第23話 罪人のために

ミスタリア王国は五つの領からなる。

それぞれの領には太守がおり、王の目の届かぬ地方の管理を任されていた。

地方とは言え大国ミスタリアの領は小国ほどの大きさがある。

実際にミスタリアで最も大きな領であるノーブル・メイルは、属国であるリトリアの倍以上の領土を持つ。

各領は国の定めた法に反しない範囲で独自の法を持つことが許されており、太守はそれぞれのやり方で領を統治していた。

そのため、太守は王に次いで強い力を持っていると言われている。


そんな彼らが一同に会することは極めて稀である。

以前、招集されたのは不死王が現れた時だったか。

そのため、国家を揺るがす事態が起こっているのではないかと太守たちが不安になるのも無理はない話だった。


六人の太守が円卓の間にて王の登場を待つ。

そこにバルザックの姿があった。

フォレスト・レギンスを治める彼も太守の一人だ。

今回のためにと準備していた金の刺繍をあしらった黒い礼服に身を包み、椅子に深く腰掛け静かに王を待つその姿は太守としての威厳と余裕を感じさせる。

愛娘の言葉に慌てふためく姿など全く想像できない。


そのバルザックは先ほどから道中命を救ってくれた美しい少女のことを考えていた。


(あの娘は何者だろうか?)


バルザックはあの日以来リアのことが気になっていた。

魔法を操る少女。

そして、そんな彼女が街から遠く離れた危険な地を独り彷徨っている。

いくら魔法を使えるとはいえあのように幼い少女が、凶悪な怪物や野生動物が徘徊する土地で生き延びていることはバルザックには到底考えられない事実だった。

しかもボロボロの身なりから、少なくとも一週間は街の外で生活しているように見える。

そのことから、彼女は見た目以上に凄まじい力を持っていると考えられた。

命を救われた手前、素性の言及は避けたが無理にでも聞いておけば良かったと思う。

今更後悔しても遅いのだが……。



「バルザック殿。道中は災難だったようで」


不意に声を掛けられ、バルザックは思考を中断して声の主を見る。

セイクリッド・シールドの太守カーヴァン・ハイネス。

頭に白い司祭帽を被り、同じ色の法衣を身にまとっている。

背は低く、丸い愛嬌のある顔立ちをしており、その笑顔は見る者に優しげな印象を与える。

しかし、実際はその見た目とは裏腹に強欲で、金のためなら手段を選ばない男だった。

本人は敬虔なアルトラ教の信者を謳ったっているが、神聖術を使えないことがそれを偽りだと証明している。

バルザックはこの男のことを好ましく思っていなかったが、そんな心中を表に出さぬよう笑顔で言葉を返す。


「ははは、これはカーヴァン卿。さすが耳が早い」


「なんでもゴブリンの大群に襲われたとか。遠方からですと何かと大変ですなあ。その点、我が領は王都に近い故、そのような心配はありませんが」


ニヤけた笑みを浮かべてそう話すカーヴァンを見て、バルザックはげんなりする。

この男は自分がバルザックよりも格上であると言いたいのだ。

太守の中にも序列があり、王都に近い領を治める者ほど位は高い。

そのため国の最南端を受け持つバルザックは最も位が低かった。


(碌なものではないな)


