第29話 死者の村

「ひどい……」


口元を手で抑えながら、リアは呻いた。

ネンコも不愉快そうに眉間にシワを作る。


二人は、川沿いの村を訪れていた。

いや、かつて村だった場所というべきか。

至る所に瓦礫が散乱しており、

辛うじて原型を留めている一部の家屋も、木材が腐ってドス黒く変色しており、辺りに腐臭を撒き散らしている。

動くものの気配はなく、草の根一本生えていない。

この村の全ての生命が死滅してしまっているようだった。


リアたちはしばらく村を彷徨う。

地面はどす黒い色をしており、水で濡れているわけでもないのに異常に柔らかかった。

裸足のリアにはそれが不快なようで、一歩踏み出す度にその美しい顔を歪めた。

ネンコはリアの頭上にいるため、地面の感触に悩まされることはなかったが、なまじ鼻が利くためこの村の放つ腐った匂いに苦しんでいた。


「ここは何でこんな有様なんだ?」


ネンコは腐臭から逃れるため長い時間息を止めていたが、とうとう諦めたのか口を開いた。

リアは少しの間考えて、ネンコの問に答える。


「多分、不死王のせいかな」


「不死王って誰だ?」


「不死王ザムート。あたしもあまり知らないんだけど、八年くらい前にこの国を襲ったんだって。デミ・リッチっていう魔物で、地獄の悪魔に匹敵する力を持ってるって話だよ」


「ふーん」


自分から聞いておいて興味のなさそうな反応を返すネンコに、リアは心の中で悪態をつく。

リッチは恐るべき力を持った不死の魔物である。

彼らは不死性を求めて、禁断の呪法に手を出した魔術師の成れの果てだ。

死神のような姿をしており、高度な死霊術を操る。

デミ・リッチはその強力なリッチを超越し、神や悪魔に近しい力を手に入れた魔物だ。

存在自体が天災のようなものであり、遭遇は死を意味する。

リアは八年前に英雄たちがザムートの狂行を阻止できなかったらと考えて細い体を震わせた。

それと同時に何か記憶に引っかかるものがあった。

不死王斃しの英雄たち。

リアにはまったく縁のないはずの人たちだが、何故か非常に身近なものに思えてきたのだ。


(会ったこともないはずだけど)


大戦当時のリアは三歳になったかならないかという年齢だ。

確かな記憶などあるはずもない。

父親からも何も聞かされてはいない。


(気のせいだよね)


