第23話 <閑話>トロワちゃんのおでかけハウス


「いいかトロワ、お前はまずこの世界の常識から知っておく必要がある」



 自然に囲まれた街道を歩きながら、ウィルは少し先を歩くトロワに向けてそう言った。

「じょーしき?」

 目の前に広がる景色に見惚れながら歩いていたトロワは、不思議そうに振り返ってきた。



「僕、常識を知らないの?」

「金の概念も知らなかったくせに自覚がないのかよ……」



 ウィルが呆れたように呟くと、むっとしたようにトロワは唇を尖らせた。

「だってぇ、僕お金なんて使ったことないんだもん。ずっとお屋敷の中で暮らしてて、欲しいものはおとうさまに言えば持ってきてくれたし……」

「どんだけ甘やかされてきたんだお前」

 そう言っておきながら、ウィルは自ら気付く。なんといっても、トロワは魔界の王子なのだ。そりゃあ甘やかされるというか、世間知らずなのも仕方がないのかもしれない。



「とりあえず、自分で買い物くらいは出来るようになれよ。あとで金の計算も教えてやるから、ちゃんと覚えること! 勉強も修行の一環だろ?」

「はいっ! 僕、お勉強大好き! 知らない事を教えてもらうのって、楽しいもん!」

 元気よく返事をするトロワに、ウィルは内心意外だと驚いていた。ウィルはあまり勉強が好きではないからだ。

 資格取得のために机に齧りついたこともあったが、本来のウィルは体で動いて覚えるタイプなのだ。やれと言われても、なるべくならやりたくない。やらなくてはならないなら、渋々やる。ウィルにとって勉強とはそういうものだった。



「ま、それはそれとして……そろそろ何処か寝るところ決めないとな」

 そう言って、ウィルは周囲を見回す。今から向かうカモカの町は、タイゼーンから馬車で向かって大体半日ほどの距離である。最新式の〈精密機ギア械〉を利用した大型貨物車両なら、その半分で済むらしいが、ウィルは本物を見たことがないため真偽を疑っている。

 それはともかくとして。ウィル達の移動手段は、それぞれの足である。当然、カモカの町にはまだ到着できない。



「この辺りは結構木が多いし、地面もそこそこ平坦だな。街道沿いの開けたところでも見つけられたら一晩ぐらい何とかなるだろ。暗くなってからじゃ碌に薪も拾えないし……」

 色々なことを思案しながらそんなことを言うウィルを、残りの二人は不思議そうに見ている。

「……何だよその顔は」

 視線に気付いたウィルは、こちらも不思議そうに見返す。

「お前ら、俺よりも先に野宿したんだろ? 地面で寝るにしても、どうせなら安全で寝やすいところの方がいいだろうが」



「のじゅく、って?」

「トロワ様。野宿とは、野外で宿泊することを、言います。一般的には、テント等も、使用せず、体一つで、野外で夜を過ごすことを、指します」



 クレシアの丁寧な説明……ずっとウィルのやや後ろを歩いていたのだが、無言だったため存在感が薄かった……を聞き、トロワは驚いたように目を丸くした。

「ええっ、お外で寝るのぉ!? そんなことしていいのぉ!?」

「野宿は、宿泊する施設が、用意できず、やむを得ない状況で、選択する場合が、多いです。安全面、衛生面、休息効率からしても、すすんで選択する場面は、多くないかと」



「……あれっ? お前ら、この間は野宿したんじゃないのか? ほら、俺んちに来る前に」

 どうも様子がおかしい、とウィルは改めて確認することにした。トロワの口調は、今初めて野宿の何たるかを聞かされたと言わんばかりである。

 ウィルの認識では、トロワ達は数日前まで野宿をして夜を凌いでいた、と思い込んでいたのだが。



「やだなぁおにいさまったら。僕達、お外で寝たりなんてしてないよぉ!」

 可笑しそうに笑って、トロワはあっさりと否定した。

「は? じゃあ、この間はどこに……」



「こちら、です」

 クレシアの声に、ウィルは視線を移した。クレシアがエプロンのポケットに手を差し込み、何かをつまんでとりだす。

 白い指に摘ままれていたのは、掌サイズのシンプルな屋敷……の、模型だった。

 造形自体は非常に作り込まれており、玄関と思しき扉を挟んで照明のようなものまできちんと作られている、窓枠にも安っぽいフィルムではなく、おそらく硝子がきちんとはめ込まれている。その向こうにはカーテンのような布が見えており、内装まで整えられていることが窺えた。

