2-12.第二の女

 宿泊先は駅前のシティホテルで、無事三部屋ともシングルだった。

 早朝からの移動で疲労が溜まっていたが、一応購入した〈ESクリア〉の中身だけは確認した。とはいえ、出来ることといえば目視確認くらいのものだった。

 カプセルを開くと白い粉末が充填されていた。成分表から察するに大半は乳糖。それにフリーズドライした菌類が混合されているようだった。単に購入した原料を混ぜただけのような、面白みのない粉体だった。高度な製剤技術は用いられてはいないようだった。

 カフェで入手したリーフレットに目を通して、〈ESナチュラル〉のWebサイトも確認した。いずれも内容はほとんど同じだった。薬機法に触れないよう、効果を直接示さない巧みな婉曲表現で、飲めば頭がすっきりして毎日快適に過ごせるのだと閲覧者が勝手に誤解するよう誘導する文言が並んでいた。効果を検証したという地元の病院の医師の名も書かれていたが、データのようなものはアンケート結果だけで、論文などのリファレンス先は示されていなかった。矢部やべ隆和たかかず、というその医師の名を、樹里は一応記憶に留めておくことにした。

 ぼんやりした頭で社用のメールを確認すると、桃山修から長文のメール。PDFを纏めたZIPファイル、要点を抽出したパワーポイントが添付されていた。読むのは明日にすることにして、シャワーを浴びてその日はベッドに潜った。

 そして翌朝。

 ホテルのロビーで集合し、車とバイクに分乗して本青森警察署へ移動する。

 そして出迎えに現れた一戸は、開口一番「朗報ですよ」と言った。

「乾さんの面会可能時間が伸びました。署長、脳溢血にでもなりそうな顔でしたよ」

「やっぱ頼れるものは謎の権力ですね」由貴は頻りに頷く。「ちなみに何分です?」

「午前一時間、午後二時間です」

 由貴は拳を握る。「それだけあれば、標準化された知能検査も行えます。樹里さんは、今日は江口氏の女の方ですよね」

「それとできれば『なつみ』さんな。笹渡から何か聞き出せると助かる」

「私は樹里さんの方ですよね?」と実宇。「宇宙人と話してみたい気持ちもあるんですけど……」

「明日以降は状況に合わせてユッキーの方も考えるってことで」

「今日は淡々と検査ですからね。僕一人でやりますよ」

 じゃあそういうことで、と樹里が言って話はまとまった。昨日と同様、由貴は警察署に残る。樹里と実宇は、一戸の案内で関係者を訪ねる。

 バイクのケースから何やら書類やファイルを引っ張り出す由貴を尻目に、また一戸の車で警察署を後にする。

 向かうのは、江口の生前の勤め先だった、株式会社柴田組の本社事務所である。場所は江口の住居からもほど近く、昨日とほぼ同じ道を通って移動することになった。

 柴田組とはどのような会社なのか。樹里の質問に、一戸はメモも何も見ずに答えた。

「資本金五〇〇〇万円。地元では大手の建設業者です。解体だけじゃなく、道路や公園、水路なんかの公共工事も請け負っています。山の方に自前の産廃処理施設も持ってまして、外に出さないことによる低コストと信頼が売りみたいですね。特に公共工事では追跡しやすいのと、安いので重宝してるみたいですよ」

「小さい解体屋ってわけじゃないんですね」

「冬は除雪も、というか市から除雪を請け負うので絶対に潰れない会社の一つです。決して高給とは言い難いですけどね」

「ここで高給っていうと、どんな就職先になるんです?」

「文系は地銀ですかねー。新聞社も今は厳しいし。理系はほら、昨日の、大森里美の旦那の就職先。上向いてる製造業はあれくらいです。どちらにしろ、東京の給料とは比べものにならんっすわ」

「勉強が出来る子がいたら、大体大学から県外に出ちゃう?」

「勉強ができて、親が許したら、ですね。地元にいる人間ってのは、地元で生き残る術を知ってる、逆に言えば、地元しか知らないってことですから」

「なんか自分の地元の話されてるみたいですよ。そもそも大学に行くという人生の形を想像できないんですよね」

「あー、それですそれです」一戸は掌でクラウンのハンドルを叩いた。

 そして到着した柴田組の本社事務所は、一見して繁盛しているとわかる立派な建物だった。二階建ての社屋は円柱状の中心から左右にフロアが伸びており、そしてもう一層、中心部の上にUFOが降着したような円盤形の三階がある。

 事前の連絡は済んでおり、一階の応接室に通される。ソファで三人並んで待つと、江口の交際相手だったという女が現れた。美馬みま由佳ゆか、二十五歳。高卒後しばらくアルバイト暮らしをして、知人の伝手で契約社員として柴田組に就職し、四年になる。眼鏡をかけた、前髪を作らない地味な髪型をしていた。グレーのベストに膝丈のスカートは、事務員の制服である。

 簡単な自己紹介を済ませるも、美馬はどこか怯えている様子だった。しかし、何か隠しているというよりは、単に腰が退けているのだと樹里は直感する。派手な金髪のせいか、樹里が日常的に向けられる態度だった。

 まずは話しやすいことをと考え、乾由貴が語っていたことを思い出した。そして普段の仕事内容を訊くと、果たして美馬はスムーズに話し出した。

「大した仕事じゃないんですよ。誰でも出来ることで。今日みたいな来客のお茶出しとか、社員の皆さんの勤怠管理とか、作業着のクリーニング手配とか、事務処理とか……」

「ご家族にどなたかこの会社の方が?」

「部長と私の父が親しくて……」

 メモを取りつつ世間話に繋ぐ。縁故就職はよくあるのかと訊くと、事務員の人は派遣さん以外全員そうだと美馬は答える。現場で働く社員たちも縁故、もとい、やんちゃしてた時の伝手での就職が多いのだという。

