身代わりはテディベア

葦沢かもめ

身代わりはテディベア

 ドアを開けると、僕の席にはテディベアが座っていた。

 ここは、僕の通う中学校の四階。廊下の東の突き当たりにある部屋であり、室名プレートには「生徒会室」と書かれている。この秋の学内選挙で、新メンバーによる生徒会が発足した。初めての打ち合わせが、今日の午後四時から行われることになっていた。現在時刻は、午後四時十分。つまり僕は、十分遅刻したことになる。

 打ち合わせの時間を忘れていたのではない。たまたま財布の落とし物を拾ってしまい、それを職員室に届けようとしたのだが、職員室がもぬけの殻になっており、教師を捕まえるのに苦労したのだ。

 かくして急いで生徒会室に向かった僕だったが、この目に飛び込んできたのは、僕の席を陣取るクマのぬいぐるみだった。

 このテディベアは、以前から生徒会室に置かれていたものだ。生徒会長の席の後ろの棚の最上段に、まるで神様のように祀られていた。生徒会の守り神と言われていたが、その由来は定かではない。

「これは罰ゲーム?」

「新副会長を『これ』と呼ぶなんて失礼だぞ、湊斗みなと

 僕の顔を覗きながら、能登蒼司のと・そうじがニヤニヤとした表情を浮かべている。コイツは小学校の頃からの友人で、今年から生徒会のメンバーになった。運動嫌いの僕とは違って、サッカー部に所属している。今年の生徒会で、男は僕と能登だけだ。

「誰だよ、ぬいぐるみを僕の席に置いたのは?」

「犯人が当てられたら、遅刻の件はチャラにしてもいいぜ」

「どうせ能登だろう」

「待てよ。遅刻者に対して罰ゲームを実施することに賛成したのは事実だが、オレは実行犯じゃない」

「じゃあ誰がやったっていうんだ? 志摩しまさん?」

 それを聞いた生徒会長、志摩朱莉しま・あかりは、長い黒髪をかき上げながらハァとため息をついた。名前を出されたことに不満があるようだ。

「一年間一緒に生徒会やってきたのに、信頼されてないんですね、私」

 確かに去年からのメンバーは僕と彼女だけだ。でも志摩さんは規則に厳しく、どこか他人行儀なところがある。一年間生徒会活動を共にしてきたが、そんなに親しくなったという気はしなかった。

「すみません。そういう訳じゃないんだけど……」

「じゃあどういう訳ですか? お聞かせください」

 切れ長の目が、僕をすっと見据える。背筋はいつでもピンと伸びていて、まるで生徒会長になるべくして生まれてきたみたいだった。

「だって僕の席に近いのは、能登と生徒会長しかいないじゃないですか」

 生徒会室に置かれたテーブルの、入り口から見て右奥に僕のネームプレートが置かれている。能登は右手前。生徒会長が正面の席で、入り口と向かい合っている。つまり僕の席を挟んでいる能登か生徒会長が怪しい。

「逆側に座っている二人こそ疑うべきじゃないかな。距離が遠いから疑われにくい。犯人心理としては理にかなっていると思うけれど」

 能登の言うことにも一理ある。だがしかし、そこには一つ問題があった。僕は、テーブルの入り口から見て左側に座っている二人とは面識がないのである。正確に言えば、生徒会選挙の時に顔も名前も見ていたし、演説だってちゃんと聞いていた。と思う。ただ記憶を入れた引き出しの場所が分からないだけだ。

 生徒会長の後ろにあるホワイトボードを横目で見遣るが、そこには見慣れない丸っこい字で今日の議題が書かれているだけだった。

「湊斗、もしお前が新副会長だというのなら、もちろん新メンバーの名前も頭に入ってるよな?」

「当然さ。忘れるはずがないだろう。だが自己紹介はしておこう。二年B組の安芸湊斗あき・みなと。今年度から生徒会副会長になります。よろしく」

 先に立ち上がったのは、左手前に座っているポニーテールの女子だった。

「こちらこそよろしく。会計、土佐悠木葉とさ・ゆきは。二年C組」

 凛とした佇まい。彼女の左後ろには、彼女の荷物らしき細長いバッグが置かれている。剣道部か弓道部だろうか。もしかしたら薙刀かもしれない。そんな芯の強さが感じられる。

 それから左奥の小柄な女子も立って、ひょっこりとお辞儀をした。

「よろしくお願いしますっ! 一年A組、日向澪ひゅうが・みおです。書記になりました」

 丸いリスのような瞳が、こちらを興味津々に見つめている。まるで小動物のようだ。テーブルの上に広げている筆箱もシャープペンシルも、ピンクなファンシー調。口の開いたバッグには、教科書とノートくらいしか入っていない。文化系の部活だろうか。