カーヴァンの発言に呆れながら、バルザックは思う。

かつてバルザックは王都に最も近いノーブル・メイル領を治めていた。

しかし、不死王との戦いで英雄王ウォルフが亡くなった後、現王ライアスによる大規模な太守の異動が行われた。

ライアスはバルザック以外の太守を全員解任すると、自分に従順な者だけを集めて太守に任命したのだ。

新任の者たちは能力的にも性格的にも太守に相応しいとは言えなかった。

しかし、王の命令には忠実に従った。

それが例え民を苦しめ、国を衰退させることになったとしても。

バルザックも解任を覚悟していたが、なぜか遠方への異動で済んだ。

これまでの実績を評価してとのことだったが、本当の理由は分からない。


「全く羨ましい限りですな」


バルザックはそう笑って返す。

彼はこのような輩は本気で相手するだけ無駄だとよく心得ていた。

カーヴァンはその反応が気に入らなかったのか、軽く鼻を鳴らしてバルザックから顔を背けると別の太守と話を始めた

話の内容は自分の地位や財産を自慢するようなもので、国にとって有益な話は何一つ出てこない。

バルザックはそんな彼らに深く失望すると、再び考えに更けるのだった。



ライアス王は予定の時間を大幅に過ぎて登場してきた。

バルザックたちが入室してからすでに二時間以上が経っている。

王は悪びれる様子もなく、重い体をゆっさゆっさと揺らしながら席に向かう。

その口元には何かの食べかすが付いていた。

おそらく太守たちを待たせている間に自分だけ食事でもしていたのだろう。

しかし、誰もそのことを咎める者はいない。

バルザックでさえ諦めの表情を浮かべて、大人しく王の着席を待った。

そんな王の後を影のように宮廷魔術師が付き従う。


(確か、バドクゥとか言ったか)


不死王が現れる少し前にライアスが連れてきた男だ。

大戦のときも居たはずだが、ライアス同様戦いには参加していない。

バルザックはこの素性の知れない魔術師を以前から危険視していた。

王に奴を傍に置かぬよう進言したこともあるが、聞き入れてもらえなかった。

そのバドクゥは今や宮廷魔術師の長であり、太守たちですら彼に逆らうことはできない。

王のお気に入りとなれば尚更である。


そんなことを考えているとバドクゥと目があった。

彼はにやりと笑うと、軽く一礼する。

バルザックはその笑みに寒気を覚えながらも、頭を下げる。



「今日、そなたらに集まってもらったのは我が国を脅かす危険な存在について話しておきたかったからだ」


王は着席するやそう言うと、部屋の隅に控えている従者に目配せする。

彼は無言で頷くと、太守たちに一枚ずつ羊皮紙を配って回った。

紙を受け取った太守たちは一様に怪訝な表情を浮かべる。


(危険な存在? まさか不死王が?)


バルザックの背中に冷たいものが走る。

彼は大戦の際に間近で不死王を見たことがあった。

あの時の恐怖は未だに拭いきれない。

真の騎士アルフォートがあの場に居合わせなければ、バルザックは確実に命を落としていただろう。


「どうぞ」


従者から声を掛けられ、我に返る。


「おや? バルザック殿は具合が悪そうですな。まさか不死王でも復活したかと思い、臆しましたかな?」


カーヴァンスが嫌味たっぷりに声を掛ける。

それを聞いた太守たちが情けないとバルザックを笑い飛ばす。

ひとりの太守などは宝石を散りばめた自慢の剣を抜き、不死王など我が剣のサビにしてくれるなどとのたまう。

バルザックはそんな彼らを見ながら乾いた笑いを浮かべた。


(お前らにはあの恐怖は分からんよ。戦いに参加すらしていない者にはな……)


そんな中でライアスとバドクゥだけは笑っていなかった。

バルザックはそのことを意外に思ったが、従者が笑いを堪えて目の前に紙を差し出してきたため、軽く睨みつけて紙を受け取る。

そして、バルザックは別の衝撃で凍りついた。


そこにはつい数日前に出会った少女が描かれていた。


―――リア・クライス


何故か名前は違うが、自分の命の恩人と同一人物であることは疑いようもなかった。

バルザックは動揺を悟られぬよう努めて冷静を装い、その内容に目を通す。


(あの少女が……危険?)


