第20話 魔女とネズミの人助け

「一体、何匹いやがる!」


広刃の剣を両手で構えて男は毒づいた。

男は鎖帷子の上から厚手のチュニックを着込んでいる。

兜は被っておらず、短く切り揃えられた赤毛が陽の光を浴びて赤みを増している。

チュニックのつなぎ目から露出している肌は日に焼けており、逞しさを感じさせた。


「アニマ! 無事か!?」


男は馬車を挟んで戦っている仲間の名を呼ぶ。

すでに仲間のうちの一人はやられてしまったようだ。

直接見てはいないが、先程から声をかけても返事がない。

四日ほどの短い付き合いだったが、好感の持てる若者だったので残念に思う。


「クレイ! もうもたない!」


少し間が空いて、女性の声が返ってきた。

クレイは仲間の無事を確認して、ほっと胸を撫で下ろす。


彼らはこの国の貴族、バルザック・サハールの私兵だった。

主君であるバルザックがミスタリア国王により呼びだされたため、その護衛として同行していた。

街道を王都に向けて進むだけの旅ということで、大きな危険はないとしてバルザックが信頼を寄せる二人の私兵と金で雇った傭兵一人のみでの護衛だった。

街を出て四日ほどは順調そのものだったが、五日目にしてゴブリンの大群に襲われた。

十や二十程度のゴブリンであれば、三人で充分に対処できただろう。

しかし、今回は数が違いすぎた。

クレイは二十匹目を切り倒したあたりから殺したゴブリンの数をかぞえることを諦めていた。


疲労のためかいつもより重く感じる剣を振るって目の前のゴブリンを喉を切り裂いた時、クレイの耳に少女の悲鳴が聞こえた。


「モニカ様!」


クレイが反射的に声の方に目を向けと、バルザックの愛娘のモニカがゴブリンに短剣を突き立てられようとしていた。

自分の場所からでは助けは間に合わない。

アニマもゴブリンたちに行く手を阻まれ動けないでいる。

モニカが馬車の外にいるということは主君は殺されてしまったのだろうか。


最悪のシナリオがクレイの脳裏をよぎる。


その時、クレイの太ももに激しい痛みが走った。

モニカに気を取られた隙にゴブリンの刃物による一撃が足を貫いたのだ。

体勢を崩し片膝を着いたクレイの目に、顔に目掛けて剣を突き出そうとしているゴブリンが映った。


(これまでか……)


