第7話 触媒師

その後、無事に元の年齢に戻ったリアは仕立て屋で自分に合う服を探していた。

機嫌は治ったようでエミリーと一緒に楽しげに服を見ている。

ラテリアからはこれからのことを考えて見た目より機能性を重視した服を購入するよう言われていたが、二人が手に取る服はどれも凝った装飾の施された可愛らしいものばかりで、とても彼の忠告を守ろうとしているようには見えない。


「なあ、そろそろ行こうぜー」


ネンコがしびれを切らして二人に声をかける。

はじめは店内に掲げてある様々な文字を読みながらはしゃいでいた彼だったが、一時間以上も待たされて流石に退屈したようだ。


「もうちょっとだけ待って」


「申し訳ありません。ネンコ様。もう少しで出ますので」


ネンコは、こちらを振り返りもせずに声だけ寄越してくる二人を眺めながら、諦めたように深い溜め息を吐いた。



それから更に一時間ほどして、ようやく三人は店を出た。

リアの頭の上で、ネンコは眠りこけている。


「リア様。お似合いですよ」


エミリーにそう言われて、リアは照れたように頬を掻く。

彼女の格好は入店前と比べて随分と様変わりしていた。

みずみずしい草木の若葉を連想させる淡い緑色をした袖なしのシャツの上から、褐色のカーディガンを羽織っている。

カーディガンは半袖で太めのウエストベルトでしっかりと固定されており、ちょっとやそっとのことでははだけないようになっていた。

腰から下には太ももの中ほど辺りまであるズボンと黒い長めの靴下を身に着けている。

一見すると旅人のような出で立ちで、かなり動きやすそうだ。

また、これ以外にも衣類を数点購入しており、エミリーが持参してきた大きめの革袋の中に詰め込んでいた。

締めて銀貨八枚と、結構な額になったが、ネンコを除いた二人は満足げだ。

ちなみに銀貨十枚で金貨一枚の価値があり、金貨二枚あれば一ヶ月は充分に生活できる。

今回の買い物の支払いは全てラテリアの懐から出ている。

リアは旅の途中で得た金貨が四十八枚もあるため支払いは自分ですると話したのだが、その金は何かのときのために取っておけと言われてしまい聞き入れてもらえなかった。


「さて、あとは仕事に必要な道具を買い揃えましょうか」


「道具ですか?」


「はい。背負袋、水袋はリア様もお持ちでしたが、あれは流石に新調した方が良いでしょう。触媒袋はなかなか立派なものだったのでそのまま使えそうですね。あとロープと油壺はあると便利です。火口箱のような魔術で代用できるものは買わなくても大丈夫でしょう」


エミリーは歩きながら、次々と揃えるべき物を言い連ねる。

そして、表通りから離れた場所にある一軒の店の前で足を止めた。


「ここで買っていきましょう」


さっさと店に入っていくエミリーにリアも遅れじと続く。


店の中は昼間にも関わらず暗かった。

明かりは開けた扉から差し込む幾筋かの陽の光だけだ。

その光すらも店の中ほどまでしか届いておらず、奥の方は闇に包まれている。

更に革や鉄、野草など様々なものが入り混じったような得も言われぬ匂いが充満していた。

商品棚には見慣れた生活用品から何に使うのか想像もつかないような形状のものまで所狭しと陳列されている。

リアが呼吸を最小限に抑えながら商品を眺めていると、店の奥の闇がもぞりと動いた。


「……いらっしゃい」


ぎくりとして声のする方を見ると、暗がりにひとりの老婆が立っていた。

背中は歩くのも辛そうなほど曲がっており、衣服から除く手足はやせ細っている。


「あら、ご無沙汰してます。エモさん」


老婆に気づいたエミリーが丁重に頭を下げる。


「そちらは?」


エモと呼ばれた老婆はリアに向かって顎をしゃくる。


「ああ、この子はレナ。ラテリア様のお弟子様ですわ」


「ほう。ラテリアの」


エモは本当に開いているのかすら怪しい細い目でリアを見つめる。

リアは何やら居心地が悪そうに何度も頭を下げた。

老婆はしばらくそうしていたが、興味を失ったのかリアから視線を外し、エミリーに近づく。


「して、今日は何を? 触媒採りの準備かね?」


「はい。と言ってもこの子のですが」


そう言うとエミリーはリアの背中を軽く押した。


「何? このお嬢さんは、触媒師なのか?」


「まだ、これからですが」


エモは再びリアに視線を向ける。

顔には驚きと一緒に喜びの感情が浮かんでいた。


「そういうことなら、ちょっと待ってなされ」


エモはそれだけ言うと、いそいそと店の奥に戻っていく。


「なんか嬉しそうですね」


リアは理由が分からずエミリーに尋ねた。

エミリーは老婆の向かった先を見つめたまま質問に答える。


「ラテリア様からエモ様は昔、優秀な触媒師だったと聞いています。魔術の素養はなかったようですが、触媒の知識と剣の腕は素晴らしかったと。ラテリア様とともに世界各地を回り、多くの希少な触媒を発見したその道では有名な方です。お歳を召されて第一線を退いてからは、こちらにお店を構えて触媒や冒険に必要な雑貨などを売りながら若い触媒師の育成に励んでおられたようですね。しかし……」


