第26話 バイトって難しい

 初めてのお仕事。初めての、一人でするお仕事!

 期待に胸を膨らませて挑んだトロワであったが。



「……お客さん、来ないねぇ……」

 屋台は閑古鳥が鳴いている。呼び込みの文句を言い続けて疲れたトロワは、はぁ、とため息を吐いた。



***


 〈酒場〉を出てすぐ、トロワ達は紹介されたパン屋に向かい、紹介状と共に店長に挨拶をした。


「いやぁ、すぐに来てくれて助かるよ。今は観光客も多いし、どんどん売っていきたくてねぇ。なに、難しい仕事じゃない。そこの屋台で店番をして、通りを行く人に呼び込みをしてくれればいいだけさ」



 そう説明する店長は、人の好さそうな笑みを三人に向けてくれた。恰幅がよく、体もさることながら顔も少し丸く、パンを焼く竈で焼けた頬が赤くなっている。店内に並んでいるパンと一緒に見ると、店長の顔もパンに見えてくるような 気がした。

「厨房でパンを作るのは、私と調理スタッフがやるから安心してくれ。屋台の分が無くなっても、店内にもたくさんパンはあるから、君達はどんどんパンを売ってくれればいいからね」



「はい! 僕、一生懸命頑張ります!」

 トロワのやる気に満ちた返事に、店長も満足そうに頷いている。ひとまず、掴みは上々といったところか。

「いい店長でよかったな。パンの販売なら、お前でもできそうだし」

 ウィルはそう言って店内を見回す。棚に並ぶ数々のパンはどれも目を引くし、厨房からは今焼いているのであろうパンの生地のいい匂いが漂ってくる。昼食を食べた後だというのに、なんだか腹が空きそうになる。



「えへへ、僕いっぱい頑張ってパンを売るね! クレシアも、一緒に頑張ろうね!」

「はい、トロワ様。クレシアも、頑張ります」

 『ぐっ!』と両手を握り締めるトロワに合わせて、クレシアも両手を握り締めてみせる。彼女の場合、表情にも声にも感情が乗っていないため、『ぐ。』程度にしかならなかったが。



「うん、トロワ達は大丈夫そうだな。よし、俺も自分の仕事、頑張るぞ!」

 トロワのやる気に引っ張られて、ウィルの方も気合を入れて拳を握り締めた。

 そして今朝、初日だからと店までついてきてくれたウィルにお礼を言って、トロワとクレシアはついに初仕事に就いたのであった。



***


「うう、全然お客さん来てくれないよぉ……」

 店の玄関横に出した屋台の奥で、トロワはしょんぼりと肩を落としている。



 販売をするにあたり、店長が用意してくれた帽子とエプロンを身に着けた。ちなみにクレシアは元からエプロン風の衣装を身に着けているため、エプロンは省略して帽子のみ頭にかぶっている。クレシアとお揃いだね、と喜んだのは数時間前。

「どうして買ってくれないのかなぁ。パン、美味しそうなのにねぇ」

 トロワはそう呟いて、屋台に並べたいろんな種類のパンを見下ろす。



 どれも早朝に、店長や調理スタッフが生地を仕込んで焼き上げた、出来立てのものばかり。並べた当初はいい匂いが漂っていたが、それもこの数時間でだいぶ大人しくなってしまった。

「焼きたてのまま買ってもらえたら、きっとすごく美味しかったのにねぇ」



 休憩用の椅子に座り、トロワはぼんやりと店の前の通りを眺めた。たくさんの人が行き交い、あちこちから賑やかな声が聞こえてくる。タイゼーンの町の大通りよりもさらに道幅が広く、馬車が通っても人々が道の端へへばりつく必要がない程だった。

「トロワ様、お疲れですか? 私が、店番を、変わります。どうぞ、お休みください」

 屋台の横に立っていたクレシアが、トロワの方を覗き込んで声をかけてくれた。クレシアは『焼きたてパン パンパカパン!』と書かれた旗を持ち、一定の振幅と速度でずっと左右に振り続けている。



『屋台は狭いから、一人しか入れないんだ。君は、そうだなぁ……この旗を振って、道を行く人々にアピールしてくれ』とは店長の命である。

 ちなみに『パンパカパン』はこのパン屋の店名である。



「ううん、僕は大丈夫! ずっとここに立ってるだけだし……クレシアこそ、疲れてない? 旗、ずっと振りっぱなしだもん。僕、交代しよっか?」

「問題、ありません、トロワ様。私は、メイドロイドですので、疲労は、感じません」

 クレシアが言う通り、彼女の動きには一切のブレがなく、疲労による動きの遅滞もない。



「そっか、それならいいんだけど……でも、困ったなぁ。せっかくのお仕事なのに……」

 呟きながら、改めてトロワは大通りに目をやる。道行く人は多いが、誰もこちらに視線を向ける様子はない。皆、既に目的を決めて行動しているため、その目的の場所以外には意識を向ける気がないのだ。



