第27話 パン売りの才能

「は……?」

 目の前に差し出されたパンと、トロワの顔を交互に見ながら、少年は狼狽えた。



「何で、オレが」

「食べてみれば、美味しいパンだってわかるよ! だから、食べてごらんよ!」

 ね、とトロワは小首を傾げて少年に笑みを向ける。その笑み少しだけ頬を赤くしながら、少年はおずおずとパンを手に取った。

 渋々、という体で一口齧り、もぐもぐと咀嚼する。周囲の大人達は、何故かハラハラしながらそれを無言で見守っている。



「どうかな? 美味しい?」

 トロワが問いかけ、少年はゆっくりと口の中のパンを嚥下する。周囲は息を飲みながら彼の答えを待つ。

「……おい、しい」

 小さな声で、少年はそう答えた。その声は小さくとも、いつの間にか静まり返っていた大通りにはよく通り、トロワは嬉しそうに微笑んだ。


「ね、ね? 美味しかったでしょ?」

 上機嫌で半分になったパンを食べるトロワを、少年は毒気の抜けた表情で見上げた。普段から難癖をふっかけているせいで、少年は周囲の大人からも子供からも敬遠され、最近は孤立しがちになっていた。それを寂しいと思いながらも弱味を見せたくなくて、自分は一人でも平気だと強がり、歳不相応の大人ぶった態度を取っていたのだった。



 そんな彼に、一度も声を荒げることなく会話を続けて、優しくパンを差し出してくれたトロワ。少年の中の、凝り固まった心が少しずつ溶けていく。

「ねえ、そのパンそんなに美味しいのかい?」

 その時、野次馬の中から一人、中年の女性が屋台の方へ近づいてきた。一連の流れを見ていて、パンに興味を持ったらしい。彼女にも、トロワは明るい笑みで応じた。

「はい、とってもおいしいです! よかったら、おひとついかがですか?」

「おや、あたしも食べていいのかい? じゃあ一つ貰おうかね」

 女性は嬉しそうにパンを受け取り、一口食べてみる。



「うん、確かに美味しい! じゃあ可愛い店員さん、パンを4つ頂こうかな。今日の夕飯に、家族と皆で食べるよ」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 ついにパンが売れた。トロワは急いで屋台の奥に戻り、パンの値段表を確認して合計金額を計算する。

「えっと、一つ4オール、4つで……15オールです!」

「あら、それじゃああたしが得しちゃうよぉ。正解は16オール、もっとお勉強しなきゃねぇ」

 女性は可笑しそうに笑いながら、きちんと正しい金額の硬貨を出してくれた。トロワはそれを両手で受け取り、もう一度大きな声でお礼を言った。



「なんか、美味しそうだなぁ……」

「見てたらほしくなってきた」

「せっかくだし買っちゃおうか」

 やり取りに購買意欲を煽られ、一人、また一人と屋台に人が近寄ってくる。トロワは全員にパンを差し出し、食べるように促した。パンを齧った者は全員その場でパンを購入してくれたおかげで、あっという間に屋台の商品台は、綺麗さっぱり何もなくなってしまった。



 その時店のドアが開き、中からトロワと同じエプロンと帽子を身に着けた、ひょろりと背の高い青年が出てきた。彼の名はイストと言い、パンパカパン屋の調理スタッフの一人である。

