第39話 悪夢

村から少し外れた丘の上に、ひとりの男が立っていた。

背が低いため、一見すると子供のように見えるが、身にまとう空気がそうではないことを告げている。

彼は月の位置を確認するように、夜空を見上げた。

何かを待っているようだ。

男が視線を大地に戻したとき、目の前の空間が一瞬だけ白く輝いた。


「遅かったねえ」


彼が声を掛けた先、―――先程、光を放った場所には、赤い鎧を纏った騎士の姿があった。

その数は、百を超えている。

先頭の数名は騎乗しているが、残りは徒歩である。

集団の中央あたりには、鎧ではなく長衣を身に着けている者もおり、剣の代わりに樫の木で作られた長い杖を手にしていた。

それぞれ違いはあるが、彼らの胸には一様に翼竜の紋章があしらわれている。

騎乗していた騎士のひとりが馬から降りて、兜を脱ぎ、小男の前で跪く。


「申し訳ありません。マース様。しかし、これだけの人数を一斉に転移させるのは準備に時間が掛かりまして……」


騎士団の長である男は恐縮しながら、不死王斃しのひとりであるマースに報告する。

騎士たちに村の近くまで『転移』するように依頼したのは、他ならぬマース本人だった。

一人二人ならともかく、百人以上の人間を転移させるには、膨大な魔力と時間が必要となる。

今回の転移も、ブレイブ・スピア領内の優秀な五名の魔術師が七日間の儀式を行い、成功させたものだ。

しかし、この場にいる騎士は、ここから徒歩で五日ほどのところにある都市から派遣されていた。

正直なところ、魔法を使うより徒歩の方が早かったのだが、それでもマースは『転移』に拘った。


「仕方ないよね。ぞろぞろと進軍されると気配ですぐに気付かれちゃうしなあ。察しのいいネズミに」


「ネズミですか?」


「そう、ネズミ。気付かれたら魔女を村から逃がしちゃうからねえ。誤魔化すのに、ほんと苦労したよ。まあ、彼には僕と会った記憶自体ないだろうけど」


そう話すマースの瞳が怪しく光る。

その後も長老や薬師を使って魔女を引き止めたこと、魔女を村から追い出そうとする輩を上手く排除したことを得意気に語った。


「ところで、ヘルケン公爵は何か言ってたかい?」


「赤目の魔女を必ず捕らえよと、そして」


彼は少し言葉を詰まらせる。


「村人は一人残らず殺せと」


「そう」


マースの表情は変わらない。

この答えを予測していたようにも見えた。

マースは魔女の居場所を伝えると、騎士に背を向けて村を眺める。


「じゃあ、始めようか」


団長は頷き、背後の騎士に指示を送る。

次の瞬間、一団のうち十名ほどの騎士の姿が掻き消えた。

それから程なくして、村の入り口付近で赤い光が瞬いた。

夜の静寂を引き裂くように爆音が轟く。


「間に合うかな?」


マースは何かに気付いたのか、草の茂みをちらりと見て呟く。


「突撃!」


騎士団長の声が響き渡る。

村は炎に照らされて、そこだけが昼間になったかのように明るかった。



背の高い草を掻き分けて、凄まじい速さで村に向かう小さな影があった。

人の目で捉えられることは難しい速度だ。

すぐに村に到着するだろう。

しかし、それでも彼には時間が足りなかった。


「クソが!!」


悪態を付くと、更に加速する。

村にいる少女のもとへ向かうために。



リアは外から聞こえてきた大きな音で目を覚ました。

危険の多い野外で生活していた期間が長かったためか、すぐに意識が鮮明になる。


(なに?)


言いようのない不安に襲われながら、窓から外を見る。

外は……リアの考えうる最悪の光景が広がっていた。

村が燃えていた。そのうち、何者かの怒号と悲鳴が聞こえてきた。

急激に視界が狭くなり、気を失いそうになる。

呼吸が早くなり、心臓が狂ったように脈打つ。

リアは、ベッドに手を掛け、倒れそうになるのをなんとか堪える。


(マイ……、ルーク!)


大切な人たちの顔が頭に浮かぶ。

倒れてなどいられなかった。

リアはひとつ深呼吸すると、隠しておいた短剣と触媒袋を手に取る。

自分でも驚くほど冷静になれた。


その時、突然、部屋の扉が開いて、二人の男が入ってきた。

リアはその真紅の鎧に見覚えがあった。


「見つけたぞ! 魔女め!」


王国の騎士と思われる男は、リアに剣を突きつける。

もう片方の男は、もごもごと何かを呟いていた。


(魔法!)