 ウィルが子供の頃に見た、子供が遊ぶ用の模型よりも遥かに上質な、それ自体が完成度の高い一つの芸術品だった。



「……いや、いやいやいや。それオモチャじゃねーか!」

 あまりの出来の良さにまじまじと観察していたウィルだったが、はっとして声を上げた。

 そう、その模型がどれだけ精巧に作られていようと、模型は模型である。これで何が出来るのかといえば、おままごとくらいだ。

 ひょっとして揶揄われてるのか。ついそんなことを考えたウィルだったが。



「そっか、おにいさまは〈おでかけハウス〉のこと知らないんだ! じゃあクレシア、見せてあげて!」

 トロワは理解したとばかりにそう言うと、クレシアに向かって何かを命じた。

 見せるって、何を?



「承知、いたしました、トロワ様」

 クレシアは頷き、そして模型を手にしたまま右を見て、左を見る。

「あの木の陰は、如何でしょうか?」

「うん、いい感じ! じゃあお願い!

「はい」

 トロワとクレシアは何かを相談し合い、そして合意したらしい。 



 なにがなんだか、全然わからん。とウィルが目を瞬かせていると、しゃがみ込んだクレシアは模型の屋敷をそっと木の陰に置き、そしてその玄関の扉に「ちょん」と触れた。

 その瞬間、クレシアの姿が光に包まれ、消えてしまった。正確には、模型の中に吸い込まれてしまった。



「え、な、え……!?」

 目の前で起きたことがにわかに信じられず、ウィルは引き攣った顔で意味のない声を零す。そんなウィルを後目に、トロワは軽い足取りで模型の方へ駆け寄っていく。

「ほら、おにいさまも一緒に入ろ!」

「いや、入るって……だって、そんな小さいのに」

「だいじょーぶだよぉ! ね、早く早く!」

 狼狽えるウィルの手を取り、トロワはニコニコと笑いながら模型の方へと近づいていく。引っ張られるままウィルもそれに続き、木の根っこの陰に置かれた模型の前にしゃがみ込んだ。



 クレシアがそうしたように、トロワも模型の屋敷の玄関扉を「ちょん」と触る。その瞬間、トロワとウィルはまとめて眩しい光に包み込まれた。

「……っ!」

 咄嗟に目を閉じたウィルだったが、まるで気のせいだったかのように光が消えていることに気付き、おそるおそる目を開けた。そして、そのまま目を丸くする。

「な、な、な……なんだ、これ……!」

 目の前に広がる景色は、先ほどまでいた街道ではない。そもそも、外ですらない。



 ウィルは、いつの間にかどこかの部屋の中に立っていた。しかもその部屋は驚くほど広く、内装も豪華、調度品も全てが上質で、高い天井の真ん中には煌めくシャンデリアが吊るされている。何か音がすると思えば、重厚そうな作りの暖炉に薪がくべられ、ぱちぱちと火が爆ぜていた。

「俺は、夢でも見てるのか……!?」

 呆然とするウィルの横をすり抜け、トロワは全く躊躇わずその空間を歩いていく。暖炉の前に広げられたソファまで行くと、トロワは両手を広げた。



「ようこそおにいさま、僕のお部屋へ!!」

「は?」



 間の抜けた声を出すのが精一杯のウィルに対し、トロワは慣れた様子でソファに腰を下ろす。すると脇から誰かの気配がして、慌ててウィルが振り向けば、そこに立っていたのはクレシアだった。