それ以上悩んでも仕方ないため、リアはそう考えることにした。

そんな思考が落ち着いたリアの耳に、ヒタヒタという音が聞こえてきた。

微かにしか聞こえないが、こちらは気のせいではないようだ。

リアは慌てて辺りを見回したが、視界に動くものを捉えることはできなかった。


「ネンコさん、何か音がする」


「ああ、あの壊れた家の裏に何かいるぞ。こっちに来てるから構えとけよ」


異常な聴覚の持ち主であるネンコは、音の発信源まで特定できているようだった。

リアはゆっくりと道具袋を地面に降ろし、腰の短剣を抜いて身構える。

恐怖がないわけではなかったが、身が竦んで動けなくなるほどではなかった。

ネンコが頭の上にいるおかげだろう。

そうこうするうちに音は今やリアにもはっきりと聞こえるまでになっていた。


「出てくるぞ」


ネンコが静かに警戒を呼びかける。

建物の影からゆっくりと姿を現したのは人骨だった。

まるで生きた人間かのように歩いている。

筋肉も臓器も何も付いていない今にも折れそうな身体の割に力強い足取りだ。

右手には農作業用の大きなクワを握っている。


「スケルトンだ……」


初めて見る異形の姿にリアはそれだけ呟くと言葉を失う。

書物や物語で見聞きしているリアは、この魔物の強さがそれほど脅威ではないことを知っていた。

しかし、死を体現したその姿に、人の根源的な部分で恐怖する。


「どうやって動いてんだ?」


ネンコは迫ってくる人骨をしげしげと眺めながら首をかしげた。

リアはネンコの疑問に答えず、動く人骨を注意深く観察する。

……と、リアはスケルトンと目が合ってしまった。

この魔物に眼球はないため、本当に目が合ったかどうか分からないのだが。

スケルトンが歩みを止めてゆっくりと首をかしげた。

リアもつられて首をかしげる。

その途端、スケルトンは手にしたクワを振り上げて、猛然とリアに走り寄ってきた。


「ひっ!」


リアは突然狂ったように襲い掛かってきた人骨に恐怖し、短い悲鳴を上げた。

今までの緩慢な動きがウソのような俊敏さだ。

十メートルほどあった距離をあっという間に詰められる。

スケルトンがリアめがけてクワを振り下ろそうとした瞬間、その頭蓋骨が乾いた音を立てて弾け飛んだ。

リアはすぐにネンコが攻撃してくれたことを理解したが、同時に攻撃の効果が薄いことも理解していた。

スケルトンは魔法により動かされている魔物だ。

脳など存在しないため、頭部を破壊しても動きを止めることはできない。

リアの予測どおり、スケルトンは何事もなかったかのようにクワを振り下ろしてきた。

彼女はその攻撃を見切り、軽く身を引くことでかわす。

ネンコとの訓練の賜物だ。

クワはリアの足元をえぐり、地面に深々と突き刺さった。

当たっていたら、ただでは済まなかっただろう。

リアはぞっとしながらも、必死でクワを抜こうとしているスケルトンの無防備な腕を短剣で切りつけた。

狙い違わず、短剣は魔物の腕に命中したが、リアの力と技術では小さな傷を付けるのがやっとだった。

それどころか攻撃を当てた衝撃で手が痺れ、リアは危うく短剣を落としそうになる。

代わりにネンコが、骸骨の両腕を吹き飛ばした。


「攻撃は練習してないんだから無理するなよ」


リアは無言で頷いたが、魔物にほとんど手傷を負わせられなかったことに、内心ではショックを受けていた。


(思いっきり斬ったのに……)


