な飲み物であったのワン。

それ故彼らの間ではビールには若さを保つとか若返る効果があるとか言われておってワン、我に捧げられた際にもその概念がたっぷり込められておったのワン」


あ……

若返りの概念、そして洗練……

つまり、そう言う事!?


「実花の考えている通りだ。かつて飲んだあの古代ビールとは比べ物にならない洗練された味わい、そして後味を残しながらスッキリと腹に落ちてゆくあの喉ごし。初めてあれ程のビールを口にした衝撃……そう、その衝撃は我の奥底で眠っていたビールの概念までもを刺激し、その概念の囁きにより我はうっかり意識してしまったのワン。『これ程上質なビール、若返り効果もヤバイのでワン?』、と」


やっぱり……


「その瞬間だったワン……我の身体がふっと軽くなったかと思うと、ワンッという間に若くピチピチモフモフに……」


ごくり……


「しっとりとしていたはずの我の毛並みは柔らかくふわふわなモコモコへと変化し、そしてその下の皮膚はチーズのようによく伸ふぃ――ぬぁにをやっふぇいぅワン?」


はっ!? アヌビス様の余りのプレゼン能力の高さについ手が……わしゃわしゃもふもふ、びろーーんって……このホッペ、ホントによく伸びるって!!


「こっコラ、そろそろ止め――ぬっ……くっ、くぅぅぅーーーん…………わにゅう」


……………………




――カラン

薄い琥珀色の液体が満たされたグラスの中、重なり合って浮かぶ氷たちの交わすキスが軽やかな音を立てグラスに響く。

「ふふっ、犬も中々悪くなかったわ……」

小さく呟いた私は妖しげな笑みを浮かべると、手にしたそのグラスをそっと口に寄せ――


「実花、悪女ゴッコはそれくらいにしてそろそろ……アヌビス様を介抱して差し上げた方がいいと思うの」


飲食用テーブルで向かいに座る天照さまから、乾いた喉をジンジャーエールで潤す私にそっと冷静なツッコミ。そんな天照さまが指差す先には――

床の上、目を半開きにしてピクピクと蠢く仔犬……じゃなくアヌビス様の姿があった。時々、足がぴーんって……


ええっと…………やりすぎちゃった、かな?

でも天照さま、こうなっちゃうともうアヌビス様には自力で回復――と言うか帰ってきてもらうしか…………だから……


「てへっ」

「……………………はぁ」




と、そんな時。

カランカラン

こちらも軽やかな音を立てて扉が開くと――


「うにゃあ、今日の撮影も絶好調だったにゃ。早速編集してアップするにゃ。これでまたイイニャたくさんゲットだにゃ!」


賑やかしく店内に入ってきたその一団、バステト様と招きーずにゃいん――って言うか店長ズ達のご帰還にゃ。

店に入るや否や、我先にと素早くキャットウォークを駆け抜け空中こたつを目指す店長ズ達。

そしてそんな店長ズを見送ったバステト様はというと……

目の前の光景に目を剥いていた。

「にゃっ!? アヌビス!?」


まぁ……そりゃそうですよねーー。


バステト様は急いでアヌビス様の元へと駆け寄るとその場にしゃがみ、そしてぐったりとしたアヌビス様の頭をその腕に乗せ――

「にゃんという事にゃ……誰か医者を! このにゃかにお医者様はいらっしゃいませんかにゃ!? ……って、アヌビス? お前にゃんか若くにゃってにゃいか?」


――そしてじっと私の目を見る。


はい、まあ私ですよね…………誠心誠意説明させていただきますとも。



「はあぁぁぁ…………」

一通り説明し終えた私が口を閉じる、と同時に長い溜め息を吐くバステト様。そして――

「にゃあ実花、前に言ったよにゃあ? アヌビスが神である事を忘れるにゃ、と」

「うう、すみません」


あれは抗う事が出来ない、まさに不可抗力であった。としか……


「それにしても……まさかビールで若返るとは驚きだにゃ。これはうっかり飲まにゃいように気を付けにゃいと」


あ、そうか。同じ場所同じ時代を過ごしたバステト様も同じ概念が…………バステト様の仔猫姿、か…………


「実花!? にゃんにゃそのヤバそうな目は!? 飲まにゃいからにゃ? 絶対に飲まにゃいからにゃ!?」

「チッ」

「舌打ちしたにゃ!?」


「……実花、あなた段々と遠慮がなくなってきていないかしら?」




……………………

…………

「はっ!? ここだ何処ワン?」


あ、アヌビス様お帰りなさい。


「にゃあ、気付いたかアヌビス」

「バステト? 我は一体…………あ」

――そしてじっと私の目を見る。


「ううっすみません……やりすぎました」

「……まあ仕方ないワン。今回の一件、これ程にキュートでプリティな姿と化してしまった我にも責任の一端はあると言えるワン」

「臆面もなく自分の事をキュートでプリティとか……アヌビス様も中々のモノね」

「天照さま、しぃーーーっ」

「お前らにゃあ…………」




こうして無事帰還なさったアヌビス様は、それから暫くあれやこれやと話をしているうちにようやく完全復活を果たし、本来の目的である買い物を始める事が出来た。

あの仔犬のようなプリティフェイスで、ちっちゃなカートを押しながら……

今こそ唸れ我が記憶力っ、全シーン心のスクショぉーーっ!!




そしてアヌビス様が何を買ったのか……不思議とそれは記憶に残っていない。

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