「ウィル様、どうぞ、おくつろぎください。今、お茶を、ご用意いたしますので」

 そう話しかけてくるクレシアの手には、確かにポットやカップを乗せたトレーがある。それら全てが、ウィルは触ることも躊躇うレベルの上質な食器であることは明白だった。



「いや、待て待て待て! いきなり連れてこられたけど、ここはどこなんだよ! 俺達、さっきまで街道脇の茂みにいただろ!?」

「場所は変わってないよぉ。さっきクレシアが見せてくれた、あの小さなお家の中がここなんだ! 〈おでかけハウス〉っていうの、凄いでしょ?」

 得意げに説明するトロワの前に、クレシアは入れたてのお茶を差し出す。ポットから注がれる見慣れない色のお茶は独特の匂いを放ち、ウィルの鼻先を擽ってくる。決して不快ではなく、むしろ気持ちが落ち着く不思議な匂いだった。



「お、おでかけハウス……? 何だそれ?」

 謎の名称に疑問を呈するウィルに、クレシアが応答した。

「正式名称は、〈トロワちゃんのおでかけハウス〉、です」



「……それ、誰がつけたんだ?」

「私の、〈製造者ダディ〉、です。魔界随一の、科学者、ヘンリー・カールフィッシャー、です」

 クレシアは一切の表情の変化なく答えた。ウィルは思考を放棄することにして、トロワの向かいのソファに腰を下ろす。今まで座った椅子の中でも、比べようがないぐらい座り心地がいい。



「とりあえず難しいことは置いといて……お前、夜はここで寝泊まりしてたってこと?」

「うん! 住んでたお屋敷よりは狭いけど、でも修行してるんだから、贅沢は言っちゃだめだよね。それに、僕とクレシアだけなら、これだけでも充分だし!」

 トロワは何でもない事のように語り、クレシアが出した茶菓子のクッキーをムシャムシャ食べている。贅沢は言えない、と言いはするが、ウィルにとっては見たことのないほど贅沢な部屋を独り占めしているようなものだった。

「これが、庶民と王族の差……っ!」

 価値観の差で頭痛がしてくる。思わず頭を抱えたウィルだったが、目の前にお茶のカップを差し出されてふと気づく。



「もしかして、食べ物や飲み物もあるのか?」

「はい。あちらの、キッチンに、調理済みの食事が届く、仕組みになっております。トロワ様が、飲食に困ることの、ないようにと、〈製造者ダディ〉の設計に、なります」

「……届く?」

 食事が届くとは、これ如何に。飲食店から食べ物を運んでもらう、出前というサービスは確かにあるが、この〈おでかけハウス〉とやらにその出前が来ると言うのか。来るとしたら、一体どこから。



「宮廷調理師が、一日三度の食事と、非常時用の携帯食、また長期保存可能な備蓄食を、適宜こちらに転送デリバリーしてくださいます。ウィル様も、勿論ご利用いただけますので、ご要望があれば、このクレシアに、お伝えください」

 クレシアの説明を聞いても、ウィルにはさっぱり理解できなかった。ちらりとトロワを見ると、トロワはきりっと表情を引き締めて、説明をしようと試みる。



「えっとね、おにいさま。この〈おでかけハウス〉はまぎ、ま……えっと……」

「〈魔導機マギア器〉です、トロワ様」

「そう! 〈魔導機マギア器〉っていうやつでできてるんだよ! ……あーん僕が説明したかったのにぃ! クレシア、先に言っちゃダメだよぉ!」

 横槍を入れられたことにトロワは不満らしいが、それを踏まえても碌に説明できていない。

「申し訳、ありません、トロワ様」

 そしてクレシアはきちんと謝るのである。一連の流れを、ウィルは流すことにした。



「まぎあ? 〈精密機ギア械〉とは違うのか?」

「〈精密機ギア械〉は、物質的な燃料を糧とする、動力源を用いた装置の、総称です。対する、〈魔導機マギア器〉は、ジィンを糧として、作動するものです。こちらは、魔術を封印することで、使用者の魔術を介さず、発動する器具も、内包した呼び名に、なります。魔界では、〈精密機ギア械〉は、環境汚染や、燃料の獲得に関する、様々な問題から、現在ではあまり、推奨されておりません」



