第10話 黒衛士


 その男の身の丈は、六尺を優に超えていた。


 顔の上半分は笠でよく見えないが、着ている羽織は深い藍色をしており、金糸で家紋らしき刀を模した刺繍がされている。


 袴と内着は黒だが、光沢のある感じといい、相当良い生地を使っているのだろう。


 腰には鞘も見事な太刀を挿している。


 一見して、金持ちだと分かる。


 ただ身に纏う雰囲気が、それだけではないと告げている。


 山で凶暴な獣に出くわすことが多かったあたしは、強さきょういに対し結構敏感だ。


 その感覚で言うと、目の前の男は山の獣が裸足で逃げ出す程の、とんでもない強者。


 仮に今この男が暴れたら、ここいる全員は瞬く間にあの世行きだろう。


 鳥肌が立つのを抑えられず、あたしいはそっと格子から離れた。


「これはこれは、ツルギ家の御当主様。わざわざご足労頂かずとも、当店へ御用がおありならこちらから伺いましたのに」


 そう言いながら、ブンブクさんが見ていて心配になる程腰を低くし男へ歩み寄る。


「構わん。見回りのついでに寄ったまで」


 緊張からか、じっとりとした汗を浮かべるブンブクさんとは対照的に、誰かが『黒衛士くろえじだ』と呟い瞬間、周囲の者は色めき立った。


 女郎蜘蛛の女がこれ見よがしに体を突き出し、ここへ一緒に来た子供達も、身を乗り出さんばかりに格子へ張り付く。


 黒衛士と言えば、この国で魔物へ対処できる強者つわもの達のことだ。


 その身に宿す妖力の量、操る妖術も並の者とは桁外れで、土地を治める領主より強い権力を持つ者もいるらしい。


 周囲の騒ぎも、その力を目当てにしたものだろう。


 どうせ買われるなら、金や力がある家の方が良いと。

 

 見れば雪女や山男の子供が、互いに張り合いつつ愛らしそうな笑みを浮かべている。


 そこには、先日までの暗い表情は欠片も見えない。


 逞しいが、必ずしも先が明るい訳でもないだろう。


 むしろ力があるからこそ、無体を働く者もいると聞く。


 であれば、こんな狭い格子の中で争って何になるのか……。


「あほらし」


 心の中で呟いたつもりが、うっかり口から出ていた。


 しかも間の悪いことに、声は喧騒の隙間を縫い、すっと周りへ響く。

 

 まずい、と思った時にはもう遅く。


 気付けば黒衛士と呼ばれた男が、笠越しにこちらへ目を向けていた。


 必死に気配を消そうとするも、そんなことが通用する相手ではなく。


 真っ直ぐに、男があたしの方へ近付いてくる。


 『無礼者!』の一言と共に腰の太刀が抜かれ、あたしの首が飛ぶ光景を想像したけど、思いもよらぬ言葉を掛けられ、意識が飛びそうになった。


「そこの忌子を買う。金に糸目は付けん」


「「えっ!?」」


 意図せず、ブンブクさんと言葉が被る。


 もちろん、言っている言葉の意味は分かるよ?


 ただ理解が追い付くまで、あたしはしばらくの時を必要とした……。

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