彼女は美しい顔を曇らせて話を続ける。


「触媒師は大変な仕事です。その割には実入りが少ない。そのため、触媒師の数は減少の一途を辿っています。エモ様の元にも当時は沢山のお弟子様がいらっしゃったようですが、結局おひとりを残して全員辞めてしまわれたようです。そして、最後まで残っていた方も二年前にここを出て行かれました。それからは、エモ様おひとりで店を切り盛りしていましたが、見ての通りのご老体、そろそろ店をたたむことを考えておいでのようですね」


沈痛な面持ちで話を聞いているリアにエミリーは微笑む。


「だから、嬉しいのではないのでしょうか。新しい方がご自分と同じ道を歩もうとされていることが。私が触媒師を始めたときも喜んでおられましたよ」


「そうなんですか」


そんなことを話していると、エモが戻ってきた。

両手に複数の収納が付いた大きめの肩掛け鞄ときれいに畳まれた若草色の外套を抱えている。


「これは?」


エミリーが荷物を受け取りながら尋ねる。


「触媒採りに必要なものは一通り揃っておる。鞄の中にも入れておいたよ」


エミリーはリアに鞄を渡して中を確認するように促す。

リアが鞄を開くと中には、様々な形状の刃物が四本とシャベル、小型のピッケル、ピンセット、そして水袋が二つ納められていた。

また、鞄の横の収納にはコルクで栓のされた試験管が三本挿してある。


「魔術で補えるものは外しといたよ。そのお嬢さんは魔術師なんだろう?」


「ご明察。さすがはエモ様」


「魔力を感じることはできないが、仕事柄いろんな魔術師を見てきたからね。それぐらいは分かるさ」


元触媒師の老婆はひっひと笑う。


「他に欲しいものは?」


「そうですね。あとは何か簡単な依頼はありますか?」


エモはふむと頷いて、付いてくるよう手招く。

奥は想像以上に暗かったため、リアは足元を確認しながら恐る恐る歩を進める。

エミリーは以前、通ったことがあるのかリアに比べて足取りは軽い。

しばらく進むと、古びた木製の扉が姿を現した。

エモは何も言わずに扉を開ける。

扉の中は小部屋になっているようだが、闇が広がっており何も見えない。

と、不意に部屋の天井から吊り下がっているランタンにぽっと火が灯った。

温かい光が室内を照らし出す。


「魔法?」


リアが不思議そうに尋ねる。


「そうじゃよ。昔、どこかの世話好きの魔術師がこちらが頼みもしないのに勝手に掛けていったんさね」


「世話好きの?」


隣でエミリーがクスクスと笑っているので、ラテリアのことだろうかとリアは考える。


「そんなことより、早く入らんかね」


老婆に急かされて部屋に入ったリアは思わず声を上げた。


「うわぁ……!」


室内には大量の触媒が所狭しと並べられていた。

その辺りで見つけることができるようなありふれた品から滅多に目にすることが出来ないような希少な品まで。

魔術師の目には宝の山に映ることだろう。

もちろんその端くれたるリアにとっても例外ではない。

彼女は感動のあまりしばらく言葉を失っていたが、次第に落ち着いてくると、ひとつひとつの触媒をじっくりと観察し始めた。

エモはそんなリアを横目に見ながら、在庫を確認する。


「そうさねえ。蝶の鱗粉とコウモリの爪、あと少し手に入れるのは難しいかもしれんが、水晶が足らないね。蝶の鱗粉は百グラムで銀貨四枚、コウモリの爪は十個で銀貨一枚、水晶は一キロで銀貨五枚といったところかね」


水晶という言葉を聞いて、リアは思わずあっと声を上げる。


「エモさん。竜の鱗は置いてませんか?」


「竜の鱗も今ないねえ。最近、竜が討伐されたという話も聞かないし。久しく仕入れてないよ」


「そうですか」


水晶の欠片と竜の鱗があれば、どのような魔法でも一度だけ無効化できる『守護』を唱えられる。

魔法抵抗力を持たないネンコに掛けてあげたかったのだが。


「仕入れたら教えるから、待ってなされ」


エモは落胆した様子のリアを慰めるように優しい声を掛けた。

少女は老婆にお礼を言うと、再び触媒に目を向ける。


「それではエモ様。先程おっしゃった品をここに書いてもらえますか?」


エミリーは懐から折りたたまれた紙を取り出してエモに渡す。

エモは了解の意を伝えるとペンを取りに一旦部屋を出ていった。


「とりあえず蝶の鱗粉から採取しに行きましょうか。よく採れる場所を知っていますので、教えますね」


「わかりました。お願いします」


リアは触媒から目を離して頭を下げる。

そうこうしているうちに老婆が記述を終えて戻ってきた。

エミリーが礼を述べながら紙を受け取り、今日の代金を支払う。

エモが請求した額は銀貨三枚。

今回、受け取った品々を考えると金貨一枚は下らないはずなので、エミリーとリアは請求された額以上の支払いを提案したのだが、老婆は頑なに受け取りを拒否した。


「その代わり、私のところに触媒をしっかり届けておくれ」


元触媒師に笑顔でそう言われては、もう折れるしかなかった。


「それでは、また来ますね」


「ありがとうございました」


エミリーとリアはそれぞれ挨拶すると、見送る老婆に背を向けて出口に向かう。


「頑張ってな」


エモは二人に聞こえぬほどのか細い声で呟く。

その時、少女の頭の上でずっと眠りこけていたネズミが手を振ってきた。

老婆は少し驚いた様子だったがすぐに穏やかな表情を作ると、彼らが店を出るまで小さく手を振り返した。

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