第24話 魔界王子暗殺計画

「弟君を探す、でございますか……!?」



 ロバート・フォッシルは驚愕を滲ませ、言葉を復唱した。

「陛下、そのような無駄なことをせずとも……鏡の言うことなど、一笑に付してしまえばよろしいのです。誰が何と言おうと、魔界の王の座は今、貴方様が座しておられる。このロバートめがそれを保証し、下々に知らしめてご覧にいれましょう」

「余が魔王となったことに、疑いの余地はない。それは貴様に証明されるまでもなく、不変の事実である」

 ロバートの宥めるような言葉を、玉座に座るソルフレアは一蹴した。ロバートは慌てて恭しく平伏する。



「仰る通りでございます。……では、何故」

「もしシスの言葉通り、魔王の証と呼べる何かを持っているのだとしたら……放っておいては、後々の火種となる」

 そう口にするソルフレアは、再び白刃のような鋭い気配を纏う。彼女の言葉は、家族としての弟との再会を願うものではないと、その言葉と口調が物語っていた。

「そのために、早急に見つけ出し捕えなくてはならぬ」



「……捕える? 暗殺ではなくですか?」

 ロバートは訝しむように言葉を繰り返す。暗殺、と言いはしたが、何も密かに殺す必要などない。魔王の勅命という大義名分のもと、堂々と弟を処断することも可能である。魔界は絶対王政であり、どれだけ内外から反発があろうと、魔王がやれ言えば行動に移せるのだから。

 それなのに、だ。



「陛下、よもや」

「その弟が、『魔王の証』以外にも何か……魔王に関する重要な情報を持っていないとも限らぬ。それを問い質すまでは、殺すことはまかりならぬ」

 ロバートの言葉にかぶせるように、ソルフレアは強く言い切った。



「ロバート、この一件は其方に任せる。急ぎ彼の者を探し出し、余のもとへ連れて参れ。……前王の件については、引き続き箝口令を敷く。併せて前王殺害の犯人の捜索も急げ。余の命令に反した行為、断じて許してはならぬ」

 狼狽えていたロバートだったが、ソルフレアからの命令を受け、ロバートは再び深々と首を垂れる。



「畏まりました。……陛下、一つお伺いしても?」

「……許す。何か」

「もしも、この場に弟君を招き入れたとして……弟君が、ご自身こそが魔王の後継者であると主張なされた場合、陛下は如何様に……?」

 ロバートの問いに、ソルフレアは無言となる。しんと静まり返った広間に、張り詰めた空気が満ちた。



「愚問である」

 その静寂を打ち破ったのは、ソルフレアの声。

「魔王は、このソルフレア・ヤン・トゥルーエ。それ以外の何者もこの座に座ることは許さぬ。それがたとえ、弟であってもだ」

 広間の壁面に備え付けられた燭台達が、突然弾ける。豪奢な細工は無惨にも砕け散り、その内側から目が焼けるような真紅の炎が生じ、広間を赤く染め上げた。



 これがソルフレアの魔法である。燭台の僅かな火を触媒とし、可視化できるほどの凝縮させたジィンが紅い炎の姿となり、室内を舐めるように炙っていく。

 じりじりと照らされる肌に汗をにじませながら、ロバートは顔を歪ませて笑みを浮かべた。

「出過ぎたことをお聞きしました、どうかお許しください。……必ずや、弟君をここへお連れいたしましょう」


***


 その後、自身の領地へ戻ったロバートは、屋敷に戻るとすぐに人払いをし、書斎に引き籠った。



 広い室内は日当たりはあまり良くないが、ロバートが陽光を嫌うためあえてこの部屋を書斎とした。この部屋には長年のロバートの実績、長きに渡り王家に仕えてきた彼の全てがある。そして、それを支えてきたいくつもの〈魔導機マギア器〉も。



「……この期に及んで、弟を探すだと? おのれ、鬱陶しいことを言い出す……!」

 重厚な作りの机を、ロバートは貧弱な拳で叩く。既に老年の域に達しているロバートの体はあちこち衰え、じきに歩行も困難になりかねない。それでも、ロバートは苛立ちながら室内を杖を突きながらずかずかと歩き、壁にかかるカーテンを片手で開けた。



 そこにあるのは窓ではなく、一枚の古い鏡。そこに映る自身の顔を忌々しそうに睨みつけ、ロバートは鏡に向かって命じた。

「我が問いに答えよ、<見ざる者の鏡ゴダイヴァ・ミラー>。……『彼の者』は今どこにいる?」



 すると、鏡面はまるで黒い水面のように波打ち、ロバートの鏡像すら飲み込んで一切の光を反射しなくなる。やがて、黒い水はさっと透き通り、その向こうにとある景色を映していた。



