2-3.宇宙細菌?

 例によって樹里も由貴も一旦自宅へ取って返し、それぞれの私用車に荷物を積んでSARCに再度集合する。問題は、何が出るかである。

 もしも笹渡が本当に宇宙人であるならば、それを確認できる証拠を入手しなければならない。そこで、桃山修の提案に従い、口腔粘膜細胞の採取キットを荷物に加えた。他にも思いつく限り、細胞や細菌を採取するためのサンプラー類を預けられる。さらに使い捨ての器具や手袋、シューカバー、消毒液の類。そして冷蔵庫と駆動用のバッテリまでが、節操なく次々と、SARCの職員用通用口に停めたエレメントの荷室へと積み込まれた。

「生体サンプルについては、困ったら自分に連絡してください。小暮さんは先走る傾向がある。乾のやつもですが」白衣姿の修は支給のスマホを取り出す。「小暮さんたちが現地に滞在している間は、二十四時間対応できるようにします」

「すげーやる気じゃん、モモやん」

「心残りがありましたから」と修は応じた。「前回のサンプル、最初から体液だとわかっていればやりようがあった。扱う過程でのコンタミを慎重に避ければ、ヒトのDNAが検出されることであれが生体内で何らかの機能を発揮していた証拠になったかもしれません」

「刑事さんとかまゆみさんのが絶対コンタミしてたもんなあ……」

 微量のDNAの検出に用いられるPCR反応は、ポリメラーゼ・チェーン・リアクションの略であり、読んで字の如く核酸合成酵素の連鎖反応である。少量のDNAであっても増幅して検出できる代わりに、一定以上の熟練者が作業しなければ容易に作業者・環境のDNAにより検体が汚染されてしまう。

 白血人間殺人事件の際の白い液体は複数の警察関係者と樹里、さらにまゆみの手を経ており、多数の人間のDNAにより汚染されていた。加えて、有機溶剤による処理や加温・徐冷によるチューブ化をテストしたため、存在していたかもしれない秋野村の少女のDNAは、コンタミした他の人物のDNAごと破壊されてしまっていた。

「今回は確実に鑑定します。ですがその証拠能力も確実な検体採取あってこそですから……」

「わかったわかった。全力を尽くすから」

「でもさあ、桃山くん」同じく白衣姿のまま手伝いに出てきていた柿野まゆみが言った。「宇宙細菌とか出てきたらどうする? うちの生化学実験室、せいぜいレベル2でしょ?」

「BSLのことなら、問題ありません」修は即答した。「WHOの指針では、リスクアセスのための情報が不足している検体については、レベル2以上で取り扱うことになっていますから」

「とかなんとか言ってるうちに全員ゾンビになってたりして」まゆみはからからと笑う。「分析するものあったら送ってくれたらすぐやるからさ。二十四時間待機はちょっと厳しいけど」

「そういえばまた、乾はバイクなんですか。青森まで行くのに」

「減価償却とか言ってたよ。走ってなんぼなんだってさ」と樹里は応じた。

 その由貴はといえば、愛車のアフリカツインの横でまた栗田太郎と押し問答を演じていた。

「あのー、太郎さん、今度はなんです?」

「……いいから」

「いやよくない、よくないです。わけがわからない機器を僕に預けるのはやめてください」

「イオンカウンタ……」

 巨漢の太郎が手にしているのは、B6ノートと同じ位の大きさの計測機器だった。デジタルメータが左右に二つ並んでいる。

 大型二輪車の中でも大型であるアフリカツインをどうにか乗りこなす由貴は、決して大柄ではないが、取り立てて小柄なわけではない。だが、体重九〇キロとも一〇〇キロとも噂される太郎に詰め寄られると、さながら大人と子供だった。あるいはヒグマと柴犬である。

「負けませんよ。たとえウエイト差一.五倍でも僕は負けません」

「最近、痩せた」

「何キロ」

「一.五キロ」

「誤差です! ラーメン二郎一杯分でしょう!」

「なんで。なんでそんなこと言うの……」

 栗田太郎は、一年三六五日毎日ダイエット中である。しかし減らない体重、変わらない体型に彼は嘆きの日々を過ごしている。乾由貴の心無い言葉は、太郎の心を深く傷つけた。空気が抜けた風船のように、太郎の巨大な背中が萎んで見えた。

