第6話 歌川桔歌の目線Part5
「前から思っていたんですけど、ここ紅茶以外ないんですか?」
「もしかして嫌いだった?うちはお茶といえば紅茶だったから、一応それを買ってるんだけど。痩せ我慢させてたら悪いわね」
雫が意外そうに答える。私の質問に深い意味はなかった。部に入って、三週間も経つといい加減慣れてくる。私たちが雑談してるときは、大概紅茶だった。
ふとした疑問を口にしただけだ。今は部活が始まったばかりの時間だ。
「いえいえ!」
私は慌てて否定する。
「ちなみに桔花さんの家はなんだったの、お茶」
「うちはいっつも緑茶でした」
「渋いな。オールグリーンってか」
叶部長が笑いながら茶化した。
「……………………」
誰も笑わなかった。黙殺という恐ろしい迫害から彼女を守る唯一の抵抗として私は小さく拍手を送った。
「ありがとう……」
部長が目を伏せながら呟き、くくっと雛見が喉の奥で笑った。
「少しは慎み深くしようよ、ヤマトナデシコ」
「うるさいな、あんた全然慎んでないじゃん」
「慎んでいるとも。私が慎むのをやめたらみんな驚くだろう」
部長が小さく舌打ちすると、椅子から立ち上がり、伸びをした。
それから、雫の方へ向き直り、
「ところで例のやつ、みんなに見せてやってくれ」
と言いながらまた着席した。雫は無言で、本棚の隣のキャビネットから何かを引っ張り出してくる。
それはクリアファイルに入った紙の束だった。六枚、全員分ある。
「なんでしょう?」
「学園祭公演用の脚本だ。今朝完成した。雫が昨日仕上げて、アタシに送ってきた。そしてアタシが徹夜でチェックした。公演は六月だからそろそろ本格的に練習しなくちゃいかんからな」
「とりあえず、一気に仕上げたわ。演目は今回はオリジナルじゃなくて、既存のもののリメイクよ」
雫のオリジナルも読んでみたい、とは思ったが、リメイクとはなんだろう?どんな作品をどのように変えたのか。
「タイトルは『椿姫』。前から好きだったやつだったけど、部員が集まらなかったら、キャスト人数的に難しいから書きあぐねていたの。でもうまくいったわ」
巴と紫は、聞いたことが無いというふうに首をかしげている。
私も初耳だったが、雛見はさすがというべきか。ああ、あれね、と言いながら頷いていた。
「古典だよね、デュマ・フィスの。『巌窟王』を書いた人の息子さんだ」
「そうよ。戯曲版もあるけど、今回のは原作小説ベースよ。私としては、こちらの方が好きだから。とりあえず、内容を知らない子たちのために解説しておくわ」
時は千八百年代のパリ。そこで華やかに、けれども誇り高く生きる高級娼婦「マルグリット」と裕福な家庭の若者、「アルマン」との出会いから始まる物語だ。
一度、馬車に乗っているマルグリットをたまたま見かけたアルマンはその数日後にオペラ・コミック座で再びマルグリットと再会する。マルグリットの美しさに惹かれたアルマンは、純粋な好意をマルグリットに寄せ、必死に気持ちを伝えようとする。考え方や価値観の違いはあれど、アルマンの誠実さに惹かれ、ついに二人は結ばれる。
マルグリットは娼婦をやめ、アルマンと二人で暮らし始める。
けれど、この物語は悲恋に終わる。
アルマンの父親が、マルグリットのような女性と恋仲であることが分かれば、息子の将来に響くとして、マルグリットにアルマンと別れるようにと圧力をかける。
マルグリットはひどく悩むが、アルマンの将来のためを思って身を引き、再びパリに戻り、以前と同じ稼業に戻ってしまった。
自分が捨てられたと思ったアルマンは、傷つき、マルグリットと仲たがいしてしまう。パリで自分の気持ちをごまかすように派手な生活を送り、どんどん自分を傷つけていくマルグリットは、いつしか重い病を患ってしまう。
そのことを知ったアルマンは、葛藤しながらもマルグリットのもとへ向かう。