 クレシアの説明を聞くと、どうやら魔界では〈精密機ギア械〉は時代遅れになりつつあるらしい。魔界がどんなところなのか、ウィルには想像もできないが、もしかしたらこの世界よりもずっと文明が発達しているのかもしれない。

 少なくとも、ウィルはジィンを燃料として動く〈精密機ギア械〉なんて、見たことも聞いたこともなかった。

「うー、難しい話はわかんないよぉ……」

 話についていけないトロワは、しわしわに顔を顰めている。かくいうウィルだって、碌に理解なんてできていない。



「ま、細かいことは置いておいて……一先ず、今夜はここで過ごせるんだな。野宿にならなくて済むなら、それでいいや」

 そう言ってウィルはのんびりとソファに身を預けた。ふかふかのソファは酷く座り心地がよく、このままここで寝られたらどんなに幸せだろう、なんて考えてしまう。

「一晩なんて言わないで、ずっとここで寝ればいいよ! おにいさまだもん、一緒に〈おでかけハウス〉を使っても構わないよね?」

 トロワはどこか嬉しそうにそう言って、クレシアに許可を求めていた。



「こちらは、トロワ様のための、〈魔導機マギア器〉ですので、トロワ様が望まれるように」

「やったぁ! ねぇおにいさま、一緒にお風呂に入ろうよぉ! 僕、誰かと一緒に自分のお部屋で過ごすのって初めてだから、すっごく嬉しいなぁ!」

 トロワが何事か言っているが、一日歩き続けた疲労が出てきたウィルの方は、既に意識が溶けつつあった。提案された内容の意味がすぐに理解できないまま、ウィルは適当にうんうんと頷いていた。

「おー、いいぞいいぞ。風呂でも何でも、一緒にやってやるよ……」




****





「寝るのも一緒なのかよ!?」

「だっておにいさま、何でも一緒にやるって言ったよぉ」



 言質を取られたせいで、渋々二人一緒に入浴を済ませたウィルだったが、何処で寝るのか確認して連れていかれた部屋で声を裏返した。

 先程までいた部屋の奥には、寝室が続いていた。部屋の広さはやや控えめだが、それにしてもウィルからすれば『不必要に』広い。そしてその部屋の中央には、これまた『不必要に』豪華なベッドが、一台。

 そう、一台なのだ。



「そりゃ、俺は泊めてもらう身ではあるけどよ……」

 天井に設置されたシャンデリアに灯りはなく、ベッド脇に置かれたいくつものランプが薄暗い部屋をぼんやりと照らしている。これから寝るのだから、煌々と室内を明るくする必要は確かにないが、ウィルはどことなく落ち着かなかった。

 何が悲しくて、男二人で一つのベッドを使わなくてはならないのか。



「俺、あっちのソファで寝てもいいけど? つーか、そっちの方がよくない?」

「ソファで、寝る!? だめだめ、そんなのダメだよ、お行儀が悪いよぉ!」

 トロワは信じられないとばかりに却下してきた。ウィルからすると、それぐらい別にいいじゃん、という程度だが、どうやらトロワの感覚では到底受け入れられないレベルの無作法らしい。



「クレシアぁ、お前からも何とか言ってくれよ。何も二人で並んで寝る事ねぇだろ?」

 困り果てたウィルは、背後に控えているクレシアを振り向く。彼女なら、トロワのベッドに他人を入れることを拒否するのでは、とウィルは踏んだのだが、

「申し訳、ありません、ウィル様。こちらは、トロワ様のみの使用を、想定した〈魔導機マギア器〉と、なっているため、寝具の用意が、一人分のみと、なっているのです。現状において、最善の対応策は、トロワ様のご提案である、同衾であると、判断いたします」