「……わかりました。持っていきます。そんなに嵩張らないし、別にいいですよ」

 太郎は途端に満面の笑みになった。「うんうん。役に立つ。絶対」

「実際前回のも役に立ったんですよね……」由貴はなぜか口惜しそうだった。「アノマリー・ゾーンの計測、何かいい手段はないんでしょうか」

「N増ししかない」アフリカツインのトップケースにいそいそとイオンカウンタを詰め込み、太郎は言った。「これ、マイナスイオンとか測れるから」

「また怪しげな……もういいです。いいですよ」そこまで言ってから、由貴は太郎の身体越しに覗き込むようにして言った。「あの樹里さん、一つ問題が」

「問題しかねえよ」

「青森、九時間かかります」

 既に時刻は午後四時になろうとしていた。


 強行軍も一つの手だが、それで事故を起こしたら元も子もない。何より、樹里は助手席に何よりも大切な園田実宇を乗せることになる。安全を期し、初日は体力やホテルの空きと相談しつつ福島か仙台あたりまで移動して一泊することにし、出発した。

「ルートどっちにする?」樹里は例によってスマホの向こうの由貴に訊いた。「東北道走りっぱなしと、常磐道経由する方」

「常磐道経由の方はこの前走ったので、東北道を突っ走りましょう」

「福島の沿岸部行ったっていつか言ってたな」

「正直、東北道ってイベントに乏しいんですよね。富士山ないですし」

「富士山がどこにでもあったら困るだろ……」

「すぐ日が暮れちゃいますよね?」と実宇。

「首都高とか川口とか、佐野あたりまでの景色は覚えておいた方がいいかもなあ」と樹里は応じた。

「都会ってことですか?」

「それもあるけど、平野だから」樹里は車の車線を変更し、ナビに従い一般道から首都高に乗せた。「関東平野のスケール感って体感しなきゃわかんないよ。今から南北に突っ切るから」

「そして関東平野を抜けたら平野とは山の隙間や海沿いに点在するレア地形になるってわけ」由貴も合わせて言った。「群馬って関東平野の北の果てですよね」

「そうそう。妙義、榛名、赤城に塞がれてるところだからさ。やっぱり関東平野には思うところがあるわけ」

「九時間かあ……」後ろでバイクに跨る由貴が肩を落とした。「気が重いですよ。ビッグタンク仕様でよかった」

「ガソスタが開いてる時間に高速降りて、宿に入る感じにするか」

「二十四時間のところあるんじゃないですか?」

「ギャンブルするか?」

「調べればよくないですか?」実宇はスマホ片手に言った。

 普段は一人だから、走行中にガソリンスタンドの営業時間まで調べる発想がなかった。それは由貴も同じだったようだ。

 荒川と隅田川を越え、首都高から東北道に入る。どこまでも広がる車窓の街が夕暮れに沈んでいく。東京よりも背の低い建物が目立つ、埼玉のベッドタウンだった。

「笹渡の逮捕時の状況ってわかります?」と由貴。

 樹里はタブレット端末のロックを解除して実宇に渡し、その実宇が現地警察からの報告を読み上げる。

 江口の遺体を発見したのは、交際相手だった大森里美。彼女の通報により駆けつけた警察が早速現場検証と共に周辺の聞き込みを開始する。そしてまずは隣人に騒音などの有無を確認しようとすると、その隣人すなわち笹渡が、自分がやったと認めたのだ。凶器の包丁は現場に落ちており、付着していた指紋は笹渡のものと一致した。笹渡の部屋からは血液で汚れた衣服が発見された。疑いの余地はなく、笹渡は任意同行の後に逮捕された。

「訊かれて即認めるってのも妙じゃね?」と樹里。「初めから認めるつもりだったのなら、遺体を放置しないですぐ自分で警察呼ぶだろ」

「犯行直後は気が動転していたのかもしれません」と由貴が応じた。「人間、常に論理的に整合性のある行動を取るわけではありません。調書だとなぜかすべての行動に理由があったことにされがちなんですけど。それか……」

「なんだよ。勿体つけんなよ」

「いや、僕だって考えながらなんですよ。……誰かを庇った可能性はないかなって思いまして」

 実宇が運転席の樹里を見て、それからダッシュボードに固定したスマホに向け言った。「真犯人は別にいるってことですか?」

「うん。そっちの方が整合取れるかなって。前も言ったけど、殺人事件の犯人ってほとんどが被害者に親しい人間なんだよ。で、江口爽平さんには、複数の交際相手がいた」

「痴情のもつれってやつか」樹里はため息をつく。「じゃあ江口爽平氏の交際相手の誰かが、江口氏の不誠実さにキレて刺したとすっか。すると殺した動機はわかるけど、なんで笹渡がその女を庇うんだよ」

