第4話 大賢者

ホールの奥の扉を開けると、床に円形の奇妙な文様が描かれた小部屋があった。


「転移魔法陣!」


エミリーは首を縦に振って肯定すると、円の中央まで進んで手招きする。

リアは以前、書物で読んで便利なものだと憧れた魔法の力を体験できることに感動を覚えながら、恐る恐る足を踏み入れた。


「では、行きますよ」


そう言うと、エミリーは何事かを小さく呟く。

突然、魔法陣が強い光を放ち、リアはあまりの眩さに目を閉じる。

まぶたで遮っても視界が真っ白になるほどの光量だ。

ネンコは光に強いのか目を見開いたまま、微動だにしない。

リアはしばらくの間、強く目を閉じていたが、そのうち光が落ち着いてきたため、ゆっくりと目を開く。

すると目の前に先程まではなかった簡素な木製の扉が見えた。

扉の中央あたりには純銀製と思しきプレートが埋め込まれており、魔法語で『関係者以外立ち入り禁止』と書かれている。

エミリーは気にする様子もなくドアノブに手を掛けて外側に大きく開くと、リアに中に入るよう促す。

リアは彼女の誘いを受けて少し遠慮がちに入室する。

目の前に広がったのは、様々な魔道具で埋め尽くされた雑多な部屋だった。

リアはひとつひとつの魔道具から強い魔力を感じ取る。

特に部屋の隅に佇むように存在する姿見は圧倒的な魔力をたたえていた。

中央には円形のテーブルがあり、それを挟むように二脚の椅子が置かれている。

その椅子の一つに老人が腰を下ろしていた。


「よく来たのう」


老人は小さな訪問者に向かって気さくに声を掛ける。


(賢者、ラテリア・オル・エクセリオン……)


笑顔でリアたちを迎える小柄な老人は世話好きの好々爺といった感じで、凶悪な悪魔や竜を葬ったとされる伝説の賢者にはとても見えない。

底なしと評される魔力もその身体からは微塵も感じることはできなかった。

リアは少し肩透かしを食らったような気分になったが、礼を失する事のないように努めて明るい声を出す。


「おはつにお目にかかります。偉大なる賢者ラテリア様。お会いできて光栄です」


リアはそう言って深々と頭を下げる。

ラテリアはほっほと笑いながら短く切りそろえられた顎髭を指で撫でた。


「見えぬじゃろ? 偉大なる賢者には」


ぎょっとして顔を上げるリアを見て、老人は再び笑い声を上げる。


「よいよい。そう思うのも仕方のないことよ」


「申し訳ありません……」


「素直でよろしい」


ラテリアはひとしきり大きな声で笑った後、リアに正面の椅子に座るよう促した。

リアは躊躇ったが、ここで断るのも失礼だと考え素直に従う。

彼女が着席するとエミリーが図ったかのようなタイミングでネンコを含めた三人に冷えた飲み物を運んできた。

以前、バルザックにもらった果実と砂糖で製造された飲料水に似ている。

柑橘の甘酸っぱい香りがリアの鼻孔をくすぐった。

ネンコの分はグラスではなく平たい皿に注がれている。

ネンコは勢い良くリアの腕から飛び出し、一気に皿を傾けて中身を飲み干した。

それを見ていたリアも我慢できなくなり、目の前に出された飲み物に口を付ける。

爽やかな檸檬の酸味が舌を刺激し、次いで上品な甘さが口の中に広がる。

更にリアはこれまで蓄積された疲労が癒され、身体中に活力に満ちていくのを感じていた。

疲労回復の水薬が混ぜてあるようだ。


「ところで、エミリーよ。随分と時間がかかったのう。『転移』で帰って来なかったのかね?」


「ええ。リア様には今後のためにもこの場所まで辿り着く方法を覚えて頂くのが良いかと思いまして。まあ、そのおかげで主様が召喚した悪魔と無駄に一戦交えることになりましたが」


