第38話 少女の居場所

マイの予想は当たっていたようだった。

リアが働き始めて五日が経つが、特に何事も起こってはいない。

それどころかリアが働き始めた酒場は、これまでにない賑わいを見せていた。

リアに会うために多くの村人が店を訪れたためだ。

初めは警戒していた村人たちもリアの健気で一生懸命な姿に好感を持ったようだ。


「リアちゃん、こっちエールひとつお願いね」


「はーい、ただいま」


「あ、俺も」


「リアちゃん、こっちもー」


「はいはーい。お待ちくださーい」


笑顔でキビキビと働くリアは生き生きしており、周囲の人々に活力を与えていた。

また、賢く物覚えがいいことも好かれる理由のひとつのようだ。


(才能かしらね)


マイはリアの様子を見ながらそう考える。

そして、彼女が上手く村に馴染めたことに安堵した。

村のまとめ役である村長と薬師の婆様にも気に入られたようだ。

リアの様子を見にちょくちょく店を訪れては、彼女に温かい言葉を掛けてくれる。

全てが順調に進んでいる気がして、マイは自然と笑みを浮かべていた。


ふと、その時、店の入り口付近で腕を組んで立っているラッセルと目があった。

リアのことをもっとも毛嫌いしていた男であり、マイにとって唯一の不安要素だ。

マイはてっきりラッセルが彼女に対していろいろと嫌がらせを仕掛けてくるのではないかと考えていた。

しかし、彼はこれまでそのような素振りを見せていない。

むしろ必要以上に近づかないようにしているように見えた。

ラッセルはマイの視線に気づくと、何か言いたげな顔をしたが、結局一言も発することなく店から出て行った。

マイはそんな彼の様子が気になり、後を追って酒場を出る。

すでに夜の帳が下りて数刻が過ぎており、外は暗くなっていた。

周囲には先程酒場を出たラッセル以外の人影はない。


「ラッセル」


マイは背中を丸めるようにして歩くラッセルを呼び止めた。

彼はびくりと体を震わせると、顔だけをゆっくりと後ろに向ける。

その姿は何かに怯えているようにも見えた。


「気をつけろ」


ラッセルは唐突にそう呟いた。

彼の発言の意図が分からず、マイは怪訝な顔をする。

ラッセルは首だけ動かして周りに人がいないことを確認すると、静かだが確信を持った声で話し始めた。


「あいつは、リアって女は恐ろしい魔女だ。お前らはあいつに魔法を掛けられてるんだ。そのうち、正体を現して全員取り殺されるぞ」


予想もしていなかったラッセルの言葉に、マイは面食らう。

突然、何を言い出すのか。この男は。

そんな彼女の心中が顔に出たのだろう、ラッセルは慌てたように話を続ける。


「本当だ! 手配書だって見たんだ。あいつは世界を滅ぼすほどの力を持った一族の末裔で、実際に国から追われているって。しかも、他の村でも人間を魔法で魅了して、その肉を喰らってたって、あの人が言って……」


「あの人?」


ラッセルは、はっとなって言葉を切る。


「と、とにかく、警告はしたからな。オレは明日にでもここを出る。ちょうど外の世界で自分の力を試したいと思ってたとこだしな。そ、そうだ。お前も一緒に来ないか? お前だって魔女に喰われたくなんかないだろう?」


後半は少ししどろもどろになっていたことから、彼なりに勇気を振り絞って伝えた言葉だったのだろう。

そんな彼の想いを感じながらもマイは首を横に振る。


「行けないよ。私はリアのこと魔女だなんて思ってないし、それに……」


「ルークか?」


マイは少し顔を赤らめて頷く。

ラッセルはそんな彼女を見て寂しげに微笑むと、じゃあなと言って背を向けた。

マイはしばらく彼の背中を見つめていたが、やがて酒場へと戻っていった。


ルークが帰ってきたマイの姿を見て、駆け寄ってきた。


「マイ、どこ行ってたんだ? 急に居なくなったから心配したじゃないか」


「ん、ごめんね。ルーク」


マイは素直に謝ると、横目でリアを見る。

リアは数名の客と談笑していた。

普段通りの無邪気な笑顔で。


(魔女なんて……そんな馬鹿な話あるわけないよね)


