第33話 邪神の痕跡
れから一週間ほど後、この呪われた村を訪れた者たちがいた。
全員が純白のローブに身を包み、それと同じ色のフードをかぶっている。
肩あたりには槌なようなものが刺繍されており、腰にはそれと同じ形の戦槌を帯びている。
見るものが見ればローブは軍神ヨーダのシンボルが描かれた神官衣であり、この集団が聖女ロエル・ホルスロイ率いる神官戦士の一行だということが分かるだろう。
一行はゆっくりと村を巡回する。
時折、立ち止まっては何かを探すような素振りを見せている。
「聖女様、あれを」
先頭を歩いていた神官が何かに気づいてたのか最後尾にいる人物に声を掛ける。
その言葉を受けて女性は被っていたフードを外す。
細い金色の髪が風になびいた。
透き通るように白い肌が陽の光を受けて輝く。
慈愛に満ちた瞳は海のように蒼く、艶やかな唇は新鮮な果実のように瑞々しかった。
不死王斃しの聖女ロエル・ホルスロイ、その人である。
「何かあったのですか?」
透き通るような声で配下である神官に答える。
「はい、何か文字のようなものがこの先に」
そう言うと神官は大きく戸の開いた建屋の中を指差した。
ロエルは先頭に立って中を覗き込み危険がないことを確認すると、内部に足を踏み入れた。
神官が指した先には大量に積まれた干し草があった。
干し草は誰かの手によって掻き分けられており、地面には魔法語が書かれている。
その近くには幼い子供のものと思われる白骨死体が転がっている。
『ミトラ・デル・イアフ』
ロエルが地面の文字を読み上げると、神官たちがどよめく。
その顔は一様に青ざめていた。
「間違いないようですね」
聖女も厳しい表情で魔法語を見つめる。
『ミトラ・デル・イアフ』とは一見何の変哲もない言葉のようだが、実はとある神を信仰する者たちの間で使われる隠語である。
神の名はミストラルゥ。ミトラとはその略称だ。
ミトラは悪霊たちの長であり、人間の魂を喰らうと言われている。
美しい女性の姿をしているが獣のように大きな右手を持っており、その手で魂を捕らえるとされる。
人間にとっては忌むべき邪神だが、その美しさと強大な力に魅せられる者も多い。
この地面に書かれた魔法語はそんな彼女の信者たちが供物である魂を捧げる際に使用する言葉だった。
「それでは、この近くに呪塊があるということでしょうか?」
神官は震える声でロエルに訊ねる。
信者はミトラに捧げる魂を集めるために罪のない人々を殺めて呪いを掛ける。
呪われた魂は呪塊と呼ばれる特殊な石に封じられ、そこで更なる責苦を受けることでミトラへの供物として昇華するのだ。
神官の質問はそのことを踏まえてのものだった。
しかし、聖女は静かに首を横に振る。
「あった、というのが正しいでしょう。確かに邪な気は感じられますが、微かなものです。呪われた魂はすでにミトラに捧げられたと考えるべきでしょう」
「そ、それではミトラがこちらの世界に現れる可能性も……」
「視野に入れるべきでしょう。私たちはそれを確かめに来たのですよ?」
ロエルはそう言うと怯える神官の肩に手を置く。
神々は人間界とは別の世界である神界の住人だ。
人間界と神界は自由に行き来することができないため、人間が神の姿を目にすることはまずない。
しかし、例外はある。
この世界の住人である人間の力を借りるのだ。
神は自分に対する人々の信仰が強くなればなるほど大きな力を得る。
その力を使って神界と人間界とを繋ぐ「門」を開き、この世界に降臨することができるのだ。
だが、「門」を開くほどの力を蓄えるためには非常に永い年月が必要だ。
その割に神がこの世に留まれる時間はわずかしかない。
それでも、神々の力は強大で、降臨させれば望む願いのほとんどを叶えることができる。
そのため、信者たちは自身の崇める神を呼び出すために様々な手段を講じるのだ。
今回の件はミトラを信仰する者たちの仕業と考えて間違いないだろう。
ロエルはしばらくの間、魔法語を見つめていたが、やがて口を開いた。
「呪塊はあちらですね」
そう言うと建屋に入ってきた道を逆戻りする。
神官たちも慌てて後に続いた。
その後、聖女は一切の迷いなく歩を進め、ついに呪塊のあった広場に辿り着いた。
広場の中心部には真っ黒な呪塊の破片が散らばっており、周りにはバラバラになったスケルトンが大量に転がっている。
呪塊の破片は未だに邪な気を放っているため、かけられた呪いが非常に強力なものであったことが覗える。
「聖女様、やはり何者かがミトラにこの村の人々の魂を捧げたようですね」
「ええ、そのようですね。しかし……」
そう言うと、ロエルは空を仰ぎ見た。
(確かに村の人たちの魂は呪われ、一度は供物として捧げられている……。でも、実際にはミトラの手に渡っていない?)