しかし、すでに手遅れでマルグリットはすでにこの世を去っていた。
アルマンは、マルグリットが残した手記をマルグリットの知人から受けとり、そこにつづられていた自分への本当の想いを知り、涙を流す。マルグリットとアルマンの出会いはただ悲しい思い出だけを残した。
だいたい、こんな筋のお話だ。
すれ違いと、身分の違いが生んだ悲恋。どこかで回避できなかったのかとも思うし、どうすることもできなかったのではないかとも思う。
「原作の筋は説明した通りね。一応原作は持ってるから、読みたい人は私に借りにくるように。台本は、できれば今日中に読んでおいて。明日にでもすぐに練習を始めるから」
私も含めて全員が返事をした。もちろん肯定の。
「しっかし、アルマンも、もうちょっと大人になれよな」
部長がやれやれといったふうに呟く。
「一転して自分の女が態度変えたんだから、なんかあると思うだろ普通」
「急なことでびっくりしちゃったんじゃないですか?」
と言いつつも、私だったら必死で問い詰めるだろうとも思っていた。それに、アルマンとマルグリットとの結婚は周囲から反対されていた。だから、身内が手を回したのかもしれないくらいは疑うだろう。私ならそうする。アルマンもそうすればよかったのに。「だれかになにか言われたの?」くらいは絶対に聞くだろう。
「ストーリーの都合上仕方ないことはあるのよ」
「身も蓋もないぜ、脚本家さん」
「そういうもんよ、あ、そうそうキャストはちゃんと確認しておいてね。雛見さんも、桔花さんも、わかってるとは思うけど、配役を頭に入れながら読む方がイメージつかみやすいと思うから」
念のため、雫が説明してくれる。去年は卒業した人達が先輩だったから、部長や雫達は説明される側だったんだろう。
キャストを確認して、思わず私は声を上げた。
「私が……アルマンなんですか?」
「おや、私はマルグリットだ」
雛見の声がすぐ隣から聞こえてきた。
いつのまにか私のかなり近くに台本を持ったまま雛見が立っていた。
「そうよ」
雫がこともなげに答えてくる。
「イメージがぴったりだったの。純粋そうだし。二年間の経験もあるからね。雛見さんは、華奢だけどなんかたくましいし」
「なにより美人だから。いい配役ですよ、雫さん」
雛見が楽しそうに言う。
「悔しいが、事実だな。アタシじゃ務まらん」
部長は少し悔しそうだ。
「確かに…………叶は病気になりそうにないからね」
部長は背も高いし、体つきもがっしりしている。顔立ちは、雛見に負けないくらい綺麗だが、翳りが足りない気がする。
「ああ。健康だよ。昨日もバレー部で助っ人してきた。ちなみにアタシは、アルマンの親友のガストンの役だ、よろしくな」
「よろしくです!」
私はノリだけで返事する。部長も多忙なんだなあ、と感心しながら。
「私もよろしく」
雛見が両手を前に出し、私は「はい!」と返事しながら、ハイタッチした。
「で、今日は何するの?」
紫が巴の髪を整えながら疑問をぶつける。
「買い出し、その他もろもろだ。公演の練習に向けて準備するぞ。小道具関連で必要な小物も足りてないしな」
私達はいっせいに準備を始める。
心が浮足立っているのが私自身にも分かった。はじめての高校演劇。そして、扱いは主役級。緊張と嬉しさが同時にやってくる。これでうまくいけば、もっと楽しい。男の人の役だけど、そこまで漢らしい役でもない、おぼっちゃん役なら、上手くこなせそうだ。
私が美しいかどうかはさておきとして、美少年役も経験したことがある。
おー、と一人心の中でガッツポーズをした。
「おーい、もう行くよ」
「あ、すぐ行きます!」
いつの間にか、みんなは準備を終えていた。
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