狐の嫁入り
赤花椿
第1話 花嫁衣裳の女性
木々の隙間からの木漏れ日と、枝葉を優しく揺らす涼しい風を全身に浴びながら。
青空を見上げる彼女は微笑んだ。
「待っててください。貴方に会いに行きますから」
心躍らせながら、体毛に覆われた彼女は、山の斜面を四足歩行で軽やかに駆け下りていった。
:
ピーンポーン、ピーンポーン、ピーンポーン、ピーンポーン、ピーンポーン。
「はいは~い」
突然のうるさいインターホンに困惑とちょっとした苛立ちを胸に急ぎ足で玄関へと向かう、地味サエナイ。
今日は久しぶりに高校が午前中で終わり、先ほどまでゆっくり夕飯の支度をしていたところだったのだが。
いきなり連続でインターホンを押さなくてもいいと思うのだが、何をそんなにせかしているのだ。
リビングにあるインターホンの画面を確認するも誰も映っておらず、もしかしたら誰かの嫌がらせかもしれない。
しかし、画面に映っていないのは小さな子供だからで、何か助けを求めてきている可能性も捨てきれないので出ないわけにはいない。
適当に靴を履いて玄関の外へ出る。
「はいはいどちら様ですか? てっうわ!?」
外の様子を見たサエナイは思わずそんな声を漏らしてしまう。
それもそのはず。学校から家に帰って来たときは晴れていた空が今は大粒の雨を降らしていたのだから。
そう、晴れているのに雨が降っている。いわゆる天気雨だ。
「うわ~、洗濯物しまい込まないと、てうわっ!?」
洗濯物の心配をしつつまた視界に入ったものに、先ほど同じ驚き方をして今度は後ずさった。
雨に気を取られていて気付かなかったのか目線を少し下げると、そこには純白の花嫁衣装に身を包んだ女性が正座をして頭を下げていたのだ。
「……」
「……」
サエナイは驚きのあまり固まり。女性は姿勢を一切変えず微動だにしない。
二人はそのまま数十秒間なにもせず過ごし。
「あ、あ、あの~……」
余りの衝撃的な光景に頭が混乱したまま、サエナイは無理やり口から言葉を絞り出す。
「そこで何をされているんですか?」
とりあえず聞いてみる。そんな言葉しか出てこないのはしょうがないだろう。天気雨の中、自分の家の前で花嫁衣装に身を包んだ女性がいるなんて、人生で宝くじの当たりを引くほどのようなことだと思うから。
と、質問された女性は顔を上げてゆっくりと閉じていた目を開く。
その女性の顔を見てサエナイは心臓の鼓動が大きくなったのを全身で感じた。
衣装から除く奇麗なキツネ色の髪に、凛とした大人の女性を彷彿とさせる顔。一目見ただけでこの人は何万年に一人の美人だと断言させられる。
女性はすっと息を吸うと口を開く。
「貴方のお嫁になりに来ました」
「……は?」
間抜けな声が漏れてしまう。
「貴方のお嫁になりに来ました」
「はい?」
何を言っているんだこの人は。
「貴方のお嫁になりに来ました」
「いや、あの、三回も言わなくて大丈夫ですよ?」
さすがに頭の中が整理できていないサエナイでも、二回言われれば嫌でも理解できる。
しかし、お嫁になるといったか。いったい何の冗談か。
少し考えを巡らせ。
「あ、やばい洗濯物! え~っと、とりあえず上がってください!」
玄関の外でゆっくりしている場合ではない。
今も雨は容赦なく降り続いていて、このままではせっかく乾いていた洗濯物が台無しになってしまう。
かといって目の前の女性を外に置き去りにするわけにもいかない。
「それでは失礼いたします」
立ち上がった女性を家の中に入れ。
「背たか」
自分よりも背が高いことに驚きつつ。
「はいはい、どうぞ入ってください。あの、廊下を進んでリビングで待っててください!」
急いでサエナイは階段を駆け上がり洗濯物を取り込みにベランダに向かう。
「これは洗い直しかな~」
残念ながら遅かったらしく洗濯物はびしょ濡れになってしまっていた。
このまま部屋で干してしまえば湿気も重なって臭くなってしまう。
「急がないと」
女性を下で待たせているのだ。洗濯物を急いで洗面所に持っていき、放り投げると急いでリビングに向かう。
