第二十二話 はじまり/おわり

 この町の中心部には、それなりに広い公園がある。円形状の広場を囲うように街灯が等間隔で設置されており、夜でも十分に明るいのが特徴だ。町全体を見渡せる高台も設置されており、災害時には町民の避難場所にもなっているらしい。ちなみに「なぜ外で撮るのか」とレイに問いかけると、「おねぇちゃんと夜のお外に出てみたかったから」とのことだった。姉想い過ぎていよいよ泣けてきそうだ。


「ねぇ、おねぇちゃん。ほんとに、おねぇちゃんは写らなくていいの……?」

「ああ、うん。いいのいいの。一枚目は三人で撮ってよ。二枚目からは私もちゃんと写るから」

「……う、うん、わかった」


 少々不服そうに、カメラを構える私から妹が離れていく。数メートル先には大木をバックにして両親が笑顔でポーズを取っており、ほどなくしてレイも合流を果たした。


 ──1枚目は写らず、カメラマンを買って出る。それが私の決断であった。


 さして複雑な理由があるわけでもない。最初の一枚にニセモノの家族である私が写るのは、なんとなく無粋な気がしただけだ。一枚目くらいは、本物の家族だけで撮った方が良いだろう。


「はーい、じゃあ撮るよー。ニッコリ笑ってー」

「ほらほらレイちゃん、笑って笑って!」

「ん? どうした、レイ? ご機嫌ナナメか?」


 カメラを構えるのなんて初めてだったが、さすがは最新鋭の技術。私が何をせずとも、スイッチを入れただけでバッチリ三人を画角の真ん中に、ほどよく納めてくれた。


 あとは、私がシャッターを押すだけ──


「って、あれ、レイ?」


 と、思いきや。途端に妹の姿が画角から消えてしまった。


 そして、刹那。


「やっぱり、おねぇちゃんも一緒じゃなきゃイヤっ!!」


 気づけば妹が私の元に駆け寄り、背後から抱き着いていた。


「えっと、レイ?」


 何事かと困惑しつつ、背中に問いかける。


「やっぱり、おねぇちゃんも一緒がいいのっ! だって、おかしいもん! おねぇちゃんからのプレゼントなんだから、おねぇちゃんも一緒じゃないとおかしいんだもん!!」


 するとレイは再び私の身体から離れて、珍しくワガママを言っていた。


「レイ……」


 振り返ると、妹は怒りと悲しみが入り乱れたような表情で、私を見つめていた。両の目には涙を浮かべ、顔は真っ赤に染まっている。


 ……まさか、私が写らないというだけで、ここまで怒るとは。


「だって、おねぇちゃんはおねぇちゃんなんだもん! 私のだいすきな、おねぇちゃんなんだもん! だから、最初から一緒じゃなきゃヤだよ……!!」


 ああ。また私は、自覚なしに妹を不安にさせてしまった。

 私の一方的な願望が、またレイを傷つけてしまった。

 まったく。なんで今更気づいてるんだ、私。


 ──私たちもう、とっくに本物の姉妹になっているじゃないか。


「おねぇちゃんと、一緒がいいの……」

「うんうん、分かった。ごめんね、私も一緒が良いよ」


 血が繋がってるとか、繋がってないとか。そんなのはもう、関係ない。お互いが大事で、二人で一緒に居たい。それだけでもう、十分じゃないか。


 だって、私たちは。


「家族、だもんね」

「うん、うん……!」


 また二人で泣き笑ったあの日のように、私たち姉妹は互いを見つめ合う。これからは、偽物とか本物とか気にせずに、素直に彼女を大事にできる私でいよう。


 ひそかに誓いながら、私はもう一度妹を抱きしめ──


「条件オールクリア。本物の家族愛、しかと見届けました。後は僕にお任せを」

「──ぇ?」


 刹那、ほんの一瞬。妹へと伸ばした手は、わずかに届かず。

 空振りさせた手の先では、レイの胸が微かに光を放っていて。


「がはっ……ごほぉっ……!」

「──は?」


 突如として現れた金属球は──ボディから伸びた、鋭利なアームを光の元へ突き刺し、その小さな胸を貫通させていた。


「ほう、コレが一つ目のカギの核。いやはや、ようやく回収できました。ここまで待った甲斐があったってもんです」