「おーい、新入り達。そろそろ休憩したら、って……な、なんだこりゃ!?」

 イストは店の前に出来ている人だかりに驚愕する。すぐにトロワに説明を求めようとして、ふと気づく。周囲にいる町の人々が、なぜかうちのパンを食べている。



「おい新人、これは一体どういうことだ!? ……あれっ、屋台のパン、全部売れたのか?」

「パンがおいしかったから、みんなに食べてもらったんです!」

 トロワは何の迷いもなく、正直にそう答えた。イストは唖然として口をぽかんと開け、小柄なトロワを見下ろす。

「食べてもらった? 金は?」



「え? お金? ……あ、もしかして、お金をもらう前に食べてもらうのって、いけない事でしたか?」

 トロワの問いに、イストの顔は引き攣った。

「あっ、あったり前だろうがぁ! 売り物のパンを、金を貰う前に食べさせるやつが何処にいる!?」

 イストの言葉に、流石のトロワもまずいことをしてしまったのだと悟り、おろおろと視線を彷徨わせる。

「ど、どうしよう……! 今からでも、返してもらうのはどうでしょうか?」

「返してもらったって、口つけたパンなんか売り物になるかっ! ああくそ、まさかこんな常識知らずの子が来るなんて……」



「あのー」

 苛つきながら頭を抱えるイストと、狼狽えているトロワ。その間に割って入るように、誰かが声をかけてきた。

「パン、欲しいんですけど」



「店長に言って、今から急いで追加のパンを……って、え?」

 割って入ってきたのは、朴訥な顔立ちの青年だった。

「さっき、この子に貰ったパンが美味しかったから。店の中には、パン残ってます?」

  声が控えめで気付けなかったイストは、慌てて咳ばらいをしてから、営業用のスマイルを向ける。

「は、はい、勿論! お店の中にはまだいろんなパンがありますよ!」

 その言葉を受けて、周囲のパンを食べていた人々が一斉に店の玄関に近寄ってきた。



「これと同じパンある?」

「他にどんなパンが? クロワッサンは? クッペは?」

「スコーンもあるかしら? アフタヌーンティーに合わせたいから頂こうかしら」

「わ、わわ……!」

 急にざわざわと騒がしくなり、イストまで混乱して狼狽え始める。その背後で扉が開き、店長が現れた。



「おいおい、何だこの騒ぎは!? イスト、二人を休憩に連れていけと言ったのに、何が起きたんだ!?」

「て、店長、それが……!」

 イストが説明をするより先に、再び質問の雨が降ってくる。

「何が何だかわからんが、お客さんを待たせるわけにはいかん。さあ皆さん、慌てなくても大丈夫ですよ! パンはたくさんありますからね! イスト、中に入って保存庫の中のパンも用意しておけ! 新人の二人は、お客さんを整理して道に広がらないように、列を作って並ばせるんだ!」



 店長はすぐにその場を指揮し、イストは慌てて店の中へと戻っていく。店長がドアを開けて促せば、客と化した町の人々はぞろぞろと店の中へと入っていく。入りきらなかった者達をトロワとクレシアが誘導し、入店待ちの客は店の外まで続く長蛇の列を形成する。



「なんだか大変なことになっちゃった……! 僕、お仕事失敗しちゃったのかなぁ……」

 トロワがしょんぼりとしている間も、突然出来た列に興味を持った人々が並んでいる者から話を聞き、面白そうだと列に加わってくる。クレシアは最後尾に立って旗を振っていたが、どんどん人が並んでくるため最後尾が店から遠ざかり、随分離れた位置に立っている。

 店の前に立つトロワには、遠く離れたクレシアの、呼び込みの声だけが聞こえてきた。



「焼きたてパン、パンパカパン、入店の列は、こちらです。パンを、お買い求め、いただく方は、こちらに、お並びください。焼きたてパン、パンパカパン、入店の列は、……」


***


 結局、閉店時間よりかなり早い時間にパンが売り切れ、パンパカパン屋は買えなかった客に頭を下げて帰ってもらう羽目になった。



「すごいすごーい! 全部売れちゃった! お店、空っぽになったねぇ!」

 がらんとした店内に立ち、トロワは大喜びで飛び跳ねる。朝、棚にぎっしりと並べられていた数々のパンは、今や一つも残っていない。普段なら、閉店間際に残っていたパンは、お値引き品という籠に移されて本来の値段よりやや安い値段で売りきってしまうことになっている。

 そうしてでも当日のうちに売ってしまわなければ、一晩越えたパンは乾燥して味も食感も落ちてしまい、そのまま売れなくなり廃棄処分になってしまうからだ。



「トロワ様、おめでとう、ございます。トロワ様の、素晴らしいお仕事の、賜物です」

 クレシアは、無表情ながらトロワの働きを讃え、パチパチと拍手を送っている。

「えへへ、だって頑張ったもんねぇ! でも、クレシアもすごく頑張ってくれたよね! だから、これは二人の頑張りだよ!」

「勿体なき、お言葉、恐縮です」



 二人の無邪気なやり取りを、イストの疲れ切った声が断ち切った。

「いやいやいやいや……俺らも頑張ったからね……!?」

 突然なだれ込んできた大勢の客に、店長は勿論のこと、厨房で暇を持て余していたスタッフ達も腰を抜かさんばかりに驚いた。大急ぎでカウンターに立ち、客の注文を捌いていったが、一人ではとても間に合わないと、異例の二人体制で販売に当たった。

 どんどん空になっていく商品棚に、朝焼いておいた在庫のパンを並べていくも、次々に売れていくため何度も補充しなくてはならず、スタッフ達はてんやわんやだった。



 普段の客入りなら、閉店後に余ったパンは従業員達に分けられるが、今日は余りなんて当然存在しない。イスト含め、残りの調理スタッフ達もへとへとで厨房の椅子に座り込んでいた。