リビングに入ると、女性は部屋の中央に置かれたテーブルの横にちょこんと正座をして物珍しそうに辺りを見渡していた。
とりあえず飲み物を出したほうがいいだろう。
自分が一人暮らしになって来客は初めてなため、もてなしが正しいのかはわからないが。
冷えたお茶を注いだコップを女性に差し出す。
「今はこんなものしか出せませんけど」
「ほ~ありがとうございます」
ガラスのコップをじっくり眺めた彼女は、お茶のにおいを嗅いでから一口飲んだ。
「美味しいですね」
「そうですか? ただのお茶ですけど」
先ほどから少し変わった行動をとる人だ。
まるで何もかもが新鮮に感じているようなそんな様子を見せる。
女性がお茶を飲み干し、コップをテーブルの上に置く。
「……」
「……」
静寂が二人を包み込み、外で振り続ける雨だけが響いている。
気まずい。初対面でいきなり家に上げて、いろいろとツッコミたいところがあるものの、まず確かめておかなければならない。
たぶんもしかしたら何かの間違いで、雨の音が悪いのかもしれないし、自分の耳が急激に衰えて聞き間違えてしまったのかもしれないので確認を。
「あの~、今日はどのようなご用件で」
「貴方のお嫁になりに来ました」
聞き間違えではなかったようだ。
流石にこれを合わせて四回も同じことを言われて、それでも聞き間違いかもしれないと考えるほど自分はバカではない。
しかし、こんな用件で来た人に対してどう対処すればいいのかよくわからないが、額に汗を垂らしながらも言葉を絞り出す。
「え~、雨大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ?」
「そうですか」
「はい」
「……」
「……」
会話が終わってしまった。
頭がいまだに混乱していて何と言ったらいいのかまったく思い浮かばない。
いや、こんなの話ができるわけがないと思う。ネットで検索すれば、突然俺の嫁に来た人の対処法なんて出てくるんですか。出てくるわけがない。
漫画で起きるような出来事の対処法をわざわざ真剣に考える人なんてこの世のどこを探してもいるはずがないのだから。
自分でどうにか対処しなくては。
というかそもそも、自分は彼女を知らない。
自分の記憶力はいいほうだ。幼稚園の友人関係から今に至るまで、かかわった人のことは大体覚えている。
しかし、目の前の女性は一切見覚えがない。
ならば、まずは女性の名前などの個人情報を知る必要がある。
そうすれば何かわかるかもしれない。
「えと、あなたの名前を聞かせてもらってもいいですか?」
「大変申し訳ありませんでした」
サエナイの質問に対して目を見開いた彼女は、奇麗な所作で正座のまま礼をして、
「狐ヨウコと申します」
名前を聞いてサエナイはまったく聞き覚えがなかった。
まず狐が彼女の苗字だと思うが、そんな苗字の人とは今までというかテレビなどでも聞いたことがない。
名前の時点でこの人が初対面であることは確定したため、これ以上彼女の個人情報について探る必要はなくなった。
少しは頭の混乱が収まり、一番必要な言葉を思いつく。
「その、ヨウコ、さんはどうして俺のお嫁になりに来たんですか?」
すると彼女は自分の胸に手を当てながら何かを思い出すように語り始める。
「はい、貴方と出会ったのは今から十年ほど前の夏でした。川で魚を捕まえようとして川に落ちて溺れてしまったキツを貴方が助けてくれました」
キツとは自分に対する一人称だろうか。少し変わっているな。
いろいろなことに気を足られつつヨウコの言ったことを想像してみるが、溺れている少女を助けた覚えはない。
夏にはよく川に行くことがあったが、それでも少女と会った覚えはないのだ。
「女の子を助けた覚えはないですね」
サエナイの言葉にふっと笑いを漏らし、
「あの時、狐の姿をしていたので無理もないでしょう」
その言葉に思わず目を丸くする。
「は? 狐? 狐の姿ってどういうことですか?」
「はい。キツは狐ですので」
そういってヨウコは立ち上がると突然彼女の周りを煙が包み晴れると、そこにはちょこんと一匹の狐が座ってこちらを見上げていた。