美しい死霊術師は形の整った眉をひそめて責めるような口調で質問に答えた。

ラテリアはバツが悪るそうにエミリーから視線を外すと、一心不乱にグラスを傾けるリアに向き直る。


「さて、話をしても良いかな?」


リアは自分に話しかけられていることに気付くと、慌てて手にしたグラスを置いて姿勢を正した。


「リア、お主のことはよく知っておる。どのような状況におかれているのかもな」


ラテリアはそう言うと懐から一枚の羊皮紙を取り出してテーブルの上に広げた。

リアは内容を見て、言葉を失う。

差し出された羊皮紙の中央には自分の顔が大きく描かれていた。

その下にはリアの容姿、出自などが事細かに記されている。

自分を捕らえて処罰するといった内容の文面もある。

リアはこのような物が市井に出回っていることに驚いたが、同時に納得もしていた。

これまで騎士やら傭兵やらに追い掛け回されてきた現状に……だ。

しかし、その中で一つだけ理解の出来ないことがあった。

リアは身を乗り出すようにして羊皮紙を眺めて、再度その言葉を確認するとラテリアに尋ねる。


「この『赤目』というのは、何なのですか?」


賢者は言葉の真偽を確かめるかのごとく、リアの漆黒の瞳をじっと見つめていたが、やがて童話でも読み聞かせるかのような口調で語り始めた。


「四百年ほど前、一人の魔女が、世界を相手取り戦争を始めた。そして、魔女は周囲の国々を次々と滅ぼした。征服するといった生易しいものではなく、言葉通りの意味でじゃ。滅ぼされた国は地図上から姿を消していったという」


ここまで言ってラテリアは一度、飲み物に口をつけた。

ひとつ喉を鳴らした後、ふうとため息を吐いて話を続ける。


「世界は力を合わせて魔女に戦いに挑んだ。各地で名を馳せた伝説の英雄や勇者と呼ばれる者たちが魔女を打倒さんと集結した。この世界の守護者たる精霊や神々の多くも人間に力を貸した。しかし、それでもその侵攻を止めることはできなかったのじゃ。そして、全ての人間は一度滅び去った。ただひとり、彼女を除いて」


リアがごくりと唾を飲む。


「彼女の名はヴィアナ。真紅の瞳を持つ魔女じゃ。そして、お主は……」


ラテリアの目が鋭くなり、リアの瞳を捉える。

リアはその視線に射抜かれたかのように身じろぎできない。


「その力を受け継いでおる」


塔内を静寂が支配した。

ラテリアとエミリーはリアの反応を確かめるように、じっと彼女を見つめている。

リアはいくつかの疑問や反論の内容が頭に浮かんだが、言葉にすることはできなかった。

それが真実であることを誰よりも深く理解してしまったからだ。

リアは一週間ほど前のことを思い出していた。

百を超える騎士の命を次々と奪い去った自分の姿を。

凄まじいまでの魔力で周りの全てを氷漬けにした自分の姿を。

世界を滅ぼしたという恐ろしい魔女と何ら変わぬ姿だったのではないだろうか。

正直なところ、あの時の―――騎士団を滅ぼした時の―――記憶は靄がかかったかのようにぼんやりとしたもので、鮮明さに欠けている。

怒りで我を忘れていたのだろう。

しかし、自分の意思は確かにあった。

そのことがリアにはたまらなく恐ろしかった。

考えれば考えるほど言葉を失い、静寂は更に深くなる。

そして、言葉の代わりに涙がこぼれそうになった時、意外なところから静寂が破られた。


「でも、力を受け継いだからって、精神まで受け継いでいるとは限らないだろ?」


声を上げたのはネンコだった。

飲み物で口の周りをベタベタに濡らしたまま、リアを庇うように一歩前に出る。

ラテリアはリアからネンコへゆっくりと視線を移す。

その瞬間、ネンコの丸いくりくりした目が鋭い光を帯び、小さな体から凄まじい圧力が発せられた。

部屋全体が揺れているのではないかと錯覚するほどの力だ。

実際にテーブル上のグラスや皿はカタカタと音を立てている。


「こいつが雪まみれにした村の時だって、最初にこいつや村人を襲ったはあの赤い鎧の奴らだぞ。こいつは自分の身を守って、殺された奴らの無念を晴らしただけだ。それは、ごくごく自然なことだ。そもそも、なんとかの魔女の力を受け継いだからって理由だけで、大人しく殺されてやる必要もないだろ?」


