第35話 スモールワールド

 その後、ウィル達はリチアを彼女の滞在しているホテル……ウィルが見上げたまま唖然とするほど高級な施設だった……へと送り届け、それまでの間に様々な話を聞いた。


 イドラ公国は古い階級社会の色が強く、また排他的な空気があり、自国を自慢する一方で他国を見下している、とリチアは語った。

「私がルミナム家の者でなければ、こんな風に贅沢な暮らしは許されなかったでしょう。貴族であっても、100人に一人の割合で〈劣性リセシブ〉は生まれてくると言われ、その特性を持って生まれたものは家族からも認められず、早くに養子に出されてしまうと聞きます。例え血縁であろうと、魔法が使えない者は存在すら許されない……それがイドラという国なのです」


「そっか……それで、修行の旅にってわけか」

 ウィルの言葉に、リチアははいと頷く。

「父は、広い世界を見て心身を強くすれば、魔法に頼らずとも生きることができる、と言って、私を送り出してくれました。……体のいい、追放だったのではとも、思います。ソディアックは、幼い頃一緒に過ごした仲でしたので、護衛役として同行してくれると聞いたときは、嬉しかったし安心しました。でも、再会したときから彼は……」



『護衛として同行する、ソディアックです。お嬢様、お久しぶりです』

『……ソディ、そんな他人行儀な態度はやめて。昔みたいに、リチアと呼んでくれていいのよ?』

『いいえ、お嬢様。貴方はルミナム公家の御息女、ボクは一介の魔法技師に過ぎません。昔のように無礼が許される年齢ではないのです。……さあ行きましょう。何処まで行くおつもりか知りませんが、どこまで行ってもイドラが有する書物に勝るものなんて見つけられませんよ。それを知るためにも、早く行って帰りましょう』



「そんなぁ……出発前からそんな感じじゃ、一緒にいてもつまんないよぉ」

 思わずトロワがそんなことを言い、ウィルが横からつついて窘めた。

「どっちにも失礼だろうが、その言い方は」

「あ、そっか……ごめんなさい、リチアさん」

 慌てて頭を下げて謝るトロワを、リチアは優しく制した。


「お気になさらないで、トロワさん。つまらないのは、きっとそう……ソディは、私といてもずっとつまらなそうにしています。彼は10才の頃に魔法技師準二級を取得し、最年少記録を塗り替えた程の優秀な魔法技師なんです。そんな彼からすれば、〈劣性リセシブ〉の私の護衛など、プライドが許せないのでしょうね……」


 声を落とすリチアに、ウィルは何も言ってやれなかった。

 豊かで華やかな国だと思っていたイドラ公国にも、住民しか知らない暗い部分もあるのだと、今になって知った。そんなウィルが、彼女に何を言えるというのか。

「でもぉ、魔法が使えないくらいでそんな風に言われるの、変じゃない? だって、僕もおにいさまもクレシアも、魔法使えないよ?」

 ウィルの内心の葛藤など知らず、トロワは無邪気に言い放つ。リチアは困ったように微笑んだ。


「そうですね、その通りです。魔法が使えなくたって、皆さんはとてもいい人です。劣っているなんて、そんなわけないのに。それでも、我が国は……」

「イドラはそうでも、このカモカは別だよぉ。せっかく修行で外の国に来たんだから、イドラの決まりは一旦忘れてみてもいいんじゃない? ここなら魔法を使う人の方が少ないし、リチアさんも何にも気にしなくていいんだよぉ!」

 ね、と首を傾げてトロワは同意を促す。リチアはどう答えたものか迷っているらしく、曖昧な表情を浮かべている。


「いきなりそんなこと言われたって、今までの常識と違う考え方をしろって言われても難しいだろ」

 咄嗟に、ウィルは二人の会話に割って入った。

「じゃあお前、明日からパンで体を洗えって言われたら、できるか?」

「えぇっ、パンで体を!? そんなのダメだよ、食べ物で遊ぶなんて!」

 トロワは素っ頓狂な声を上げて、首を横に振る。


「でも、それがここでは普通だって言われたら? パンは食べ物じゃない、体を洗うスポンジなのに、あなたはスポンジを食べてるんですね、変ですねおかしいですね、って言われたら、お前どうするよ?」

 ウィルにぐいぐい詰められ、トロワはあわあわと視線を彷徨わせる。

「で、でも、でもぉ……っ! うう~、どうしようクレシアぁ!」


 追求を逃れるべく、トロワはクレシアの背後に逃げ込んだ。それを逃さないとばかりに、ウィルはびしりと叱りつける。

「こら、クレシアに逃げるな! 自分で考えてみろ!」


「クレシアが、お答えします。初めに、トロワ様を笑う者を、排除エクセキューションします」

「お前も物騒な答え出さなくていいから!」

 真顔のまま答えたクレシアだが、彼女の場合本当にやりかねないから恐ろしい。ウィルは、初対面で剣を振り下ろされた経験があるだけに、彼女の倫理観を信用していなかった。


「……ふふ、」

 後ろから控えめな笑い声が聞こえ、ウィルははっとして振り向く。リチアは、口元に手を添えて小さく笑っていた。そしてウィルの視線に気付いたようで、リチアは慌てて笑顔を引っ込めた。

