2-19.チェックリスト


 明くる日の朝、小暮樹里は愛車のエレメントの助手席に園田実宇を乗せ、特別養護老人ホームなのはな園へ向かった。笹渡耕助の職場である。

 乾由貴からは、笹渡の職場での言動について事前にチェックリストを預かっていた。事前、といっても宿泊先のホテルに置かれているプリンタで出力したものを手渡されたのが、出発五分前である。

「ユッキーさん、なんかお疲れな感じでしたね」と実宇が言った。

「なのはな園だって自分で行けばいいのにうちらに任せたしな。質問の構成を考えるとか言ってたけど」

「そういうのって、臨機応変的なやつじゃないんですか?」

「時間が限られてるからなあ。厄介な相手だし、ユッキーでもアドリブってわけにはいかないんじゃね?」

 そういうもんですか、と応じたきり実宇は黙ってしまう。

 静かな車内は落ち着かなかった。普段、一人のときはカーラジオからその土地のFM局のラジオ番組を流すのが樹里の習慣である。オーディオに手を伸ばそうとして、ふと、思い留まって樹里は言った。

「ミューちゃん、何か考えてる?」

「……銀河のパワーのことを、少し」いつもより張りのない声で実宇は応じた。「樹里さんや桃山さんが仰るような仕組みってのもわかるんです。いやよくわかんないですけど。でもそれ、笹渡が宇宙人であるとか、宇宙人の意識が憑依してる可能性が絶対なしになるわけじゃ、ないじゃないですか」

 二ヶ月前の樹里ならば一笑に付しただろう発想だった。だが今は、石黒一成の存在を知ってしまった。〈黄昏の者たち〉のことを、ステレオタイプな宇宙人と考えていいのかはわからない。だが、宇宙人的な何かは、実在する。実在し、この人間社会の中で暗躍している。

 逆に考え込んでしまった樹里に、実宇は続けて言った。

「宇宙人とコミュニケーションできてしまう腸内細菌のバランスとか。中枢神経系に何かするんですよね? 〈ESナチュラル〉の石井代表が銀河のパワーって言うのは、実はそれなんじゃないかとか。なくはないですよね」

「それは悪魔の証明だよ。ないことを証明することはできない。不在証明の不可能性は、実在の証明を意味しない」

「じゃあ笹渡は、どうして宇宙人を自称したんですか?」

「石井が銀河パワーとか言ってることに影響を受けた」

「じゃあその石井代表は?」

「思いつきとか」

「じゃあ、〈UFO CRAWLER〉への投稿は誰が? それに……」実宇は弄っていたスマホをスポーツブランドのボディバッグに放り込んだ。「銀河の意思的な大きいものと、宇宙人っていう小さいもの、スケールがズレてると思うんです」

「そう?」

「映えるローストビーフ丼の写真を見て今夜は肉じゃがにしようとは思わないじゃないですか」

「豚だしなあ」

「え、肉じゃがって牛肉じゃ」

 一理あるな、と思う。もちろん肉じゃがに使う肉の話ではない。

 銀河のパワーという言葉、また〈ESナチュラル〉のプロモーションは、どちらかというとスピリチュアルな、精神世界を指向している。だが、宇宙人とだけ言われれば、銀のスーツに身を包んで大きな丸い目をしている宇宙人や空飛ぶ円盤、つまりSF的な想像力を働かせるのが自然だろう。オカルトとひと括りにしてしまえば同じだが、考えのベースにあるものは異なっている――。

「でもないよな」と樹里は呟いた。「ベントラ、ベントラ、スペースピープルって知ってる?」

「それはもちろん」

「あれを日本で広めた団体、最終的にはわけわかんない像とかピラミッドとかを崇めるようになっちゃったじゃん。空飛ぶ円盤とスピリチュアルって、そこまで離れてないと思うけどな」

「宇宙友好協会ですよね。紆余曲折あって古代宇宙飛行士説に傾倒していった。キリスト宇宙人説もそれですし……ってか樹里さんなんで知ってるんですか」

「ナイトスクープで見た」

「……見てそう」

「何、あたしへのその評価……」

「いえ、別に……」

 車内に微妙な空気が漂い始めたところで、目的地だった。

 なのはな園は市の南東、八甲田へ続く道沿いに位置している。周辺は水田や小さな工場。最寄りのコンビニは車で一〇分ほどかかる。笹渡の住居からは自転車で二〇分ほどの距離だが、積雪する冬場は少なくとも軽自動車がなければ苦しいだろう。

 青森県はすでに人口の三分の一が高齢者であり、半数を超えるような自治体も存在している。本青森市もその例に漏れず、結果として市内には多数の介護施設が点在している。なのはな園もその一つだ。

 訪問のアポイントは昨日のうちに一戸が取りつけてくれていた。車を駐車場に停め、受付で名前を告げると、案内されたのは施設長室だった。移動する間にも、廊下の片隅で立ち止まって動こうとしない入所者の傍らに膝をついて寄り添う職員や、書類片手に早歩きする職員の姿を目にする。施設長が応対するのは、単に来訪者の相手をする余裕が一般職員にはないからなのだろう。

 室内へ入ると、四角い顔の五〇代半ばくらいの男が会釈した。名は外崎とざき栄一えいいち。年相応に腹が出て、丸い目に人の良さが滲み出ていた。

 できればもう少し笹渡本人に近い人物に話を聞きたかったが、致し方ない。樹里は由貴から受け取ったリストを思い浮かべつつ、薦められたソファに実宇と並んで腰を下ろした。向かいに外崎が座った。