「……やはり、まだ生きておる。ふん、あやつらでは駄目だったか。やはりタウルスはだめだ、愚鈍で融通が利かん……」

 鏡に映るどこかの景色、そこに立つ人影を見ながら、ロバートは心底蔑んだように吐き捨てる。

「いずれにしても、この者が魔界アースクルの地を再び踏むことなどあり得ぬ。魔王は一人、傀儡は一人で充分だからのぉ」

 そう言って、ロバートは耳障りな声で抑えるように嗤う。



 彼にとって魔王とは、自分が権力を持つための操り人形でしかない。それ以上の価値などないのだ。

「しかし、始原の鏡があそこまで話してしまうのは、想定しておらなんだ。弟の存在など知らなければ、あの小娘も平穏に魔王をやっていられたであろうに……おお、お可哀想なソルフレア様。このロバートめが、貴方様の悩みを打ち砕いて差し上げましょうぞ」

 まるで馬鹿にするかのように、大袈裟な手ぶりでロバートは一人芝居をして見せる。その姿は、若き女王を心から案じる忠臣のようであった。



「さて、この仕事を任す手駒は……やはりあやつか」

 そしてロバートはカーテンを引いて鏡を隠し、棚にある大振りな呼び鈴を鳴らす。部屋の扉が開き、屋敷に仕える執事が室内に立ち入って一礼した。

「お呼びでしょうか、旦那様」

「ティモールの若造を呼べ。重要な話ゆえ、急ぎ向かうようにと厳に伝えよ」

「かしこまりました」

 短い命令に疑問も返さず、初老の執事は再び一礼し、退室した。



***



 半日経過し、夜も更けた頃。ロバートの屋敷を訪れる人影があった。

「旦那様、失礼いたします。ティモール様がお見えになりました」

 執事からの報告に、書斎机で何事か書き物をしているロバートは、「通せ」と短く応じた。暫くして、再び部屋のドアが開かれる。



「夜分の来訪、失礼いたします。ティモール・アレニウス、只今参上いたしました」

 入ってきたのは、年若い男。辛うじて大人、と呼べるだけで、その顔立ちや雰囲気は未だ若さが残る。凛々しい顔つきに細身の体格、そして真っ先に目を引く淡い水色の長い髪、紺色を基調とする上品な衣装。貴公子、という言葉を、そのまま人物として具現化したような青年だった。



 「おお、ティモール。こんな時間によく来てくれたのぉ。急ぎ呼び出してすまなかった、不都合はなかったかな?」

 彼の姿を確認し、ロバートは嬉しそうに笑顔を浮かべて立ち上がる。杖を持ち直し歩いてこようとするロバートを見て、ティモールは慌てたように口調を揺らした。

「このティモール、フォッシル卿の命あれば、如何なる時分であろうと馳せ参じます。……どうぞお気遣いなく、フォッシル卿。そのままお座りになって頂いて……」

「ええい、年寄り扱いするでない。せっかくお前が来てくれたのだ、もっと近くで話をしようじゃないか。おや、持て成しの用意もせずに失礼した。これ、誰か」



 まるで孫の来訪を喜ぶかのように、ロバートは親しげに話しかけてくる。呼び出しの声に応じ、再び執事が姿を現した。

「こちらに」

「茶の用意を。急ぎ持ってくるのだ、その後は人払いを。……陛下からの重要なお話じゃ」

 執事は一礼し、下がっていった。陛下からの、という言葉を聞き、ティモールは僅かに表情を引き締めた。



「陛下の、と仰いましたか。では、私がここに呼び出されたのは……」

「うむ、そうだ。この話は……密命である」

 ロバートは低く答え、そしてゆっくりと部屋の中央にある応接セットの一つ、ソファに腰を下ろした。

「まずは茶を飲むとしよう。その後、ゆっくりと話をするとしよう。さあ、おぬしも座るがいい」

「は……それでは、失礼いたします」

 緊張を顔に出しつつ、ティモールは向かい合うように自身もソファに腰を下ろした。



***



「旦那様、失礼いたします。お茶の片付けをいたしますので」

「うむ」

 執事が再び書斎のドアをノックし、立ち入ってくる。その頃には、ティモールとの密談は終わり、書斎にはロバート一人が残っていた。

「ティモール様はお帰りになったのですか。このような深夜ですし、ご宿泊の用意も整えておりましたが……」

「あれが帰ると言って聞かなかったのでな。すまんなバージェス、気遣いを無駄にしてしまったか」

 椅子に座るロバートに、バージェスと呼ばれた執事はゆるりと頭を下げた。

「いいえ、お気になさらず。このような時間ですし、旦那様ももうお休みくださいませ」

 言いながら、バージェスは無駄のない動きでテーブルの上を綺麗に片付け、使用済みの食器類をワゴンに乗せていく。

「寝室の支度は整えてございます。それでは、私はこれで」

「うむ、ご苦労であった」

 バージェスは一礼し、静かに退室した。残されたロバートは、暗い窓の向こうを眺めている。

「ふう、若造の相手は疲れるのぉ……せいぜい励むがよいぞ、ティモール」

 疲労の色をにじませながらも、老獪な策略家は一人静かに微笑んだ。

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