 そんな中、店長が厨房から出てきて、トロワ達の方へとやってきた。

「そういえば、トロワ君。イストから聞いたんだが、売り物のパンを売る前に配ったんだってね?」



「あ……!」

 はっとしてはしゃぐのをやめたトロワに、店長は難しい顔をして両手を後ろに回し、じっとトロワを見下ろす。店長が怒っていることを察し、トロワは慌てて頭を下げて謝った。

「ご、ごめんなさい、店長……! その、みんなにここのパンが美味しいことを、教えてあげたくて……」



 当初はトロワを叱ったイストも、張り詰めた空気を感じて仲裁に入ろうとする。

「店長、まだ子供みたいな奴ですよ。まあ、目を離した俺も悪かったってことで、ここは穏便に……」

 厨房のスタッフ達は、店長の言葉をハラハラしながら待った。

「販売という仕事を、おままごとだと思っちゃいかんよ。売り物を売る、金を貰う、その金でこの店は成り立っているし、ここにいるスタッフ達のお給料にもなっているんだ。勿論君達のお給料にもね。売り物をタダで配ったら、それが成り立たないだろう。……配ったパンの分は、君のお給料から引かせてもらうよ」

 硬い口調で、店長はそう告げた。トロワはしょんぼりと項垂れ、はい、と頷いた。



 給料が減ったことよりも、店長に叱られた内容の方が、トロワにはずっと堪えていた。良かれと思ってやったことも、結局誰かの迷惑になりかねないことを、トロワはこの時初めて学んだのだった。

「ごめんなさい……」



「しかし、君のおかげでパンは完売した。それは本当に素晴らしいことだ」

 店長の言葉に、トロワは勿論、イストや他のスタッフ達も驚いて店長を見る。

「店にとって、こんなに嬉しいことはない。今日の給料には特別手当をつけよう。勿論、他の皆にもだ。忙しい中、よく頑張ってくれたからね」



「えっ、マジですか!?」

 一番に声を上げたのはイストだった。トロワは店長の言葉の意図がわからず、ぽかんとしている。

「やったなぁ新入り! ……給料引かれた分より、特別手当の方がずっと多いぜ、きっと」

 イストがこっそりと耳打ちし、トロワはやっと状況が飲み込めた。しょんぼりとしていた顔がゆっくりと綻び、改めて店長に頭を下げてお礼を言う。

「店長、ありがとうございます!」



 それを満足げに眺め、店長はうんうんと頷いてから、店内のスタッフ全員に通知した。

「明日も、今日に負けないぐらい売ってみせるぞ! 全員、気合を入れて頑張ろうな!」

「はい!!」

 全員で応じた返事は、息を合わせたかのように一つとなって響いた。



***


 その後、店内の掃除と片付けを終えて、トロワとクレシアは本日の仕事を終えた。店長や他のスタッフは、明日の仕込みのためまだ残っているが、トロワ達に手伝えるのはここまでということだ。



 店の裏口から出ると、空はすっかり暗くなり、通りには街灯の灯りがぽつぽつと灯っている。日中あんなに賑やかだった目抜き通りも、この時間帯は流石に人が減っているが、それでも常に誰かが店の前を横切っていく。大きな町ともなれば、夜でも人が動いているのだ。

 閉店した店の前まで回ってきたトロワは、そこに立っている人影に気付き、更にその顔を見て声を上げた。

「あ、おにいさま!」



「おう、お疲れ」

 片手を挙げて応じるウィルに、トロワは小走りで駆け寄り、その後ろからクレシアもついてきた。

「おにいさま、お仕事終わったの?」

「ああ、今日は初日だからって、早めに上がらせてもらえたんだ。こっちはどうかなって思って来てみたんだけど。……仕事、どうだった?」

 ウィルはおそるおそる、トロワにそう尋ねる。トロワは視線を彷徨わせ、指先を弄りながらウィルを見上げた。



「え、えへへ……失敗して、怒られちゃった」

 反応を窺うように、トロワはウィルの表情を窺う。呆れられるか、叱られるか、果たして。

「ま、初めてなんだし仕方ないって。俺だって昔は散々怒鳴られてたもんなー」

 ウィルはそう言って、トロワを笑うことも叱ることもしなかった。



「でも、でもね! すっごく楽しかった! 僕、明日も頑張るよっ!」

 トロワは元気よくそう宣言する。失敗しても、叱られても、自分に与えられた初めての仕事を大切にしたい、とトロワは思った。

 そんなトロワを見て、ウィルもまた笑顔で答えた。

「おう、その調子だ! さーて、今日の仕事は終わったんだし、飯食って帰るか」

「うん! あぁ~、なんだか急にお腹が空いてきたよぉ。クレシアも、行こ行こ!」

「はい、クレシアも、お供いたします」

 仕事を終えた三人は、軽い足取りで商店街の方へと歩いていった。


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