「そうすると、犯人はやっぱり志摩さんじゃないかな?」

「どうしてそう思うのですか、安芸副会長?」

 志摩さんの声に、焦りはない。

「簡単な話です。そのテディベアは、本来なら志摩さんの後ろの棚に置かれていたものですよね」

「そうです」

「置かれていたのは最上段。日向さんでは、手が届かない位置にあります。したがって日向さんは犯人ではない」

「小さくて悪かったですねっ! 確かに犯人ではありませんが」

 日向さんは、ムッとした顔を僕に向けている。

 それでも志摩さんはひょうひょうとしていた。まるでこの状況を楽しんでいるようだった。

「そうすると容疑者は残り三人ですね」

「いえ。志摩さんと土佐さんの二人です。能登は自分ではないと最初に言っていましたから」

「なるほど。では土佐さんではない証拠はあるのですか?」

「ヒントは、土佐さんと日向さんの位置です。本来なら、上級生の土佐さんは生徒会長に近い日向さんの位置に座るはず。でも実際は、日向さんが座っている。その理由はなぜか。これは僕の推測ですが、恐らく書記の日向さんがホワイトボードに文字を書こうと移動する際に、土佐さんの細長いバッグが邪魔だったからでしょう。だから二人の位置を入れ替えた」

 僕の推理に、土佐さんの口角が微妙に上がった。

「その通りだ。日向さんが歩きにくそうにしていたからな」

「そして土佐さん自身も、荷物が邪魔で生徒会長の後ろの棚まで行くのは難しい。そう考えると、志摩さんが犯人なのではないかと思います」

「よりにもよって生徒会長を疑うということになりますが、本当にそれでいいんですね?」

 志摩さんの透き通った瞳が、僕に照準を向ける。

「いいですよ。外れたら雑用でもなんでもします」

 不意に広がる沈黙。まるで時が止まったかのように、志摩さんは微動だにしない。

「いいでしょう。正解です。早く席に着いてください。打ち合わせを始めます」

「よく分かったな、湊斗」

「勘だよ、勘」

 僕はテディベアを抱えて元の場所へと戻してから、席に着いた。


 午後五時過ぎ。新生徒会の初めての会議は無事に終わった。メンバーは続々と生徒会室を後にしており、僕と志摩さんだけが残っていた。

「安芸君、どうして……、どうしてあの時、犯人が私だと分かった本当の理由を話さなかったの?」

「本当の理由も何も、僕はただ推理しただけですよ。それ以上でも、それ以下でもない」

「……そう。じゃあ生徒会室の鍵、締めるから」

「オッケー」

 僕たち二人で部屋を出る。既に廊下に人の気配はなくなっていた。静寂の中に、志摩さんが鍵を回す音が響く。

 それから僕たちは、職員室へと足を向けた。鍵を返却しにいくのだ。

 志摩さんはまだ何かを話したそうにしていたが、結局会話もないまま、階段を二人で降りていく。それなりに一緒にいる時間は長かったけれど、会話が弾んだ記憶はあまりない。多分、嫌われてるんじゃないかと思う。

 僕は自然と、物思いに耽ってしまう。

 志摩さんが話そうとしているであろうことを、僕も覚えていない訳ではない。

 一年前、僕たちが生徒会に入ってすぐのことである。志摩さんは、今回の僕と同じように初回の会議に遅刻してしまった。だがその時に、僕は志摩さんの席にテディベアを置いて、遅刻ではないと言い張ったのだ。どうしてそんなことをしたのかは、よく覚えていない。なんとなく、志摩さんは理由もなく約束をすっぽかす人ではないと感じていたのだと思う。先輩たちも悪い人ではなかったので、志摩さんの遅刻は許された。それでも志摩さんは、ずっと恐縮してばかりだった。

 あの時、僕が身代わりのテディベアを座らせなければ、志摩さんもそんなに気を使わなかったのかもしれない。僕は余計なことをしてしまいがちである。

 もしかしたら今日の副会長テディベア化事件は、志摩さんのささやかな抵抗だったのかもしれない。それに他人の失敗談をべらべらと話すほど、僕は性根が腐っていない。みんなの前でこのことを話すべきではなかっただろう。

 階段を降りて昇降口にさしかかったところで、僕は志摩さんを呼び止めた。

「鍵を返すのは僕がやりますから。先に帰ってていいですよ」

 少しためらってから、志摩さんは僕が差し出した掌の上に鍵を落とした。

「分かりました。お願いします」

「それじゃ、気を付けて」

 そのまま僕は職員室へと廊下を歩いて行った。遅刻した分、何かしておかないと気が済まなかった。

 すると後ろから志摩さんの声がした。

「あの」

「?」

 振り向くと、志摩さんは目を逸らしながら、少しだけ頬を赤らめていた。

「あの時は、ありがとうございました」

 そう言い残すと、まるで天敵から逃げるネズミのように、志摩さんはピューッと走り去っていった。

 僕、また嫌われたんでしょうか。

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身代わりはテディベア 葦沢かもめ @seagulloid

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