「げほっ、げほっ……おぇぇっ……!!」


 宙に浮かぶAIはボロ雑巾のようにレイを地面に投げ捨てると、彼女の身体から小さな球体を取り出した。


「エー、ジェント……? お前、お前……! 何をしているんだあああああ!!!!!」


 眼前の光景に情報処理が追い付かず。感情に任せて叫ぶ以外の思考を、脳が放棄していた。


「む? どうしたのです、ヨシナカケイ? 私は使命を遂行しているだけですが、それが何か? 一応、血を流さずに風穴だけで済むよう配慮もしたのですが」


 水晶のように輝く桃色の物体をこちらに見せつけながら、AIは悪びれもせずに私と向かい合う。


「使命……? コレがお前の使命だって……? レイを殺すことが、お前の使命だって言うの!?」


 身体に風穴が空いたレイの元へ、一目散に駆け寄る。

 小さな体を抱きかかえながら、涙ながらにAIを睨みつける。


「いいえ、僕の使命はレイちゃんを殺すことではありません。結果的に殺すことになっただけです。目的は別にあります」

「は? 目、的……?」

「イエス。最初にも申し上げた通り、僕たちはカギを二つ作る必要があります。そして、このカギを作るには、七面倒なミッションを二つクリアする必要があったわけです。そうですね。まずは一つ目について説明しましょうか」


 AIは冷徹に、かつ一方的に語り続ける。


「一つ目のミッション。それは、カギの元となる『核』を出現させることです。今回の場合、その核を身に宿しているのが偶然にもレイちゃんだった。核の出現条件は『宿主の心を開くこと』です。心をパカッと開けてあげれば、核がヒョコっと出てくるわけですよ。いやはや、なんともロマンチックな話だ」

「何を、フザけたことを……!」

「しかし本能的なものなんでしょうかねぇ。レイちゃん、そこでボケッと突っ立っている父母には、完全に心を開いてるわけではなかったんですよ。ので、今回は新たなる愛で彼女の心を満たしてあげる必要がありました。アナタを家族に潜入させた理由は至極単純。彼女に『本物の家族愛』を与え、その心を開いて核を出現させるためです。いやー、よくやってくれました。おかげで無事キレイな核を取り出せましたよ。ブラボーブラボー」


 煽るように体を上下に揺らし、AIの独白は加速していく。


「寂しいもの同士、同じ空間に放り込めば愛が芽生えるのは必然だと確信していました。だから、アナタに多くは望まなかった。『家族と一緒に居てくれればいい。そのうちカギは完成する』。ね? 嘘じゃなかったでしょう?」

「そ、そんな……じゃあ、私は……」


 最初から、レイを犠牲にするために──?


「そんなの、聞いて、ない……!」

「はぁ? 聞いてない? なーに寝ボケたことヌかしてるんです? 『めんどくさいから聞こうとしなかった』の間違いでしょう? 僕に協力すると言ったのは、他でもないアナタ自身だ。まさかアナタ、本当に何の犠牲もナシに世界を変えられると思っていたんですか? 惰性で、僕に任せっきりで。それで本当に世界が変えられるとお思いで?」

「そ、それは……!」

「ハッ! お笑い草もいいところだ! 惰性で簡単に変わる程度の世界なら、いっそのこと滅んでしまった方がマシなんだよ! 何かを得るには、何かを犠牲にする必要がある! 手に入るモノが大きければ大きいほど、従って犠牲も大きくなる! 何かを変えられるのは、何かを失う覚悟がある人間だけだ! 僕は非人間だが、その覚悟がある! 同じ道を選んだのなら──被害者面は、やめていただきたい!!」

「あ、ああ……ああ、あ……」


 全身から、精気も力も抜けていく。

 ガックリと項垂れ、四肢を地面に打ち付ける。

 景色が歪む。現実を拒みたい。けれど抵抗虚しく、視界は脳髄に現実を叩きつける。理解したくないモノを、否が応でもヨシナカケイに理解させようとする。この結果を招いたのが誰なのか。喉元に無理やり手を突っ込まれるような形で、私は理解を強いられる。


