第36話 水の貴公子、動き出す

「おっちゃん、リンゴ三つおくれ。支払いはこれでいいんだっけ?」

 商店街の青果店で、背の高い猫背の男が買い物をしている。


「ああ、確かに。あんた、最近よく買いに来てくれるねぇ。リンゴが好きなのかい?」

「まーねぇ。ここのリンゴは美味いから、毎日食べても飽きねぇや」


 店主の言葉にそう返す男は、旅装束らしき服装にフードを被っており、その顔は目と口が大きく、その割に瞳が小さいため何処か爬虫類のような顔立ちに見える。

 だが、決して悪い印象はない。リンゴを受け取って礼を言う男の顔は愛嬌があり、店主も自然と対応をよくしてしまう。


「そりゃあ嬉しいねぇ。うちのリンゴは指定農場から取り寄せてるから、味も色も自慢だよ。ほれ、こいつはおまけだ」

 そう言って店主は、男が両手に抱えるリンゴの山の上に、もう一つ小さなリンゴを載せてやった。

「それ、少し小さいから売り物にするか迷ってたんだ。味は変わらないが、見栄えもあるしな。よかったら持っていきな」


「お、ほんと~? ありがとおっちゃん。うちの坊ちゃんも喜ぶぜぃ」

 男は大きな口を割いて笑みを浮かべて礼を言うと、軽い足取りで去っていった。

「坊ちゃん? ……誰かの従者なのかね」

 店主は首を傾げるが、その疑問に答える男は既に人ごみの奥へと消えていた。




 男はそのままフラフラと歩き続け、カモカの町を出ていく。賑やかな通りを抜けた先は、殆ど人通りのない裏の森。

 町の住民ですら殆ど立ち寄らないような場所に、男は迷うことなく進む。そして、ふっと姿を消した。


「……ただいま戻りましたよっと」

 次の瞬間、男は野営用の軍幕のようなテントの中に立っていた。勿論、森にはそんなものどこにも見当たらない。

 これは〈魔導機マギア器〉の一つ、アズワーンでは定番の野営道具である。実物は非常に小さく、掌に乗る程のサイズの玩具のような外観をしている。そこに取り付けてあるピンを地面に刺し、入口である箇所につま先で触れるだけで中へ入ることが出来る。外観は小さくとも、内部は数人が寝泊まり出来る程度の広さは確保されているため、アウトドアの他、王国軍でも行軍時に用いられることもある、まさに野営の友と呼ぶべき道具だ。

 言ってしまえば、ランクダウンした〈おでかけハウス〉である。


「リトマス、貴様また町に降りていたのか」

「降りるって。ここは魔界のお屋敷と違うんですから、高低差ないですよ」

 薄暗い軍幕の中を、熱ではない光が頭上から照らしている。軍幕の奥に座っていたのは、ティモールであった。

「ふん、このアレニウス家当主の僕からすれば、あんな町に出向く気がしれないな。ろくなものも揃っていないだろうに」


「偉そうなこと言っちゃってぇ。この間の婆さんが怖くて外に出たくないだけでしょ」

 爬虫類顔の男にそう言われ、ティモールは肩をいからせた。

「違う! 私はフォッシル卿より下された密命のため、ここで機が熟すのを待っているのだ! この僕が、こんな薄暗く土臭いところにこうして大人しく控えているのも、全てはフォッシル卿の期待に応えるため! だと言うのに、リトマス! 貴様はふらふらと遊び惚けて、なんと不真面目なのだ!」


 実はこの爬虫類顔の男、ティモールの護衛であるワイバーンのリトマスである。

 この世界でワイバーンの姿では目立つし動きにくいから、と本人たっての希望で、ティモールは渋々彼に魔力制限ジィンリミットの刻印を施した。この刻印により、リトマスは本来のジィン内蔵量を半分近くに抑制され、そのジィンに合わせた姿、つまりワイバーンよりも小さく弱い『人間』の姿を取っている。


 てっきり密命遂行のために、行動しやすさを取ったのかと思っていたティモールだったが、当のリトマスは、身軽になり目立たなくなったから、と気軽に軍幕を飛び出してはいつの間にか町に入り浸り、こうして買い食いまでするようになってしまったのだった。


 ちなみに、この世界の通貨をティモールは把握していない。当然、従者であり元がワイバーンであるリトマスも、銅貨の一つも持っていなかった。

 それがどうしてリンゴを買うだけの金をリトマスが持っているのか。貴族育ちのティモールには、そこまで考えが及ぶことはなかった。


「僕が魔力制限ジィンリミットを施したのは、お前が買い食いしやすくするためじゃないぞ!」

「見つけましたよ、目標の王子様」

「そもそも、いやしくもアレニウス家に仕える者が軽々しく買い食いなど……、え?」

 説教の途中で、思わずティモールは呆気に取られた声を上げる。リトマスは、無作法にもリンゴをむしゃむしゃと丸かじりしていた。


「だからぁ、トロワ王子。あの町のパン屋にいましたって」

 リトマスとて、何も本当に町を遊び回っていたわけではないのだ。旅の者に擬態してふらふらと散策し、時には普通の人は行けない場所に行きながら、町の隅々を捜索していたのだった。