今にも折れそうなほど細い骸骨の腕さえも破壊することができなかった自分の力量のなさに歯噛みする。

その時、リアの目の前で骸骨の白い足が砕けた。

リアは破片が目に入らないよう、とっさに顔を背ける。


「ぼーっとするなよ」


頭と腕を無くしたスケルトンがリアの顔面めがけて蹴りを放ったのだ。


「ご、ごめん」


リアは攻撃を防いでくれたネンコに礼を言って、次の攻撃に注意を払う。

しかし、右足を失った骸骨は地面に突っ伏し、立ち上がることもできないでいた。

残った足をやみくもに動かして、カタカタという音を立てながらもがいている。

ネンコが念のためにともう片方の足も破壊したところで、完全に動かなくなった。


「面倒くさいヤツだなあ」


ネンコの言葉にリアも同意する。

このようなアンデットは基本的に火に弱いので、燃やしてしまうのが一番いいのだが、リアは村を焼かれたことがトラウマになっていて、火を魔法を全く使用できない。

また、村には草木の一本も見当たらないため、火を起こすこともできなかった。

倒すには今回のように四肢を潰して動けなくするしかない。


「さっさと立ち去った方がいいみたいだな」


「そうだね」


二人はそう判断して、村の出口へと急ぐ。

しかし、出口までもう少しというところで、リアは凍りついたように立ち止まった。

ネンコは面倒くさいと言わんばかりに大きなため息をつく。


十体以上のスケルトンが、二人の行く手に立ちふさがったのだ。

汚れた白骨たちはクワやカマなどの凶器を持って、リアとネンコを見つめている。

今はぼーっと突っ立ているが、先程のようにいつ襲いかかってくるか分からない。

リアは無意識に後ずさったが、ネンコがそれを制す。


「後ろにもいるぞ。囲まれてるな」


リアが振り返ると、背後から二十を越える数のスケルトンがじわじわと迫っくるのが見えた。

敵に挟み撃ちにされた二人は前進も後退もできない。


「一点突破しかないな」


ネンコが案を出す。


「オレが出口付近のヤツを片付ける。お前はそこを走り抜けろ」


リアは頷き、念のためにと触媒袋から三個ほど小石を取り出す。

そして、道具袋を肩に担いで、逃げる準備を整えた。


「走れ!」


ネンコの合図で、リアは出口向かって駆け出す。

リアの動きを皮切りにスケルトンたちは、一斉に襲いかかってきた。

背後から聞こえてくる白骨たちの足音に怯えながらも、ネンコを信じて全力で走る。

その時、リアの目の前にいた二体の骨盤が砕けた。

唐突に支えを失った二体の上半身は、勢い良く前のめりに倒れ込む。

二体分の隙間ができたが、すぐに両脇にいたスケルトンがその穴を埋めるようにして立ちふさがる。

それでも、リアは少しも速度を緩めることなく、スケルトンの集団に突進した。

リアの頭とスケルトンの肋骨が触れんばかりに近づいた時、空中にクワが現れて横に薙ぎ払うように一閃した。

デタラメな速さで振り回された凶器は、リアの近くにいた五体のスケルトンを吹き飛ばして道を作る。


「ほっ!」


掛け声とともに軽やかに跳躍して、リアは倒れているスケルトンの頭上を飛び越えた。

不浄な骸骨たちは宙にあるリアの足を掴もうと白い手を伸ばすが、ネンコにより尽く破壊される。

リアはその後も脇目も振らずに走り続けた。

とうに村の外に出ていたが、スケルトンたちは追ってくる。


(どこまでも追いかけてくるの!?)