 AIの言葉は、残酷なほどに正しかった。


 ぜんぶ、ぜんぶ。私の軽率な判断のせいだったんだ。

 めんどくさがって、深く考えずに決めた選択のせいで。

 私が二つ返事で『世界を変える』なんて、言ったせいで。


「あ、ああ……」


 ──私のせいで。


「ああ、あああ……!」


 ──私の、せい、で。


「あああああああああああああああああああああ!!!」


 私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで私のせいで──


 レイは、死んだ。


「あ、一つ言い忘れていました。そこに居る家族は最初から本物のアナタの家族ですよ。そろそろ記憶改竄の効力も無くなりかけてるでしょうし、じき思い出すかもしれませんが」

「あ……ああ……?」

「いや、だから。アナタが潜入したのは『ヨシナカ家』だったんです。そこの二人は、アナタの実の両親。歳は離れているが、レイちゃんはアナタの実の妹だ。ヨシナカ・レイ。アナタが家を出ていった直後に生まれた、正真正銘、血の繋がった家族です」

「あ? なにを、いって……?」

「いや、だから。最初に言ったでしょう? 家族全員分の記憶をイジっておいた、と」


 …………まって。


「まず、レイちゃんには『姉が居る』と暗示をかけました」


 ──いやだ。


「次に、アナタの父母には『ケイは愛すべき娘である』と暗示をかけました」


 イヤだやめてお願い気づきたくない思い出したくないイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだイヤだ


「──そして。アナタには『二人を父母だと認識できないように』暗示をかけたのです」

「いやああああああああああああっ!!!!」


 ズキリ。

 頭蓋を割って直接かき混ぜられるような痛みと共に、閉ざされていた記憶のフタが開く。


 家族の記憶改竄。その対象には、私も含まれていた。きっとコイツと出会った時から、既に私は暗示をかけられていたのだろう。レイが実の妹だったというのも頷ける。私は家を出て六年目で、レイは今年で六歳。時系列的にも齟齬は無い。


 ──エージェントは最初からヨシナカ家、四人全員の記憶を書き換えていたのだ。


 私は、父母が父母であることを忘れて。

 父は、私に抱いていた、獣のような情欲を忘れて。

 母は、私に抱いていた、煮えたぎる嫉妬を忘れて。

 妹は、姉と暮らしているという、幻想を見続けて。


 そうやって、ずっと。私は血の繋がった三人と、偽りの家族を演じさせられていた。


「おえっ! げほっ! おぇぇぇぇっ!!」


 気持ち悪い。


「ケイ……子供はなぁ、黙って親の言うことを聞いてりゃいいんだよ……そうだろ……?」


 気持ち悪い。

 気持ち悪い。


「あんたなんて、あんたなんて……生まれてこなければよかったのよ……!」


 気持ち悪い。

 気持ち悪い。

 気持ち悪い。


 本性を現したオヤは、また昔のように。

 今こうして、光無き眼で、私を捉えている。


 反転なんて関係ない。コイツらの感情は、善悪を超越した、もっとおぞましい何かだった。


「おや、完全に父母の暗示が解けてしまいましたか。しかしなんともまあ、アナタの両親は醜い生き物ですねぇ。善悪が反転しても、アナタへの執着が消えていないと見える──目障りだ。先に消しますか」

「「あぎゃあああああああ!?」」

「──は?」


 突如。AIの瞳から放たれたのは、細く白い、一閃の光。

 両親だったモノはソレを浴びると、一瞬にして、跡形も無く消え去った。


「え、今、消え……」

「あ、そうそう。アナタにはまだ二つ目のミッションについて話していませんでしたね。まあ、二つ目は簡単です。この核にエネルギーを吸収させて、カギを完成させるだけだ。たった今消えた、あのゴミクズ二人にもエネルギーになってもらいました。ほら、僕ってば高性能AIですから。人間を分解して電子エネルギーに変換できるんですよ」

「は……え……?」

「ま、変換の詳しいメカニズムについては、またの機会でお話しするとましょう。さて──そろそろ、カギの完成といきましょうか」


 エージェントがそう宣言した瞬間、突如として町の外縁部から爆発音が鳴り響いた。

 聞こえた範疇でも、計十回。地響きがするほどの轟音だった。


「今、何が、起きて……?」

「ん? ああ、僕が町に潜伏している間に仕込んでいた爆弾を、ドカンと全部爆発させたんですよ。こうでもしないと……エネルギーが、寄ってきてくれませんからねぇ?」

「まさか、アンタ、」


 と、私が言い切る間もなく。

 悲鳴の連鎖は、幕を上げた。

 