 ある程度警戒心も解けたところで、樹里は本題を切り出した。

「亡くなった江口さんとは、交際してどれくらいになりますか?」

「一昨年の暑気払いの後だから、二年と……一ヶ月くらいですね」

「江口さんの仕事場での様子は、美馬さんからご覧になっていかがでした?」

「真面目で一生懸命で……」美馬は膝の上で指を絡める。ネイルが剥げていた。「先輩からは可愛がられて後輩からは慕われていました。施主さんからお礼の菓子折とか頂くと、真っ先に私のところに持ってきてくれるんです」

「じゃあ、トラブルとかは聞いたこともない?」

 それは、と応じて美馬は一戸に目線を送る。一戸は頷いて言った。

「先輩の一人と二ヶ月ほど前から険悪になっているようです。原因は……」

「それはないです」美馬は語気を強めた。「あの爽平くんが浮気なんてありえません」

「浮気。つまり、その先輩と、江口さんが、同じ女性を巡って……」

「ないって言ってるでしょう!」と美馬は怒鳴った。「あなたたちに爽平くんの何がわかるの? どこの女か知らないけど、勝手に爽平くんに言い寄ってきただけでしょ。その先輩に工具やテープを勝手に使われるとか、先輩がタバコ吸ってる間に重いものを運ばされるとか、愚痴はたくさん聞いてます。爽平くんは悪くない。全部周りが勘違いしただけです」

 樹里は誤魔化し笑いで応じた。「すみません。ですが、江口さんのご遺体を発見したのは……」

「それが? スナックの女だって言うんですか? それって、別にそういう関係だと決まったわけじゃないですよね? 爽平くんに訊いたんですか? 訊いてるわけないですよね。でも私は、爽平くんと話してます。他の女の人なんていないって言ってくれました」

 遺体の発見者は、この後に訪ねる予定である『スナックの女』ではなく、大森里美だ。だが、事実関係を訂正したところで、美馬由佳には何一つ響かないと樹里は確信した。

 彼女が事実と現実を受け入れるまでは、少し時間が必要なのかもしれない。そして、受け入れた時、この職場に彼女の居場所はないような気もした。

 死んだ江口と付き合ってた、江口は四股掛けてた、それに気づきもしないでいた女。いや、案外気づいてたかもしれないぜ、寂しくて泣いてるかも、慰めてやれよ、そういう品のない冗談を言い交わすだろう男たちの中で、彼女がこれからも働いていけるとは到底思えなかった。

 愛想笑いで天気の話と、出されたお茶の話をする。険悪な空気が水に流れたとは思えないが、少し薄くなったところで樹里は言った。

「江口さんのお部屋に、使用済みの課金カードがありました。あれは……」

「私と爽平くん、ソラブルで同じ団なんです」

「ソ……?」

「スマホのゲームですよ。ね?」黙っていた実宇が口を挟んだ。「団っていうチームを組んで、団イベってので競争するんです。そのイベントが有利になるガチャがあって……」

「何それ、今ならガチャ何百連無料! ってやつ?」

「そういうのです。私の友達にもやってる子いますよ。団イベだからってみんなで喋ってる時もずっとやってるし、もうマジ見た目ヤバくて。廃人ですよあれ。普段はいい子なのに……」そこまで言って、実宇は目の前に『マジ見た目ヤバい廃人』がいることに気づいたようだった。

 口を噤んで知らんぷりをする実宇に嘆息しつつ、樹里はフォローを入れておくことにした。

「あれ、確率だから沼ると結構金額行っちゃうそうじゃないですか。あたしの同僚にもなんかアイドルのやつに入れ込んでるのがいて、金額聞くと結構びっくりしちゃうんですよね」

 アイドルのスマホゲームに入れ込んでいる同僚とは、栗田太郎である。三万までは誤差だと真顔で言うので恐ろしい。

「江口さん、結構お金使ってらしたんですか?」と樹里は訊く。

 江口爽平という人物が、ゲームにそこまで夢中になるタイプだとは思えなかった。交際相手である美馬に言われてせいぜい数千円なのだろう、と予想していた。

 だが、美馬由佳から返ってきた答えは、予想を裏切り、同時に上回っていた。

「直近天井した方がよかったので、私が爽平くんに渡しました」

「天……?」

 また首を捻ってしまった樹里に実宇が補足して言った。「上限設定です。いくら以上使うと絶対にそのキャラとかアイテムが出るっていう設定がどのゲームにもあるんですよ」

「それっていくら?」

「ソラブルは九万だったと思います。無配もあるから仏な方って友達は言ってましたけど」

 樹里は美馬の方を見た。「九万渡した?」

「はい。爽平くん、配布石すぐ使っちゃうから……」

「九万? その、団イベってのがあるたびに?」

「団メンバーの総力戦なので」

「マジすか」とTPOを忘れた言葉が口を突いてしまった。

 横の実宇を窺うと、美馬の顔を見て笑顔が硬直している。プレイヤーを友人に持つ実宇の目にも異常に映るとわかり、樹里は内心安堵した。

 爽平くんが喜んでくれるならそれでいい、という考えなのだろうか。それにしても、一回九万を繰り返すとは、常軌を逸している。

 あるいは、美馬もまた、江口に他の女がいることに感づいていたのかもしれない。だからこそ、彼を繋ぎ止め、自分の存在価値をアピールするために、金を渡した。

 黙っていた一戸が腕時計に目を落とした。

「それで美馬さん。念のためお伺いしたいことがあるのですが」樹里は仕事用のトートバッグから〈ESクリア〉のボトルを取り出す。「これに見覚えはありませんか?」

「爽平くんの部屋にありました。飲んではなかったみたいですけど……」

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