第2話 歌川桔花の目線Part2

 第二部室棟の中は静かだった。ここは文化部しか入っていないらしい。雛見が口笛を軽く吹きながら、蛍光灯で照らされた廊下を進んでいく。廊下には古い絨毯が敷いてあった。


「前に来たことがあるんですか?」

「いや、初めてだけど?」


 あまり緊張しない人なのだろうか、と私は考えた。


 演劇部の部室は二階の角にあった。「演劇部部室 」と書かれたプレート。なかなかの達筆だった。中からは複数人の喋り声がした。


「どんな……?」「他には、」「あれは塩梅が……」「二つ目は……」


 防音されているのか、途切れ途切れにしか言葉が聞こえない。

 雛見より前にいた私は遠慮がちにノックする。返事が来る前に急に雛見が「来てあげたよ」と口を挟んだ。


「いるんだろう、部長。声が聞こえたよ」


 あまりの言い方に絶句していると、


「来たな!」


 と大声が帰ってきた。


「入れ!鍵は空いてる!」


 張りのある声が聞こえてた。

 私が意を決してドアを開ける。

 細長い部屋の奥に古びた円卓状のテーブルがでん、置かれており、それを取り囲むようにいくつかの事務用の椅子が置かれている。

 一番奥の席には長身の女性が腰掛けていた。その近くに一人、私達の左側にあたる席に二人。


「ん?二人?」


 机の上から足を下ろして戸惑ったように長身の少女が言う。

 中性的な顔立ちの気の強そうな人だった。


「親愛なる部長殿。売り込みに来たよ。新入部員はいかがかな?」


 すごい売り言葉だ。


「出会いがしらにとんだご挨拶だな。何ヶ月ぶりくらいだ?」


 買い言葉を部長さん?がよく通る声で発した。

 二人は顔見知りらしい。


「十一ヶ月。法事の時以来だね。キミは背広だった。楽な格好で良かったのに」

「あの時は父さんが着てけってうるさかったんだよ」


 高校生になったからかな、と歳上の少女がこぼした。

 彼女は私に視線を時折向けていた。

 近くにいた二人組のうち片方の金髪の少女が合点がいったように頷いた。


「で、こちらの可愛い子は?」

「実家から持ってきた雛人形」

「最近のは随分可愛く作ってんだな」

「違いますよ!大体私じゃ大きすぎます!」


 私は反論する。


「入部希望です!新入生の歌川桔花うたかわ きっか、と申します。中学の頃は二年間演劇部をやってました。よろしくお願いします」

「同じく一年の相楽雛見さがら ひなみです。キャリアは三年」

 名前の由来について説明した後、彼女は「みなさん、どうぞよろしく」と挨拶しながら口元の笑みはそのままに優雅に一礼した。


 —————きれい。


 その仕草があまりに堂に入っていたため、私は感心してしまった。


「お客さんを座らせてあげなさいよ」


 ペンの後ろを机の原稿に乗せたまま、さっきまで黙っていた部長のすぐ近くに座っている眼鏡の少女が顔を上げて言った。

 お、悪い悪いと手で私達の一番近くの椅子を指差す。雛見が無言で座る。

 私は雛見の隣に腰掛けた。部屋の右の壁にはかなり年季の入ったアンティークの立派な本棚があり、演劇の入門書や戯曲の文庫が沢山並べてあった。


「あたしは部長の服部叶はっとり かなえ。主に運営、部費の調達、演出をやっている。後は編集な。趣味は娯楽に類するもの全般。要は多趣味ってことだ」


 よく通る声で部長の服部さんが言った。


「どれくらいあるんですか?」

「履歴書を書かせたらそれだけで埋まるな」


 予想外の答えに戸惑ってしまう。


「ウソがヘタなんだよ。二行くらいしか埋まらないさ」


 雛見が口を挟む。


「ネタばらし早いんだよ」

「ノラれたら困るわ。いつまでたっても話終わらないんだもの」


 眼鏡の少女が答えた。切り揃えた前髪から凛、とした目を覗かせた。


「ごめんね、この人の話は話四分の一位に聞いてくれたらいいから」

「せめて半分くらいは聞いてください……」


と部長。


「なあんだ、冗談ですか……」

「私は脚本の佐原雫さはら しずく。 あと役者もやるわ。うち部員が少なくて」


 眼鏡の少女が名乗った。


「部員はこれで全部?」


 雛見が尋ねた。


「その通りよ。勧誘もあんまりしてなかったから助かったわ」

「いや、ギリギリ揃ってよかった」


 部長がほっとしたように言う。


「部員がね、足りなかったの。五人いないとサークルに格下げになっちゃう」


 金髪の子の髪を部屋に入った時からずっと梳かしていた長い黒髪の少女が補足してくれる。


「降格されてもあたしは続けるぞ」

「なお、予算は無くなる」


 金髪の子がボソリ、と呟く。

 視線を向けて会釈すると、


「円城 えんじょう ともえ…」


 とだけ名乗り、黒髪の子の膝から降りて隣に椅子に座った。


「あ、私は盾冬 たてふゆ ゆかり!趣味は演劇とカメラだよ!」

黒髪のロングヘアで柔和そうな顔立ちの少女が挙手して言った。


「しかし、キッカちゃんも元演劇部か。これは即戦力になるな」

「お役に立てるよう頑張ります!」


 両手の拳を握って意気込む私。


「察するに演劇続けたくて来たんだろ?雛見と同じく。この学校、演劇部ここしかないしな。オーケー採用。入部届は後で書いてもらうから」


「よし!」


 部長は勢いよく手を叩く。


「とりあえず、今からサービスタイムだ。ヒナ!来い!鈍ってないか見てやる!」

「はいはい」


 すすす、と雛見が近づいていく。