「あ、申し訳ございません、つい……皆様は、いつも楽しそうにお話されますね」

 そんなことを言って、リチアはふと顔を陰らせる。

「私も、ソディとそんな風にお話ができたらいいのに……」


***


 リチアをホテルに送り、三人は自分達のアパートへと向かう。高級な店舗が並ぶエリアは、ウィル達の拠点にしているエリアと殆ど反対方向にあるため、歩いているうちに陽はだいぶ傾いてしまっていた。


「あんないいとこのホテルを見た後じゃ、この部屋なんて物置みたいなもんだな……」

 部屋に戻り、硬いベッドに腰を下ろしながらウィルはぼやいた。

 こんなことを言っているが、雨風が凌げて寝床があるなら、ウィルは物置でも何でもいいと思っている。


「……」

 いつもなら何をしていなくても喧しいトロワが、今は窓の外を黙ってぼんやりと見ている。珍しいな、とウィルは暫くそれを見ていたが、やがて視線でクレシアを探し、小声でクレシアを呼び寄せる。

「トロワ、ちょっと疲れてるみたいだし、お茶でも淹れてやってくれねぇかな」

「承知、いたしました。少々、お待ちください」

 クレシアはぺこりと頭を下げ、キッチンの方へ向かっていく。それを見届けて、ウィルはようやくトロワに呼びかけた。


「トロワ、どうかしたか?」

「……あ、うん」

 ようやく窓から視線を外したトロワだが、その顔はまだ意識が外にあるかのように、心ここにあらずという表情だった。

「あのね、さっきおにいさまが言ってた『パンは体を洗うものっていうルールだったら』っていうの……僕、ずっと考えてみてるんだけど、答えが出せなくて……」


 思い詰めたようにそう答えたトロワに、ウィルは呆れたように噴き出した。

「お前、まだ真面目に考えてたのか? あんなもん、たとえ話だよ。パンはどこの世界でも食べ物なんだから、真面目に考えるだけ無駄だって」

 あの場限りの冗談を大真面目に考えていたなんて、とウィルは笑い飛ばそうとするが、トロワの表情は変わらない。


「でも……僕はまだ知らない世界の方が多いし、もしかしたら何処かにあるかもしれないよ? その時、僕はどうするのが正解なのかな」

「正解って……」

「パンの話はたとえ話でも、魔法の話は本当のことだったよね。リチアさんにとって、魔法ってそのぐらい当たり前のことで、それがない世界の方がよっぽどおかしいって思ってるのかなって……リチアさん、僕が『イドラの決まりは忘れて』って言った時、一瞬すごく困った顔してたんだ」


 トロワの言葉に、ウィルははっとする。

 てっきり気が付かずに無邪気に言っているのかと思っていたが、トロワは自分の言葉がどんな影響を及ぼしたかを、ちゃんと見ていたのだ。

「僕、きっと言ったらいけないことを言っちゃったんだよね……あの時、謝らなきゃいけなかったんだ。でも、言い出せなくて……」

「トロワ、」

「おにいさまが言ったとおりだ。僕って、全然ものを知らない……自分にとって当たり前のことが、誰かにとっては当たり前じゃないことがあるって、初めて分かった。こんなのじゃ、立派な魔王になんてなれっこないよ……」

 しょんぼりと俯いてしまったトロワに、ウィルはかける言葉を必死に探す。


「えーっと、いや、だから……トロワが今、ものを知らなくてもさ、修行しながら勉強すればいいだけの話だろ? お前は今まさに修行中なんだから、失敗してもいいんだって」

 何とか言葉を見つけ出し、ウィルはそう言ってトロワを励ます。唇をやや尖らせているトロワは、その言葉を聞いても反応は薄かった。

「そうなのかなぁ……」


「そうだよ! お前は今、失敗したかもしれねぇけど、その分いろんなことを考えたし、反省しただろ? それは失敗からしか得られないものだぞ。リチアさんのことは、まあ気にするな。いや、気にした方がいいけど、謝る必要はないと思うぜ」

 妙に必死な様子で、ウィルはトロワを励まそうとする。

 いつもぽやぽや能天気なトロワが落ち込んでいる姿は、見慣れなくて落ち着かないのだ。


「次にリチアさんに会ったら、今まで通りに笑って話しかけてやればいいさ。でも、必要以上に魔法の話は振らない方がいいかもな。俺も、知らなかったとは言え結構無神経なこと言っちまったし……お互い、次から気をつけようぜ。な?」

 元気を分け与えるように話しかけるウィルに、トロワはようやく顔を上げた。


「……うん。僕、リチアさんともっとお話したいもん。だから、次は言ったらいけないことを言わないように気を付ける!」

 そう言い放ったトロワは、いつもより勢いは弱いものの、明るい光を瞳に取り戻していた。

「おし、それでいい! 修行に失敗はつきものさ。反省は必要だけど、落ち込みすぎるのもよくないぜ」

 ウィルも、元気よく応じて拳をぐっと握ってみせる。


「えへへ……おにいさま、ありがとう。おにいさまって、本当に優しいね」

 不意に、トロワはそう言ってウィルに笑みを向けた。そう言われると急に恥ずかしくなり、ウィルは誤魔化しにぷいっと後ろを向く。

「お茶の、ご用意が、できております」

「あ、どうも……」

 振り向いた先に、お茶のポットとカップを載せたトレーを手にするクレシアが立っており、ウィルは気まずく応じた。


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