先程のラッセルの言葉を思い出して急に不安になったマイは、ルークの背中に腕を回してそっと身を寄せる。

ルークは突然の彼女の行動に驚いた様子だったが、その体が震えていることに気づくと、躊躇いながらも優しく抱き寄せた。

周囲から冷やかしの声が上ったが、マイの耳には届かない。

彼女は不安を押し殺すように、その細い腕に力を込めた。



「もうそろそろ村を出た方がいいと思うぞ」


その日の夜、ネンコは借り与えられた自室に戻ってきたリアにそう告げた。

リアは、明らかに戸惑った顔をしてベッドに腰掛ける。

テーブルの隅に置かれた蝋燭の灯りが、室内をぼんやりと照らす。


「何かあったの?」


「何もない。でも、何もないのがおかしいんだよ」


リアの問にネンコは謎掛けのような答えを返す。

そして、自分の考えを整理するようにゆっくりと語りだした。


「村長のじいさん、薬師のばあさんは何か隠しているな。あー、あとラッセルとかいう小僧も。奴らはそのことを誰にも気付かれないように普通を装っている。それは間違いないんだ。問題は実際に何を隠しているかが、分からないということだ」


ネンコはここ数日の間、昼夜を問わず村長と薬師の動きを監視していた。

もちろん、この狡猾な小動物は二人に自分の存在を気取られるようなヘマはしていない。

しかし、それでも決定的な証拠を見つけることができないと言うのだ。


「怪しいところに居合わせたこともあったんだが、特に何もなかったんだよなあ。二人とも何も話してないし、何かを受け渡ししたようにも見えなかったし。魔法でも使ったのかなあ?」


「うーん、頭で考えたことを直接、精神に語りかける『精神感応』っていう第二位の魔法があるけど……、村長さんとお婆ちゃんには使えないと思うよ」


リアは何度か二人に会っているが、どちらからも魔力をほとんど感じなかった。

もちろんネンコのように全く無いわけではないが、第二位とは言え魔法を使うには不十分だ。

ネンコはリアの考えを聞いて、ふむと頷く。


「何にせよ、そろそろ出たほうがいい。近いうちに何か起きる気がするんだ」


リアは黙り込む。

ネンコの話に根拠はないが、彼のことだ、野生の勘で何か感じ取っているのだろう。

そして、その勘は少なからず当たっているだろう。

そのことは、これまでネンコと旅をしてきたリアが一番よく分かっていた。

しかし……。


「まだ、居たいのか?」


リアは小さく頷く。

優しいマイやルーク、そして村人たちのもとを離れたくなかった。

折角、馴染めたのに、このまま終わりにしたくないという思いが強い。

いずれ出ていかなければならないことは理解しているが、今はまだリアの心はそれを受け入れられないようだ。


「そうか」


ネンコはあっさりと了解の意を伝えると、どこから取り出したのか彼女の短剣と触媒袋をテーブルの上に並べた。


「せめて、これは持っとけ」


自分の考えを予め予測していたかのようなネンコの行動に、リアは呆気にとられてしまい、すぐに返事ができなかった。


「オレはもう少し村を調べてみるぞ。それで、何か見つかったら、そのときは分かってるな?」


「う、うん、分かってる」


リアはかろうじてそれだけを伝える。

ネンコはその言葉を聞くと、すぐに窓から外へと出ていった。

リアの心にまたわがままを言ってしまったという申し訳ない気持ちが湧き起こる。

それと同時に、自分の願いを聞き届けてくれた小さなネズミへの感謝の気持ちも感じていた。

彼女は心を落ち着けるように深呼吸した後、テーブルに置かれた品をベッドの下に隠し始めた。



それから更に十日が経った。

村には何事もなく、平穏そのものだ。

リアは随分と村人たちに馴染んでおり、昔からの仲間のような扱いを受けている。


―――ずっとこの日々が続けばいい。


リアは本気でそう考えていた。

ネンコの方は自分の疑念を証明できる証拠を見つけられないでいるようだ。

ネンコは悶々としているようだが、リアにとっては正直ほっとしている。

彼の能力を以てして、手がかりすら掴めないというのはおかしい。

何も懸念するようなことはないのだ、この村には。

リアは酒場での仕事を終えて、いつもの部屋に戻り、心地よい疲労感と達成感に包まれながら、寝支度を始める。

今日もたくさんの人と話をした。


猟師のライルさんは、自分のためにとキジを狩ってきてくれた。

木こりのガジェットさんは、お酒を飲みすぎて奥さんに怒られていた。

グレコのお爺さんの八十歳の誕生日を酒場にいるみんなでお祝いした。

村長さんと薬師のお婆さんは自分を孫のように可愛がってくれた。

そして、マイとルークは最近、ぐっと親密になった。

リアが二人に結婚しないのかと尋ねた時は、照れながらもまんざらではない様子だった。


(明日は、どんなことがあるかな?)


村を訪れる前とは違い、明日が来るのが待ち遠しい。

そんなささやかな幸せを噛み締めながら、リアは深い眠りについた。

しかし、この時、リアは気付いていなかった。

今日は、ネンコの姿が見当たらないことに。

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