ゆっくりだが有無を言わせぬ強い口調で一気にまくし立てる。

話が進むに連れて、ネンコの圧力が更に強くなった。

遂にラテリアのグラスが横倒しに倒れて、中の飲み物がテーブルに広がる。

ラテリアはそれでも動じることなく静かにネンコを見つめていた。

賢者とネズミはしばらくの間、黙って見合っていたが、不意にネンコは瞳を閉じた。

そして、小さく息を吐き出した後、


「こいつは悪くない」


その一言とともに力を解いた。

空気の重さが元に戻る。


「ごめんなさい」


ネンコは飲み物をこぼしてしまったことをラテリアに謝罪した。

深々と頭を下げているため、ただの毛玉と化している。

彼は片手を上げて気にしていない旨を伝えると、エミリーがテーブルの上を片付けるのを待ってから口を開いた。ネンコではなくリアに向けて。


「ネンコ殿はああ言っているが、リアよ。お主はどう考えているのじゃ? 赤目の力を持つお主は、これからどのように生きる?」


次はネンコは口を挟まなかった。

黙ってリアの答えを待つ。

リアが自分で考えて出さねばならない答えだと分かっているようだった。

それでもどこか不安気にリアを見上げる。

リアは一瞬だけネンコに目をやると、今度はラテリアの視線を真っ向から受け止めた。


「あたしはいくら力があったとしても世界を滅ぼすようなことはしたくありません」


ラテリアの真っ白な眉がぴくりと動いた気がしたが、リアは構わず続ける。


「それと、自分で命を絶つようなこともしたくありません。お父さんとの約束があります。それに……」


そこで一瞬だけ言葉を詰まらせた。

彼女の心に様々な感情が渦巻く。


「ネンコさんはあたしのことを悪くないって言ってくれました。その言葉を信じます」


リアは言ってしまってから頬を温かいものが流れていくのを感じていた。

心の中で幾度目になるであろう感謝をネンコに伝える。

当のネンコはそんなリアの心中を知ってか知らずか、大きなあくびをした。


「なるほど。お主らの考えはよく分かった」


ラテリアは自分の言葉を証明するように深く頷いた。

リアは少し安堵としたが、続けて彼は声を低くしてこう告げた。


「だが、仕方なかったとは言え、騎士団を皆殺しにしたのも事実じゃ」


『皆殺し』という単語に反応して、小さな少女はびくりと身を震わせる。

ネズミも大きな耳をぴくりと動かす。

ふたりの反応を見て、ラテリアは片手を振って先を続ける。


「勘違いするな。別に責めておるわけではない。儂は先程のお主らの言葉を疑ってはおらんし、その考え自体は正しいと思うておるよ。じゃが、それでもこのような悲劇が起こってしまった。そして、その事実から目を背けるわけにはいかん。そうは思わんか?」


「……思います」


ラテリアはリアの返事に満足気に頷く。


「儂は今回の一件の原因はお主が赤目の力を制御できなかったことにあると考えておる。もちろん、お主が悪いわけではない。そもそも自分がそのような力を持つと知りもしなかった者をどうして責められようか。しかし、次は違う。同じ過ちを繰り返すのならば、それは間違いなくお主の責任じゃ」


賢者の言い分は幼いリアにも理解できた。

そう、あのようなことは繰り返すわけにはいかないのだ。自分のためにも。

しかし、リアにはどうすればいいのか分からなかった。

赤目の力はともかく、彼女は自分の扱う魔法さえも完全に制御できている自信はなかった。

リアの魔法は独学で得たものだ。

誰かに教わってできるようになったものではない。

おそらく魔術師として、かなりの力を持っていたであろう父親も教えてはくれなかった。

そのため、自分の魔法の扱い方が本当に正しいのかの判断もつかないし、自信もなかった。

そんなリアの胸中を見通したかのようにラテリアが声を掛けてくる。


「魔術師を名乗るのならば、自分の力や感情の制御くらいは出来ねばならん。しかし、それをまだ未熟なお主とそもそも魔法を知らんネンコ殿の二人だけでは、どれだけ努力しようと身に着けることは出来まい」


