田中
そんなこんなで一人行動となった藤田、まずは自分の部屋へ行き顧客名簿を手に取った。
「この名簿はほぼ紙屑同然だが、少しでもなにかを知ることが出来れば、きっと今後役に立つはず」
藤田はリュックに名簿と、先ほど健人の部屋から持ってきた5グラムほどの大麻を入れると、部屋を出た。
鉄骨階段を下り、道路の方までゆく。駅までの距離はおよそ徒歩15分、電車に乗り、以前の顧客に会いに行くのだ。
まずは一人目の顧客の【田中】
田中は当時25歳くらいで既婚、男。愛想が良く文句ひとつ言わないような良い客だった。少しだけだが信頼できそうな気がしたため、藤田は田中を一番に選んだのだ。田中の住む駅に到着した藤田は改札を出る。名簿に記した通りの道を進み、久しぶりにこの街に来た。
直接売買をしていた頃は、よく来ていたのだが、あれから八年も経つ。ガラッと変わった風景の中に懐かしさを探すのは至難の業だ。
しばらく歩き、田中の家の前に辿り着くと、インターホンを三回連続で鳴らし、玄関から離れ、田中が出てくるのを待つ。これが秘密の合図として、名簿に記されていた行動だ。家族にバレないように田中なりの策略なのだろう、逆に怪しいと思うが。
遠くから玄関の様子を見ていると、ドアがゆっくりと開き、以前見た顔がひっそりと顔を出す。
(間違いない、田中だ)
藤田は家のドアの方へと歩き出す。
「田中さん」
藤田は会釈する。
「君は、藤田君か。懐かしいな、長い間一体どこに行ってたんだい。まさか捕まってたりして」
田中が言う。
「そのまさかです。ご心配かけました。その後はどうでしたか」
藤田は田中を気遣う。
「え、そうだったのか...冗談のつもりだったが。いや俺も、もうおっさんになってしまったよ。あることがきっかけで家族にも逃げられて、ものすごく悲惨な人生さ」
田中の顔は急に暗くなった。真っ黒な泥水に顔を押し付けたような顔だ。
「あることって、もしかして脱法ハーブとか」
藤田は核心を突く。
「え...」
田中との間に沈黙が広がる。
この沈黙が全てを物語った。田中は脱法ハーブに手を出しているのだろう。
「そんなもんやってないよ、脱法ハーブなんてダサいだろ」
田中の顔面は青くなり、大量の脂汗が出ている。
「ハンカチいりますか」
藤田は冷静に問う。
「いらないよ、ありがとう。ところでなんの用なのかな。世間話なら早く帰ってもらいたいのだけれど」
「そういうわけじゃありません。ここにはしばらく俺じゃない誰かが来てたはず。どんなやつだったか覚えてないですか」
「藤田君が来なくなってから、少ししてね、初めの頃は、確かに知らない男が大麻を売りに来たよ、当時の君と丁度同じくらいの子だったね」
「桜庭とかって言ってませんでしたか」
「名前は聞きそびれたけど、藤田君の代わりだと言っていたね」
「他に何か変わったことがあれば、教えてほしいのですが」
「そうだね。藤田君から買うよりも高かったよ。少しだけどね」
「そうでしたか。田中さん、これ」
藤田はそう言うと、リュックからGreen Crackを取り出し田中に見せた。
「おお、これはいいね、見た目からして上物だろう。で、これを売ってくれるのかい」
田中は藤田から大麻を受け取る。
「売ります。ですが次回からはSNSでの連絡になると思いますので、リピートの際は、よろしくお願いします」
「郵送だろ。最近じゃこうやって会いに来る人の方が少ないんだから、住所さえ分かればいいんだろ」
藤田より田中のほうが、売買に関する知識があるように感じる。
「口座番号はこれです」
藤田は解体屋で働いていた時の、口座の番号を渡す。
「ありがとう。それでこれはいくらなのかな」
田中が聞く。
「1グラム五千円です。相場の割に、質は良いと思いますよ」
「前の彼のとこは六千円だった割には、質はあまり良いように感じなくてね。藤田君のならまだ信頼出来るよ」
「信頼して頂いて構いません。今ならまだ在庫がありますんで、なくなったら連絡ください」
「連絡したいところなんだけど、前教えてもらった番号が消えてしまってね。教えてもらってもいいかな」
藤田はポケットからスマホを取り出し、田中に番号を教える。
「専用のSNSのページが今日中には完成すると思うので、そうなったらそちらから買ってもらえるとありがたいです」
「わかった。最近は上物の葉っぱなんて全然やってないからなあ、楽しみだよ。財布を取ってくるから待っててくれ」
田中はそういって家の中へと戻って行った。
藤田は田中の背中を寂しそうに見つめる。
「家族を失ってしまったのか」
今後、田中に襲い掛かる苦痛を俺と健人で作ったGreen Crackで少しでも癒すことができるだろうか。
藤田はほんの少しだが、自信をなくした自分に気付いてしまった。
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