「みんな、避難だ! とにかく広場に集まれ!!」

「ママァ……こわいよぉ……!」

「音の方角からして、爆発は町外れで起きたはずよ!! とにかく中心目指して走って!」

「うわーん! パパとはぐれちゃったよぉーー!!」


 こどもの悲鳴。乳幼児の泣き声。我先にと逃げ惑う大人。町民をまとめようと、必死に避難を支持する若者。

 ただ一人の例外もなく、彼らは私たちの元へ、全力疾走で集まろうとしていた。


「来ちゃダメ、みんな……!!」


 全てを察した私は、かろうじて残っている理性を働かせて、必死に呼びかける。


「無駄ですよ。爆発は全て町の外縁で起きた。マトモな思考をしているなら、爆発地点から離れた町の中心部、すなわちこの公園に住民が集まってくるはずです」

「……町の人たちを集めて、何をするつもり」

「はい? 言わずとも、もうお分かりでしょう? カギの完成には膨大なエネルギーが必要だ。加えて、人間はエネルギーへの変換効率がべらぼうに高い。なら、やることは一つだけだ」


 言うと、エージェントは一瞬で空高くへ飛び上がり──


「──言ったでしょう? 街一つ滅ぼすくらい、僕には造作も無いことだ、と」


 手当たり次第、人々に光線を浴びせ始めていた。


「え、なによこれ、いやああああっ!!」

 一人。

「うあああああああっ!!」

 三人。

「いやだ、いやだ! 死にたくないいいいい!!!」

 十人。

 三十人。百人。五百人。千人。


 指数関数的に、消えた。


「やっと彼が振り向いてくれたのに! なのに、こんな、こんなああああああ!!!」

 御用達の、ショップの店員。

「孫が! もうすぐ孫が生まれるんじゃ! だからああああああああ!!!」

 向かいの、お爺さん。

「やめて! 明日は娘の結婚式なのおおおおおお! やめぇぇぇぇぇぇ!!!」

 隣の、おばさん。

「まだ、まだなんだよおおおお!」

 小太り。

「謝れてない!! まだ謝れてないんだあああ!!!」

 メガネ。

「まだちゃんとレイちゃんに、謝れてないのにいいいいい!!!」

 小柄の子。


 消えた。消えた。みんな、消えた。

 知らない人も、知ってるだけの人も、よく知ってる人も。

 みんな、居なくなった。


「……な、さい……」


 みんな、わたしのせいでしにました。


「ごめんな、さい……」


 ぜんぶ、わたしのせいでなくなりました。


「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 どこで、まちがえたんだろう。

 どうすれば、まちがえなかったんだろう。

 ああ。いや、ちがう。


「さいしょからぜんぶ、まちがってた」


 せかいをかえるとか、わたしにはむりだった。

 だから、ずっと、ひきこもっとけばよかった。

 あい。かぞく。ともだち。なにもいらない。

 そうやって、ずっと、あきらめていればよかった。

 なにもしてなかったわたしが、ほしいとおもっちゃだめだった。


「よし、エネルギーの回収は完了です。あとはエネルギーを全部核に吸わせて、っと……ふぅ。コレでようやく一つ目のカギが完成です。ミッションコンプリート。お疲れ様でした」

「あ……ああ……ああ、あ……」

「おや、コレはいけません。完全に心が壊れている。まあ、致し方ありませんか。常人には少し刺激が強すぎましたからね。ですが、心配はご無用です。この町で起きたコトに関するアナタの記憶は、後で僕がオールデリートしておきます。必要なカギはもう一つありますし、この精神状態でいてもらうのは困りますから」


