カノジョの孤独な指先

ぐぅ先

第1話 看病される

※作者より

前まで登場人物の男のほうを[男]と書いていましたが、新たに「レン」と名前を付けることとなりました。よろしくお願いします。


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 平日のとある日のこと。


「……レンくん、大丈夫かなぁ……。……17.4」

 部屋の中で窓の外を見ている、十六歳の少女がいる。彼女の名前は「秋崎あきざきノドカ」。


 ノドカはレンの部屋の椅子に座りながら、折りたたみナイフの刃の側面を右手の人差し指で撫でていた。その一方で部屋の主のレンはどうしているかというと、ベッドの上で布団を厚めに被り、苦しそうな顔をしながら眠っている。ベッドの傍らの台には大きめのスポーツドリンクのペットボトルとコップが置かれており、おそらくレンは病気でせっているようだった。

 そこは病室というわけではなく、あくまで彼の私室。ノドカの座る椅子はベッドから離れた位置にあり、彼との距離もそれなりに離れていた。

「18.5……、17.8……」

 ノドカは外を見ながら何度もナイフを触り、そのたびに数字を口にしていた。そしてそれを何度も繰り返しているうちに、部屋の主はいつの間にか目を覚ましていたらしい。ノドカの耳に衣擦きぬずれの音が聞こえてきたと思うと、布団をまくりあげ、レンが上半身を起こした状態となっていた。


「……あ、起きた?」

 椅子から立ち上がり、ノドカはレンの元へ歩み寄る。だが彼は、非常に驚いている様子だった。確かに自分の部屋にいきなり家族ではない異性がいるというのは、驚くのも当然である。だが彼の慌てようは、そういった雰囲気のものではない。

「なに持ってるって……、ナイフだけど」

 そう、レンからすれば、病床から目覚めたらナイフを持った女が近寄ってきたという状態だった。見るからに凶器を持っている人間がいるという状態は、例えそれが見知った相手だとしても驚いて当然だろう。

「え、殺す気? なんで? ……あ、そっか。なるほど」

 ワンテンポ遅れて自分の状態を客観的に理解したノドカは、ナイフをショルダーバッグにしまう。


 ――ごほっ! ごほっ!


 そうしてノドカがレンから一瞬目を離した時、彼はひどくせき込む。慌ててノドカはレンに向き直った。

「わっ。咳……、大丈夫? 顔赤いし、まだ寝てたほうがいいような……」

 しかし咳をする場合、横になるよりは身体を起こしていたほうが楽なこともある。加えて、レンにとっては知らぬ間に客人が訪ねてきていたのだ。彼としては横になる理由がない。

「ん……、よし。咳つらそうだし、ちょっと口開けて?」

 すると、ノドカがレンにこう言った。その通りに口を開けたとして、ノドカがなにをするのか分かっていなかったのだが、とりあえず素直に開けることにした。するとノドカはそこに……、「彼の口の中に、右手の人差し指を突っ込んだ」。彼女の予想だにしない行動に、レンは目を白黒させる。

「動かないで。じっとして……」

 あくまで彼女は真剣な表情をしていた。そして、ナイフを撫でていた時と同じように数字を言葉にする。

「39.4。ん-……」

 あきらかに奇妙な行動。だが……、それはまだ序の口に過ぎなかった。


 続いて彼女はレンの口から指を取り出すと、なんと今度は「その指をそのまま自分の口の中に指を突っ込んだ」。あまりの非常識的な行動を目にしたレンは固まり、唖然とすることしかできなかった。その一方で、ノドカは先ほどと変わらない様子で言う。

「37.1。わたしより2も高い」


 ……。


 ハッとしたレンは、慌てふためきノドカに問いかける。

「……なにしてるって? 体温測っただけ、だけど……?」

 しかしどうやら、彼女はまだそのことに気づいていないらしい。そして直接言うことは憚られるのか、にレンは気づかせようとする。

「え、どしたの? 『それ』って? ……言いづらいなら言わなくていいけど」

 レンが言った「それ」とは、ノドカが口に突っ込んだ右手人差し指のこと。しかし彼女は、その言葉だけでは気づかないようで、レンは言いづらいながらも表現を直接的にするしかなかった。