「今から寸劇やります!キッカちゃん、元ネタ当ててみな!多分知ってるぜ!」


 ややあって、少し声を低めた会長が手を差し伸べる。

 私も含めて、席についていた部員達の眼が二人に吸い寄せられる。


『お嬢さん、お相手願えますかな?』


 そして—————


『ゆっくり踊って、優しく黙っていてくださるなら、一緒に歩きますわ。特に、歩き去るときは喜んで』


 次の瞬間、雛見の雰囲気が激変した。

 不敵なオーラが鳴りを潜め、清純さを備えた期待の表情に。不遜ささえ感じさせる余裕は霧散し、初々しさが顔を出す。

 柔軟さが僅かなぎこちなさに変わった。からかうような響きの澄んだ声は透明感を増し、更に澄み渡った。まるでそこに急に現れた姿形の似た別人が部長の手をとる。言葉が出ない。台詞の応酬が続く。そう長いやりとりでは無いはずなのに、ただただ圧倒されていた。


『あらじゃあ、その仮面は藁ぶきでないと』

『恋を語るなら、囁いて』


 会長が締めくくる。


『あなたが……』


『私を好きになってくれたらなあ…』


 急に後を追った別の声。それは自分の声だった。皆の視線が集中する。

 思わず口を抑えた。顔が熱い。


「随分と、可愛らしいベネディックだね」


 そう言う雛見は、元の口調に戻っていた。名残惜しいような、そうでないような不思議な心持ちだった。


「ご、ごめんなさい…」


 上手く演技できなかった事を謝ったのかなんなのか。


「今の、『から騒ぎ』ですよね、仮面舞踏会の…」

「正解正解」


 部長がはにかむ。気を悪くしていないようで安心した。

『から騒ぎ』はシェイクスピアの恋愛喜劇だ。私も、一度劇場で観たこともあるし、戯曲を文庫で読んだこともある。


 現代に至るまで何度もリメイクされているし、知名度も高い。二人が演じたのは仮面舞踏会で顔が見えないのを利用して一計を案じたドン・ペドロが知事の令嬢ヒアローに想いを寄せるクローディオの代理を務め、告白する場面である。私が言ったのはすぐ後の場面、クローディオの友人ベネディックの台詞だ。

 パチパチ、と拍手の音がする。


「すごいすごい!お見事、だよ!」


 紫が目を輝かせて手を叩いている。私も遅れて拍手するのと同時に室内が拍手に包まれた。服部部長が軽く一礼し、雛見が先程の優雅な仕草で会釈した。


「さてさて、余興も終わったところで…」


 拍手が収まった後、部長が私と雛見に視線を向けて言った。


「とりあえず、練習見てく?てか、やってく?」

「はい!」


 部長が頷くと、それが合図だったかのように巴が立ち上がり、出口のドアに向かった。少し遅れて紫。私達もそれに続いた。


 練習を行う場所は、すぐ隣のネームプレートの無い部屋だった。

 防音設備の施された部屋だ。奥が鏡張りになっており、自分の動きが見えるようになっている。


「驚きました……専用の部屋があるんですね」

「ああ、そうだな」


 部長が頷く。


「ところで……」


 私は挙手する。


「お二人はどういうご関係なんですか?」


 なんとなく気になっていたことを口にする。部長と雛見は年齢差なんて関係ないかのように親しげだ。


「親戚だよ。分家のご息女さ」

「おう、又従妹な。親戚同士の集まりで知り合ったんだ。昔馴染みだ」

「え、似てない…」

「それにしても凄かったわ。さっきの演技。前に見た時以上よ」


 感心したように少し鼻息荒く、雫が言う。やはり芸術家として惹かれるものがあるのだろう。


「いいえ、それ程でも」


 雛見が不敵な笑みで会釈する。


「前に観た時、って…?」

「ああ、なんか冬休みに叶ちゃんの家で会ったらしいよ。そこでちょっと演じてもらったんだって」


 体操着に着替えた紫が補足して雛見が笑った。

 部長が音頭をとって、稽古が始まる。

 まずはお決まりのストレッチ。これは中学の頃にもやったものだ。部長が鏡の前に立ち、正面から向かい合うように皆が並ぶ。ラジカセの音楽に合わせて、前屈、後屈。ラジオ体操の要領で身体を様々な動きでほぐしていく。最後に、少しずつ身体に負担をかけないように倒した上半身を起こす、ロールアップで締める。

 その後もフロアレッスン、腹筋までこなしてようやく終了。驚いたのは中学の頃と比べて動作のレパートリーが明らかに増えていた事だ。やはり学校間で差はあるらしい。

 初めての動きもあったため、運動には少し自身のあった私もあまり余裕がなかったが、雛見をチラっと横目で見ると黙々とメニューをこなしている。身体がとても柔らかいらしい。

 その後のダンスも初経験だった。

 そして発声練習。これも勝手が違う。

「あえいうエオアオ…」という標準的な発声メニューの後に大声でオリジナルの曲を歌った。


「け、けっこう大変ですね……」


 メニューを完全に乗り切った時には些か疲れていた。


「ブランクがあるからかな」


 雛見がぺたん、と床に座りながら言う。


「そうです……!ブランクは全てにおいて敵です!」

「でもこなせんこともないだろ?」


 部長がスポーツドリンクを飲みながら言う。


「ところで返事が聞きたいんだが……」

「入部します!もちろん!」


 入部手続きはつつがなく終わった。

 また演劇ができる。好きな事を続けられるのはとても嬉しい。私はもっと嬉しくなりたい。

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