リアは咄嗟にそう判断すると、二人が動くより早く、触媒袋から小石を取り出し、呟き続ける男の目の前に放った。

そして、驚異的な速さで魔法を完成させる。

小石は青白い光を放つと、凄まじい勢いで魔術師の顎を突き上げた。

当たりどころが良かったのだろう、それだけで男は意識が飛び後ろに倒れ込む。

彼女はこれまでの実戦経験から、接近戦においては、大掛かりな上位魔法よりも小回りのきく下位魔法の方が有効なことを学んでいた。

リアの手際の良さにただ見ていることしかできなかった騎士は、顔を真っ赤にして剣を振り上げた。


「貴様!!」


リアは右手に短剣を、左手に小石を握る。

ネンコとの訓練を思い出し、騎士の動きに深く集中する。

大ぶりな騎士の剣は、隙きだらけで、ネンコの素早い連撃を受け続けたリアの目には緩慢に映った。

更に以前、出会った大粮のような殺気もない。おそらく本気で殺す気はないのだろう。

その証拠に、騎士の攻撃は刃ではなく腹で打ち据えるように繰り出されていた。

リアは少し体を左にずらして、剣の軌道から外れる。

騎士は加減したとはいえ年端もいかぬ小娘に自分の剣を簡単に躱されたことに驚いたが、厳しい訓練を乗り越えてきたその身体は、自然と次の動作に入っていた。

振り下ろした剣を斜めに振り上げる。

腕を狙った鋭い斬撃だった。騎士の頭に少女の腕を切り飛ばす映像が浮かぶ。

しかし、現実はそうはならなかった。

幼い少女は手にした短剣で騎士の剣を捌いてみせたのだ。


「なっ!?」


金属のぶつかり合う澄んだ音が室内に響き、騎士の顔が驚きで歪む。

渾身の一撃を受け流されたことで、大きく体勢を崩す。

次いで、騎士の顔面を激しい衝撃が襲った。

先ほどと同様にリアが『石礫』の魔法を放ったのだ。

魔術師に与えたほどの効果はなかったが、逃げる隙を作るには充分だった。

リアは騎士の脇をすり抜け、出口へと走る。


「ま、待て!」


男は顔の痛みを堪えて、リアの細い腕を掴もうと手を伸ばす。

その瞬間、大きな音がして、騎士の身体は部屋の壁に叩きつけられた。

騎士は何が起こったのかも分からないまま、ぐったりとして動かなくなる。


「生きてるかー?」


「ネンコさん!!」


リアの表情が喜びで輝く。

しかし、すぐに悲壮な面持ちになる。


「村が!」


「分かってる。すぐにここを出るぞ」


「でも、みんなを助けないと!」


必死に訴えるリアの漆黒の瞳にネンコが映る。

彼の表情に変化はなく、ただじっとリアを見つめていた。


「とりあえず、外に出るぞ」


ネンコはそう言うと、出口に向かって歩き始めた。

リアはまだ何か言いたそうだったが素直にネンコの後に続いた。


(どうか無事で……)


村人たちの無事を強く願いながら、リアは住み慣れてきたばかりの部屋を後にした。



神は少女の願いを聞き届けてはくれなかった。


「なぜ?」


彼女の口からぽつりと言葉が漏れる。

隣に立つネズミはその問に答えなかった。

いや、答えることができなかったのか。


二人は、悪夢のような光景を目にしていた。

周囲の建物は全て火を掛けられて、燃えている。

そして、至る所に村人たちの無残な死体が転がっていた。

その中にはリアの見知った顔もいる。

村長と薬師も先程、見つけた。

首だけだったが。


「なぜ?」


リアは同じ問を繰り返しながら、夢遊病者のようにおぼつかない足取りでふらふらと村を彷徨う。

しばらく、歩いたところで折重なるようにして倒れているふたつの塊を見つけた。

彼女の目から一筋の涙がこぼれる。


「魔女を見つけたぞ!!」


離れた場所で声がして、数人の騎士がリアに向かって駆け寄ってきた。

村人たちの返り血にまみれた彼らの顔には、自分を見つけたことを喜んでか、笑みすら浮かんでいる。


「そう……」


魔女と呼ばれた少女は、軽く目を閉じて微笑む。


―――アナタタチガイナクナレバダネ


彼女が再び目を開いたとき、その瞳は血のような赤に染まっていた。

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