式日の贈り物

和倉稜

式日の贈り物

 明日、きみと有希は二人だけの小さな結婚式を挙げる。僕は式に招待されなかったけれど、大切な友人であるきみたち二人に何か贈り物を送ろうと考えている。

 有希の家族や友人は結婚式が開かれることはもちろん知らないのだろうね。知ればきっと驚く。いや怒り、悲しみの涙を浮かべるかもしれない。

 誰にも結婚式のことを知られたくないことは分かる。でも、僕ときみと有希の三人でかけがえのない学生生活を過ごしたはずだ。せめて僕だけでも呼んでくれたのなら有希は喜んだんじゃないか?

 僕がきみにしてあげたことを今はちょっぴり悔いている。僕がいると幸せな花嫁であるはずの有希が揺らいでしまうから、きみは僕を結婚式に呼ぶことが出来なかったんだろうね。

「永遠に愛している」

 きみは有希に明日こう言うのだろう。

「私も」

 きっと有希は穏やかな笑みを浮かべて返してくれる。

 明日の映像がありありと浮かぶ。神父は有希のまぶしい笑顔に、目に浮かべた涙に、きっと衝撃を受ける。

 贈り物の話をしよう。

 きみはよく僕が休み時間に古めかしい本を読んでいるとからかっては、有希にたしなめられていた。僕は小酒井不木の『恋愛曲線』が好きだ。有希はもちろん知っている。

 僕がきみと有希に贈ろうとしているものはこの『恋愛曲線』に近いものだけど、知らなくても問題ない。


 僕らは小学校から高校までの多感な時期をずっと一緒にいた。将来の夢もたくさん語り合った。三人ともがおおむね希望通りに進めたのは、お互いを尊敬し切磋琢磨したおかげなのかもしれない。

 僕はAIの研究者になった。きみもすでに知っての通り『感情を獲得するAI』だ。例えばコンピュータ内に僕の分身を作る――ホログラムやアンドロイドとして実体を持たせる事も可能だ――。分身は僕のこれまでの行動記録や生体情報を基本情報として持っている。


 『悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ』


 古くから有名な心理学者ウイリアム・ジェームズ博士の言葉だが、これまでの研究で感情は行動記録や生体情報で説明できることが分かった。

 つまり僕の分身は僕と同じように感情を発露する。さらに僕が経験していないことも情報さえ渡せば学習し、新たな感情を獲得していく。

 僕は人間関係の構築に長けていない。コミュニケーションが苦手な理系人間という人物像にぴたりとはまる。それでも新しい情報を学ばせてやれば、僕の分身はよりよい人間関係を築けるようになる。

 現実も分身のようにうまくいってくれれば良いが、複雑過ぎて未だ処理できないようだ。きみのようにはっきりと気持ちが伝えられるような性格になりたいものだ。


 さて僕には人を理解する能力が多少劣っていたが、プログラミングの才能はあったみたいだ。僕の作った分身AI技術は非常に良く出来ていて、貪るように情報を食べては感情を獲得していくまるで生きた人間以上の存在だった。またたく間に製作者の僕の能力を超えて自立していった。

 僕はAI研究の成果の一部だけを学会や論文で発表した。優秀なビジネスマンであるきみにさえ、僕が世にもてはやされているのを見ただろう。すごいことを成し遂げたと言われているが、僕は成果の半分も明かしていないんだ。

 鳥の鳴く声が聴こえる。たまには外に出てのんびりとしたいものだ。今度きみも一緒に登山にでも行かないかい?


 さて、これから研究室に籠ることになる。贈り物は明日の朝になるだろう。しばらく会っていないきみの姿を思い浮かべる。

 以前より痩せているのかもしれない。きみはよく食べよく遊ぶ人だった。同時に有希の事も思い返す。三人の関係は変わってしまった。僕は敗者で、きみは勝者なのかもしれない。僕はきみたち二人の幸せを誰よりも願っていることを信じて欲しい。少しだけ思い出話をしようか。


「すみません。ペンクラブ入会募集の案内を見たのですが」

 有希はひどく落ち着かない様子で、図書準備室に顔を覗かせた。きしむ床をそっと踏み、こちらの反応を伺っている。目が合うと意外そうな顔をした。児童がひとり準備室内にいたことに驚いているのだろう。