彼が知る心優しい少女に世界を滅ぼすなどということが出来るとは到底思えなかった。

確かに若いながらに強力な魔法を使ったが、国や世界に影響を与えるほどの力ではないと断言できる。

『赤目』という聞き慣れない言葉も気になった。


「……貴公らはこの手配書を領内に広め、この者を捕えることに尽力するのだ。捕えるのが無理なら別に殺しても構わん」


その言葉にバルザック以外の太守たちは一様に頷く。

王の命令には盲目的に従う連中である。

そこに理由や意味は求めない。

バルザックは心の中でため息をつくと、静かに手を上げた。


「いくつか質問があるのですが、よろしいか?」


「なんだ」


ライアスは視線だけバルザックに向ける。


「この『赤目』というのは、どのような連中なのですか? 恥ずかしながら私は聞いたことがありません」


バルザックはそう言うと他の太守を見回す。

彼らは何か思い出すような仕草を見せたり、分かったような表情を浮かべたりしていたが、質問に対する答えを提示する者はいなかった。


(やはり何も知らないのではないか……)


バルザックは太守たちの適当さに呆れながら王の回答を待つ。


「貴公が知らぬのも無理はない。彼奴らに関する文献は残っておらんからな。だが、代々語り継がれた口伝は残っておる。私は信頼のおける者からそのことを聞いたのだ。誰かは言えぬがな。『赤目』は四百年以上前に世界の滅亡を企てた魔女だ。強大な魔力を持ち、精霊や竜、果ては魔神をも使役したと言う」


ライアスの発言に室内がざわつく。

太守たちの表情は青ざめている。

おそらく魔法を使うとは言えこのような小娘を捕えることなど容易いと考えていたのだろう。

しかし、竜や魔神を操るとなれば話は違ってくる。

『赤目』のことは知らずとも、彼らの恐ろしさはよく知っているからだ。

古の赤竜がとある国の騎士団を一息で焼き殺した話や魔神の怒りに触れた王国が一夜にして滅ぼされた話などは今も伝説として語られる。


「だが、臆することはない」


慌てふためく太守たちにライアスは力強く言い放つ。


「彼奴にまだそこまでの力はない。少し魔法が得意なだけの小娘よ。だからこそ、力を付ける前に始末する必要があるのだ。なお、この魔女を始末した領にはそれ相応の見返りを用意している」


太守たちの表情が途端に明るくなる。

これほどまでに大規模な王からの依頼である。

見返りは地位か金品か……いづれにせよ上手くすれば莫大な報酬が転がり込むのは間違いなかった。


「王よ。私は早速準備に取り掛かる故、失礼いたしますぞ。我がカルバン・ヘルム領が必ずやこの魔女めを仕留めてご覧に入れましょう!」


「わ、私もすぐに……」


「我も……」


太守たちは王に断りを入れて我先に部屋を飛び出していく。

結果、円卓の間にはバルザックとライアス、そしてバドクゥが残った。


「貴公は行かぬのか?」


「まだ質問が終わってませんので」


ライアスが怪訝な顔をする。

そんなライアスにバルザックは質問を投げた。


「捕らえた魔女の処罰についてはどのようにお考えか?」


「彼奴は世界を滅ぼすやも知れぬ大罪人。極刑以外は考えられまい」


「それは当然。それだけの罪をこの魔女は抱えています。そこで提案なのですが、魔女の処刑は大々的に公開しては如何かと」


ライアスとバドクゥは顔を見合わせる。

この国では公開処刑を禁じている。

その理由は国教であるアルトラ教にあった。

例え罪人であってもいたずらにその死をさらすことは慈悲と慈愛を司る女神の教えに反すると考えられているのだ。

暴君であるライアスでさえ、国民や教会の目を気にして公開処刑には踏み切っていない。

公開こそされないものの影で行われている処刑は慈悲のない残酷なものが多かったのだが……。


「その狙いをお聞かせ願いたい」


困惑する王の代わりにバドクゥがくぐもった声を出す。

バルザックはバドクゥと目を合わせる。

その死人のような顔からは感情を読み取ることはできなかったが、バルザックの発言の真意を図ろうとしているようだった。


「この魔女は世界の平和を脅かすほどの存在。それを討ち取ったことを諸国に知らしめれば、ミスタリアの名は強国として大陸全土に轟くでしょう。最近、怪し気な動きを見せている隣国への牽制にもなりましょう」