 同衾。その言葉の意味は分からないウィルだが、どうやらクレシアも味方ではないということだけは理解した。



「それでは、私は隣で〈待機〉しております。何かあれば、いつでも、お呼びください。おやすみ、なさい、よい夢を」

 そう言うと、クレシアはぺこりと頭を下げ、無音でドアを開けて退室していった。

「……あれ、クレシアは何処で寝てるんだ? 寝具が一人分しかないって言ってたけど」

 ふと浮かんだ疑問を口にするウィルに、トロワが応じた。

「あっちのお部屋にある、〈ケース〉っていうので寝てるんだって。クレシアはメイドロイドだから、ベッドよりそっちの方がゆっくり眠れるって、クレシアが言ってたよぉ。メイドロイドって、立って寝る方が落ち着くんだって、不思議だよねぇ」

 喋りながら、トロワの声が少しずつ溶けていく。最後には目をぐしぐしと手で擦り、大きな欠伸を掌で抑えている。かなり眠いらしい。



「ほっといたら立ったまま寝そうだな」

「うー……そんなこと、しないもん……」

「目が開いてないぞ。……ほら、目の前にあるんだからベッド行けって」

 応答も怪しくなってきたトロワを促すと、パジャマ姿のトロワはのそのそとベッドに乗り上がり、布団の中へ潜り込む。まるで猫が毛布の中へ埋もれていくかのような、無駄のないしなやかな動きだった。



「おにいさまもぉ、早く……んにゃ、ここに来てぇ……」

 半分寝ている声で言いながら、トロワは自分の隣をてしてしと叩いて示す。豪華なベッドはトロワが三人並んで寝ても余裕がある広さである。ウィルはため息とともに腹を括り、言われた通りにトロワの横に自分の体を潜り込ませた。まるであたたかな雲に包まれたかのような寝心地に、ウィルは至福の吐息を零した。



「えへへ、おにいさまと一緒ぉ……うれしいなぁ……」

 枕ひとつ分の距離を詰めて、トロワがウィルの腕にすり寄ってきた。

「おい、こんなに広いベッドなんだから、別に引っ付かなくてもいいだろ」

 そう言ってウィルはトロワを押し返そうとするが、満ち足りた表情で頬を押し付けてくるトロワを見ると、無理やり押し退けることに罪悪感を覚えてしまい、結局伸ばした腕は何もせずに引っ込めてしまった。



「ったく、仕方ねぇな……俺はもう寝るからな、静かにしてろよ」

「はぁい、おにいさま……」

 返事をし終える前に、トロワは眠ってしまったらしい。静かな寝息だけが聞こえてきて、ウィルはやっと気が抜けた。



 思えば、今日は朝から歩きっぱなしだった。トロワが頻繁に疲れを訴えては休憩を求めたため、予想より進みは遅かったものの、こうして安全な場所で夜を過ごせるのだから、この際小さなことは流してやることにしよう。

 そんなことを考えていると、ウィルも大きな欠伸が浮かんできた。大きく息を吸えば、一気に眠気が意識を絡め取ってくる。

「……誰かと一緒に寝るのなんて、何年ぶりかな……」

 ぽつりと呟いて、ウィルもやがて寝息を立てて深い眠りに沈んでいった。




****




「よーし! 今日も元気に頑張るぞっ!」

 次の日、睡眠も朝食もしっかりと摂ったトロワは、身支度も整えて元気よく拳を振り上げていた。

 クレシアもいつものように無言で脇に控えている。二人に対して、ウィルの方はと言えば。



「お前、元気だなぁ……ふあ、あ……」

「あれっ? おにいさま、なんだか眠たそう……?」

 トロワの言葉通り、ウィルはあくびをかみ殺しており、その目元も未だ眠気を引きずっている。



「ウィル様、昨晩は、あまり眠れずに、いたのでしょうか? 何か、不足が、ありましたか?」

 クレシアは無機質に、言葉だけは心配そうに問いかけてくる。

「いや、まぁ……慣れない場所だったからか、あんまりよく眠れなくてな」

 苦笑いと共にウィルはそう説明する。ベッドのマットも布団も、あまりにも柔らかくて体が馴染まず、眠りが浅いまま朝を迎えたとはとても言えなかった。所詮、ウィルにとっては過ぎたる寝具だったという事だろう。