「私どもも驚いているんですよ」と外崎は切り出した。「警察の方への対応とマスコミ対応で職員は疲弊しきっています。それでも、入所者の方から他の施設へ移られるといったお話がないのは、不幸中の幸いですわ」

「せっかくの特養、逃すわけないですもんね」樹里は一言で外崎の話を切って、ノートを手に本題に入った。「笹渡のここでのご様子についてお話を伺いたいのですが」

「勤務態度は真面目でしたよ。少し不器用なところはありましたが、過去には二週間で連絡もなく出勤しなくなる職員もいましたから。彼らに比べれば、社会常識という意味では……」

「では、遅刻などはしたことがない?」

「ええ。むしろ……」外崎は少し顎に指を当ててから言った。「毎日きっかり始業五分前なんです。笹渡くん」

 隣の実宇がノートに細々とメモを取っている。これならば質問に集中してもよさそうだった。

「一分のずれもなく?」

 外崎は頷く。「打刻自体を忘れることはあるのですが、記録されている分は常に五分前です。普通、一分二分程度のズレはあるものでしょう?」

「几帳面な方という印象でしたか?」

「几帳面……というのは少し違うかもしれませんね。職員間のちょっとしたルールを守らないなどで、他の職員からは反感を買っている様子もありました」

「それは具体的には、どのような?」

「いや、本当に大したことではないんです。備品のティッシュ箱を持ち帰るとか、ストレッチャーや車椅子を定位置に戻さないとか、入所者さんの名前を何度も読み違えるとか、そういう類いの小さな問題ですよ。ですが……」誰も聞く者はないのに、外崎は声を低くする。「ほら、女性はよくそういうことを噂するじゃありませんか。それで結構、評判悪くて。出勤時間の件も、事務担当の女性から聞いたんですよ。もう、言うこと細かくて。お弁当が毎日同じだとか、昼休みに同じブロックの上を踏んで散歩してるとか、そんなことまで」

「職員の方は、お昼はお弁当が多いんですか?」

「仕出しの業者も一応使っていますが、自分で持ってくる職員が大半ですね。かくいう私もです。妻がね、外で食べるとあんたは揚げ物ばっかだって……」

「笹渡はどんな食事を?」

 さすがに脱線を修正されたことに気づいたらしい。ばつが悪そうに外崎は続けた。「ラップに包んだ塩むすびが二個。冷凍唐揚げと冷凍ブロッコリー。あとはいつも飲んでるというサプリメントか何か。いつもその組み合わせだそうです。さすが女性はよく気づきますねえ」

「人の食べてるものを噂するって、なんか厭ですね」と実宇が口を挟んだ。「学校の教室の話かと思いました」

「大人って意外と大人じゃないんだよな」と応じ、樹里は質問を再開する。「他にはどんな噂話をされてました?」

 噂話。女性職員が言っていること。そういう体にすれば、外崎のような男は口を滑らせるだろうと予想しての質問だった。果たして外崎は言った。

「こう……発達障害っていうんですか? そんな感じでしたね。貧乏揺すりとか、掌で膝を擦る仕草をしょっちゅうするんですよ。それがどうも、気味が悪いと思われていたようで」外崎はその仕草を真似てみせる。

「障害者枠での雇用だったのですか?」

 頭を振って外崎は応じる。「一般枠です。大人の発達障害というものがあるそうじゃないですか。それだったのかなと、今は思います。ああ、そう、ふっといなくなることもあったと聞いています。大方トイレの個室でサボっているのだろうとか」

 少し考えるふりをしてから樹里は言った。「入所者の方からの笹渡への評判はいかがでしたか?」

「入所者さん、ですか」外崎は腕組みになる。「……実は、笹渡さんは気味が悪い、変えてくれと仰る方が何名か。まあ、女性職員の方が嬉しいという方も多いですから」

「具体的には、それはなぜ」

「男性の方は、あいつは俺を馬鹿にしている、とお怒りになる方がいらっしゃいました。仕草を真似してくるのだとか。それが事実かはわかりませんが、もし事実だとすれば……入所者さんはお身体に不自由を抱えていることが多い。ままならない身体に悩んでいるのに、若く健康な男に仕草を真似されたら、お怒りになるのも道理でしょう」

「外崎さんご自身は、笹渡の言動に何か違和感を覚えたことはありますか?」

 また数秒考え込んでから外崎は言った。「立場上、彼に注意することもありました。ですが……話の途中で急に仕事に戻ってしまうんですよ。私が以上だともなんとも言っていない、むしろこれから本題という時ですから、あれは面食らいました」

 樹里は顔に苦笑を作る。「失礼ですけど……強く叱って辞めさせるとか、お考えにならなかったのですか」

「人手不足ですから」外崎は力なく笑う。「辞めさせても、次を雇うのが大変です。ただでさえ足腰が丈夫な男手はありがたいんですわ」

「ままならない世の中ですね」

「まったくです」外崎は語気を強めた。

 それから一〇分ほど雑談を交わして、聴取は終了にした。

 実宇を連れて駐車場に出て、樹里は空を塞ぐ厚い雲を映す愛車を眺めながら由貴に電話をかけた。程なくして出た彼に、樹里は言った。

「怖いくらい的中だよ。チェックリストが全部埋まった」

「それは……よかったような、悪かったような」

「いわゆる大人の発達障害って思われてた感じだけど……そうじゃないってのが、お前の見解なのか?」

「ASD、ADHD傾向はあると思います。でも、それは彼の状態に対して支配的ではない」由貴のため息が聞こえた。「詳細は署で説明します。こちらもこれからもう一度笹渡と面接します。戻ってきてください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る