「竹本先生は……」

「今は職員室です。入会希望ならこの紙に」

 僕はカウンター下から申込書を取り出す。有希は首を振ると顔を後ろに向ける。有希の背に隠れるようにしてきみがいた。僕は怪訝な表情を浮かべる。

「えっと、後ろの人は?」

 有希は無言できみの腹を肘で小突く。

「もう、自分で言いなよ。二枚もらえますか? わたしとこの子の分」

 感じの悪い態度だと思ったが、後からきみが緊張していたのだと知って驚いた。有希が申込書に記入しているあいだ中、きみはじっと有希が動かすペン先を見つめていた。

「五年二組、竹本先生のクラスか。後ろのきみはどうするの?」

 きみは黙って有希の手からボールペンを奪い取った。思い返すと、出会った頃のきみと僕は今とまるで正反対の性格をしていたように思える。

 きみは有希が書いた申込書を横に並べて同じようにボールペンを走らせ始めた。有希は満足気にきみの横でにこにこと笑みを浮かべていた。きみのことなどすっかり忘れて、有希のことをじっと見てしまった。僕は有希がふと見せた笑顔にとりこになってしまった。

「ん? 何かついてる?」

 ずいぶんと白目の面積が大きい。小さな鼻に、薄い上唇。

「あの」

「あっ、ごめん。竹本先生すぐに戻ってくると思うから、そっちの椅子で待ってて」

 きみが僕の事を睨んでいたのに気づいた。僕は二人が書いた申込書を確認するふりをして視線を逸らした。僕の心臓は早い拍動を続けていた。

 予想に反して竹本先生はなかなか戻ってこなかった。僕がそのことを謝ると有希は呆けた顔を浮かべたあとにからからと笑った。

「別にあなたが悪いわけじゃないし」

「いや、でも、その、ごめんなさい。待たせてしまって」

「いいって。そうだ。先生が帰ってくるまでペンクラブやあなたの事を教えてよ」

 暇を持て余した有希は僕で時間を潰そうとした。僕はしどろもどろだった。名前、年齢、済んでいる場所、ペンクラブの事、入会した経緯、竹本先生の様子、たくさんのことを話した。

「えっ、じゃあ同じ学年なんだ。年下かと思ってた」

 結局、竹本先生はペンクラブの活動時間ぎりぎりのタイミングに戻ってきた。それまでの長い時間、有希は僕と話続けた。きみは何度有希に話を振られようと、むすっとした様子で始終無言だった。

「一緒に帰らない?」

 少なくともきみとは異なり、有希は僕のことを気に入ったようだった。

僕はきみと有希を天秤にかけて、一緒に帰ることにした。有希と僕は横に連なって歩き、その後ろをきみがついてくる。

 有希はいたずらな笑みを浮かべると、とめる僕ときみをよそにコンビニに立ち寄ってアイスを買い、それを僕に差し出した。アイスは二つに分かれるようだった。割って一つを口にくわえ、もう一方を有希に差し出すと、有希は首を横に振った。僕は仕方なしにきみに差し出す。きみは口を一文字に結び、不機嫌な顔を浮かべながらもアイスを僕から受け取った。

「ありがとう」

 ぼそっときみがつぶやいた感謝の言葉に僕は目を丸くした。それからぽつぽつと僕ときみはぎこちない会話を続けることになる。有希には、僕ときみとが仲良くなる確信があったようだった。

 中学も一緒に居た。同じ高校を受験して有希は合格。僕ときみは肩を落としたが、なんと二人して補欠からの繰り上げ合格になり、三人で笑いあった。その頃にはきみの性格は明るくなり、身だしなみにも気をつかうようになった。僕は反対に大人しいと言われる程度には落ち着いていた。有希は変わらないまま。それでも僕らは三人一緒にいた。それは有希ときみが恋人になっても変わらなかった。


 大学は別々になった。僕はろくに友人も作らぬまま、学問の世界に没頭していった。きみだけは僕を気にかけ、時間が出来ると僕を食事や遊びに誘った。二回に一回は有希もいた。きみと有希は結婚をするのだ、という確信が僕にはあった。正直言うと心の痛みはあった。だけど、それ以上に二人には幸せになって欲しかった。