「男が不合理な行動をする理由は一つ。女です。今のところは憶測にすぎませんが、真犯人が笹渡と親しい女性だったとすれば?」

 追越車線を非常識な速度で飛ばす外車を見送って樹里は応じた。「つまり……真犯人の女は、江口爽平さんの不貞に気づいて殺害した。だが笹渡はその女に横恋慕していた。二股だか三股だかしてる江口のような酷い男じゃなく、俺なら君を幸せにできるのに……的な?」

「そして彼女を庇って自分が犯人ということにした。ありえない話じゃないでしょう?」

「確かに。整合は取れる気がする」

「ま、そんなありふれた事件だとすれば、ありがたい話ですけどね」と由貴。

 樹里も深く頷いた。ありふれた事件ならば、それでもいいのだ。人が死んだ事実は覆らない。決して非業の死を望むわけではないが、常識の範疇で解釈可能ならば、SARCの出番ではない。〈AZファイル〉に新たなページが追加されることもない。

 仮に石黒一成がこの事件にも関係しているとすれば。あるいは、笹渡が石黒と同質の、園田今日子曰く宇宙人の手先に成り下がった人間だとしたら。

「科学的な常識を超えた何かが関係しているかもしれない、ってことだもんな」

「前回の事件は概ね『謎である』ということで解決しましたけど……自分で言ってておかしいな。これ解決してないってことじゃないですか」続けろ、と促すと、由貴はためらいがちに言った。「一つ、事件との関連性で、解明できなかったことがあるんです。〈日本怪奇紀行〉です」

 実宇が見つけてきたオカルト雑誌の昔の記事。そのライターがかつて秋野村を訪れたらしいことまでは判明している。しかし、ライター、すなわち上村阿呆人という人物が何者なのかは、謎として残っている。

「所長も〈日本怪奇紀行〉については何も言ってなかったよな」

「ええ。上村という人物の足跡が残されていたことは、偶然なのでしょうか」

「一回は偶然だろ」

「二回は不自然、三回は必然とも言いますね」そこで思い出したように由貴は付け足した。「実宇さん、今度のところは何か関係しそうな記述は……」

「よくぞ訊いてくれました! あるんですよ!」実宇はスマホの画面を樹里へ向けたが、車を走らせながらではとても読めない。だが、頼む前から「これがですね……」と実宇は語り出した。

 曰く、かつて、銀河のパワーを送る電話番号があったのだという。

「何、それは……」と応じた由貴。バックミラー越しに見える姿はヘルメットを被っていて表情は窺えないが、げんなりしていることは声音だけでわかった。

「一部では有名なヤバい電話番号の一つです。電話すると、『これからあなたに銀河のパワーを送ります。心を無にして感じてください。ホアァァァ――』って音声が聞こえるんですよ」

「確かに不気味っちゃあ不気味だけど……」

「樹里さんご存知ないですか?」

「なんであたしが。そんなん知るわけないじゃん」

「少し上の世代だと結構有名だったらしいんですけど……」

「今の三〇代から四〇代前半じゃないかな」とBluetooth越しの由貴が言った。「電話にまつわる都市伝説って、インターネットと携帯電話が口コミの力を強めると同時に公衆電話が現役だった、九〇年代後半からゼロ年代前半に、思春期だった世代の文化だと思うし」

「あたしやユッキーより少し上だな」

 樹里は二十八歳で由貴は二十六歳。スマホになる前の、カタカナ書きのケータイ文化には今一つ疎い。

 それはさておき、その不気味な電話番号が、なぜ紀行の題材になるのか。

「その電話番号の元を調査したら、A県H市のとある健康食品会社E社だったって内容なんです。A県H市。青森県本青森市」

「愛知県碧南市かもよ」と由貴。

「その番号って今も通じんの?」

「はい。私毎週月曜日の朝にかけてます」

「ミューちゃんさあ、学校は楽しみなって。働くようになったら雨の日と月曜日はいつだって憂鬱になるんだから」

「樹里さん、樹里さん、老いてますよ」

「うるせえ」樹里はスマホからの声の主に舌打ちした。「そういえば、ミューちゃん学校は?」

「自主休校です。でっす」

 自撮りでもするかのようなポーズを助手席で決める実宇を見て、樹里は一段と肩を落とした。車はまだ関東平野をひた走っている。

「大体なんで健康食品会社が銀河のパワーなんだよ。意味わかんねえ」

「それはですね」実宇は声を潜めて言った。「E社の健康食品……宇宙細菌なんですよ」

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