S4-8. VS 露出狂①

 そして週明けの月曜日。

 放課後、実宇は悠菜と瞳を伴って渋谷駅を再び訪れた。

 ハチ公前で由貴、修の二人と待ち合わせ、一度交差点前のスターバックスへ移動する。そこで簡単に段取りを確認し、実宇と由貴の二人だけで店を後にし、次なる目的地へと向かう。

「〈AAI社〉の田熊氏、二つ返事でOKだったよ」今日はネクタイを締めてやや艶のある素材のコートを着た乾由貴は、黒い革靴の音を響かせていた。

「観念してる感じ?」

「というより、待ちかねていた感じだった。僕らのような存在が彼のことを嗅ぎつけるのを」

「変なの」

「解釈としては」と言いかけ、由貴は首を振った。「いや、本人に問い質そう」

 目的地である〈AAI社〉の本社オフィスは、小規模なオフィスビルや集合住宅が密集し、再開発地区にもほど近い桜丘町の一角にあった。

 古びてはいないが小綺麗でもない、平成後期に建てられたと思しきオフィスビルのエントランスを抜け、一階に入居している学習塾を尻目にエレベータで三階に上がる。

 降りると、目の前にAAIの三文字をシンプルなフォントで並べたロゴ看板がある。照明が灯されず薄暗い室内で、LEDでライトアップされたロゴだけが不気味に浮かび上がっていた。

 看板の下には申し訳程度の観葉植物と、内線電話が置かれている。御用の方はこちらと書かれている。

 由貴が歩いていって電話を取り、二言三言交わすと、電子錠が回る音がした。

「行こうか」と由貴。

 実宇は頷いて応じ、ガラスにステンレスのノブが生えた扉を押し開ける。

 月曜日の、まだ退勤時間には早いはずのオフィスに、人影はなかった。グレーと木目、観葉植物の緑が配された室内は外観から受ける印象よりも広々としていたが、照明が消えているためか寒々しかった。仕事をする場所はどこもSARCのオフィススペースや学校の職員室のように機能的な樹脂と鉄のデスクが並んでいるものと思い込んでいたが、ここはまるでお仕事もののテレビドラマの世界だった。

 由貴が左右を見回して言った。「うちもフリーアドレスにならないかな。スカンジナビアンである必要はないんだけど」

「フリー……何それ?」

「自由席、なんかイケアっぽい空間」

「それわかる。イケアっぽい」と応じた時だった。

 窓際の、ガラス張りで仕切られたスペースの中で、人影が動いた。暗いフロアの中でそこだけ明かりが煌々と点っていた。

 デスクから四枚生えたモニタに隠れるように座っていた男が、ゲーミングチェアから立ち上がり、透明の扉を開いた。

「ようこそ。乾由貴さん、園田実宇さん」

「田熊郁郎さんですね」由貴が一歩前へ進み出た。「園田分析科学研究センターの乾由貴です。こちらは所長の孫で見習いの園田実宇」

「園田実宇です」と会釈。田熊は微笑みと会釈を返す。ジョガーパンツにスウェットという姿は、薄暗いオフィスのPCの前よりも街中の方が似合っているように見えた。

「我々SARCは……」と毎度のごとく組織について説明しようとする由貴を、田熊が遮った。

「結構です。Google検索すれば辿り着ける限りのことは、ここに入ってます」田熊は指先でこめかみの辺りを叩いた。

「なら話が早い。会話は録音させて頂きますが、構いませんね?」

「もちろん」

「では失礼して」手近なデスクの上に由貴はICレコーダーを置いた。「今日は社員の方は?」

「当社はフルリモートですから。このオフィスも近日中に転居予定です」

「なるほど。最近の会社で、羨ましい限りだ」由貴は、彼にしては珍しく、少しも羨ましいとは思っていない内心を露わにして応じた。「単刀直入にお伺いします。田熊さん。あなたはそこの渋谷スクランブル交差点で、常習的に下半身を露出していますね?」

