第11話 氷の魔女

ゴブリンたちが奇声を上げる。

それは同胞を殺されたことによる怒りの声だった。

彼らは目の前の少女を今回の首謀者、すなわち敵とみなした。

少し考えれば足を震わせながら立っている非力そうな少女に、あのような圧倒的な力などないことは分かりそうなものだが、ゴブリンたちの小さな脳みそではそこまでの考えに至らなかったようだ。


魔術師が一際大きな声を上げる。

それを合図として残りのゴブリンがリアに向かって駈け出した。

得体の知れない力を持った敵を前にして、恐怖が無かったわけではない。

しかし、ゴブリンたちは果敢に立ち向かっていった。

かつて、仲間だった者達の仇をとるために。

怒りが恐怖に打ち勝ったのだ。

その姿は醜くも勇者と呼べるものだった。



リアは猛然と駆け寄ってくるゴブリンたちに恐怖した。

強い殺意が自分に向けられている。

ただでさえ残忍で凶悪な生き物であるゴブリンがあれほどの怒りを持って襲ってくるのだ。

捕まればあっという間に手に持った短剣や棍棒で原型を留めないほど切り裂かれ、すり潰されるだろう。

しかし、リアはこのまま黙って殺されるわけにはいかなかった。

リアは襲い来るゴブリンたちに背を向け、洞窟の入り口に向かって全力で走りだす。

真っ暗闇のため、何度も転びそうになる。

靴を履いていないため、落ちている細かい石が足に刺さる。

それでもリアが走る速度を緩めることはなかった。


幸い足の速さではリアに分があったようだ。

徐々にリアとゴブリンとの間に差ができ始め、リアは追いつかれることなく洞窟の外に逃れることができた。

外は相変わらずの雨だったが、リアは転がるように洞窟から飛び出した。



それから程なくしてゴブリンたちも洞窟の入り口までやってきた。

ゴブリンたちは滝のような雨に一瞬戸惑ったが、逃げた少女を探すため濡れるのも構わず外に出る。

しかし、探すまでもなく仇は見つかった。

というのも、これまで全力で逃げていたリアが洞窟を出てしばらくのところで立ち止まっていたからだ。

ずぶ濡れになりながら立ち尽くす少女を見てゴブリンたちは狂喜する。

諦めたのだと。

大人しく殺されるのだと。

この怒りをどうやってその小さな身体に刻もうかとゴブリンたちは残忍な笑みを浮かべてリアに近づいた。


しかし、その笑みは文字通り凍りつくことになる。

リアが何か言葉を呟き先頭にいたゴブリンに向けて腕を突き出した瞬間、その身体から霜の爆発が起きたのだ。

霜は濡れた身体を這うように広がり、瞬く間に全身を覆い、凍りつかせてしまった。

突然のことに残りのゴブリンの足が止まる。

リアはその隙を突いて、澄んだ声を大きく響かせ歌うように呪文を詠唱し、流れるような動作でゴブリンを指差す。

すると先ほどのゴブリンと同様に二匹目も凍りついた。

空から降り注ぐ大量の雨を触媒として、リアの得意とする氷系統の魔法をかけたのだ。

以前、闇の魔獣との戦いの際に使用した魔法と同じもので、リアが扱える魔法の中で最も強力なものだ。

『凍結』という中位の魔法であり、充分な触媒と魔力があればゴブリンどころかオーガやトロルといった強力な魔物にも致命傷を与えることができる。

その反面、魔力の消費は大きく、リアが休憩なしで使用できるのは二回が限界だった。


リアは仲間が氷の彫像になったことに混乱している残りの一匹に駆け寄り、その右腕を掴む。

そして、先ほどの魔法とは違う短い言葉を口にした。

リアの触れた部分を中心に水分が急速に凍り始める。

ゴブリンの腕の肉が裂け、血が吹き出すが、その血すらも凍りついた。

たまらずゴブリンは悲鳴を上げる。

すかさずリアは凍りつき力の入らないゴブリンの手から短剣を奪い、心臓めがけて突き立てた。

硬い感触があり押し戻されそうになるが、身体をぶつけるようにして勢いを付け、奥まで押しこむ。

短剣は柄まで身体にめり込み、ゴブリンの小さな心臓を貫いた。

リアが短剣から手を離すと、哀れなゴブリンはゆっくりと仰向けに倒れた。

リアは三匹のゴブリンの死骸を表情のない顔でしばらく眺めていたが、ゆっくりと洞窟の奥へ戻って行った。


それからどのくらいの時間が経ったか判らないが、リアはぱちぱちという火の跳ねる音で目が覚めた。

強い倦怠感がある。

魔力を消耗した際に起こる現象だ。

動けないほどではないが、動きたくない。

リアは横になった状態のまま、視線だけ動かして辺りを確認する。

どうやら先ほどゴブリンたちが居た部屋のようだった。

辺りにネンコが倒したゴブリンの遺体が転がっている。


―――ネンコさん!


リアは飛び起きる。

そういえばネンコはどうなったのだろう?

この部屋には自分を追いかけてきたゴブリン以外に魔法を使うゴブリンがいたはずだった。

ネンコとはいえ眠った状態で攻撃されればただでは済まないのではないか。

リアは考えるほどに不安になり、ネンコの名を呼んだ。


「はい! 元気です!」


場違いなくらい大きな声が洞窟内に響く。

正直なところ疲弊している時に、あまり大きな音を聞きたくないのだが、リアは身体の力が抜けるほどに安堵する。

実際にネンコの声を聞いた瞬間、リアはへなへなと座り込んでしまった。

安心すると次は腹が立ってくる。

ネンコがゴブリン退治などしようと考えなければこんな目に遭うことはなかったのだ。

リアは文句の一つも言ってやろうと口を開いたが、その前にネンコが話を切り出す。


「悪かったな。危ない目に遭わせて」


リアは開いた口をぱくぱくさせる。

ネンコがあまりに素直に謝るものだから、どうしていいのか分からなくなったのだ。

見ればネンコは頭を地面に付けて、毛糸玉のように丸くなっている。

リアには何をしているのかは分からなかったが、十分に反省しているように見えた。


「もういいよ……」


リアはため息をつくとそう答えた。

おそらくネンコはリアの疲労が激しいと判断し、少しでもいい環境で休ませようと考えたのだろう。

確かにこの洞窟を諦めて、あの大雨の中歩き続けていたら、命を落としていたかもしれない。

やり方は乱暴だったが、自分のためを考えてくれていたかと思うとリアの心が感謝の気持ちが湧いてくる。


「ありがとう。ネンコさん」


ネンコが顔を上げる。

表情は分からないが驚いている様子だった。

そんなネンコにリアは微笑む。

ネンコはじっとリアを見ていたが、やがて照れたようにそっぽを向くと、戦いの後片付けを始めたのだった。

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