 ここからの話はきみが知らないことだ。きっと怒るだろう。実は僕は有希と度々二人きりで食事に行くことがあった。きみが働き始めて、仕事で忙しくしていた頃のことだ。僕も暇ではなかったけれど、大学院での研究生活は比較的時間に融通がきいた。有希は多くの時間をきみについて話すことに費やしていた。僕は少し不満だったけれども。しかし僕はいつしか有希と食事に行くことが出来なくなった。有希はいなくなってしまったから。僕は喪失感からかAIの研究にのめり込んでいく。

 有希と会えなくなったのち、代わりにきみが僕に会いにきた。僕から有希の情報を手に入れ、目的を果たすと姿を見せることはなくなった。きみは仕事より有希といることを優先させた。

 幸せそうな二人の様子をSNSの投稿で見る度に、僕は心にぽっかりと穴が空いたように感じ、穴を埋めようと必死に研究を重ねた。僕に突きつけられた現実はきっと偽の世界で、僕が真実を見つけることで世界は本当の姿を取り戻すんじゃないか、と考えた。

 没頭した結果、研究者としての成功したのが今の僕だ。僕は自分に自信がない。結局昔から変わらず、きみとの関係は有希がいないと成り立たないのだ。だからこれからをどうすればいいのか僕は有希に答えを出してもらうことにした。大人として情けない決断だ。しかし人は簡単には本質を変えることなどできない。

 劇薬になったとしてもきみには必要なことだと信じている。


 さてひとつ重要なことを伝えなければならない。なぜ僕がきみと有希の結婚について知っていると思う? きみは誰に対しても隠し通そうとしていたのに。連絡をくれたんだ。きみと有希だけの秘密の結婚式、きみではないならば誰が連絡をよこしたかは明らかだ。

 有希は僕の前からいなくなる前に研究用データとして過去の情報を僕に預けていた。そんなはずはないが、自らの運命を悟っていたような行動だった。

 きみと有希、僕と有希、そして三人でいた記録こそが有希の中で最も重要だときみは考えていた。僕はきみの要望を飲んだ。それでも有希の人生は、有希の感情は、三人で居た時間以外の多くを含んでいることもまた事実だ。

 僕からの贈り物は有希が僕に託したデータだ。これを有希に返そう。


 さあ出来上がった。これを受け取った有希がどのように振舞うのか、僕には全く分からない。きみの元を去って僕の元へ戻ってくるか、もしくは二人の元から去るかもしれない。最悪の場合も想定している。例えどんな選択をしようと僕は有希の決断を支持する。きみも最終的に有希の判断を受け入れることを確信している。

 送信ボタンを押せば完了する。そういえば有希からの結婚の知らせとともに、なにがなんでも僕は生きろと書かれていた。きみに恨まれてでも蔑まれても、きみの為に僕は生きなければならないと、それが僕の為でもあると。全くその通りだ。


***

 今、ベッドの上でこのメッセージを書いている。きみに殴られた頬の内側はズタズタに裂け、絞められた首にはうっすらときみの長く太い指の跡が残っている。

 有希が望み、僕に託した未来だ。全ての過去を得た有希が、つまり僕が作ったAIが選択した現実だ。有希は死を選んだ。僕の所へ戻るでもなく、きみといるのでもなく、全てのデータを自ら消去した。有希はもういない。一度目は不運な事故死、二度目は自らの意志で死という名のデータ消去を選んだ。

 きみは僕からAIの有希を奪って、一緒に過ごしてきたはずだ。彼女は間違いなく有希そのものだ。僕は少なくとも有希のAIに関しては絶対の自信を持っている。有希は自らの判断を持って命を絶った。僕のために、なによりきみのために。

 僕からの贈り物は、データを拡充した有希が愛するきみのために何をすべきかを考え抜くように作ったのだから。


 僕は生きると約束した。必ずきみの人生に関わる。絶対にだ。きみの絶望にも、再起にもとことん付き合う。二回目の有希の製作者は僕だ。有希の望みは僕の望みだ。

 僕は有希の事が大好きだった。けれども、きみは誤解をしている。

 僕はきみの事を愛している。返信を待つ。


(了)

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式日の贈り物 和倉稜 @ryo_wakura

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