「正式には妖狐ですが」
「……」
狐の姿のまま人の言葉を喋るヨウコに開いた口が塞がらない。
もういろいろなことが起こりすぎて訳が分からなかった。
サエナイが固まっている間に人の姿に戻ったヨウコは言葉を続ける。
「ということで、私をお嫁にどうでしょうか?」
「い、いや~お嫁にどうですかって言われましても……」
困惑しているサエナイの手を握って熱い視線を送ってくるヨウコ。
「キツは貴方に命を救われて運命の人だと確信しました! もちろんただお嫁にしてほしいというのは図々しいと思いますのでキツと結婚することで特典を用意しました!」
「特典ですか?」
「はい!」
ヨウコはパチンと指を鳴らすと、ドカと家が揺れるほどの振動とサエナイの横に何やら輝く大きな物体が現れた。
真横に現れたそれを目にして、サエナイは全身から汗があふれ出すのを感じだ。
そこにあったのは、
「キツを受け入れてくださるのであれば、キツの故郷で採れた金をプレゼントします!」
大量の黄金に輝く金がそこにはあった。
「はへ~」
「どうですか? キツをお嫁にしていただけますか?」
金から目が離れない。それどころかだんだん吸い寄せられそうになる。
いったいこれだけの量の金を売ったらいくらになるのだろうか。一生働かなくてもいい大金が。
「は!?」
完全に飲み込まれそうなところで我に返り、ヘドバンのごとく頭を揺らしてどうにか自分を保つとヨウコに向き直る。
「お、お話はありがたいのですが俺は結婚できる年齢ではないので……」
十八歳にならなければ結婚はできない。いきなり結婚を持ち掛けられても高校一年生の自分には荷が重すぎる。
それに、
「結婚とか全く興味がないです」
そう、年齢的にまだ先ということもあるかもしれないが、サエナイの頭の中に結婚という二文字は一切存在していないのだ。
「お嫁にしてくださらないと」
「はい」
「え、え、え? キツではダメなのでしょうか? 世界中どこを探しても見当たらないであろう超絶美人ですよ?」
「それ自分で言う?」
「それに先ほど見せた通りお金にも不自由はしませんよ?」
「そういう問題では」
「確かに人間世界の知識はまったくと言っていいほどありませんが、それはこれから身につけますので」
焦りを隠しきれないヨウコに最後に一言。
「俺は、貴方をお嫁にはできません」
「……」
サエナイの言葉で顔を俯かせたヨウコは静かに立ち上がるり、リビングを出て玄関のほうへと向かって歩いていく。
後ろ姿を見守るサエナイに振り返ると、深いお辞儀をして、
「この度はお騒がせして申し訳ありませんでした。キツの自分勝手な行動によりご迷惑をおかけしました。それでは失礼させていただきます」
顔は俯いたままで今どんな表情をしているのかまではわからない。
そんな様子にサエナイは無意識に胸の辺りを抑えていた。
ああ、前にもこんなことがあった気がする。
中学三年生の秋。俺は一人の女子に告白された。声は震え体も震えていて、告白の言葉を口にしたときなんか裏返っていて。それだけの緊張を胸に俺に告白してきてくれた子を、振ったのだ。
別に悪いことじゃない。恋愛には振って振られるのはつきものだ。よくあることなのだ。
今回も、求婚を迫ってきた人、もとい妖狐を断っただけ。何も悪いことはしていないはずなのに、あの時と同じ酷い罪悪感が襲ってくる。
告白してきてくれた女の子と、目の前の女性が重なってしまって。
ヨウコが玄関の扉を開けて出ていこうとしたところを、
「どうされましたか?」
気が付けば腕をつかんで引き留めていた。
何をやっているんだ自分は。このまま帰らせてしまえば面倒ごとは終わっていたのに。
腕をつかんで引き留めたからにはないか言わなくては。何もないのに引き留めるのは変だ。
「え、え~と」
必死に足りない頭を回転させて導き出した言葉は、
「夕飯、食べていきますか?」
「はい……」
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