「そうなのぉ? おにいさま、大丈夫?」

 かたやしっかりと熟睡したトロワは、十分な睡眠のおかげで血色のいい顔を心配そうに翳らせてウィルを覗き込んでくる。

「平気だって、このぐらい。体はしっかり休んだし、今日こそ街に到着しないとな。よし、じゃあ行くか!」

 眠気を吹っ飛ばすように、ウィルは無理やり元気を出して宣言する。入ってきたドアを開ければ、元々いた街道脇の木陰に出るはずだ。

 何の疑いもなくそう信じてドアを開けたウィルは、一歩踏み出した足に何もつかないことに気付いて動きを止めた。



「……?」

 予想なら、短い草が散り散りに生えた地面を踏みしめるはずである。そして、目の前には木々が広がって向こうには街道が……

「そら……?」

 ウィルの口から洩れた言葉は短い。目の前には早朝の爽やかな空が広がっている。

 空だけが、広がっている。



「…………っ!?」

 物凄い速さで、ウィルはドアを閉じた。足が床に着くことを実感し、一瞬前まで目前にあった恐怖と現在の安心が内部でぐちゃぐちゃに合わさり、ウィルの心臓が物凄い勢いで打ち鳴らされている。



「ど、どうしたの、おにいさま!?」

 背後で一連の動作を見ていたトロワは、尋常ではない様子のウィルに声をかけてきた。

「……なぁトロワ」

「なぁに?」

「この〈おでかけハウス〉って、俺達が中にいる間はどうなってるんだ……?」

 震える声で問いかけるウィルに、トロワはきょとんとした顔を向ける。



「どうって? どういうこと?」

「だから、俺達が中にいる間、この建物はどういう状態なんだよって!」

 混乱のまま質問を重ねるウィルだが、言葉が足りないせいで何を問い質しているのかわかりにくい。そこでクレシアが口を挟んだ。

「ウィル様。ご質問の意図が、些か不明瞭、です」

「……よし、分かった。少し落ち着く」

 クレシアに言われて、自身の混乱を自覚したウィルは、一度静かになり深呼吸をした。そして、改めて二人に問いかける。



「今ドアを開けたら、明らかに元の場所と違うところだったぞ。昨日は確か、木の陰に置いてただろ? その後、俺達がここに入って……そこから今に至るまで、この〈おでかけハウス〉はどうなってるんだ? もしかして……ずっとあの木の陰に置きっぱなし?」

「はい。その理解に、相違ありません」

「目隠しとか、持ち去り防止とか、そういう対策も無し……?」

「特に、そのような効果は、付加されて、おりません」

 クレシアの答えは一切の淀みがない。トロワはこの問答にどんな意味があるのか分からず、ウィルとクレシアの顔を交互に見つめているだけだった。



「……ってことはよぉ。俺達がこの中にいる間に、誰かが〈おでかけハウス〉を持ち去ったり、とんでもない場所に捨てたりしたら、俺達はどうなる……?」

 ウィルはおそるおそるその問いを口にした。

「……」

 クレシアは目を閉じて、無言になった。珍しくすぐに答えない彼女の姿に、嫌な沈黙が周囲に満ちた。



「回答例の検索、終了しました。……〈おでかけハウス〉が、意図しない場所に、設置された場合、の回答、です」

「おう」



「自己責任、です」

 きっぱりと、クレシアは答えた。

「……なんじゃそりゃああああああああ!!」




***




 その後、ウィルは二人に現状を説明し、クレシアにはドアの向こうの景色を確認させ、〈おでかけハウス〉の現在位置を予測した。



 落ち着いてドアの外の景色を観察したところ、どうやら高い木の枝に引っかかっているらしい。おそらく、ウィル達が〈おでかけハウス〉の中に入った後に野獣か野鳥か、とにかく野生動物が興味を持ってそれを持ち去り、適当な木の枝に引っかけていったのだと推測した。見た目は小さく綺麗な玩具のため、光物に興味を示す動物には格好の獲物だったに違いない。


 三人で頭を寄せ合って打開策を講じ、結果としてクレシアが最初に外に出て地面に着地、その後〈おでかけハウス〉を回収して安全な場所に設置してから、残りの二人が外に出る、という方法を取った。