そう考えてリアは恐怖する。

しかし、リアの心配は杞憂に終わった。

背後からの音が次第に小さくなったのだ。

リアが速度を落として肩越しに振り返ると、数体のスケルトンが突っ立っているのが見えた。

その中に、小さな、以前出会ったモニカくらいの背丈のスケルトンがボロボロのぬいぐるみを抱いて立っていることに気付いた。

リアはそれを見て、眉をしかめる。

ドロドロして気味の悪かった地面は、いつの間にか草に覆われたものに変わっていた。

そして、スケルトンたちは地質の異なるこちら側には出てこれないようだ。

村の大地が呪われているのだろう。

リアは身動ぎせずにこちらを見つめる骸骨たちに背を向け、さらに村から離れるべく走り出した。



それから暫く後、呪われた土地から充分に離れた場所で、リアとネンコは焚き火を囲っていた。

すでに陽は落ちており、辺りは暗闇が支配している。


「あいつら壊しても、すぐに元に戻っちゃうんだな。粉々にしてもダメだったぞ」


ネンコが、不死身の化物のことを思い出しながらぼやいた。

リアは逃走中、ネンコが自分の後を付いてきているものだとばかり思っていたが、そうではなかったようだった。

ネンコはリアが安全な場所まで逃げ切ったのを確認した後、例の村に戻り何か役に立つものはないかとあちこちを物色していた。


「まあ、オレたちに必要そうなものは特に何もなかったんだが……変なものを見つけたぞ」


「変なもの?」


「おう。村の広場あたりでな。なんか真っ黒い岩みたいなやつで、人の顔みたいな模様がいっぱい付いてるんだよ。さすがに気持ち悪かったな」


ネンコはそう言うと何が面白いのか、ゲラゲラと笑った。

リアはネンコの話を聞いて、何か引っかかるものがあったのか口元を手で抑えて考え込む。

しばらくして、リアは笑いすぎて咳き込んでいるネンコに向かって話を始める。


「あの人たちを助けられるかもしれない」


「人? 助ける? あれ骸骨だろ」


ネンコが再び咳き込みながら爆笑する。


「あのスケルトンも、元は人間なんだよ」


「そうか」


真剣な表情のリアに諭されたネンコは、笑うのを止めて姿勢を正す。


「どうやって助けるんだ?」


「えーとね」


リアは、本や噂で見聞きした知識をネンコに伝える。

話では、ネンコが見たという黒い岩こそが、村の土地を穢している原因らしい。

黒い岩は『呪塊』と呼ばれ、犠牲者である村人たちの魂をあの地に縛り付けている。

強力な呪いにより死ぬことさえできない哀れな魂は永遠の苦しみと憎しみに囚われ、生者を自分たちの仲間に引き込むために殺戮を繰り返す化物になるのだ。


「その人たちを自由にするためには、『呪塊』を浄化するしかないの」


「あの気持ち悪い岩を、破壊するってことか? あんまり触れたくないなあ」


ネンコの言葉にリアは首を横に振る。


「『呪塊』は穢された精神の集まりみたいなものだから、いくらネンコさんでも破壊することはできないよ。それどころか触れた瞬間、こっちの魂が囚われちゃう」


「じゃあ、どうするんだ?」


「ほんとは、偉い僧侶の人にお願いして呪いを解いてもらうか、聖水をもらって振りかけるのが一番なんだけど、今はそんなことできないから……」


リアはそういって触媒袋から細い枝を取り出す。

小さな火をおこすときに使っている『発火』の魔法の触媒だ。


「火で燃やして、魔力を持った人が決められた呪文を唱えれば『呪塊』を取り除くことができるみたいなの。昔読んだ本に書いてあった」


リアの父親は魔法書以外にも多くの書物を保有していた。

その分野は、子供が読むような童話から、薬草の育て方が書いてあるような実用書まで幅広かった。

中には、作者自身の名前の自慢を数百ページに渡って著した『素晴らしきは私の名』のような何の役に立つのか分からないものもあったが、大抵の書物の内容は知識となり、リアの生活を支えてくれていた。

そういえば、『素晴らしきは私の名』の作者の名前は何だったか……。


「でも、危ないんじゃないか?」


どうでもいいことで悩んでいるリアにネンコが声をかける。

リアは顔を上げて、美しい黒い瞳をネンコに向けた。


「それに、別にオレたちがそこまでする必要なくないか? 得になるようなことは何もないぞ?」


ネンコの話はもっともだった。

二人がここであの村を救ったとしても、得られるものは何もない。

それどころか失敗すれば、自分たちも彼らの仲間入りだ。

危険に対する見返りが全くない。

更にバルザックたちを助けたときとは違い、危険度は高く、緊急性は低い。

しかし、リアにはあのぬいぐるみを抱えた小さなスケルトンの姿が頭から離れなかった。

あの子の魂は何年もの間、想像を絶する苦しみを受け続けている。

何とかしてあげたいと心から想う。

うつむいて黙りこくってしまったリアを見て、ネンコは深い溜め息をつく。


「オレも何でもできるわけじゃないぞ?」


普段は聞かないネンコの厳しい声音に、リアは身を固くした。

そして、ネンコを巻き込んだ独りよがりの我儘であることに、今更ながらリアは気付いた。

知らず知らずのうちに、ネンコの優しさに甘えていたのだ。

ネンコなら何でも手伝ってくれると驕っていた。

このままでは、愛想を尽かされて、見捨てられるかもしれない。

この面倒な小娘がいなくなれば、ネンコはさぞかし快適な生活を送ることができるだろう。

食事の準備やよる夜の見張りもリアのために、文句ひとつ言わずに、やってくれているのだ。

そう考えるとリアの瞳が涙で潤む。

ここまでしてくれるネンコに、これ以上何を求めるのか。

ネンコは、言葉も出せずに膝を抱えて小さく震えるリアをしばらく見ていたが、そのうち意を決したように声を出した。


「で、いつやるんだ?」

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