「……『キミの唾液が、わたしの口の中』に……? え……、あっ!?」


 途端、ノドカは顔を赤くしてレンから目を逸らす。

 レンの唾液が付着した指を、自分自身の口の中に入れた。そう、いわゆる「間接キス」というものである。しかも通常の間接キスであれば、例えばAが使用したコップの飲み口にBの口が着くなど、言葉通り間接的なものなのだが、今回はレンの唾液がまるまる付着した指を豪快に口の中に入れたのだ。下手をしたら、それは通常のキスよりも濃厚なものに……。

「っ……、ご、ごめん! ちょっとティッシュもらうね……!」

 今更指を拭いても後戻りできないのだが、だからといってなにもしない訳にはいかなかった。彼女はレンの部屋にあるティッシュを二枚ほど貰い、慌てて指を拭くことにした。


 ……なんだか居たたまれない気分になり、二人とも黙ってしまう。しかし沈黙が続くのはもっと気まずいので、その原因となったノドカは意を決して口を開く。

「……イヤ、だった?」

 レンとしても、それは別にイヤなことではなかったらしい。しかし、ただ純粋に、ノドカの行動があまりにも突然で驚いていたのだ。

「イヤじゃない……。でも、ごめんね」

 謝るほどなら、何故指を口に入れたのか。明らかに普通ではなかった行動に対して、レンは疑問を示す。

「……ん、なんで指を入れたかって? 言ったじゃん。だから体温測っただけ」


 ………………。

 いまいち理解が及ばない様子のレンに対して、補足するようにノドカが言う。

「前に本で見たの。口の中のほうが正確に体温測れるって。それで体内って、表面より温度高いんだって」

 彼女の説明からは、なんだか重要な部分が抜け落ちているようだった。何故なら、体内のほうが正確な体温になるとしても、指を口に入れる理由にはならないからだ。なのでレンは、「指じゃなくていいだろ」といった旨をノドカに伝える。

「え、指じゃなくていい? 指じゃないと分かんないよ?」

 だが逆に、ノドカは不思議そうな表情になった。どういうことだ、と考えるレン。それを見るノドカも、何故分からないのかという顔つきだった。

「んー? んー……」

 そしてノドカはひとしきり首をかしげた後、確認のためにレンに言う。


「えーっと。当たり前だけど、右手人差し指を当てると数字が浮かんでくるじゃない? それって温度で合ってるよね?」


 ……一瞬、レンはノドカの言うことが理解できなかった。無論、そんなことは当たり前ではない。

「え?」

 黙り込んでしまったレンの顔と、自分の指を見比べるノドカ。その後、何故かバッグから折り畳みナイフを取り出し、その刃に右手人差し指を当てながら言う。

「ほら、このナイフの刃。17.5」

 どうやら体温以外に、ナイフの表面温度も分かると表明したかったらしい。具体的に小数点第一位まで言っているが、もし本当にその通りであるなら、それは明らかに人間として特異な能力である。

「……そんな驚くこと? 金属って室温と同じくらいの温度になるから、これくらいが普通なんだよ。だいたい人肌より低くなるの」

 なのでレンはその特異性に驚いていたのだが、ノドカは「ナイフの刃が室温くらい」だという部分に驚いたと勘違いしたようだった。

「え、『温度が分かるのか』って……? どういうこと?」

 当然、その後のレンの質問も良い反応を示さない。


 ……どうにも会話が噛み合わない二人。再び沈黙が流れる。


 ――ごほっ、ごほっ!