クレイは死を覚悟する。

そして、絶望の中で自分の命を奪わんとする醜い生き物の姿を呆然と眺めていた。



リアは少し離れたところからクレイが体勢を崩す様子を見ていた。

素早く触媒袋から小石を二つ取り出して左手に握りこむ。

リアが二、三言呟くと小石が薄っすらと青白い光を放ち始めた。

その小石を宙に放ると、一瞬空中で静止したが、すぐにゴブリン目掛けて矢のような速さで飛んでいく。

そして、クレイの前にいるゴブリンの頭と胸を打った。

頭に当たった小石は見事に頭蓋骨を砕いたようで、ゴブリンはよろめきながら地面に倒れるとそのまま動かなくなった。


リアは走りながらもうひとつ小石を取り出し、女戦士と交戦中のゴブリンに同じ魔法を使う。

石はゴブリンの肩に当たり骨にヒビを入れた。

致命傷にはならなかったが女戦士はその隙を逃さず、ゴブリンの頭を斬り飛ばしていた。


リアはクレイに駆け寄って先ほど摘んだモチグサを手に取り、彼の太ももの傷に押し付けるようにして『治癒』の魔法を唱えた。

モチグサは一瞬白い光を放つと砂のように崩れた。

クレイはすぐに傷の痛みが和らぐのを感じる。


「大丈夫ですか?」


リアは不安気に尋ねる。

突然の出来事にクレイは混乱していたが、この少女が自分を助けてくれたのは理解できた。

クレイは立ち上がり傷の具合を確認する。

傷は完全には塞がっておらず時折小さな痛みを感じるが、動く分には問題ないようだった。


「ありがとう。助かったよ」


クレイは素直に感謝の礼を述べる。

リアは照れたように笑ったが、すぐに表情を引き締めて周囲を見渡す。


残ったゴブリンの数は十を切っていた。

おそらくその大半はネンコに倒されたのだろうとリアは推測する。

その証拠にアニマは周囲で次々と吹き飛ばされていくゴブリンたちを眺めながら、呆けたように突っ立っている。

そのうち我に返ったのかアニマはモニカの元に駆け寄っていった。

その様子を見てクレイも成すべきことを思い出したのか馬車に向かって走りだす。


リアはそんな二人を横目で見ながら残りのゴブリンの攻撃に備える。


「もう大丈夫だぞ」


いつの間にかネンコがリアの頭の上に乗っていた。

どうやら全てのゴブリンを始末し終えたらしい。


「あの子も無事だぞ」


ネンコの言葉にリアは心底ほっとする。

自分の判断が遅れたせいで彼女に何かあったら、リアは一生自分を責めながら生きることになっただろう。


「ありがとう。ネンコさん」


リアは少し上を見るようにして頭上のネンコに礼を言う。


「いいぞ。気にするな」


リアはネンコの素っ気ない言葉の中に、何気ない優しさを感じ取っていた。



「ひどい……」


リアはクレイに呼ばれて、馬車の中に居た。

その座席には五十代半ばの貴族風の男が横たわっており、例の少女がその体にすがりついて泣きじゃくっている。

男は身体のあちこちに傷を負っており、息も絶え絶えといった様子だ。

特に腹部の傷がひどく、応急処置を施してはあるが傷は内蔵まで達しているようで血が止まらない。


「なんとかならないだろうか?」


クレイはリアに簡単な自己紹介を済ませた後、すがるような視線を送る。

自分の傷を治してくれたリアに期待をしているのだろう。

しかし、リアは難しい顔をするしかなかった。

今使える魔法では治せない程に深い傷だと分かったからだ。

先ほどのクレイの足の怪我とは訳が違う。

自分には無理だということを伝えようとした時、モニカの弱々しい声が聞こえてきた。


「おねえちゃん、パパを助けて」


リアにはその姿が自分の姿に重なって見えた。

彼女は目を閉じて大きく深呼吸した後、モニカに小さく頷いた。

途端にモニカの表情が明るくなる。


(この子にあたしみたいな思いをさせちゃダメだ。なんとかしなきゃ)


リアは触媒袋からありったけのモチグサを取り出した。


「これから『治癒』の魔法を使います。集中したいので、一人にしてもらえますか」


三人にそう伝えて、外に出るように促す。

皆が不安そうだったが、邪魔になってはいけないと素直に馬車から出て行った。

リアはゆっくりと扉を閉める。

その時、リアはネンコがいないことに気付いた。

頭の上に乗っていたはずだったが。

少し気になったが、今は魔法に集中するよう気持ちを切り替える。


バルザックの横に膝を着くと、モチグサの束を掴み魔力を注いでいく。

下位の魔法でも高い魔力と充分な触媒があれば効果も上がる。

リアはそれに賭けた。

触媒の量は充分。

あとは自分の魔力次第。

左手の人差し指で座席の端をトントンと一定の間隔で規則的に叩く。

リアが魔力を高める時によくやる方法だ。

そのうちモチグサがゆっくりと光を発し始めた。

光は次第に大きくなり、馬車の中を満たしていく。

リアの額から汗がにじんだ。


(今だ!)


充分に魔力を注いだところで、リアは『治癒』を唱えて腹部の傷に触媒をかざす。

光が傷口に注がれ、触媒も消え失せた。

リアは傷の状態を確認するため、恐る恐るかざした手を退けて包帯を外す。

酷かった傷口は塞がっているように見えた。

リアは安堵の表情を浮かべる。

魔法は無事に成功したようだった。

その結果にリアは喜び、立ち上がったのだが……。


「っ!」


塞がった傷が開き、再び血が溢れてきた。

リアの魔法は表面上の傷は塞いだものの、身体の中の傷を治せてはいなかったのだ。

血が止まらない。

バルザックの顔色がみるみる紫色に変色していく。

リアはその場にへたり込む。

自分の無力さを痛感して涙が出てきた。

あの子の期待に応えることができなかったのだ。


悲しむだろう。

責められるだろう。


リアは外にいる三人に合わせる顔がなく、しばらく馬車から出ることもできずにすすり泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る