 クレシアが移動させている間、中にいる二人は騒音も振動も一切感じなかった。どうやら外部からの干渉は一切遮断するように作られているらしいが、そのせいで昨晩の持ち去りに気が付かなかったのだから、この効果も良しと言い難い。



「トロワ様、ウィル様。お待たせ、いたしました。周囲の安全確認、終了いたしました」

 室内に入ってきたクレシアがそう報告し、トロワ達はやっと外に出られた。ウィルは地面を確かめるように何度も踏みしめ、そして大きく深呼吸をしている。

「わーい、やっと出られたぁ!」

「あの時の景色、暫く夢に出そうだな……ああ、地面があるって素晴らしい……!」

 無邪気に喜ぶトロワの横でぶつぶつ呟くウィルだったが、ふと顔を上げて周囲を見回す。



「……ここ、どこだ?」

「ふぇ? ……そういえば、昨日の場所と、違う……?」

 昨晩〈おでかけハウス〉を置いた場所と、景色が違う。木々の密度、地面の様子を見るに、街道の脇というより森林に近い場所だった。

「クレシア、何処まで移動してきたんだ?」

「私の、移動距離は、2.3メートです。あの木が、初期位置になります」

 ウィルの問いに、クレシアは地面に置かれた小さな〈おでかけハウス〉を回収しながら、すぐ近くの木の上方を指し示す。彼女が動かした距離は些細なもの。ならば、この景色は……



「そうか、昨日の持ち去りで……って、どこまで移動しちまったんだ!?」

「クレシア、分かる?」

「お任せ、ください。昨晩の、位置情報を確認。現在位置との距離を、計算いたします……およそ、30キトメ、昨晩の位置から、北西に移動、しております」

 クレシアはものの数秒で位置を把握してくれた。それに驚くよりも先に、彼女が口にした数字にウィルは顔を引きつらせた。



「さ、さんじゅう、キトメ……!?」

 ざっくりと計算して、半日歩く距離である。しかも北西という事は、進行方向の殆ど逆、つまり。

「ほとんど逆行してるじゃねーか!!」



「え、え? どういうこと? 僕達どうなっちゃうの、おにいさま?」

 トロワは話についていけずぽかんとしている。ウィルはその辺に落ちていた枝を拾い、地面にがりがりと線を引いて説明した。



「俺達はここに向かって歩いてきた。で、昨日ここら辺まで歩いて、〈おでかけハウス〉で夜を過ごして、起きたら大体この辺にいたってこと」

「ふんふん。……あれっ、僕達もしかして、逆方向に移動しちゃってたの?」

「はい、よくできました、大正解。……はぁ、まあこの程度で済んだと思えば、まだマシか」

 ぽい、と枝を放り捨て、ウィルはため息を吐く。



 最悪、人に拾われて馬車で移動されていれば、これをはるかに超える距離を移動していたかもしれないのだ。半日歩いて取り戻せる距離なら、と肯定的に受け止めることにする。そうでなくてはやってられない。

「よし、とにかく歩くぞ。今日こそは街に着かないと……」

「どうして? もし今日中に着かなくても、〈おでかけハウス〉があるから大丈夫だよぉ」

 トロワは能天気にそんなことを言い、ウィルは唖然としてそのぽやぽやした顔を凝視する。



 どうやらトロワは、〈おでかけハウス〉の重大な欠陥を理解していないらしい。

「こんな危ないもん、もう使えるか!! 今日街に着かなかったら、今度こそ野宿だからな!!」

 ウィルの言葉に、トロワはガーン! と分かりやすくショックを受ける。



「そんなぁ、僕達お外で寝るのぉ!?」

「それが嫌なら歩け! そら歩け! きりきり歩け!!」

「わーん! ……あっ、でもお外で寝るの、初めてだからちょっと楽しみかも」

「楽しみにするもんじゃねえから!」



 やいのやいの騒ぎながら歩く二人の後ろを、クレシアは無言でついて歩いた。



〈おまけ・終〉


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