今、高潔な聖女の瞳には、地中から現れた邪悪の痕跡が映っていた。
しかし、それと同時に天に帰る魂たちの痕跡も見えていた。
これは邪神が供物を取り逃したことを意味する。
ミトラほどの力のある邪神が供物をみすみす取り逃すとは思えない。
そうなると……。
(誰かが阻止したというの?)
驚きのためロエルの目が大きく開かれる。
状況から見て間違いなくミトラは供物を得るために、この世界に姿を現している。
おそらく外部から唱えられた呪文の力を借りて一時的に小さな門を開き、身体の一部だけをこちらに寄こしたのだろう。
そして、魂を得ようとして何者かの妨害にあった。
身体の一部とは言え相手は神である。
神の行為を妨げる者がいたことがロエルには信じられなかった。
神に抗えるのは神だけなのだから。
(でも、痕跡はミトラのものだけ。それ以外の神が存在した形跡はない。まさか……人間が?)
その時、幼い少女の顔がロエルの脳裏をよぎった。
「リア?」
思わず声が出る。
今、国から追われている少女。
軍神マースの神官であるロエルの元にも手配書は届いていた。
世界を滅ぼす力を持つという赤目の一族の末裔であり、不死王斃しのひとりクエンス・ブラントの娘である。
ロエルたちは八年前に彼女に会っている。
当時、リアは三歳くらいだっただろうか。
不死王との戦いが激化する中、放浪の天才魔術師とともにふらりと城に現れた。
そして、純粋で優しい心を持つ彼女はいつしか戦いに赴く戦士たちの救いとなっていった。
かの英雄王ウォルフ・ダム・ミスタリアも自分の孫のように可愛がった。
もちろんロエルはそんな彼女が世界を滅ぼすなどとは思っていない。
確かにリアには並々ならぬ魔法の資質があったため、練磨すればゆくゆくは賢者や大魔導師と呼ばれるまでに成長するだろう。
父親であるクエンスさえも凌駕するだろう。
だが、そこまでだ。
噂に聞く赤目の一族は神や悪魔を従えるほどの力を持ち、世界の理すら自在に操るという。
ロエルはリアにそこまでの力はないと断言できた。
自分が知っているリアならば、だが。
「聖女様?」
深く自分の考えに浸っていたロエルに、神官のひとりが不安げに声をかける。
彼女はその声で我に返ると優しく微笑み、部下である神官たち全員に聞こえるように凛とした声で語りかけた。
「邪神ミトラは生贄にされた魂を取り逃がしています。魂たちは無事に天に帰ったようです。よって、今回の件で邪神が力を得たということはありません。邪神が降臨することもしばらくはないと考えてよいでしょう」
神官たちの表情が明るくなり、安堵の声が上がる。
彼らの長であるロエルも笑顔を見せるが、胸のうちでは不安が大きく渦を巻いていた。
ロエルは心中を悟られぬように神官たちに背を向け、はるか遠くの山々を眺める。
(アルはリアに会えたのかな)
彼ならば既に探すべき相手がリアであることに気づいているはずだ。
そして、やるべきことも分かっているだろう。
この国のどこかにいるであろう二人を想いながら、ロエルは小さく祈りの言葉を呟いた。
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