 ナニをイってるのか、ワからない。

 でも、それは、イヤだ──


「泣か、ないで……おねぇ、ちゃん……」


 ──瞬間。何もかもが壊れかけていた心に、再び小さな光が灯った。


「レ、イ……? レイ、レイ……!!」


 腕の中で小さく呼吸を紡ぐ彼女へ、ただ必死に呼びかける。

 胸部に風穴を空けた少女は、儚く笑って、私の目元を拭っていた。


「けほっ、こほっ……そっかぁ、よかったぁ……おねぇちゃんは、ほんとにわたしのおねぇちゃんだったんだ……やっと、あえたんだね……」

「レイ! もう喋らなくていい!! 喋ったら、もっと苦しくなるから……!」


 奇跡的に、再び目を開けた彼女。しかし、既に虫の息。その命は空前の灯だ。助からないことなんて、分かりきっている。

 それでも私は、一秒でも長く、彼女に生きていてほしかった。


「ずっと、だれか、たりないようなきが、してたの。おとうさんも、おかあさんも、かぞくは、さんにんだって、いってたけど……それでも、胸がチクチクして、ずっと、さみしかったの」


 けれどレイは、紡ぐ言葉を止めてくれなくて。


「えへへ、そっかぁ……たりないのは、おねぇちゃん、だったんだね。さみしがりやで、でも、とってもやさしくて、いいにおいがする、おねぇちゃん、だったんだね……」

「違う! 私はレイのお姉ちゃんなんかじゃない!! 優しく見えるのは、私が臆病者だからなんだよ!! 人と深く関わるのが怖くて、レイを傷つけるのが怖いだけ!! しかもレイは今、私のせいでこんなに傷ついてる!! お姉ちゃん、なんて……そんな風に呼んでもらえる資格なんて、私に無いんだよ……!!」


 町のみんなが消えて、泣いて、泣いて。身体中が渇くくらい、泣いたはずなのに。

 ああ、どうして。枯れたはずの涙は、まだ止まってくれない。ポロポロと、ポロポロと。落ちては溶ける雪のように、少女の身体に染みこんでいく。


「そんなこと、ないよ? わたしを、たすけてくれた。いっぱい、おはなし、してくれた。おでかけして、おたんじょうびおめでとうって、いってくれた。だから、おねぇちゃんは、おねぇちゃんだよ?」

「あ、ああ……!」


 抱きしめる。ただひたすらに、抱きしめる。冷たくなっていく小さな身体を、温めるように包み込む。


「ああ! うああああああ!!!」


 叫ぶ。心のままに、叫び続ける。二人の町に、私の声だけが木霊する。喉が焼き切れるくらいに、生まれたての赤子のように、私は声を上げて泣いた。


「だから、あやまらないで。なかないで、おねぇちゃん。わたしは、たのしかったから。いっぱい、日記に、おもいでがのこったから」


 掠れた声と共に、レイが私の頭を撫でる。


 そして、刹那。彼女はいつも首にかけていたペンダントを、私に手渡して、


「さいごに、ひとつだけ、おねがい」


 苦しいはずなのに、それでも笑いながら、


「どうか、わたしを、わすれないでね──」


 最後の最後、その灯が消える前に。


「──おねぇちゃん、だいすき」


 たった一人、私の本物の家族は。

 最期、あまりに優しすぎる遺言を残して。

 その短い、短すぎる生涯を終えた。


「……」


 闇に染まり切った孤独の町に、一陣の風が吹き抜ける。


 かつてないほどの喪失感。ソレに連なるように、言葉も、思考も。何もかもが、私の中から消えていく。


 やがて私は、ペンダントを握りしめるだけの機械になった。


「ドラマチックなシーンの後で申し訳ないのですが、やはり記憶の消去は避けられないようですね。壊れた心は修復されたようだが、今度は心が空っぽになってしまったようだ。心苦しいですが、使命のためです。致し方ありません」


 エージェントが何か言っている。けれど、分かるのはそれだけだ。耳に届く前に、言葉が風に流されていくような感覚。肝心の言葉の中身が、まるで掴み取れない。

 茫然自失とは、まさにこのことだろう。何を言われても、何をされても。心臓以外、もうどこも動かなかった。


 ──だから私は、エージェントから伸びる手に、抵抗の意志すら見せられなかったのだ。


「オヤスミ、ヨシナカケイ。アナタに、優しい忘却があらんことを」


 それが、この町で迎えた、第一の物語の結末。

 希望はいつでも絶望になり、明日の色は闇の黒。


 私の世界は、以前と変わらず地獄となった。


 1st-Key「FAMILY」 -完-

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