ラテリアはそこまで言って、ちらりとネンコを見やる。

ネズミは特に気にした様子もなく座り込んで、退屈そうに足をバタバタさせている。

賢者は再びリアに目を移すと、少し前かがみになり、顔の前で手を組んだ。


「お主、儂の弟子にならんか?」


王国最高と謳われる魔術師の突然の一言に、リアは目を瞬かせる。


「あたしを弟子に……ですか?」


「うむ。本来、弟子なぞとらん主義じゃが……お主をこのままにしておくわけにもいくまい。儂のもとで魔術師としての力を磨けば、いずれは赤目の力も制御できるようになるやもしれん。それとも、儂では役不足かな?」


リアは慌てたように横に大きく頭を振る。

伝説の賢者に教えを乞えるのだ。

魔術師にとっては最高の誉れと言える。

リアの頭に『断る』という選択肢はなかった。


「よろしくお願いします!」


リアは勢い良く立ち上がり、深々と頭を下げる。


「決まりじゃな」


ラテリアはにやりと笑うと、部屋の隅に控えていたエミリーを呼びつける。


「というわけで、弟子をとったぞ」


「そのようで」


エミリーは軽く応えて、リアに微笑みかける。


「改めてよろしくお願いしますわ。リア様、ネンコ様」


リアは再び深々と頭を下げ、ネンコは短い手をちょこちょこと左右に振った。


(賢者ラテリアに魔法を教えてもらえる!)


彼女の自分が思っている以上に高揚しているのを感じていた。

今日は眠れるだろうか、頭を下げながらそんな愚にもつかないことをリアは考えるのだった。



―――その日の深夜。

ラテリアの私室にふたつの影があった。

ひとつは椅子に腰を下ろした塔の主たるラテリア本人。

もうひとつは腕を組み、壁にもたれる子供のように小柄な男。

齢七十を超えるラテリアよりも更に一回りは小さい。

しかし、その挙動から彼が見た目通りの年齢ではないことは窺い知れる。

灰色のフードを目深にかぶり、腰には漆黒の鞘に納められた短刀をぶら下げている。

フードの下からは薄ら暗い色に染められた革鎧が見え隠れしており、一見すると盗賊のような出で立ちの男だ。

しかし、彼は不死王斃しであり、勝利の導き手として知られる救国の英雄のひとりである。

名をマースと言った。

そんな彼は何事かを思案するかのように沈黙したまま顔を伏せている。

ラテリアの方もテーブルに両肘を付き、正面を見据えて身動ぎしない。

すでにリアは特別にあてがわれた別室にて眠りについており、エミリーも自室に戻っている。

窓のない塔内は不気味なほどに静まり返っており、物音一つしない。

二人はしばらく沈黙を保っていたが、遂にマースの方から口を開いた。


「これからどうする気だい?」


のんびりとした口調だが責めるような響きが交じる。


「彼女は危険だよ、ラテリア。匿うような真似は見過ごすことはできないなあ」


「何を言うか。これまでも散々、見過ごしてきたじゃろう」


賢者の厳しい物言いに、マースは肩をすくめる。


「僕は『導き手』だからね。影ながら彼女を導いてあげないといけないんだ。まあ、導いた先が勝利とは限らないけど」


「破滅か?」


ラテリアの問いかけに対して、マースはニヤリとしただけで何も言わなかった。


「とにかく儂には儂の考えがある。しかし、別にお主の邪魔をするつもりはない。それは安心せい」


「そう願うよ。あ、それと」


マースは賢者に背を向けながら、思い出したように言葉を続ける。


「アルは殺すよ」


軽い調子でそう言うと、応えを待たずに部屋から出ていった。

彼の姿が見えなると、ラテリアは部屋の隅の姿見に手をかざす。

すると、鏡面に一階のホールを横切って出口へと向かうマースの姿が映し出された。

ラテリアはマースが完全に塔の外に出るのを確認すると、姿見の魔法を解いて、自身も緊張を解く。


「……未来が見えぬな」


賢者は小さく呟いた。

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