 トロワがどれだけ必死に呼び込みをしても、クレシアが延々と旗を振り続けても、彼らの興味を引くには弱すぎる。もっと別の何かをしなければ、屋台に並ぶパンは夕方までここに残り続けてしまう。

 その時、屋台の前で足を止める人影がいた。トロワがそれに気づいて視線を向けると、そこに立っていたのは小さな少年だった。



「パン売ってるの?」

 生意気そうな顔で、少年は分かり切ったことを聞いてきた。トロワは初めて足を止めてくれた客だと、笑顔と共に明るく応じた。

「いらっしゃいませ! 美味しいパンですよぉ!」

「美味しいって、どうやって証明すんの? お前、食べたのかよ? ここにあるパン、全部?」

 幼い顔を意地悪く歪ませて、少年はそんなことを言ってきた。言われた側のトロワは、きょとんとして少年の顔を見る。



「証明……? えっと、食べたことはないけど、美味しいよきっと! 店長もそう言ってるし!」

 笑顔を崩さずにトロワは少年に答えたが、少年はそれすらもバカにしたようにニヤリと笑う。

「へぇ~? お前、自分は食べたこともないパンを、美味しいってデタラメ言って売ってるんだ? それって詐欺じゃねぇ?」



 この少年、年齢の割に頭がいいせいで周囲を見下すようになり、偏った自尊心から他人に難癖をつけては、口論に応戦して相手を言い負かすことを喜びとする、言ってしまえば非常に厄介な性格をしていた。ふっかけられた相手からすれば、あちらは子供だからとムキになれず、渋々負けを認めれば少年は自分の頭と口が大人に勝ったとつけ上がり、どんどん増長していくという悪循環に陥っていた。

 そして今、歩いていて目についた暇そうな店員……トロワに難癖を吹っ掛けたというわけだ。



「さぎ……?」

 トロワは、詐欺、の意味が分からずにぽかんとする。

「トロワ様。詐欺とは、他人に、嘘や真偽不明の、説明をして、金品を、だまし取る行為を、指します」

 すかさずクレシアが説明をしてくれた。首から下は相変わらず旗を振り続けているが、その視線は屋台の向こう側にいる少年をしっかりと捉えていた。



「詐欺って、酷いことなんだねぇ。……えっ、僕達、詐欺なんかしてないよね!?」

「勿論です、トロワ様。我々は、パンという、商品を販売し、正当な対価を、求めているのであって、それらは、詐欺行為に、該当しません」

 クレシアにそう返され、トロワはほっと胸をなでおろす。一連の流れを見させられた少年は、自分のふっかけを無視されたのだと思い、不機嫌そうに顔を顰めている。元は年相応の可愛い顔立ちなのだが、とにかく表情に一切の可愛げがない。



「何ふざけたこと言ってんだ。とにかく、美味しいかどうかもわからないパンなんて、売られても困るって言ってんだよ!」

 偉そうにふんぞり返り、少年は声を張り上げた。流石に往来でそんな発言をすれば、道行く人達の中にも気になって足を止める者が現れる。

 少年の行いは立派な営業妨害であり、これをまっとうな大人が聞けば怖い顔で叱って窘めるか、気が短い者なら怒鳴り散らして追い返すかもしれない。いずれにしても、少年は全く褒められないことをしているのだ。



「美味しいかどうか、って……」

 トロワは唇を尖らせて言葉を詰まらせ、やがてあっと表情を変える。

 そして、目の前に並べられたパンを一つ手に取り、躊躇いなく齧った。

「え、……」

 絶句する少年と、事の成り行きを見守っていた周囲の者達はぎょっとして、空気が固まる。

「お、お前、それ商品……」

「ん-っ、おいしい! 表面はちょっと冷めちゃってるけど、中はほんのりあったかい! ふかふかでいい匂い!」

 もぐもぐと咀嚼したトロワは、噛み締めるようにそんな感想を口にする。続けて二口、三口と食べて、やはり満足そうに表情を緩めている。



「ね、ちゃんとこのパンは美味しいよ! だから僕達、詐欺なんてしてないよね?」

 トロワは胸を張って少年にそう言った。その言葉には、少年を言いくるめてやろうという意図は見えず、ただ純粋にパンが美味しいこと、そして自分達の身の潔白を証明してみせたということだけを伝えようとしている。

 少年は、いつものように口論が始まらないことに苛立ち、まだ納得が出来ないを顔を反らした。



「そ、そんなの、言ってるだけかもしれねぇだろ! 俺は食べてないんだから、美味いかどうかわかるわけねぇし!」

 あまりにも見苦しい反論である。もはや難癖を通り越して、ただの駄々こねになっている。見ている町の人々が少年に呆れていると、トロワは屋台の脇から出てきて少年の傍へ来て、手にしたパンを半分にちぎった。

「じゃあ、はい! 君も食べてみて!」

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