執念

 私『はるか 真優まゆ』は、ここ『町野中央病院』の検査室に勤務する『臨床検査技師』だ。


 臨床検査技師とは、平たく言えば『レントゲン検査』以外の検査をおこなう職業である。


 『医師ドクター』でも『看護師ナース』でも無く、患者様とは、採血や心電図エーカーゲー超音波エコー検査等の『生理学的検査』の時くらいしかお会いする機会が無い地味な職業だ。


 ある日、病棟に心電図をりに行くと、病室内から必死に謝る声が聞こえた。


 ……どうやら看護学生さんが、患者さんの床頭台に置いてあった観葉植物を落としてしまったらしい。


「気にしなくて良いんですよ! 本当は、こんな根付きの物を置いちゃいけないのに、わがままで置いていた私が悪いんですから……」


 と、患者さん……草間さんが言った。


 ……数週間前に亡くなった旦那様の形見だそうだ。


 謝っていたのは、看護学生の和泉さん。 


 太陽に向かって伸びていた植物の葉が何処かに引っ掛かって、そのまま落としてしまったらしい。


 病室の床に土が散乱していた。 


 植物の葉も何枚か折れてしまっている。


 ……私は心電計を病室の入口に置いたまま、内線で営繕課の下村さんに連絡し、清掃と植物の修繕を頼んだ。


 騒ぎを聞きつけた病棟師長の村田さんが病室に入って来て、大泣きしている和泉さんと一緒に謝った。


 草間さんは


「婦長さん(ご高齢のかたは、看護師を『看護』と呼んでいたので、今でもその名残があります)まで! 大丈夫ですよ! お気になさらないで!」


 と、却って恐縮している。


 こんな状況では落ち着いて心電図の記録が出来ないので、師長に言って、あとから録り直す事にして、一度検査室に戻った。


 ……再び草間さんの病室に行くと、観葉植物は綺麗な状態になっていた。 器用な下村さんが、剪定もしてくれたようだ。


 記録後、草間さんが


「先程は失礼しました……」


 と言ったので


「いえいえ、こちらの者が失礼を致しまして申し訳御座いませんでした」


 と、こちらも頭を下げた。


「可愛らしい植物ですね」


「……これね『月の王子』っていうんですよ」


「へぇ〜! 名前も可愛らしいですね〜!」


 ……そんな何気ない会話をした数日後、草間さんの容態が急変した。


 草間さんの主病名は『感染性心内膜炎』……しかも、心エコーで診るとかなり悪化した状態での入院だった。


 草間さんは、より専門的な治療が出来る病院に転院する事になった。


 これにショックを受けたのは、看護学生の和泉さんだ。


 ……自分が『月の王子』を落としたせいで、草間さんの容態が急変してしまった……と思い込み、意識の無い草間さんのベッドにしがみついて泣き崩れ、師長に止められた程だ。


 しかも、運が悪い事に、ベッドサイドの『月の王子』は、変色してブヨブヨになっていたという。


 ……和泉さんの落ち込みようは相当なもので、誰の目から見ても、明らかにやつれていった。


 看護学生の中でも、特に快活で熱心だっただけに、気の毒でならなかった……。



 更に、それから数日後……


 草間さんは……


「出戻りバアちゃんです!」


 ……と、冗談を言いながら、この病院に戻って来た(笑)


 人工弁置換緊急手術が成功し、見事回復したんだ!


 和泉さんは大喜びして、見る見る元気を取り戻し、以前にも増して張り切り、バリバリ働いている!


 あまりにも元気なので、村田師長に……


「あんた、また何か落とさないでよ!」


 と釘を刺される程だ。



 ……後から聞いた話だが、草間さんは

転院する際、和泉さんが泣きながら自分にすがりついたのをはっきりと意識していたと言う。


 そして『このまま自分が死んでしまったら、これから、何人もの命を救う事になる若いお嬢さんの将来を潰してしまう! 必ずここに戻って来る!』……と決意したそうだ。


 ……すると目の前に……おとぎ話に出てくるような『王子様』が現れ、光になって自分の中に入って来た……と言う。


 そして気が付くと、手術痕は痛かったが、呼吸が楽になった事に驚いたそうだ。


 ……これは、断じて『奇跡』なんかでは無い。


 草間さんの『必ず生きる』という確固たる決意と最新医療、私たちスタッフの願い、そしてちょっぴりの不思議が産みだした『生還劇』だ。




 ……さて、今日は草間さんの退院日。


 和泉さんと村田師長、それと私たち有志数名は、可愛らしいポッドを草間さんと、お迎えに来たご家族に手渡した。


 そのポッドには……あの時『月の王子』から折れてしまった葉を、下村さんが丁寧に拾い集め『葉挿し』して蘇らせた、小さな『月の王子の子株』が植えられていた。


 草間さんは涙を浮かべながら……


『私、まだまだ長生き出来そうです。 ありがとう、ありがとう』……と言って、喜んで受け取ってくれた。


 ……私たちの頬にも、とても温かい涙が伝っていた。




 作者注:この物語は、実際にあった出来事に脚色を加えたものです。

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