「坊ちゃんが嫌がって外に出ないから、オレっちが働いてきたんですよ。これ、便利ですねぇ。王子に近付いたらピカピカ光り出すから、分かりやすいのなんのって」

 そう言ってリトマスが懐から出してきたのは、あの〈指示盤インジケーター〉であった。それを見て、あっ、とティモールは声を上げる。


「いつの間にそれを! 勝手に持ち出したのか!」

「だって、坊ちゃんがいつまで経ってもトロワ王子を見つけようとしないからぁ。なくなったことにも気付いてなかったんだし、いいでしょ?」

「いいわけあるか! これは非常に貴重な〈魔導機マギア器〉なんだぞ! 軽々しく持ち出すな!」

 そう怒鳴りながら、ティモールは手荒な様子でリトマスの手から〈指示盤インジケーター〉をひったくる。


「……ふん。だがしかし、トロワ王子を見つけてきたことに関しては、褒めてやろう。無断持ち出しはこの件で帳消しとする」

「ははー、ありがたき幸せ」

 おどけて長身を折り曲げるリトマスを、ティモールはじろりと横目で睨む。


「それで? トロワ王子はどのように過ごしていた? 先程パンがどうとか聞こえたが、一体何のことだ?」

「だから、パン屋ですって」

 リトマスはさっきと変わらない答えを返す。ティモールは眉を顰めた。


「その言い方では、まるでトロワ王子がパン屋を経営しているかのようではないか。もっとわかりやすく説明しろ」

「経営ってわけじゃないでしょうけど、パン屋で働いてましたよ。店の前の屋台にいて、オレっちも一つ買おうかと思って近付いたら、その青い石がぴっかぴっか光り出すから、変に目立つし慌てて逃げたんですよ。あーあ、あのパン美味そうだったのになぁ」


 そう説明しながら、リトマスは悔しそうに唇を尖らせる。こう言っている彼だが、元がワイバーンであることと魔力制限ジィンリミットの刻印を受けている影響で、実は数日間食べなくてもいい体質になっている。

 食べ物を食べるのは、栄養補給ではなく快楽のため。要はただの食いしん坊である。


「……何故、魔界王族であろうお方が、人間界のパン屋で働いているのだ?」

 心底不思議そうに、ティモールはリトマスに尋ねる。

「さぁ? 金がなくて困ってるんじゃないですかね? 人間界に亡命して、頼る先もないでしょうしねぇ」

 リトマスは興味も薄そうに返す。


 それを聞き、ティモールは思わず口元に手を添えた。

「なんと……そうか、たとえ王族であろうとも、頼る父王を失っては、権威も財もない……暗殺相手ではあるが、それほどに落ちぶれてしまっていては、流石に同情を禁じ得ないな……」

 上流階級、ましてや魔王家を支える四公の一つとされるアレニウス家の出であるティモールからすれば、高貴な血筋が庶民と同様の下級の仕事をするなんて、まさに生き恥も同然である。


 そうまでしてでも生き延びようとするトロワを無様だと嗤う気は起きないが、幼い身でそれほどの苦労を背負ってしまったのは、正直に言えば少し哀れにも思うのだ。

「うちの坊ちゃんなんて、働くどころかここから出ようともしないのに。流石王族、立派な志ですねぇ」

「お前はいちいち一言多い!」

 リンゴを齧るリトマスを、ティモールは怒鳴りつけた。


「ふん。憐れむことはしても、情けをかけるつもりはない。亡命したとしても王家の血筋を持つ者として、生き恥を晒し続けるより僕の手にかかり死ぬ方が、よほど美しい終わり方であろうよ。ぐずぐずするなリトマス、早速密命を果たしにいくぞ!」

 そう言うと、ティモールは長い髪を靡かせてテントの入口を出ていく。それを、リトマスはリンゴを咀嚼しつつ黙って見送った。


 数十秒後。

「何故ついてこない!!!」

 テントの入口を蹴飛ばすような勢いで、ティモールが再び戻ってきた。


「いや、今日行ってもいないですよ。三日働いて二日休んでまた三日働いて……って感じで、決まったスケジュールで働いてるみたいで。さっき通りがかった時にちらっと見たけど、今日は休んでるみたいでしたねぇ」

 呑気な調子で答えるリトマスに、ティモールは怒りが高まりすぎてぶるぶる震え出している。


「……それを先に言え!!!!」

「言う前に坊ちゃんが出て行っちゃうから……まあまあ、リンゴでも食べて落ち着いて。今日のところは情報整理と状況確認、それから明日に向けての精神統一って感じでいいんじゃないですかね?」

 ぷんぷん怒りっぱなしの主を宥めるように言いながら、リトマスはティモールを再び軍幕の奥へと押し戻す。


 リトマスが用意したテントではあるが、最低限しかない設備のほぼ全てをティモールに捧げているため、彼が椅子に座る一方でリトマスは地面に腰を下ろした。

 苛立つティモールに、リトマスは最後の一つとなった小さなリンゴをそっと持たせる。


「焦らなくても大丈夫ですって。坊ちゃんもいて、オレっちもいるんです。失敗する方が難しいですよ」

 にぃ、と大きな口を割くように笑うリトマスを見て、ティモールは一度ゆっくりと息を吐き、少し落ち着いたようだった。


「ふん、お前がいなくても、僕が密命を失敗することなどあり得ない。だが、お前がいれば……ほんの少し、あるかないかくらいの小さな不安要素は、多少は減るだろうな……多少な」

 回りくどい言い方をする主に、リトマスは可笑しそうに笑ってみせる。リトマスにとって、主のこういう部分は嫌いではないのだ。



「で、それ食べないんです? 小さいけど美味しいですよ」

「……皮を剥いて小さく切ってくれ」

 ティモールは、リンゴの丸かじりができない男だった。



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