「わっ、大丈夫?」

 今回沈黙を破ったのは、レンの咳。彼は喉が不調なようで、ベッドの近くにあるスポーツドリンクを欲しているようだった。

「喉が……、分かった。飲み物だね。今つぐからちょっと待ってね。……どーぞ」

 すぐにペットボトルを開け、コップに注ぐ。そしてノドカは、半ば無意識的にペットボトルに触れて言う。

「ペットボトル、16.1。えーと……、これも今、常温かな。常温の飲み物は、からだがビックリしないからいいんだよ」

 冷たすぎる飲み物は、胃腸の温度差によって身体に悪影響を与えてしまう。特に風邪など身体が弱っている時は避けたほうが良いのだ。

 そうしたノドカの知識もさることながら、やはり、本当に具体的な温度が分かるということに対してレンは感心した様子だった。

「ホントに分かるんだな、って……。……やっぱ、キミは分からないの?」

 前述のとおり、触れた物体の温度が正確に分かるというのは特異なもので、これはノドカ特有の能力である。しかし彼女にとっては日常がそうなので、それこそが当たり前だと思っており、「他人は温度が正確に分かるわけではない」という実感がないのだ。


「ちょっと手貸して……。っ……、これでも?」

 レンの右手の指を、ノドカは左手全体で強引に包み込む。彼女はレンの指に他の物が触れないように――ノドカの体温だけが分かるように――、そうしたのだが、温度が分かるわけではない彼からすれば、それは異性からのボディタッチでしかない。彼は異性に慣れているタイプというわけでもなく、落ち着かない状況となってしまったので、そこからレンは目を背けつつも「温度は分からない」と答えるのだった。

「そっか、分からないんだ……」

 ここまで触れても温度が分からないと言うレン。これでようやく、ノドカは「他の人は温度が正確に分かるわけではない」ということを実感するのだった。残念そうに思いながらも、せめて彼女はここに来た本来の目的を果たそうと、看病をこなそうとレンの身の回りを観察する。


「……そうだ、ちょっと氷枕貸して」

 そこでベッドの上にある、タオルが巻かれた氷枕が目についた。それはもはや溶けて水枕となっており、このままでは効力を発揮しないだろうと考えたのだ。レンとしてもそう思っていたようで、氷枕をノドカに手渡す。

「22.3、高いなぁ……。取り替えてもらってこよっか?」

 体温が高くなっていたレンに長時間触れていたことでその温度が移り、室温よりも高いくらいの温度となっていた。形容詞で表現するなら「ぬるい」の一言で済むのだが、ノドカにとっては頭に浮かんでくる具体的な値を言うほうが楽であった。

「じゃあ、おばさん? おかあさん? から、もらってくるね」

 そう言って、ノドカは部屋から出ていくのであった。



 一、二分経ち、ノドカが部屋に戻ってきた。

「――はい、1.2……度、だったから大丈夫だよ」

 彼女が持ってきた氷枕はしっかりと冷えており、タオルが巻いてあった。例えば先ほどノドカが言ったように、飲み物は冷たすぎると身体に良くないのだが、氷枕においても似たようなものである。なので直接触れて冷やし過ぎないよう、タオルを巻いて表面温度を少し上げて、身体に負担がかからないようにする必要があった。

「あとね……、リンゴも貰ってきたの。剥いてあげる」

 さらに彼女の手にはリンゴと紙皿があり、レンが食べやすいように切ってあげようということらしい。皮を剥くのにおあつらえ向きなナイフは、彼女のショルダーバッグに入っている。なのでノドカは手早くそれを手に持ち、てきぱきとリンゴの皮を剥いて……、

「『悪いな』って、別に……、いいよ。……わ、わたしが……、勝手に……」

 てきぱきと、リンゴの皮を……、

「やってるだけ、で……っ!」

 てきぱきと……。

「……だい、じょう……、ぶ……」


 ………………。


「うまくできない……。皮が残った……」

 ノドカはいつもナイフを持ち歩いているのだが、その使用目的は温度を感じるためで、他にはせいぜい「こちら側のどこからでも切れます」の袋を開けられなかった時くらいにしか使わなかった。また、彼女にとって、リンゴの皮を剥くのはこれが初めてだったのだ。