 静まり返ったオフィスに、由貴の少し芝居のかかった声が反響した。

 田熊はすぐには応じなかった。代わりに半目を閉じて、告げられた言葉を噛み締めるように少し上を向いた。

 そしてゆっくりと、左右に両腕を広げて言った。

「諸君。私は、下半身を露出したい」

「……は?」と、実宇は思わず声に出していた。

「私は、下半身を、露出したい。露出したくてたまらない。あなたはそう思ったことはないか? 乾由貴さん」

「ありませんね……」

「そうか。だが私は、下半身を露出したくてたまらない。何度でも言おう、私は、下半身を、露出したいのだ」

 あまりにも堂々とした姿に、さしもの乾由貴も呆気に取られていた。実宇はというと、田熊の姿に、好ましくないものを思い出していた。

 髪型のせいか、姿勢のせいか、それともたまたま窓から差し込んでいた沈みかけの夕陽のせいかもしれない。

 実宇の脳裏に浮かんだのは、朋友学園一年B組の、黒板の上に飾られた、人の罪を背負って十字架に架けられた神の子の姿だった。


「……最初のきっかけは、動画SNSへの投稿です」由貴はスマホで事の発端となった動画を再生して、田熊の方へ画面を向けた。「一瞬だけ下半身を露出する謎の男。座ってみかんを食べてる馬鹿な動画クリエイターの意図しない映り込みでした。そして彼が意図しない形で、この動画はバズり、一瞬の露出魔には〈音速露出ニキ〉という渾名がつけられました」

「そんな渾名がね……」と田熊。

「不思議なのは、なぜ騒ぎにならず、この男が警察に捕まることもなかったのか、です」由貴はスマホを上着の内ポケットに収める。「無数の目線がある渋谷スクランブル交差点で、誰にも見られずに下半身を露出することなど、普通に考えれば不可能です。ですが〈音速露出ニキ〉は見事にそれをやってのけた。こうして映り込んでいるように、完全ではなかったようですが。そこで我々は、再現実験を試みました」

 薄ぼんやりとした目線を由貴と実宇の間の空間に向けていた田熊が、そこで由貴と目線を合わせた。だが由貴は、あっさりと目線を外す。

 そこで実宇は言った。「私と、友達と合わせて三人で、アクションカメラを着けて、交差点をひたすら歩き回りました。夕方から夜にかけては私たちで、夜の時間帯はユッキーさん……乾さんと同僚の方の二名です」

「偶然に映り込んだ。それが必然になる条件がわからない。だからひたすら似た環境を組んで偶然をN増しし、再現した時の状況を仔細に確認する。ソフトウェアのバグ確認の時なんかはよくやるそうですから、我々より田熊さんの方が納得しやすい手法ではないかと思います。彼女たちは、システムログをテキストファイルで吐き出すプログラムですね」一旦言葉を切って、由貴は田熊へ目線を向ける。

 日焼けしたミディアムパーマの男は、特に表情を動かさず、ただゆっくりと頷くばかりだった。ここまでの話が何か琴線または逆鱗に触れたようには見えなかった。

「あなたによく似た人物が映り込んでいたんですよ」少し早口で由貴が告げた。

 実宇は後に続く。「でも、騒ぎにはなっていませんでした。私たちがカメラを着けて歩き回っていた時に、同じ交差点の中で下半身を露出した男がいたのにですよ?」

「一体どうやったんです?」と由貴。高嶺の花を落とした男との居酒屋での会話のようだった。「推測はつきますけどね。というか、この事件とあなた、そして〈AAI社〉が揃ってようやく成り立つ推測だ」

「なぜこんなことが可能なんですか?」実宇も被せて言った。

 由貴が実宇に目配せする。言葉はなくとも言いたいことは伝わった。

 手強いぞ、と言いたいのだ。

 田熊は、自分が露出したとは言っていない。繰り返したのは、露出したいという願望だけだ。二人がかりで、田熊=〈音速露出ニキ〉だと決めつけるような話し方をしても、話の流れや文脈に乗ってこない。それどころか、迂闊に言質を取られないように慎重に言葉を選んだ結果、沈黙を選んでいるようにも見える。

 すると、由貴が右手で自分の首筋を撫でた。事前に決めた合図だった。

 実宇は気取られないように呼吸を整えて言った。

「すっごいなー! AIってなんでもできちゃうんですね! やっぱこれからはAIの時代ですねえ。私も時々LINEでイラストとか作ってます!」

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