バドクゥはふむと呟き、右手を顎に当てて考える様子を見せる。

ライアスもバルザックの発言に少なからぬ魅力を感じているようだった。


「しかし、教会側が何と言うか……」


「世界の敵はアルトラ教にとっての神敵も同然。誠意を持ってお話すれば理解も得られましょう」


バルザックはゆっくりと席を立つ。


「私はこの公開処刑は国に大きな恩恵をもたらす絶好の機会になると考えております。どうかご検討を」


そう言い残し、バルザックも部屋から退室した。



バルザックは早足で城の一室に向かう。

そこは太守が滞在の折に与えられる部屋だった。

バルザックが中に入ると彼の信頼する部下であるクレイが椅子に座ってくつろいでいた。

しかし、バルザックのただならぬ雰囲気を感じ取り、表情を引き締める。


バルザックは黙って手配書を渡す。

クレイの顔がみるみる青ざめていった。


「モニカは?」


「アニマと中庭で遊んでいます」


「よし。事態は一刻を争う。お前はアニマとともにリアを追ってくれ。見つけ次第、私の元に連れてくるのだ。私はこちらで従者を雇い、モニカとともに一旦領へ戻る」


「しかし、バルザック様、この娘は……」


「そうだ。その者は世界を滅ぼす力を持った罪深き魔女。国としてこの魔女を生かしておくわけにはいかん」


バルザックの厳しい言葉にクレイは項垂れる

こうなってしまった以上、どうすることもできない。


「……だが、その魔女は我らにとっては恩人であり、かけがえのない友人である」


クレイは顔を上げてバルザックを見る。

その顔に迷いはない。


「リアを救うぞ!」


「はっ!」


クレイはバルザックの決断に敬意の念を抱くとともに、彼が主で良かったと心から思った。


「パパ!」


その時、扉が開きモニカが勢い良く飛び込んできた。

手にはシロツメクサで編んだ花かんむりが二つ握られている。

バルザックはクレイに手配書を隠すよう目で合図を送った。


「見てみて! アニマに教えてもらって作ったの!」


満面の笑みで花かんむりを掲げる愛娘を、バルザックは微笑みながら抱き上げる。


「上手にできたな」


「うん! ひとつはあたしのでね。もうひとつはリアおねえちゃんのなの。こんど会ったらあげるんだ。喜んでくれるかなあ」


バルザックの表情が曇る。

クレイもいたたまれなくなり顔を伏せる。


バルザックは何も言わずにモニカを抱きしめた。


「パパ?」


そんな父親の様子を不思議に思い、モニカが声を掛ける。

娘が大好きな少女はこれから想像を絶する苦しみを味わうことだろう。

いや、既に苦しんでいたのかもしれない。

あの時、なぜ気付いて助けてやれなかったのか。

仕方がなかったこととはいえ、バルザックに自責と後悔の念が押し寄せる。

もはやモニカの言う「こんど」が本当に来るのかさえ分からないのだ。


「だいじょうぶだよ。リアおねえちゃんは強いんだよ」


バルザックは自分の考えを見透かしたような娘の言葉に驚き、モニカを見る。

モニカは相変わらず笑顔を見せている。


「それにね。ネンコちゃんがいるからね。どんな悪いやつでもすぐにやっつけてくれるよ。だから安心なんだよ!」


ネンコとは確かリアの飼っていたネズミのことだったか。

バルザックはなぜモニカがネンコの話を持ち出したかよく分からなかったが、彼女なりに父親を安心させようとしていることは理解できた。

そして、必死に自分に言い聞かせていることも。

この中で一番リアの身を案じているのはモニカなのかもしれない。


「そうだな。お姉ちゃんたちなら大丈夫だな」


バルザックはそう言うと愛する娘を抱きしめた。




その日の夕方、四人は王都を立った。

クレイとアニマは国中から命を狙われているリアを保護するために。

バルザックとモニカは領民に事の次第を説明して協力を仰ぐために。

手遅れにならぬようにそれぞれが先を急ぐ。

ひとりの魔女と一匹のネズミの無事を祈りながら。

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