 彼女が剥いたリンゴの表面にはまだら模様に皮が残っているものの、しかし、食べやすい大きさにはカットされており、目的は果たされていた。なのでレンとしては問題ないどころか、むしろやってくれただけで感謝という気持ちだった。

「……これで、いいの? あ、ありがとう……」


 そうして紙皿の上に並べられたリンゴであったが、食べるための食器、スプーンやフォークといった類はこの部屋に無かった。素手でも食べられはするが、手を拭かなければベタついてしまう。なのでノドカが爪楊枝かなにかを持っていないかを聞くのだが……。

「え、つまようじ? ……あ、そうだ」

 ノドカはなんと、持っていたナイフを……、ぐさりとリンゴに突き刺した。

「はい、どうぞ」

 ……確かにそれは、手のベタつきを防ぐという役割は果たしている。なのだが、あまりにも無骨というか、危ないというか。特に体調を崩している状態において、レンは食器として適していると思えないのであった。

「……え? ナイフは訳が分からない?」

 だがノドカにとってナイフは完全なる日用品で、むしろ慣れ親しんだ相棒。何故レンが困惑しているのか分からない様子だった。


「あっ、そうそう。ちょっと『アレ』、やりたいんだけどいいかな? ほら、『あーん』って……」

 そんな中、レンに追い打ちをかけるようにノドカが提案する。

「実はわたし、こういう看病に憧れてたの。だから……」

 実はレンを看病しに来た理由は、「看病」という行為に憧れを抱いている部分があったからなのだ。当たり前だが、看病というのは病気の人間がいなければできないことで、彼女の身近には特にそういった人間はいない。なので物珍しさから、レジャー感覚で看病に来たのだ。

 そのレジャーの定番として「あーん」をしてみたいと考えていたのだが、リンゴに刺さったナイフを手に持ち、実行してみようとしたところでノドカの手が止まる。

「だから……、えっと、これ……」

 彼女は、とあることに気づいた。自分だけなら口の中に刃が触れないようにするのは簡単だ。だがそれを他人の口にやるとなると、非常に危険だろうと予測できた。なにせちょっと手元が狂うだけで、口の中を切りつけてしまうことになる。どこか浮ついた気分で看病をしていたノドカは、そのことに直前まで気づけなかったのだ。

「……な、ナイフじゃ危なくてできない……。ど、どうしよう、どうしよう……!」


 やろうとしていた計画が崩れたこと、その計画によって危うくレンを傷つけることになりそうだったことから、この後に自分がどうすればいいか分からず、ノドカはまるでこの世の終わりかのように慌てふためいていた。

 なのでそれを見たレンは、落ち着いてつまようじを貰ってきてほしいと言った。

「え? ……うん、つまようじ。もらって、くるね……!」

 ノドカはよほどその場に居づらかったのか、走ってレンの部屋から飛び出すのであった。


 直後、部屋の外からも聞こえるほどのドタバタ音。その音と先ほどの彼女の様子を連想すると、彼女には悪いが面白い状況ということが予測できた。思わずレンの顔には笑みが浮かぶ。


 ……。


「――お、お待たせ……!」

 そうして戻ってきた彼女の手には、爪楊枝が何十、いや何百と入っている円柱の容器があった。おそらく一本だけでは、なにかあった時にまた手間取るからなのだろう。その大雑把なリスクヘッジを見て、ついにレンの口から笑い声が漏れる。

「な、なんで笑って……。わたし、そ、そんなにヘンだった……?」


 ノドカの一連の行動は確かに変ではあったが、看病に対して真剣に取り組んでいるのは汲み取れる。レンの笑いは嘲笑の類ではなく、笑って見守りたいという感情があった。そして笑うという行動により、身体を動かすのを怠く感じていたレンは元気を取り戻した。

「え……、元気出てきた……? あ、ありがとう、って……。わたしあんまり看病できてないと思うけど」

 そんな彼女に対して、レンは完璧な看病だったと評価する。

「そっか……、うん。じゃあ、キミがそう言ってくれるなら」


 ………………。


 そんなこんなでいろいろあったが、ノドカなりの看病は上手く行ったのであった。

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